その先に待つもの


「今週のノートのコピーを持ってきたぞ!」

溌剌としたテノールが響く。この声を聞くと、あぁ今日はもう日曜日かと、日に日に鈍くなっていくその感覚が蘇ってくる。

「毎週ごめんね。わざわざ日曜日に来てもらっちゃって」
「クラスメイトのサポートをするのは、委員長として当然の責務だ。気にすることはない」

そう言うと、彼はベッドに備え付けられた長細い机の上に、ノートのコピーが入ったファイルとコーラルピンクの可愛らしい紙袋を置いた。

「こっちの可愛い袋は......」
「今日は葉隠くんからの差し入れだ。最近出来た洋菓子店のマカロンだそうだぞ」
「え、すごい!あのお店すごく人気で、なかなか買えないってテレビで言ってたのに」
「そういえば、昨日は朝早くから女子たちが意気込んでどこかに出かけているようだったが……もしかしたらこれを買いに行っていたのかもな」
「そうかもね。嬉しいけど、なんだか少し申し訳ないなぁ」
「皆からの善意だ。素直に喜んで受け取るのが一番だと思う」
「それもそうだね」

紙袋の中をチラリと覗くと、中には袋と同じ色の小さな箱が入っており、箱の上には「元気になったらお店に食べに行こうね!」と書かれた、小さなメッセージカードが添えられていた。

「体調の方はどうだ?」

彼はベッドの脇に置かれた面会者用の椅子に腰かけると、少し心配そうな顔でそう尋ねた。

「少し怠いけど、平気」
「横になっていた方がいいんじゃないか?」
「平気。あんまり寝てばっかりいると太っちゃうし」
「気にする必要はないと思うがな」
「そう言われても気になるのが女心というものだよ」
「そうなのか」

心の底から不思議そうな顔を浮かべる彼に、思わずくすりと笑みが零れる。大きな身体に似合わず、小動物のようにきょとんとした顔がなんだか可愛らしい。

「ところで、手術の日は決まったのかい?」

そう尋ねながら、私の左手の甲に付けられた細い管に視線を移した。ほんの少しだけ痛みがあるその先には無機質な金属のポールに吊るされた点滴が2つあり、規則的なリズムで薬品が零れ落ちる。最初は動きづらくて仕方なかったが、入院生活2週間目ともなると、さすがにもう慣れてきた。

「一昨日の検査の結果が今日出るらしくて、その結果を見てから手術の日を決める感じなんだって」
「あぁ、だから今日はお母さんが来ていたんだな」
「うん」

今日は検査の結果が分かるということもあり、母は午後の仕事を休んで病院に来てくれた。飯田くんが部屋を訪ねてくるまではここにいたのだが、彼が病室にやって来るやいなや、おばさんは退散するわね!と、余計なことこの上ない気遣いをして病室を去っていったのだ。何を期待しているのか知らないが、ここ最近の母は、私と飯田くんの関係をおかしな方向に妄想して楽しむようになっていた。

「あー、ぱぱっと片付けて、さっさと退院して、みんなと早く訓練したいなぁ」
「そんなすぐに訓練はダメだろう。まずはきちんと体調を治さないと」
「あはは、飯田くんはほんと真面目なんだから」
「俺はみょうじくんを心配しているんだ」
「はいはい」
「本気で言っているんだぞ」
「わかってますって」

まるで親子のような会話を繰り広げていると、病室のドアを小さく叩く音が聞こえた。ドアの方に向かって一言だけ返事をすると、ゆっくりと開かれたドアの隙間から、白衣を正しく着こなす看護師さんが顔を覗かせた。

「お話中にすみません。検査結果が出たので、15分くらいしたら一度カウンセリングルームに来ていただけますか?保護者の方は……」
「病院には来ているので、電話してみます」
「すみません。ではご一緒にいらして下さいね」
「分かりました」

看護師さんが病室のドアを閉めると、飯田くんはすくっとその場に立ち上がり、自分の鞄を肩にかけた。

「では、俺はそろそろお暇する。くれぐれも無理はしないようにしてくれよ」
「うん。ありがとうね。じゃあまた」
「あぁ。お大事にな」

病室を後にする彼を見送ると、まるでそれを見ていたかのように、ちょうど入れ替わりで再び部屋のドアを叩く音が聞こえた。

「……どうぞ」

その正体が誰なのかは見当がつきすぎて、私は軽くため息をついた。再び開かれたドアの隙間からひょっこり顔を見せたのは、不自然に口角を上げてニヤニヤしている私の生みの親だった。

「その顔やめなよ。気持ち悪いから」
「ふふふ、今日も来てくれたのね。飯田くん」

ここで母の言葉に食らいつくと、余計に面倒なことになるのは経験上わかっている。私は母の言葉に肯定も否定もせず、必要最低限の事務連絡を伝えるべく、ため息まじりに口を開いた。

「あと15分くらいしたらカウンセリングルームに来て下さいってさ」

私がそう口にすると、母は少し神妙な面持ちで、小さく一つ返事を零した。







「手術を受けても、前みたいには戻れないってことですか...?」

言葉を失った私の代わりに、母は恐る恐る医師にそう尋ねた。

「普通の生活を送るのに、これといった支障はありません。しかし腫瘍を手術で摘出したとしても、激しい運動は難しいと思います」
「どの程度までなら耐えられるものなんでしょうか……」
「個人差がありますので一概には言えませんが、ジョギング程度の運動で限界という方が多いです」
「そんな……」

身体が冷たい。少し空調が効き過ぎなのではないかと思うほどに。目の前で苦い顔をして話す医師の言葉も、隣で縋るように医師に質問を繰り返す母の声も、きちんと聞こえているのに、鼓膜に触れては溶けていき、頭の中には何も残っていない。

「じゃ、じゃあヒーロー科に在籍し続けるのは……」

母が"その単語"を口にした瞬間、目の前の医師は眉間のシワを深め、申し訳なさそうに視線を逸らした。

「残念ですが、奇跡でも起きない限り、その身体でヒーローを目指すのはほぼ不可能です」

その言葉だけが、妙に鮮明に頭に刷り込まれた。ヒーローにはなれない。その言葉だけが、頭の中でまるで呪いのように繰り返された。ほんのひと月前まですぐそこにあった当たり前の日常は、もう二度と戻って来ることはないという残酷な現実に、もう何者にもなれない私は、ただその場で泣き崩れることしかできなかった。







それから2日経っても、私の喉は何も通さなかった。クラスの女の子たちと毎日欠かさず送り合っていたメッセージも、あの日を境に送れなくなった。もう同じ場所には戻れない自分が、みんなと対等な目線で話が出来るとは思えなくて。そんな私の変化を悟ってか、何人かからは個別でメッセージが届いていたが、自分の身に起こったことを未だに信じたくない私は、それを文字という形にすることが出来なかった。もしもそれを形にしてしまったら、一昨日医師から告げられた言葉が、確約されたものになってしまう気がして、誰にもそれを伝えることが出来なかった。

「じゃあ、着替えここに置いておくわね」
「うん。ありがとう」
「日曜日にまた来るから、欲しいものがあれば連絡ちょうだいね」
「わかった」

医師の話を聞いた直後の母はかなり動揺した様子だったが、自分自身が動揺してはいけないと思ったのか、次の日はいつも通りの母に戻っていた。気を遣ってくれているのか、これまで散々授業のことやインターンの話を根掘り葉掘り尋ねていた母は、一切そのことを口にしなくなってしまった。

「じゃあ、またね」

母はそう一言残し、病室のドアに向かって歩き始めた。しかし彼女がドアノブに手を掛ける前に、なぜかそのドアはゆっくりと開き、少しずつ広がるその隙間から、いつもは日曜日にやって来るはずの彼が立っていた。母は少し驚いた様子だったが、私はそのことに少しも驚かなかった。

「あら」
「すみません。お取り込み中でしたか?」
「いえいえ、ちょうど私は帰るところだったから」
「そうですか」
「いつもありがとうね。来てくれて」
「とんでもないです」

飯田くんが小さく頭を下げると、母は少しの間を置いてから、彼の方を見てにっこりと微笑んだ。

「これからも、娘と仲良くしてやってね」
「もちろんです」

自信満々にそう返す飯田くんに、胸の奥がちくりと傷む。誰かの笑顔にこんなに胸が締め付けられたのは、生まれて初めてだ。
そんな私を余所に、母はなぜか少し安心したような顔で私を一瞥し、静かに病室を出ていった。




「今日はどうしたの?」
「たまたま近くを通ったものでな、少し様子を見に来た」
「……そっか」

それが嘘であることは、容易に想像できた。この病院の周辺には買い物をするようば場所もなければ、時間を潰せる場所もない。彼はあたかも"ついで"であるかのように話していたが、おそらく最初から目的地はここだったのだろう。

「麗日くんたちが、君からメッセージが返ってこないと、心配していた」

予想通りの言葉だった。彼がここに来た理由はそれが原因だと、ドアを開けた彼の表情ですぐに分かったからだ。

「あー、ごめん。ちょっと、バタバタしてて」

たった一人、病室で過ごすだけのこの生活に、そんなことなどあるわけがない。勉強は出来るが察しの悪い彼に、どこまでそれを汲み取れているかは分からないが、こんな分かりやすい嘘をついてしまったのは、心のどこかでそれを察して欲しいと思っているからなのかもしれない。そんなこと期待しても無駄だと、分かっているのに。

「そうか。そんな時に来てしまって、申し訳ない」
「ううん。こっちこそ、心配かけてごめんね」
「それはそうと、手術の日は決まったのかい?」
「来週の月曜日になったよ」
「そうか。頑張れよ」
「うん」
「退院はいつ頃になりそうなんだ?」
「術後の経過が良ければ、再来週の水曜日くらいには退院だって」
「そうか!それは良かったな!」

ぱっと表情を明るくさせる飯田くんに、また胸がひとつちくりと痛む。例え予定通り退院出来たとしても、その後は。

「じゃあ来月頃には学校にも」
「飯田くん」

嬉しそうにしている彼の、言いかけた言葉を遮った。形に、言葉にしたくない。そう思っていたけれど、何も知らない飯田くんの笑顔を見ていることの方が、今の私には辛かった。

「学校には、多分もう戻れないと思う」

その言葉を皮切りにして、病室がしん、と静まり返った。下校する小学生の声だろうか。嬉しそうにはしゃぐその声が、窓ガラスの向こうから微かに聞こえたが、いつもは微笑ましく感じるその声も、今はただの雑音だった。

「戻れない、というのは」
「手術をしても、もう前みたいには動けないんだって。手術をして腫瘍を取っても、ジョギング程度の運動くらいが限界で」

あの日、久しぶりに声を上げて沢山泣いた。もう人生でこれ以上ないってほどに。それなのに、まだ私の中には流せるものが残っていたらしい。徐々に声がかすれ、瞼からは熱いものが頬を伝ってシーツに一つシミを作った。

「きっと何か、方法があるはずだ」

神妙な声だが、力強くそう口にした彼に、イライラした。根拠のない希望をチラつかせる彼に、無性に腹が立ったのだ。

「ないよ」
「今は超人社会なんだ。きっと君の病気をすぐに治せる人だって」
「そんな人が居たら、とっくに病院が探してくれてるよ!!」

病室のテーブルを勢いよく叩き、私は泣きながら彼を睨みつけた。それが八つ当たり以外の何物でもないと、頭ではちゃんと分かっているのに。

「似たようなことは、お母さんが先生に何度も聞いてた!手術以外に治す方法はないのか、ここ以外の病院で治療しても変わらないのかって!他にも沢山、沢山聞いてた!でも全部、私が聞きたくない答えしか返ってこなかった!」

母が何かを尋ねるたびに、僅かな希望に期待して。でもそれは、何もかもことごとく打ち砕かれた。

「もう治らないって、そう決まってるの」

悲しい。もう私は、みんなと一緒にヒーローにはなれない。憧れも、夢も、もう追いかけられない。それがとても、悲しい。

「ごめん。八つ当たりして。飯田くんは何も悪くないのに」
「……いや、俺の方こそ、無神経なことを言ってしまった」
「ううん。きっと飯田くんじゃなくても、A組のみんななら同じようなことをきっと言うんだと思う」

人を救うのがヒーローの仕事だ。その裏側にある現実がどうであれ、彼らが人に与えるものはいつだって希望を孕んでいる。

「でも、もういいの。期待して、打ち砕かれて、傷つくのは疲れる」

仮に奇跡が起こってヒーローになれたとしても、みんなのようにはきっと出来ない。どこかで必ず綻びが出来て、人を救うどころか、周りに迷惑をかけることにだってなりかねない。普通に生きていくことすら難しい人が何人もいるこの広い世界で、普通に生活できる未来はあるのだ。例え今は辛くとも、きっと別の幸福はどこかにある。

「持ってきてくれたノートとか、訓練の話とか、無駄にしてごめんね。私のことはもう気にしなくていいから、飯田くんもみんなも、自分のことに集中して欲しい」

手の甲で涙を拭い、強がりの言葉を何とか絞り出すと、彼は真っ直ぐに私を見て、小さく分かったと返事をした。お見舞いに持ってきてくれたのであろう、小さな紙袋をそっとテーブルに置くと、彼は踵を返し、そのまま病室を後にした。
飯田くんが置いていった紙袋の中身を開けると、おそらく今回は彼の"親友"のチョイスであろう、オールマイトのお菓子の詰め合わせが入っていた。パッケージに印刷された、太陽のように笑うかつてのナンバーワンヒーローの表情に、私の胸はさらに締め付けられ、逃げるようにそれを棚の中に仕舞い込んだ。







「そういえば、今日は飯田くん来なかったわね」

少し暗くなり始めた窓の外に視線を向けながら、母は何気なくそう口にした。

「まぁ、ヒーロー科は忙しいからね」

誤魔化すようにそう返事をした私に、母は何かを察したらしく、それ以上何も尋ねて来ることはなかった。

「最近、一週間があっという間に過ぎていくわね」
「そうだね」
「緊張してる?明日の手術」
「ううん。そんなには。どうせ寝てる間に終わるし」
「昔から、妙に肝が座ってるわよねぇ、なまえは」

そう言うと、母はゆっくりと立ち上がり、私の頭にぽん、と手を乗せた。

「……子供じゃないんだけど」
「私にとってはずっと子供よ。どれだけ大きくなってもね」
「まぁ、そうだけど」
「明日は朝から来るから。今日は早く寝なきゃだめよ」
「はいはい」

ぐしゃぐしゃと私の髪をかき乱すと、母はいつもの鞄を肩にかけて、軽く手を振りながら病室を去っていった。母が先ほどまで眺めていた窓の外に目をやると、外はまた少し暗くなっていて、遠くの方に尖った三日月がぼんやりと見える。

「明日か」

小さくそう呟いた声は、自分でもびっくりするくらい情けなくて笑ってしまう。明日に手術が控えているため、今日はこの後夕食も食べられないし、みんなに遅れを取らないようにと、もう必死に教科書を読みふける必要もない。何も生み出さない時間だけが私に残り、ぼんやりと天井を見つめる。しばらくそうして退屈な時間に身を任せていると、微かに聞き覚えのある音が聞こえた。その音は一秒、また一秒と時間が過ぎていくたびにこちらに近づいて来る。

「この、音」

似ている。いつもなら日曜日に必ずここへ訪れる、彼の音に。

「いやいや、まさかそんなはずは」

確かに今日は日曜日で、いつもなら彼がここへ来るはずの日だが、もう自分のことは気にしなくていいと告げた私に、彼は分かったと言っていたし、そもそもあんな八つ当たりをしてしまった私のところに、彼が来たいと思う訳が無い。
ベッドから降りようとしたその足を再び元の位置に戻し、先ほどと同じように天井を見つめる。すると今度は廊下の方から、やや足早にこちらに向かって来る足音が聞こえた。やがて近づいた足音はぴたりと止み、音が止んだと同時に、勢いよく私の病室の扉が開いた。




「ま、間に合ったな……面会、時間……」

息を切らしながら肩を揺らすその人は、両手に大きな紙袋を下げていた。

「だ、大丈夫……?水飲む……?」
「いや、大丈夫、だ。それより、これを」

彼は途切れ途切れにそう言いながら、両手に持っていた紙袋をテーブルに置いた。

「これは?」
「リハビリを専門に扱う病院の資料だ。集めるのにそれなりに時間がかかってしまってな……来るのがこんな時間になってしまった」

紙袋の中身を恐る恐る覗くと、近くの病院の資料だけでなく、他県にある医療機関や、はたまた海外にあるものまで、この短期間で集めたとは思えないほどのボリュームの資料が入っていた。

「これは完全に、俺のお節介だ」

彼はそう言うと、申し訳なさそうに顔を俯かせた。申し訳なく思っているのは、私の方なのに。

「君はもういいと言っていたが、俺は君に諦めて欲しくない」

俯きがちにそう呟く飯田くんの声は、どこか悲しげて、胸がぎゅっと締め付けられた。まるで自分のことかのように考えてくれる彼の気持ちが、とても嬉しくて、とても痛い。

「人を助ける方法はいくつもある。例えハンデがあったとしても、君ならそのハードルを乗り越えられる」
「確かに人を助ける方法は色々あるだろうけど……仮にこういう場所でリハビリが出来たとして、仲間もいない場所で一人でずっと頑張れるほど、私強くないよ」
「一人じゃない」
「……どういうこと?」

俯かせていた顔を勢いよくあげると、彼は真っ直ぐに私と向き合った。

「俺に、そのハードルを超える手伝いをさせてくれないか」

あまりに唐突なその申し出に、思わず言葉を失った。

「手伝いって……」
「君がもう一度夢を追いかけられるように、俺が君を支えたい」

言葉だけ切り取ればプロポーズまがいのその台詞に、不可抗力に心臓が跳ねる。一体何の話をしているのか、だんだん分からなくなってきた。

「そ、それは嬉しい申し出だけど……でも飯田くんにだって自分の訓練とか、色々……」
「それもこなしてみせるさ」
「いや、でも」
「今すぐ決めてくれとは言わない。でも、俺がそう思っていることを、どうしても手術の前に伝えたかったんだ」

ありがたい申し出ではある。しかしいくら委員長といえど、ただのクラスメイトにそこまでしてもらうのは、さすがに少し気が引ける。答えに詰まる私の様子を悟ってか、飯田くんは突然すまない、と一言謝罪の言葉を紡ぎ、もう一度床に視線を落とした。

「どうして、そこまでしてくれるの?」

私がそう尋ねると、彼は勢いよくパッと顔を上げて、綺麗に磨かれたレンズの奥にある目を泳がせた。

「その、いや、まぁ、それは」
「それは?」
「と、とにかくだ。一度考えてみてくれないか。俺が今言った話を」
「うん。それは、考えるけど……」
「どうかしたのかい?」
「あ、いや。飯田くん、急にプロポーズみたいなこと言うからびっくりしたなって」
「な…っ!?」

私は冗談半分で言ったその言葉に、飯田くんはまるでトマトのように真っ赤になった。あ、こういう顔もするんだ、この人。

「俺が君を支えたい、とかさ。普通言わないよ?ただのクラスメイトに」
「そ、それは」

彼がその続きを言おうとした瞬間、院内放送の開始音が鳴り響いた。

"ご案内申し上げます。 まもなく本日の面会終了時刻となります"

「あ、もう19時か」
「……すまない。こんなギリギリに訪ねてしまって」
「ううん。これ、ありがとうね。わざわざ集めてくれて。全部ちゃんと見ておくから」
「今日はダメだぞ!明日手術なんだからな!」
「ふ、お母さんみたい」
「俺はれっきとした男だぞ?」
「わかってるよ」
「それならいいが……では、俺はそろそろ行く」
「うん。じゃあ、もし死んでなかったら、また」
「縁起でもないことを言わないでくれよ」

彼はギョッとした顔をすると、私に背を向けて歩き出すと、病室のドアの前でぴたりと足を止めた。

「どうかした?」
「先ほど君が言っていた件だが」
「え、どれのこと?」
「俺の言葉について、言及していた件だ」
「あぁ、プロポーズみたいって言ったやつ?大丈夫だよ、本気でそんなふうには」
「そう受け取ってくれても……俺は何ら不都合はない」

語尾は徐々に小さくなるものの、その言葉ははっきりと私の耳に届いた。

「……は?」
「では、また」

彼は病室のドアを開け、こちらを一度も振り返ることなく後ろ手でドアを静かに閉めた。残された私は頭の中で彼の言葉を繰り返し、どう考えてもそうとしか受け取れないその言葉に、思わずベッドに倒れ込んだ。よく考えれば、ノートのコピーならデータで送れるし、毎週ここに足を運ぶ必要はない。それはつまり、最初からそういうことだったということだ。うっかりそんなことに気付いてしまったせいで、余計に頭が混乱する。
明日は手術の日で、今日は早く寝なさいと言われているのに、去り際にあんな爆弾を投下されてしまったせいで、とてもではないが平穏な夜は過ごせそうにない。

「委員長のくせに、クラスメイトの悩みの種増やしてどうすんのよ……」

それを伝えたい相手は、今頃何を思っているだろうか。顔を上げ、彼が置いて行った大きな紙袋にちらりと視線を送る。明日の手術を終えて、無事に目覚めることが出来たら、ちゃんとこれに目を通そう。

そしてそれが終わったら、その次は。


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匿名希望様よりリクエスト頂いていた、飯田くん夢でした。
リクエストを頂いたのはもうだいぶ前で、非常にお待たせしてしまいましたが、何とか形にできました。
個人的に、このお話の女の子の性格がとても気に入っています。

2021.07.06

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