09 月のワルツ


「はい、ここでターンですわ」
「ヤオモモと2人で踊ってると、まるで宝塚だね」
「だいぶスムーズにステップが踏めるようになってきましたわね!素晴らしいですわ!」
「でもやっぱり慣れてないから難しいなぁ〜」
「っていうかさー、うちらに見てもらうんじゃなくて、こういう時こそ轟に練習付き合ってもらえばいいじゃん!」

劇の練習を一緒にやろう。
片思いの相手である轟くんから声をかけられてから、既に2週間が経っていた。彼は言葉通りその約束を守ってくれて、クラスでの練習だけでなく、終わった後も台詞覚えの悪い私に付き合って一緒に練習をしてくれた。序盤の台詞はほぼ大丈夫なのだが、舞踏会のシーンからラストのシーン、つまり"彼と関わるシーン"は、緊張も相まって中々台詞がスムーズに覚えられないという情けない状態で、そんな私を責めるどころか、轟くんは何も文句を言わず毎日居残り練習に付き合ってくれていた。

「だいぶ時間取らせちゃってるから...せめてダンスくらいは自分でどうにかしないと...!」
「健気や〜」
「愛だねぇ」
「そんなんじゃなくてっ、いや、間違いではないんだけど!轟くんも忙しいだろうしっ!」

2年も後半に差し掛かり、より具体的に進路を考える時期に来ている。私も含め、2年になってからはクラスの大半は学校とインターンを両立する生活をしていて、それなりに忙しい。それは彼も同じはずで、ヒーロー活動に何も根付かない私の練習に付き合わせるのは本当に申し訳なく思っていた。

「みょうじさんのお気持ちはよく分かりますが...やはり相手が変わるとかなり違うでしょうし、一度くらいは轟さんと事前にご一緒してはいかがですか?」
「それに、皆の前でいきなり合わせるより、事前にちょっとでも2人でやっといた方が、緊張も減るんじゃない?」
「う...ごもっともすぎる意見だけど...。でもダンスだよ?手も繋ぐし、距離近いし...」
「手を繋いで戻ってきた奴らが今更何を言ってんだか」
「...ちょっ、耳郎さん...!!」
「しかも恋人繋ぎでね」
「梅雨ちゃんまで...!」
「ふふ、並んで歩いてるところ、とってもお似合いで素敵だったわ」

にっこり笑ってそういう梅雨ちゃんにの言葉にすごく恥ずかしくて逃げ出したくなる。
轟くんと舞台を観にいった帰り道、たまたまその日に出かけていた梅雨ちゃんと耳郎さんに、私と轟くんが手を繋いでいるところを見られていたらしいのだ。




「いや、あれは...えと、なんて言うか...その、」
「もうさっさと告白して付き合っちゃえ!」
「え!?いや無理むりムリっ!」
「このビビりめー!」

その後も2時間ほど共有スペースで皆にからかわれつつも、ダンスのステップを見てもらって自室に戻ると、もう窓の外はすっかり夜で、暗い部屋の机に置きっぱなしにしていたスマホが振動しているのが分かった。
急いで部屋の中に入り、机の上のスマホを取ると、ディスプレイに表示された名前に心臓が跳ねる。いい加減に慣れないと本当に近い将来死んでしまうかもしれない。

「も、もしもしっ!」
"お、今度は出たな"
「え...もしかして、電話くれてた...?」
"何度か"
「嘘、ごめんね...!ちょっと下で皆にダンス見てて貰ってて...」
"ダンスって劇のやつか"
「う、うん...ステップ難しくてまだ全然下手なんだけど」
"...何で俺に言ってくんねぇんだ"

少しの間を置いて、少し不機嫌そうな声で轟くんは言う。

「えっと、その...轟くんには台詞の練習でいっぱい時間使わせちゃってるから...」
"俺がそうしたいだけだって、何度も言っただろ"
「それは...そうだね。言ってくれたね」
"じゃあ俺に言え。そもそも2人で踊ることになってんだから、他の奴とやってもあんま意味ねぇだろ"
「う...それと同じことを八百万さんに言われました...」
"今やるか?ちょうど課題終わったところで、手が空いてる"
「え、今!?」
"あぁ。ちょうど別の用でお前の部屋に行こうと思ってたし"
「いや、でも、ほんと...まだ下手で...」
"下手だから練習すんだろ。今からそっち行くから、起きてろよ"
「......は、はい...」

私が返事をすると通話終了の音のみが耳に響く。スマホを机に置くと、すぐに私は急いで鏡の前に立って今の自分を見る。

「さすがに、中学のジャージは無いな...」

あとはもう寝るだけという時間に、クローゼットを開け、持っている部屋着の中で1番新しいものに着替える。結局は部屋着なのでおしゃれでも何でもないのだが。




コンコン、


着替えが終わり、ふぅと一息ついた直後に部屋のドアをノックする音が聞こえる。今日は誰がノックしているかわかっている。

「来といてなんだが、部屋だと逆に危ねぇし、もうちょっと広いとこ行くか」
「あー、確かに台詞合わせなら部屋でもいいけど、ダンスとなるとちょっと狭いもんね...」
「外でも大丈夫か?」
「うん。今日はそんなに寒くないし」
「じゃあ行くか」







1階に降りると、もう共有スペースには誰もおらず、まるで違う場所にいるかのように静かだ。私たちが歩く足音だけが響き、今更ながらきっと2人で出かけたあの日、彼は私の歩くペースに合わせて歩いてくれていたのだろうなとぼんやり思った。
10月も半ばに差し掛かっていたが、外はそこまで寒くなく、頬を撫でる秋風はとても心地よい。

「轟くん、芦戸さんに貰った動画観た?」
「あぁ。まぁ大体動きは分かった」
「す、すごいね...!私部屋で動画観ても全然わからなくて、八百万さんに相手役をお願いしてみんなに見てもらいながらやっとって感じで...」
「最初からそういうことは俺に言え」
「でも、」
「俺の時間をどう使うかは俺が決める。だからお前は気にするな」

私の頭に手を置くと、”分かったか”、といつもの無表情で尋ねてくる。こういう時の轟くんには、何と言うか有無を言わさぬ感じがあって、真っ直ぐ私を見てくる綺麗な色違いの目とか、低い声とか、咄嗟に頷いてしまう強さがある。惚れた弱みかもしれないのだが。

「はい...」
「じゃあやるか」
「...みょうじ、肩に手乗せねぇと出来ねぇぞ」
「あ、う、うん...そうだね。じゃあ、失礼します...」

私が轟くんの肩に左手を乗せると、轟くんの右手が私の背中に回る。何もかもが近すぎる。
先程まで相手をしてくれた八百万さんとは違って、柔らかさのない肩。肩から伸びる私の背中に回されたその腕には特有の骨っぽさや筋肉の筋があり、あぁやっぱり男の子だなということを改めて実感する。演習の日に保健室で抱きしめられた時の記憶が蘇り、あの瞬間、私はこの腕の中にいたのだと思うと、当然のように鼓動が早くなる。

「おい」
「は、はいっ!?」
「動かねぇと練習にならねぇぞ」
「あ、あぁ!うん!ソウダネ!」

頭の中をぐるぐるしていた恥ずかしい記憶を一旦しまい込んで、芦戸さんに言われたことを思い出しながら、つま先から足を踏み出す。私がひとつ、またひとつとステップを踏むと、轟くんはそれに合わせるようにして動いてくれる。

「ステップは普通に出来てんな」
「皆のお陰で...何とか...」
「けど、本番足元見て踊るわけにはいかねぇぞ」
「......ですよね...」

何とか形にはなってきたものの、つい足元を見てしまう。顔を上げると轟くんの顔がとても近くて、とても正面を見れそうにないというのもあるが、さすがに本番でそれは出来ない。

「あんま失敗したらとか考えんな」
「でも...」
「俺たちは別にプロじゃねぇんだし。それに、もしお前がミスしても、俺が何とかしてやる」
「何とかって...どうやって?」
「何か...適当に誤魔化す」
「ふふっ、逆にそっちが見てみたいよ」
「...やっと笑ったな」
「え?」
「みょうじ、今日はずっと申し訳なさそうな顔してたぞ」
「あ...」
「そういう顔してろ、本番も、今も」
「頑張ります...!」
「俺の顔もちゃんと見ろよ」
「...が...頑張り、ます...」
「何か寂しいだろ、俺だけ見てるの」
「...なるべく見ないでいただけると...」

必死に足元を見ている顔なんて、絶対に可愛くないし、見られなくないのに。顔を背けるとそれを許さないと言うように、顔を正面に向き直させられる。


「前も言っただろ。お前のこと見てるって」


そう言う彼の肩越しに、雲がかかった細い三日月が見えた。

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2020.10.12

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