終わりにしよう


「うわ、また熱愛発覚だってよ」

一人カフェでコーヒーを飲んでいると、隣の席に座る大学生くらいの男の子が、スマホを見ながらそう呟いた。彼は手にしていたスマホをむかいに座る女の子に見せた。

「ショートはホント多いよねぇ、熱愛報道」

おそらく彼の恋人であろう女の子は、取り立てて驚くこともなく、自身が手にしている飲み物を口に含みながらそう言った。あの女の子とは、仲良くなれそうな気がする。

私にとって、これは日常だ。
No.1の息子で、強烈な個性、そしてあのルックス。今をときめくプロヒーロー"ショート"、もとい、轟焦凍と付き合うようになって、もうすぐ5年が経とうとしている。
メディアにとっての彼は、兎にも角にもスクープを押さえたい人物らしく、悪趣味な女性関係の噂が後を絶たない。付き合って1年くらいの間は、メディアが取り上げるショートの熱愛報道がきっかけで、よく喧嘩になったものだ。今もごくたまにそれが原因で言い合いになることはあるが、それでも焦凍は私が納得するまで何度でも説明してくれたし、私が不安にならないようにと、サイドキックに女性を雇うこともやめた。ヒーローがそんな私情だらけの人事採用をしていいものだろうかと、少し気にはなったものの、彼の行動は素直に嬉しかった。

「いや、どうせ今回もガセでしょ?まぁこれだけのイケメンなら、記事にしたくなるのはわかるけど」
「女が隣に歩いてるだけで毎回騒がれて、ショートも大変だよなぁ...」

全くもってその通りだ。正直言って、ムカつくのだ。
確かに、もうそれで喧嘩をすることはほとんど無くなったけど、嫌な気持ちにならないというわけじゃない。それとこれとは話が別だ。しかも、相手になる女性の方は、大抵彼に好意を持っていることが多いのだ。彼女達のことは全く知らないけれど、週刊誌やワイドショーで取り上げられる記事の写真を見る限り、十中八九そうだろうと、女の勘が告げていた。焦凍は何も悪くないのに、行き場のない怒りがふつふつと湧いてきて、そんな自分を鎮めるために、何度頭の中に菩薩を描いたかわからない。

「確か、一般人の恋人がいるっていう説が濃厚なんでしょ?ショートって」
「らしいな。でも実在すんのかなぁ...。ショートの恋人なら、どっかの国のお姫様とかでも違和感ねぇよな」
「あはは、確かに。ヨーロッパとかの城に住んでそうな見た目だよね。ショートは」

残念ながら、ショートの恋人はお姫様ではありません。
ついでに言うと、彼が暮らしているのは、2DKのマンションです。

そんなことは口が裂けても言えないが、世間が彼に抱いているイメージは、現実の焦凍本人と恐ろしいほどのギャップがある。まぁ確かに、大きさとしてはかなりのものだが、ご実家は日本家屋だし、今一緒に住んでいる2DKの部屋を選ぶ時も、一部屋はどうしても和室がいいと不動産屋さんに駄々をこねていたほどの純日本人だ。こういうカフェに足を運べば、抹茶とかほうじ茶とか、そういう和風なものがあれば、迷わずそれを頼むような人なのだ。

初めて抹茶ラテ頼んだ時、なんで抹茶が甘いんだって本気で私に聞いて来たんだよなぁ...あの人。




「いやでもさ、今回のは結構ガチかもよ?」

二人のやり取りに聞き耳を立てていると、男の子が不意にそんなことを口にした。

「え?なんで?」
「だって、ほら。こっちの記事には写真ついてんだけどさ」
「...うわ、がっつりじゃん。これはしばらくネットが荒れそうだなぁ...」

そんなことをしなければ良かった。後になって絶対にそう思うに決まっている。それなのに、彼らの会話を聞きながら、自然と彼のヒーロー名をスマホで検索してしまった。男の子が話していたであろう記事はすぐに見つかった。
なぜそれがそうだとわかったか。理由は単純明快だ。今まで幾度となく見てきた、どの熱愛報道の写真よりも、それがショックだったからだ。
そこに映し出された写真には、知らない女の人とキスをする、彼の姿があった。

カフェから家までどうやってたどり着いたかは、もう思い出せない。とにかく必死に走った。家に着き、玄関の扉が閉まると同時に、一気に涙が溢れ出した。見なきゃ良かった。知らなければ良かった。今日あのカフェに行かなければ良かった。あらゆる後悔と悲しみで、胸が張り裂けそうになる。
部屋に入り、リビングのソファに崩れ落ちるようにして、そのまま子供のように声を上げて泣き続けた。







「なまえ、おい、風邪引くぞ。起きろ」

肩を優しく揺らす手と、低く心地の良い声で目を覚ます。いつもならそれをとても幸福に感じるのに、今は不信感の材料になってしまう。

「ただいま」
「...おかえり」
「どうした?電気もつけねぇで...何かあったか?」

焦凍は至っていつも通りで、すぐに荷物を適当な場所に置いて、私に近づいて来た。

「泣いてたのか?何で...」
「...焦凍、あの人誰?」
「あの人、って...誰のことだ?」

恐る恐るスマホの画面を開いて彼に見せると、彼は一瞬だけ驚いたような顔をして、すぐにいつもの冷静な表情に戻った。

「これ、どういうこと...?」
「なまえ、ちゃんと話すから。聞いてくれ」
「...話すって何を?」
「ここに写ってるのは確かに俺だ」
「そんなの見ればわかるよ」
「でも、そういうんじゃねぇから」
「キスしてるのに、そういうんじゃないって...じゃあどういうことなの?」
「確かに口は触れたけど、でもしたくてしたわけじゃねぇ」
「何、それ...そんなの...」
「今すぐ信じろとは言わない。けど本当だ」
「...そんなの、わかんないじゃない...っ」
「なまえ」
「だって焦凍の気持ちは目に見えないんだもん。そんなの...わかんないよ...っ」

わかっている。今ここでそんな話をしたって、本当のことなんて確かめようがない。これくらいのこと耐えられなければ、あの"ショート"とは一緒にいられない。

そんなこと、わかってる。だけど。

「確かに...もう慣れたよ、こういうの。慣れたけど...嫌じゃないとは言ってない」
「わかってる」
「わかってない!」
「なまえ、少し落ち着け」
「自分の恋人が自分とは違う女の子とあーだこーだって話を、いろんな場所で見て、色んな人が話してるの聞かされて...それを嫌だと思わない人なんているわけないでしょ...!」
「...それは...いつも悪いと思ってるし、説明だってちゃんとしてるだろ、毎回」

私の言葉に、焦凍は段々苛立ち、素っ気ない言葉でそう返した。それが余計に私を不安にさせ、冷静な思考を奪っていく。

「焦凍はさ、逆の立場になったらって、考えたことあるの?」

これは絶対に言ってはいけないと、そう思っていたのに。感情が昂って止まらなかった。

「私が違う男の人とキスしてる写真見て、それは違うんだよって私が言ったら、素直に受け入れられる?いいよって、許してくれるの?出来ないでしょ!?」

私が彼にそうまくし立てると、ついに我慢の限界が来たのか、彼はダイニングに置かれたテーブルに、思い切り拳を振り下ろした。大きな音が部屋に響いた後、テーブルには大きな亀裂が出来上がっていた。

「じゃあ、どうすりゃいいんだよ」
「しょ、と...」
「何を言ったら、お前は納得すんだよ!!」

今まで聞いたこともない声、見たこともない顔。いつも優しい焦凍を本気で怒らせてしまった。何か言わなければと思うのに、身体は震え、言葉を発することはできず、ただただ目からぽろぽろと水滴が落ちるだけだ。

「そんなにお前が俺といるのが苦痛なら、もう終わりにしよう」

それは一番聞きたくなかった言葉だった。だけどそれを言わせたのも、間違いなく私だった。

「......焦凍は...それでいいの?」

ほんのわずか、もしも残っているならその可能性に賭けたくて、わざとそう聞いた。

お願い。否定して。
いつもみたいに優しく、そんなわけないだろって、言って。

「...仕方ねぇだろ。他に方法がねぇなら」

私の顔を一切見ることなく、焦凍は背中をむけたまま、静かにそう言った。
苦しくて悲しくて、もう彼の顔も見たくなかった。わかっている。自業自得だ。こんな女、誰だって嫌になるに決まっている。
さっき投げ捨てた鞄を私がもう一度手に取り、玄関にむけて歩き出す。私が何をするかを察した焦凍は、踵を返して玄関まで追いかけて来てくれたのに、そんな彼を裏切るように、私は逃げるように部屋を後にした。







「久しぶりに帰って来たと思ったら、あんたはいつまでぼーっとしてんのよ」

ソファに寝転がる私を見下ろす母は、呆れたようにそう言った。

「いいじゃない。久しぶりに帰って来たんだから、少しはゆっくりさせてよ」
「あんた、仕事サボって来たんじゃないでしょうね?」
「そんなことするわけないでしょ。ちゃんと有給取って来たし...」
「で、何で急に帰って来たのよ」
「別に...ただ何となく」
「...さては男にフラれたわね?」

母親というのは、どうしてこうも勘が鋭いのか。エスパーなのか。超能力者なのか。確かこの人の個性は、違うものだったと記憶しているが。

「そんなんじゃないから」
「あんた、中学生の時も、彼氏と別れた時はそうやってたわよ」
「え、嘘...!?」
「うん、嘘」
「......騙したわね」
「まぁ、職場の方にご迷惑をかけない程度なら、好きに居ていいわよ」
「...ありがと」

母は私の頭にぽん、と手を乗せて、少し困ったような笑顔を見せた。

親の前では、いつまで経っても子供は子供のままってことか...。

焦凍と暮らすマンションを飛び出して、三日が過ぎた。
衝動的に飛び出して来てしまったため、着替えや歯ブラシなど、生活に必要なものは全て置いたままだ。はじめは友達の家でお世話になろうかと思っていたのだが、さすがにその状態で行くのは気が引けて、少し考えたあと、久しぶりに実家に帰ることにしたのだ。
その間、焦凍から何度か着信が来ていたが、決定打を打たれることが怖くて、結局折り返すことが出来なかった。最後に来ていた着信は昨日の朝だった。すっかり音沙汰のなくなったスマホを握り締めながら、こうしてソファに寝転び、人生を無駄遣いしている。スマホの時計を見れば時刻は18時27分。キッチンからは美味しそうな匂いがする。

「お母さん、今日のご飯なに?」
「今日はクリームシチューよ」
「久しぶりに食べるなぁ、お母さんが作ってくれるの」
「あんた自炊とかできないでしょ?」
「失礼ね、ちゃんと毎日作ってたわよ」
「あら、それは失礼」

半分は本当、半分は嘘だ。一人暮らしをしていた時は、母の言う通り、全く自炊などしなかった。
変わったのは、焦凍と出会ったからだ。
それほど料理が得意ではない私が、初めて彼の家で作った料理を、彼はとても幸せそうに食べてくれた。好きな人が自分の料理を美味しいと言って食べてくれることが、こんなに幸せなことなんだと、彼が教えてくれたのだ。
そういえば、彼に初めて作った料理も、クリームシチューだった。自宅で何度練習しても、母の作るような味にはならなくて、結局母に電話をして、助けを求めたことが懐かしい。

「ちゃんと相手の人と話したの?」
「え?」
「あんた意地っ張りだから、どうせ喧嘩でもして飛び出して来たんでしょ」

言葉に詰まる。全くもってその通りで何も言い返せない。

「全くもう、この子は。誰に似たのかしらね」

いや、十中八九あなたですけどね。そう喉に出かけた言葉を飲み込む。するとリビングから、懐かしい実家のインターホンの音が聴こえてきた。

「あ、お父さーん!ちょっと出てくれるー?」
「...私出ようか?」
「いいわよ。たまには動かないと。あっという間におじいちゃんになっちゃうわ」
「はは、それは困るね」

そんな他愛もないやり取りをしていると、リビングの方からガタガタと騒がしい音が聞こえてくる。かと思えば、慌しく鳴るスリッパの音が、私たちのいるキッチンの方へと近づいて来た。

「お、おい、なまえ...!」
「どうしたの?お父さん、そんな慌てて...」
「何?玄関に熊でも居たの?」
「しょ、ショートが...」
「「は?」」
「うちの玄関に...プロヒーローのショートがいる...!!」

うちの玄関に、プロヒーローのショートがいる。
うちの玄関に。焦凍が、いる。
父の言葉をおうむ返しのように数回繰り返して、今起きていることをようやく理解した。

「...は!?」
「お、お前一体何したんだ...!?」
「いや...何かしたと言えばした...けど...」
「あんた、あのショートと知り合いなの!?あのイケメンの!?」
「う、うん...知り合いっていうか...えっと...」
「...なるほど。そういうことね」

母は私の煮え切らない態度を見て、全てを察したらしい。

「え、待って...俺だけ状況が飲み込めてないんだけど...」
「お父さん、上がってもらって頂戴」
「は!?お母さん、何言ってんの!?」
「だって、ショートよ?生ショート!...まぁ、あんたがどうしても追い返せって言うなら、追い返すけど、どうする?」
「そ、それは...」
「ささ、お父さん、早く。外寒いんだから!」
「お、おう...わ、わかった...」

母はわざと意地悪そうに笑って、私をチラりと見た。父は相変わらず状況が全く掴めていないと言った様子だったが、ひとまず我が家の方針は決まり、父はショート、もとい、焦凍を玄関まで迎えに行った。

「やるじゃないの。あんた」
「いや...でも、その...さっきお母さんの言ったまんまの状況でさ...今...」

不安だ。一体何をしにここまで来たのかは知らないが、今度こそ引導を渡されるかもしれない。実の親の前で、できればその状況は避けたいが、相手はあの天然男だ。何を言い出すかはわからない。

「女は度胸よ。腹括りなさい」

私の不安げな様子を察した母は、パシッと私の背中を叩き、にっこりと笑った。







自分の親がこんなにもミーハーだったことを、大人になった今初めて知った。

「まぁまぁまぁ...!本物だわ...!テレビで観るよりずっとイケメンね...!」
「我が家に...我が家にショートがいる...!すごいな...!」

三日前に別れ話をした恋人と、実家のダイニングテーブルで食卓を囲むことになろうとは、誰が予想しただろうか。父と母は本物のプロヒーローショートに会えた喜びを包み隠すことなく、興奮気味に肩を躍らせている。

「二人とも...そんなにジロジロ見たら失礼だよ...」
「別にいいぞ。楽しそうな家族でいいな」
「恐れ入ります...」

三日前にあんなことがあったのが嘘だったかのように、焦凍は普通だった。リビングに入って来た彼は、私の姿を見ても特に顔色を変えることはなく、"お、居た"と口にしただけだった。

「すみませんでした。急にお邪魔して」

気まずそうにしている私を他所に、焦凍は私の両親に頭を下げた。テレビやメディア以外の、リアルの場面で敬語で話をする彼は少し新鮮だ。職業柄、そんなに外へデートに行くことは出来ないため、いつも二人で車で出かけるか、家で過ごすことが多い。そこに別の人間がいること自体が、ちょっとした非日常だった。

「いいのよ〜、えっと...ショートはヒーロー名よね?本当のお名前は...」
「轟焦凍です」
「俺は玄関で聞いたけど、ヒーロー名と同じだからびっくりしたなぁ」
「よく、言われます」
「それでそれで?焦凍くんは、なまえとどういう関係なの?」
「お、お母さん...!?」

いくら何でもいきなりダイレクトすぎる質問に、冷や汗が止まらない。

「お付き合いをさせてもらってて...もうすぐ5年になります。3年くらい前からは、一緒に暮らしてて」
「そ、そうだったのか...」
「...あんた、数年前から家になかなか帰ってこなくなった理由はこれね?」
「え、っと...いや、その...」

私がバツの悪そうな顔をすると、焦凍は私の方をまじまじと見る。

「お前、親に言ってなかったのか?」
「だ、だって...もし親から広まったらまずいと思って...」
「確かに、プロヒーローは芸能人みたいなものだからなぁ...」
「あ。そういえば、5年くらい前に急に電話してきて、シチューの作り方教えてって言ってきたことあったわよね?」
「何で今その話しちゃうの!?」
「この子全然料理とかしない子だったのに、急にそんなこと言い出すから、すごく驚いたのよ〜」
「確かに、俺もなまえの手料理は食べたことないな!」
「もう、二人とも黙って...!!」

あぁもう、何てことだ。穴があったら入りたい。道があったら駆け出したい。恥ずかしいが過ぎる。

「美味いですよ。全部」

やいのやいのと騒がしい私たち三人とは対照的に、焦凍は静かにそう呟く。

「いつも俺の身体のこととか考えてくれて、助かってます」

そう続けると、彼は穏やかに笑った。そんな焦凍の言葉に、表情に、あぁやっぱりこの人が好きだと思った。この人の側にいたい。この人を信じていたい。自分がしてしまったことを、改めて後悔させられる。




「だから、ずっと一緒に居たいと思ってます」
「え...?」

三日前、確かにこの人は私に"終わりにしよう"とそう言った。それは紛れもなく別離の意味だったはずだ。それなのに。

「しょ、焦凍、それ...どういう...」

恐る恐る彼に尋ねると、彼はもう一度私の方を見た。その顔はとても真剣で、その目はとても真っ直ぐだった。

「"終わりにする"」
「終わり...?」
「お前とずっと一緒にいるために、今の関係は終わりにする」

そう言うと、彼は私の手をギュッと握った。

「突然押しかけた上に、急な話ですみません。でも今がその時だと思ったので、今言います」

焦凍が何を言おうとしているのかを理解して、彼の言葉が続いているのに、瞼からはぽろぽろと水滴が落ちる。今度は悲しいからじゃない。心の底から嬉しいからだ。
私の手を握る彼の手は、ほんの少しだけ震えていて、すごく緊張していることが伝わってくる。そんな彼の想いを知ってか知らずか、先ほどまで、あれほどうるさかったはずの両親は、穏やかに笑って彼を見守っていた。

「なまえさんと結婚させて下さい」

彼の言葉を聞いた父と母は、ぽろぽろと情けなく涙を流す私と、まだ緊張の解けない彼を交互に見た後、顔を見合わせて笑い合う。口を開いたのは、いつも会話の主導権を握る母ではなく、口下手で母には絶対に敵わない父の方だった。

「娘をどうか、宜しくお願いします」

父は丁寧に頭を下げ、母は満足そうに笑っていた。







「はー...びっくりした...寿命が7年くらい縮まった気がする」
「それは困るな。取り戻してくれ」
「言葉のあやだよ」

破局寸前かと思われた私たちが、今はこうして手を繋いで、地元の海岸を二人で歩いている。人生とは本当に何が起こるかわからないものだ。

「嫌だったか?」
「ううん。びっくりはしたけどね。お父さんの慌てようったら...ふふ」
「確かに...最初はすげぇあたふたしてたな」
「あはは、そりゃあそうだよ。ショートが玄関に居たら、一般人はみんなあぁなるよ」

お父さんのあの姿を、動画に残しておけば良かった。そう思えるのは、ようやく心が軽くなったからだろう。
結局あの後、彼は私の実家に一晩泊まることになった。昨日すでに顔を合わせているというのに、父と母は未だに彼が我が家にいるのが信じられないといったハイテンションで、朝から彼に絡みまくっていた。

「...悪ぃ」
「あ、違うの。そういう意味じゃなくて...一般論の話で...」
「いや、そうじゃねぇ」
「え?」
「怒鳴って、ひどいこと言って、悪かった」

先ほどの真剣で強い表情とは違う、バツの悪そうな顔で、彼は俯いた。

「あれは...私の方が悪かったよ...逆の立場だったら、とか、絶対言っちゃダメだったと思う...ごめんね、焦凍」
「いや、お前は正しかった。言い返せなくてイラついて、それで...思ってもないこと言っちまった」
「でも、それを言わせたのは私だし...」
「けど、元はと言えば俺のせいだろ」
「これ...もう埒が明かないね」
「...そうだな」
「ふふ、また喧嘩になりそうだから、もうやめよっか」

何だか可笑しくなってつい笑ってしまうと、握っていた手が離れ、その代わりに身体が彼の腕に包まれた。

「...帰って来てくれるか」
「うん。帰りたい」
「結婚はしてくれんのか」
「え...」
「さっきの話。お前からはまだ返事もらってねぇ」
「い、今更じゃない...?親にあんなこと言っておいて...」
「じゃあ言い方変える」

私が言い渋っていると、焦凍は私の腰に手をずらして、そのまま私を抱き上げた。

「ちょ...っ」
「俺と結婚してくれ」
「い、や...だから...それ、もう今更...」
「ちゃんと返事もらえるまで、絶対おろさねぇからな」

俺は至って本気だ、という顔で私を見上げる焦凍。いくら冬の海とは言え、普通にそれなりの人が居る。周りに居る人たちは、急に抱き上げられた私を不思議そうにチラチラと見ている。

「し、します...」
「本当か?」
「はい...します。だから、おろして」

私がそう言うと、彼はゆっくりと私をおろしてくれた。いつものことだが、結局彼の思い通りな感じがちょっと腹立たしい。

「例の写真だけどな」
「あぁ...それはもう...」
「あれは俺も被害者だったんだぞ」
「ど、どういうこと...?」

焦凍の話によると、後で調べてみたところ、どうやら相手の女性はマスコミ関係の人間で、ショートのスクープ目的でわざと彼にキスをしてきたらしく、彼はすぐに振り払ったものの、熱愛報道をでっち上げるための写真は相手に撮られてしまっていた、ということだったらしい。
私が家出をしている間に、記事を撤回しなければ、正式に事務所から訴えるとまで相手に申し出て、訂正記事を掲載させるまでに事は大きく動いていたそうだ。

「ふーん...」
「もしお前がやっぱ信じらんねぇっていうなら、俺の金使っていくらでも調べていい。納得するまで」
「いや...そんなことしないよ」
「じゃあ、信じてくれんのか」
「信じられない相手とは結婚しない」
「まぁ...そうか」
「でも」

私はめいっぱい背伸びをして、彼の襟を掴み、自分の唇を彼のそれに押し付けた。

「もう他の女の人とキスしちゃダメ」

他の女の人とキスをしたことは許せない。それとこれとは別なのだ。

「...お前な」
「な、なんですか...っ」
「それは反則だろ...」

焦凍は顔を両手で押さえながら、その場にしゃがみこんだ。

「ご、ごめん...」
「なんで謝んだよ」
「いや、なんか...嫌だったのかと」
「違う。その逆だ」
「逆?」
「すげぇ可愛いこと急にしてくるから、困った」

表情はよく見えないが、よくよく見ると彼が珍しく耳まで赤くなっている。そんな焦凍の様子に、逆に恥ずかしくなって来てしまう。

「そ、そんなこと...ないでしょ...別に...」
「いや、ある。お前絶対に他の奴にそれやるなよ」
「や、やらないよ...っ!バカっ!」

私が悪態をつくと、今度は焦凍が反撃するかのように、もう一度私を抱きしめた。

「もう一生離してやんねぇからな」

彼がそう耳元で囁くと、身体に熱が駆け巡るのを感じた。そんな私の様子を悟ったかのように、焦凍は耳元で何度も、可愛い、好きだ、愛してると、何度も何度も囁いた。焦凍が何か言葉を囁く度に、ひとつ、またひとつと彼に心を奪われていく。彼が満足する頃には、私は消えてなくなってしまっているかもしれない。そんな馬鹿みたいなことを思うほどに、私は彼に溺れている。

「も、もうわかったから...っ」

さすがにこれ以上は、私の心臓がもうもたない。そう思って彼の肩を押すと、意外にも彼との距離が広がった。不思議に思って彼の顔を見ると、あの真剣な眼差しで、水色とグレーの美しい瞳が私だけを見つめている。

「好きだ、なまえ。愛してる」

届けられた愛の言葉に、私の心は全て奪われた。


−−−−−−−−−−

10000HIT記念リクエスト第5段、轟くん夢でした。
おにく様からのリクエストで、熱愛報道を見てしまった彼女のお話でした!
破局寸前からの、急にご実家に行くのは現実だと考えにくい展開ですが、彼ならやりかねない...!というところからの、プロポーズエンドにしました。
ちなみにこの後、轟くんは結婚会見を開きますが、彼女さんの惚気を報道陣に延々と語り、帰宅してから怒られます。(笑)

おにく様、大変お待たせして申し訳ありませんでした。
また、素敵なリクエストをありがとうございました♡
喜んでいただければ幸いです。

2020.01.07

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