その男、ストーカーにつき。


朝学校に着いて教室に入ると、一番最初に話しかけてくる人は、もう数ヶ月前から決まっている。

「みょうじさん、おはよう。今日はいつもより少し遅いんだね」

まぁ確かにいつもより若干遅い。でも若干だ。普通クラスメイトの登校時間なんて把握してるかな。

「おはよ......赤葦くん」

彼は私の登校する時間を記録でもしているのだろうか。

「そんなことしなくても、もう感覚でわかるよ」
「心を読むのやめてください。あとその感覚今すぐ抹消して」
「それだけみょうじさんが俺の生活に溶け込んでるってことだよ」
「勝手に溶け込ませないで。あと...そんなにジロジロ見ないでくれるかな」
「髪切ったんだね。昨日までのも良かったけど、今の方が耳にかけてのカーブが自然な気がする。似合ってるね。あ、リップも変えた?可愛いね。色つきのやつじゃなかったよね?」

いつもクールな顔を少しだけ綻ばせて嬉しそうにする。表情はすごく良いのに。

「............ストーカーなの?ねぇストーカーなの?まぁどっちも正解だけどね。ちょっと...いや、すごく怖いよ赤葦くん」
「どっちもすごく似合ってるから、伝えなきゃって思って。昨日の可愛さを軽々超えてくるよね」
「...ほんと、よくそんな言葉がスラスラ出てくるわ...」
「それほどでも」
「褒めてないから」
「ところで、みょうじさん、今週の日曜日ってなにか予定ある?」
「無いけど、勉強したいし」
「勉強熱心だね」
「あのさ、いつも言ってるけど、赤葦くんモテるんだから、私じゃなくてもっといっぱい...そういう子はいるでしょ?」
「そういう子って?」
「赤葦くんと付き合いたいと思ってる子は、沢山いるでしょってこと」

クラスメイトの赤葦京治。
強豪チームとして有名な梟谷学園バレー部所属。しかも2年で副主将。背も高いし、クールな顔立ちと落ち着いた印象で、客観的に見ればとても魅力的だ。そんな彼はモテる。当然のように。2年に進級し副主将になってからは、その人気はさらに加速した。

「だから、もっと可愛くて、それでいて赤葦くんを好きになってくれる女の子と付き合いなよ」
「俺はみょうじが好きだから、それは出来ないよ」

クールで大変おモテになる強豪バレー部の副主将は、何故か私に気があるらしく、これは梟谷の七不思議にしてもいいくらいのミステリーだ。ただ、噂に聞いていた話と実際の彼はだいぶ異なり、クールと言うより”得体の知れない人”、という表現の方が私はしっくり来ている。
席替えの度にどうやって根回ししているのか、くじ引きなのに毎回隣りの席になるし、彼の部活のない日は鉢合わせ無いようにわざと用事を作っているのに必ず見つかってしまう。今朝は今朝で、たった数ミリ前髪を整えただけで気づくし、もうなんなんだこの人。

「何度も言ってるよね?私恋愛には興味ないって」
「そうだね。でもこれからどうなるかはわからないよ」
「わかるよ。私は恋愛はしないの」
「どうして?」
「どうして、って......」

返す言葉に詰まっていると、追い討ちをかけるように赤葦くんは言葉を紡ぐ。

「恋愛はしない。したらダメって、そう自分に言い聞かせてるみたいだよね」

表情を変えず、淡々と話す彼からは感情の起伏がわからない目で、私をじっと見ている。
私は彼の目が苦手だ。まるで全部見透かされているような、触れられたくない部分さえも掌握してきそうな、無表情なのに、なぜか好戦的に見える、この目が。

「とにかく!私はそういうの興味ないから、他を当たって下さい」

私の方を見ていた赤葦くんが、私がこれ以上話す気がないことを察して視線を前に戻すとほぼ同時に、先生が教室に入ってくる。HRの最中、なんとなく彼を横目でちらりと見ると、彼は特にこちらに気づくことも無く、先生の話をいつもの無表情で聞いていた。







「あ、それで、日曜日なんだけど」

一日の授業と最後のHRが終わり、帰り支度をしていると、思い出したように彼がまた話しかけてくる。

「断ったよね!?私、断ったよね!?」
「でも決まった予定があるわけじゃないんでしょ?」
「それは...」
「試合観にきてよ、俺出るから」

そりゃあそうだよ。だってあなた副主将ですもの。

「実際観て、つまんなかったら帰ってもいいし」
「いや、だから、私は...」
「9時〜中央体育館だから」
「いや、だからね!?」
「みょうじさんが来てくれたら俺、すごく頑張れるから。ね?」
「............チアの子とか、他にも応援くるじゃない」
「約束ね」
「話を聞いて!?」
「来なかったから家まで押しかけるから」
「住所、知らないじゃない...」
「......どうかな?」
「ストーカーなの!?」
「約束、ね?」

じゃあ俺は部活あるから、と言い、こちらの意向は一切スルーして教室を出ていく赤葦くん。

「行かないからね!」

いつもこうだ。一緒に帰ろうとか、お昼を食べようとか、いつも誘われて。断るのに、毎回毎回彼のペースに持っていかれて、私だけがアタフタして。なんだか、調子が狂ってしまうのだ。







「で、結局来る羽目になる...と」

日曜日の体育館前。真相は闇の中だが、もし私の家を知っていて、私が今日観に来なかったら、彼なら本当にやって来るかもしれない。なんなら上手いこと私の親までも掌握し、リビングでお茶を飲んでいる姿さえ浮かぶ。彼なら有り得る。

「なんで私が興味もないスポーツ観戦なんか...」

まぁいい。観るだけ観て、さっさと帰ろう。試合が終わった後だって、彼はバレー部でミーティングやら何やらあるだろうし、部活の人達で帰るだろうし。

「わ、広...」

学校の体育館よりもずっと大きな体育館。シューズと床が擦れる摩擦音や、ボールの跳ねる音がそこらじゅうから聴こえる。うちの学校は第4コートか、と確認して応援席に向かう。さすが強豪。応援席には人が既に沢山いて、本当は1番後ろにひっそり座りたかったのに、最前列の方しか空いておらず、その中で最も後ろ寄りの、前から数えて3列目の端の席に座ることにした。






10分くらいだろうか、ぼーっと座っていると、選手の出入口から見覚えのあるユニフォームを来た男子たちが入ってくる。

「あ、木兎さんいた!きゃー!」
「今日もカッコイイねぇ!バレー部!」

彼らが体育館に入ると歓声が上がり、女の子たちの黄色い声も聞こえる。
黒と黄土色のユニフォームを纏った集団の中に、よく知る顔を見つける。今日も絶好調に無表情だ。

「赤葦くん、やっぱりクールでカッコイイなぁ〜」
「ね!彼女とかいるのかなー」

真後ろの女の子たちがそんなことを言っているのが聞こえて、居た堪れない。
まぁそうだね。見た目はね、カッコイイよね。それは認める。でも得体の知れない人ですよ、あの人。ストーカーだし。
ぼーっとバレー部の人たちを眺めながら、そんなことを考えていると、彼の方が客席を見て何かを探すように顔を動かす。もしかして、と思ってふとスマホを取り出して画面見る。特に何もすることも無いのでロック画面の愛犬の写真とずっと目が合う。でも今彼と目が合うよりはいい。気まずい。しかも仕方ないとはいえ、結構前の席に座っちゃったし。もう見つかるのは仕方ない。早く気づいて、満足したら、さっさと練習を始めて欲しい。彼ならすぐに見つけられるはず。

「はぁ...そろそろいいかな」

誰にも聞こえないようにそう呟く。顔を上げ、ちらりと先程の場所を見る。
そこには先程と同じ、ではない。教室で見せるあの綻ぶ顔をした彼がじっと私を見ていた。いつから見られていたのかを考えるだけで恥ずかしい。私と目が合ったことを確信した彼は、あろうことか私の方に向かって小さく手を振った。

やめてやめて。後ろの女の子あなたのファンだから。体育館裏に呼び出しとかされたくないから。

「今、こっちに手振ってくれた!?」
「きゃー!」

ナイス勘違い。これで私の命は守られた。
こちらが特になんのアクションも起こさないと、少しムッとした顔をする。ムッとした、と言っても無表情なのは同じだが。

(振り返してよ)

そう口パクで言っているように見える。いや、実際のところは遠くてよく分からないが、おそらくそういう事なのだろう。だいぶ躊躇われたがこっそりと、少しだけ手を振ると、赤葦くんはふ、と笑い、また何かを口パクで言ってコートへ向かった。ストレッチとアップを始め、それ以降は私を見ることは一切無かった。

「それでは、試合開始です」

ホイッスルの音が鳴り、相手の選手がボールを高く上げる。
はじめはボールを目で追いかけて試合を観ていたけど、ふとボールが彼の手に渡った瞬間、身体の奥から熱が込み上げてくるのが自分でも分かった。
普段教室で見る顔とは全然違って、緊張感のある真剣な表情。ボールを捉え、的確にトス(よく知らないけど)を上げる姿。得点が決まった時の笑顔と、ハイタッチ姿。毎日顔を合わせているのに、全然知らない彼が、そこに居て。

やっぱり、観に来なければ、良かったな。

こんなにカッコイイなんて、ずるい。私はやっぱりまんまと彼の術中だったのだ。







試合は梟谷のストレート勝ちだった。エースの木兎さんはもちろんだが、他の部員も皆すごかった。私が試合に出た訳でもないのに、妙な達成感があった。そしてそれと共存する、知りたくなかったあの気持ち。恋愛はしない、そう思っていたのに。

「あれ、久しぶりじゃーん!」

体育館を背にして歩いていると、後ろから女の子の声がした。
聞き覚えのある声。先程感じた熱とは相反するように、背筋がゾッとする。

「なんでこんな所に居るのー?」
「え、と...友達の...試合で...」

2年ぶりに会う、中学時代の同級生。

「ふーん?梟谷だったよね、確か」
「うん...まぁ」
「へぇ、今度はバレー部の男狙ってるんだ」

顔は笑っているのに、声に一切の温かみがない。




「そんなんじゃ...」
「あたしの彼氏取ったくせに、ほんと、いい身分だねー」
「あれは..誤解で」
「は?まだ言うの?あんたのせいでうちらが別れたのは事実だから」

違う。あなたの彼氏と付き合ってなんかない。ただ、普通に友達として接していただけだった。それなのに。
ああこんな日に思い出したくなかった。あの頃の、辛い日々。ただその男子と話をしていた、それだけなのに、あの子は人の彼氏を奪うのが好きな最低な子。そんな風に言われるようになって。その話は、瞬く間に広がって、ねじ曲がって。私が何を言っても誰も信じてくれない。わかってくれない。

だから、そんなことなら、恋愛なんてしたくないってーーーー




「あ。みょうじさん、やっと見つけた」

後ろから、目の前にいる彼女とは違う、聞き覚えのある低い声。




「まだ帰ってなかったんだね。良かった」
「あ...赤葦...くん」
「みょうじさん、どうしたの?顔青いけど...」

赤葦くんが珍しく少し動揺した顔をする。そんな顔も初めて見た。

「へぇ〜、今度はこの人なんだ〜」
「ち、ちが...!」
「気をつけた方がいいですよ。この子、色んな男取っかえ引っ変えする、魔性の女なんで。この子に男取られた子いっぱい居るの」
「...は?」

嫌だ。何で、何でこんな時に。よりによって彼の前で。こんな話聞いたら、幻滅されるに決まっているのに。怖くて彼の顔が見れない。
けどここで弁解したところで、また彼女の神経を逆撫でしてしまうだろう。それに私が彼に弁解するのだって、不自然だ。別に恋人でもなんでもないのだから。

何も言わない赤葦は文字通りポカン、とした顔をしている。そりゃあそうだ。急にあんなことを言われたらさすがの彼でも戸惑ってしまうはずだ。




「......ふ、ははっ」
「え?」

少しの沈黙の後、吹き出したように赤葦くんが笑った。というか、そんな風に笑ったりもするんだ。先ほどとは逆に、今度は私と彼女もぽかんとしてしまう。何故赤葦くんは今笑っているのだろうか。どこまで得体の知れない人なのだ君は。

「な、何なの?」
「魔性って...そんな言葉、ホントに口にする人初めて見た」
「はぁ?何なのあんた、超失礼じゃない?」
「初対面相手に急にあんなこと言うなんて、どう考えても失礼なのは君の方だよ」
「な…」
「それに、何か勘違いしてるみたいだけど、俺は別に何もされてないし。むしろ、どうにかしたいのは俺の方」

私の背後にいた彼が、彼女に向かってゆっくりと歩き、彼女の前までやってくる。

「この意味、わかるよね?俺、この子が好きなんだ」

赤葦くんがそう言うと、中学時代の彼女は言葉を詰まらせる。焦った様子の彼女に対して、彼は至っていつも通りに、平静に言葉を発する。

「だからみょうじさんに何かしたら、許さないよ」

背の高い彼が見下ろしながら無表情で淡々と放つその言葉に、彼女は萎縮してしまったようで、固まっている。

「特にもう何も無いなら、じゃあ、俺らはこれで」

行くよ、と手を引かれる。数メートル歩くと後ろの方でまた彼女の声がする。



「ちょっと...!結局あんたなんなのよ!」
「俺ですか?」

あんな見下ろされてまだ噛みついてくるなんて、相当彼女も気が強いが、それに負けないくらい好戦的な、あの私が苦手な目をしている彼は、少し考えてから口を開く。




「ご心配なく。ただのストーカーなんで」

彼は堂々と、悪びれもなく言い放ったのだった。






「恋愛しないって言ってた理由はあれ?」
「え...」
「中学時代の人とかでしょ?あの子。あの子の彼氏が君のこと好きになっちゃって、って感じか」

何なのもうこの人怖い。私の心も読めるし、私の過去も読めるとか。エスパーだ。

「まぁ、そんなところ...」
「あんな思いするくらいなら、恋愛なんてしたくないって、随分極端だね」

顔が熱くなる。わかってる。恋愛をしてもしなくても、それは関係なく、人の歪みはいつだって起こりうる。子供っぽい意地だ。それ以外の何物でもない。だけど。

「だって...だって誰も信じてくれなかったの…ずっとその後はひとりで...色んな人に身に覚えのないこと...言われてっ」

気づいたらボロボロ泣いていて、顔中ぐしゃぐしゃで、気持ちもぐしゃぐしゃで。こんな顔、絶対に人に見られたくなかった。
ましてや、自分の好きな人になんか。

「ごめん、言い方悪かったなら謝るよ」
「そ、んなことっ...ないけどっ...」
「でも俺だってそんなの、納得できないから」
「...は......?」
「そんな理由で俺の気持ち、拒否されるのは納得いかない」

少し怒ったように言う赤葦の言葉が、心に響く。そうだ、その通りだ。だって彼は中学の人じゃない。
新しい生活を新しい環境で始めて、そこで出会った人で、そこからの私を見て、今の私を好きだと言ってくれていた。それなのに。

「ご、ごめん...なさ、」
「何?この状況でフラれたの俺」
「ちが、くて...」

あなたは毎日毎日飽きもせず、今の私と向き合ってくれたのに。もうどうにもならない過去を引き摺って、自分を守ることばっかりで。
だから、ごめん。そういう意味で謝らせて欲しいのだ。

「でも、やめないから」
「え」
「諦めないから。ストーカーって言われても、仮にまた君にそういう噂が流れたとしても、絶対にみょうじさんのこと、諦めない」

歩いていた足を止め、私の手をぎゅっと握って、私の額に自分のそれを優しく押し当てて、赤葦くんはそう言う。鋭いその目が真っ直ぐに私を見て、彼の目にぐしゃぐしゃの自分の顔が写っているのが見える。

「やめないよ、ストーカー」
「やめられたら、困る」
「...そういうこと言うと、ストーカーってエスカレートするんだよ」
「いいよ。だって好きだもん」
「あー...もう、ずるいなぁ」

そう言って、近くにある彼の顔がさらに近づいてくる。好きだよ、と小さく呟いたその唇が、私のものと重なる。
私は今、生まれて初めて好きな人にキスされている。
周りに人もいるのに、もうそんなのどうでもいいくらい、今この瞬間が愛おしい。私を好きだと言ってくれる人が、彼でよかった。心からそう思えた。




「もしまたああいう人が居たら、言って。絶対。俺が守るから。約束」
「あはは...頼もしいストーカーだね」

やっと笑ってくれた、って笑う彼。ずるいのはどっちだ。こんなふうにさせたのは赤葦くんなんだから、ちゃんと責任取ってもらわなきゃ割に合わない。

ねぇ約束よ?ずっとずっと、守ってね。私の愛しいストーカーくん。


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おまけ
「ところで試合前の2回目の口パク、あれなんて言ってたの?」
「あぁ、あれ?"いつか絶対に落とすから"って」
「言い方が怖いよ!!」
「まさかホントに思い通りになるとは思わなかったけど。ある意味あの子には感謝かな。でも」
「でも?」
「さてどうしようかな、中学の名簿って手に入れられるかな...」
「何する気なの!?」

無駄に長い。
赤葦くんはあらゆる手段で彼女を守ってくれると信じています。
2020.10.7

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