ヴァイオレット・クロッカス


なんであんなことを言ってしまったのだろう。
その瞬間、まず思ったことはそれだった。
"もしもあの時"、なんてものは存在しないとわかっているのに、柄じゃないとわかっているのに、そんなことを思ってしまった。
細く小さなその身体が、傷だらけで横たわるその光景は、まるで世界の終わりを見たような、そんな感覚だった。






きっかけは、ほんの些細な言い合いだった。

『いつまで拗ねとんだ、てめぇは』
『......拗ねてないもん』
『おい、じゃあ今の間はなんだ』
『...だってこれで三回目だよ?今年こそはって、楽しみにしてたのに...』
『仕方ねぇだろが、要請入っちまったもんはよ』

俺のその言葉に、なまえは明らかにふて腐れた顔をしてみせた。
今年"こそは"好きなところに連れて行ってやると、そう約束をしていたこいつの誕生日まで、あと三日。
運悪くチームアップの要請が入ってしまい、その約束は今年も果たせなくなってしまった。

『つーかよ、別に今更そんなもん祝う歳でもねぇだろ』

誕生日なんてもんは、それを拒んだとしても、必ず毎年やってくるものだし、別に今年じゃなければいけないということはない。どうせこの先だって一緒にいて、何度だってそれはやって来る。そういう意味の言葉だった。
しかし俺の意図は伝わらず、目の前にいるなまえの表情はどんどん曇っていった。

『何その言い方...』
『あ?』
『勝己は、私の誕生日なんかどうでもいいんだ』
『言ってねぇだろ、んなことはよ』
『言ってるのと一緒だもん』

なまえはそう言うと、ソファからすくっと立ち上がり、逃げるように足を踏み出す。細い手首を思いきり掴むと、なまえは涙ぐんだ目で俺を睨みつけた。

『...なんで、私ばっかり』

俺を睨みつけたその目を逸らし、顔を俯かせてそう呟くなまえが、何を言いたいのかはもうわかった。
わかっていたし、そう思うのは普通のことだと、それも頭ではわかっていたのに。

『...何が言いてぇんだよ』
『他の子はみんな、普通に彼氏とデートしたり、ご飯食べたり、誕生日を一緒に過ごしたりできるのに、なんで私は出来ないの?高校の頃は普通に出来てたのに、今はデートする時もいっつも人目を気にしなきゃいけないし、誕生日だって一緒にいてもらえないし』
『...そんなん最初からわかってただろうが』
『そうだけど...っ、そうだとしても、じゃあ別の日になっちゃうけどお祝いしようとか、そういう言い方だって出来たでしょ...!』

珍しく声を荒げてそう言うなまえに、優しい言葉の一つでもかけてやれば、きっとそれで終わっていたのだろう。
だけどそんなことが俺に出来るはずもなく、気づいた時にはまた冷たい言葉を口に出していた。

『はっ、俺にそんなもん求めてんじゃねぇよ』
『...なんで勝己なんか好きになっちゃったんだろ』

ガキの頃に比べれば、いくらかそれでもマシにはなったが、俺の気の短さはこいつだってよく知っている。いつもならこんな言い方は絶対にしてこないなまえがここまで言うほどに、俺は知らぬ間にこいつにストレスを溜め込ませていたのだろう。それも頭ではわかっていた。だけど。

『もっと優しい人を好きになれば良かった』

その一言で、頭の中にあったものは全て吹き飛ばされてしまった。

『るせぇな!!だったら他の男んとこ行きゃあ良いだろ!』
『なんでそうやっていっつもすぐに怒鳴るの...!?』

怒鳴り上げた俺に一瞬怯んだものの、なまえも今回は相当頭にきていたようで、珍しく俺にそう反論してきて、それがさらに俺のイライラを加速させた。

『うるせぇっつってんだよ!!そんなに優しい奴が良けりゃ、とっとと出てけ!俺はてめぇみたいなピーピーうっせぇ女が、一番嫌いなんだよ!!』

気づいた時にはそう口に出していて、俺の言葉を聞いたなまえが黙り込み、ぼろぼろ涙を流したところで、やっと自分が口にした言葉の意味を理解した。
なまえは自分の手首を掴む俺の手を勢いよく振り払い、小さな鞄とコートだけを持って、俺の部屋から出ていった。







あの出来事から三日が過ぎ、事の発端となったあいつの誕生日を、俺は予定通り事務所で迎えることになった。




『よっす!ちょっと久々だな爆豪!』

着替えを終え、今日の作戦会議を行う部屋まで行く途中の廊下を歩いていると、能天気なアホ面を提げた同期が、手を振りながらこちらへやって来るのが見えた。
ただでさえイライラしているところに、こいつの顔を見るとそれがさらに上乗せされる。

『...うるせぇ死ね』
『なんか機嫌悪くね?眉間のシワもいつもより深いし』
『てめぇはいつにも増してアホな面だな』
『はっはーん?さてはあれだな?みょうじについに愛想尽かされたんだろ?』
『次その名前出したら殺す』

俺の様子に違和感を感じ取ったのか、隣のアホは一瞬呆けたような間抜けな表情を見せた後、何かを察したのか、困ったように笑ってみせた。

『何笑ってんだ殺すぞ』
『まぁ詳しくはきかねぇけどさ、早く仲直りしろよ〜』
『死ね』
『あらまご挨拶ね!かっちゃん!』
『次その呼び方しても殺す』
『おー、怖い怖い♡』

今回の出動要請はショッピングモールの警備だった。
一週間ほど前、警備対象となっているショッピングモールを爆破するという予告が動画サイトに投稿されたことが事件の始まりだ。
通常ならばただの悪戯だろうと、最低限の警備体制で対処するような案件だ。しかし今回の件には非常によく似た前例があり、半年ほど前に同じような爆破予告の動画が投稿されている。
その時はショッピングモールではなく、使われていない廃ビルではあったものの、その動画が投稿された一週間後、予告通りにその廃ビルは何者かによって爆破され、全焼した。
非常によく似た手法から、同一人物によるものではないかという疑惑が浮上し、今回はそれなりの警備体制で臨むことになったのだ。

『くだらねぇことしやがって...見つけ出して絶対ぇ殺す』
『かっちゃん、殺しちゃダメだからね...?』
『大目に見てやれでっくん。そいつは今彼女と喧嘩中で機嫌悪ぃーのよ』
『みょうじさんと?あぁ、どおりで...』
『...先にてめぇらを殺してやろうか』




会議室で事件の概要を聞き、警備と担当する場所を共有された後、俺を含めた十数名のヒーローが現場に向かった。
爆破予告の動画はすでに削除されていて、SNSへも拡散されないように根回しを行っているため、この件はまだ世間には公にされていない。モールに訪れる連中はそれぞれ異なる表情をしているものの、その空間は至って平和で、これから爆破が起こるような予兆はない。

『なんでてめぇと同じ配置なんだよ』

虫の居所が悪い時に最も顔を合わせたくない奴が、無駄にでかい目を泳がせながら、俺の方を困惑したような表情で見た。

『いや...配置決めたのは僕じゃないし...』
『チッ...』
『ところで、なんで喧嘩しちゃったの?』
『てめぇに関係ねぇだろ』
『まぁ、そうだね。ていうか、やっぱり喧嘩したんだね』
『死ね』
『...みょうじさん、昨日僕に電話くれたよ』

予想外なクソデクの言葉に、俺は不覚にも語彙を失った。

『"明日は大変な仕事なのか、怪我とかしたりしないか"って聞かれたから、かっちゃんは大丈夫だよって伝えておいたよ』

きっと当の本人は、自分が言ったその言葉が、俺に伝わるとはこれっぽっちも思っていないのだろう。
つくづく思う。あいつはやっぱり馬鹿なんだなと。
察しはまぁ悪くない方だが、お節介この上ないこいつにそんな話をすれば、俺のところにそれが伝わることくらい、ちょっと考えればわかるだろうに。

あんなこと言われて、ブッサイクな泣き顔してたくせに、まだ俺の心配なんかしやがって。

『...馬鹿じゃねぇのか』
『思ってもないこと言っちゃったんだろ、君のことだから』
『黙れカス』
『上鳴くんも言ってたけど、早く仲直りしなよ。君と上手くやれるのなんて、多分彼女しかいないんだから』
『それ以上言ったら、マジで殺す』

あぁうぜぇ。だから嫌なんだこいつは。

こういうお節介な奴のことを、世間一般では"優しい"とか、そんな表現をするのだ。そして思い出す。"もっと優しい人を好きになれば良かった"と泣きながら呟いた、なまえの言葉を。
俺がこいつに劣るところなどひとつもないというのに、こいつならもしかしたら、あいつにあんな顔をさせずに済んだんじゃねぇかとか、そんなことを考える自分が嫌だ。

『これが終わったら、連絡してみるといいよ。きっと待ってると思うから』

ムカつくほどに穏やかな表情でそう口にした幼なじみに、盛大な舌打ちをしてやると、デクはそんな俺に怯むことなどなく、ただ小さく息を漏らすようにして笑った。







『特に異変はないね』

俺たちのいる場所でも他の奴らがいる場所でも、特に不審者などの情報はなく、警備を始めてから間もなく二時間が経過しようとしていた。

『クソが...くだらねぇ爆破予告なんかしやがって』
『まぁ、何もないならそれでいいじゃない。もうすぐ二時間経つし、これからどうするか考えないとね』
『わーっとるわ』

そんな会話をしていると、互いに装備していたレシーバーの無機質な音が同時に鳴った。

『はい、デクです』
"やっほー。チャージズマだよん。二人とも聞こえてっか?"
『死ねアホが』
"すぐ死ねって言うのやめろよホントに...。あー、そうそう、一旦全員さっきの場所に戻れってさ"
『...わかった。教えてくれてありがとう』
"いーってことよ!じゃあまた後でな!"

ブチッ、という不快な切断音の後、アホ面の声が聞こえなくなると同時に、デクがちらりと俺を見た。

『"ひとまず"戻ろうか、かっちゃん』
『俺に命令すんじゃねぇ』

そう言いながら、作戦会議を行った部屋のある方向へと足を進め、突き当たりの角を曲がる。そしてそのまま、張り込んでいた配置に即座に戻ると、動揺した様子の男が数名、俺たちがいた場所に立っていた。

『...んなやり方で騙されるとでも思ったのかよ、このクソども』
『チャージズマの声真似は上手だったけど、"全員さっきの場所に戻れ"っていう連絡なら、全員のレシーバーに一括ですれば済む話だ。わざわざ連絡を経由する意味はない』

デクはそう言いながら、レシーバーの緊急事態用ボタンを押した。他のヒーローたちに、異変があったことを知らせる合図だ。
俺とデクの姿を見て始めは驚いていたものの、その男共はすぐに俺たちに対して構えてみせた。どうやら愉快犯などではなく、本当にここを爆破するつもりらしい。

『...てめぇらがくだらねぇことしてくれたお陰でよぉ、こっちは散々だわクソが!!!』
『それは逆恨みじゃない...?』
『うっせぇんだよクソデク!!てめぇは手ェ出すんじゃねぇぞ!!』
『はいはい』

両手を起爆させ、勢いよく前方へと跳び、そこに居たクソ野郎共を瞬時に思い切りアスファルトに叩きつけた。後でそれを見ていたデクは、苦い言葉を並べていたが、こんなくだらねぇ馬鹿共のせいで、こっちは二次被害を被っているのだから、これくらいしたってバチは当たらねぇだろう。

『さすがかっちゃん。あっという間だったね』
『ったりめぇだわ。こんなモブに手こずってるほど俺は』

俺は暇じゃない。そう言おうとしたその瞬間だった。

離れた場所で大きな爆発音が聞こえ、それと同時に熱を帯びた風が勢いよく吹き荒れる。先ほどまで和やかだった空気は一変し、無数の悲鳴や叫び声が聞こえて来る。

『これは...一体...!?』
『チッ、他にもいやがったのか...!!』
『とにかく、避難を優先に...』

ショッピングモールの広場の方に視線を送ると、大多数は近くの出口に向かって急ぎ足で逃げているようだが、中には負傷したか、あるいは恐怖からか、その場から動けずにいる者もいるようだ。
そしてふと、遠くの方に見えるある人物が目についた。その人物はしゃがみ込み、一人で泣いているガキに話しかけているようだった。
その後ろ姿に、俺は寒気を感じた。それは三日前に見た、勢いよく俺に背を向けていなくなった、あの後ろ姿とあまりに似ていた。

『ちょ...っ、かっちゃん!?』

確信はない。だけどもしも。もしもここにいたのだとしたら。

『なまえ...!!』

勢いよくそう叫ぶと、その人物は振り向いてしまった。
三日ぶりに見たその顔は、今まで見たこともないほどに驚いた様子で、不安そうなその目には、うっすらと涙が浮かんでいた。

『勝己...後ろ...っ!!』

その言葉に、俺は反射的に方向転換し、背後から放たれたその攻撃を交わしつつ、その攻撃の軌道を上空へとねじ曲げた。
しかし次の瞬間、別の場所で何かが崩落するような巨大な音が響いた。その音のする方へ勢いよくと顔を向け、俺は久しく感じていなかった感覚に苛まれた。

先ほどまでそこに居たはずの人物の姿はなく、代わりにその場所は無数の瓦礫に覆い尽くされていたのだった。







俺がなまえのいる病院に足を運べたのは、事件から二日経ってからだった。
残党の確保、怪我人の救助、各関係機関への報告など、あらゆる業務を一通り片付けて、ようやくそこへ行けるようになった。
しかし病室を訪れ、部屋のドアを叩いても、中から返事は無かった。
あの事件から二日。114人の負傷者のうち、なまえだけがまだ意識を取り戻していなかった。

「外傷に命に関わるようなものはありませんし、脳に異常も見られません。じきに目を覚ますと思いますから...信じて待っていてあげてください。きっと大丈夫ですよ」

そんな安っぽい言葉に、文句の一つすら言う気になれなかった。いつもだったら、そんな言葉で気を遣われるなど、俺のプライドが許さないはずなのに。

「結局、今年も会って言えんかったな」

ベットに横たわり、瞼を閉じたままのなまえの手に、なんとなく触れる。
そう言えば、こうして最後に手に触れたのはいつだっただろう。手を繋いであてもなく歩いたり、疲れたらどこかに立ち寄って、飯を食ったり、そんな当たり前のことすら出来なくなって、もうずいぶん時が経つ。

プロヒーローになったことを、後悔したことは一度もない。
それはきっとこれからもそうだ。
後悔なんて絶対にしないだろう。
だけど。


お前がいなきゃ、つまんねぇだろうが。


握る手に力を込め、情けない声でその名を呼ぶと、手の甲に何かが当たる感触がする。勢いよく自分の手を見ると、先ほどまで力なく開かれていた小さな手が、俺の手を握り返していた。
恐る恐るなまえの顔の方へ視線を送ると、先ほどまで硬く閉ざされていた瞼が、ゆっくりと開かれていくのが見えた。

「か、つき...」

小さく、か細く、でも確かに俺の名前を呼ぶその声が、どうしようもなく、馬鹿みたいに嬉しかった。
なまえは俺の姿に気づくと、なぜかとても心配そうな顔をしてみせた。

「ないて、る...?」
「泣いてねぇわ」
「しんぱい...した...?」
「......したに決まってんだろ」

分かりきったことを聞くんじゃねぇよ。これだから馬鹿は。

「......悪かった」
「え...」
「退院したら、帰ってこい」
「...うん」

傷だらけの顔で嬉しそうにゆっくりと頷くなまえを、出来ることなら今すぐにこの腕におさめたい。
そんな衝動を抑え込み、今さっきようやく開いたその唇に、そっと自分の唇を重ねると、ほんの微かに血の味がした。

「嫌いじゃ、ねぇ」

あの時の言葉をようやく訂正すると、なまえはゆっくりと首を横に振った。

「...それじゃだめ」
「てめ...っ」
「ちゃんと...言ってほしい。やっと、勝己の声...聞けたから...聞きたい」

少しだけ目に涙を滲ませて、俺の目を真っ直ぐ見るなまえに、プライドや虚勢が溶かされていく。
こいつのこういうところが昔から気に入らなくて、だけどどうしようもなく惹かれてしまう。
あぁ畜生。なんでこんな馬鹿のことを、俺はこんなに好きになっちまったんだろう。

「好きだ」

俺が小さくそう呟くと、なまえはだらしなく口元を緩めた。その口元が妙にムカついて、もう一度それを塞いでやるが、どうやらそれは逆効果だったらしい。
触れていた唇が離れ、視線が重なると、なまえは更にその顔をだらしなくさせながら、甘ったるい言葉を吐き散らした。


−−−−−−−−−−

さこ様からのフリーリクエスト、爆豪くん夢でした。
喧嘩してそのまま仲直りが出来ず、女の子が大怪我をしてしまうというお題をいただき、書かせていただきました。
大変お待たせしてしまい申し訳ありませんでした...!
楽しんで読んでいただければ幸いです。
素敵なリクエストをありがとうございました。

2021.01.28

BACKTOP