魔法の言葉


「轟くん、一緒に帰ろ!」

そう声をかけると、彼はいつもと変わらぬ表情で振り返り、私の方に向き合った。

「別に構わねぇが、毎日俺とで飽きねぇのか?」
「飽きない」
「わかってると思うが、特に面白い話はねぇぞ」
「いいの。一緒にいられれば、それだけで楽しいの」

私がそう言うと、クラスの至る所からひゅー!という声が聞こえた。
私自身がそれを隠していないことも起因しているけど、私が轟くんに片想いをしているのは、クラスの誰もが知っていることで、こうして私が彼に声をかける度に、いつもこんなふうに教室は湧き上がる。

「みょうじ、今日も頑張るねぇ〜!」
「青春だ青春!!」
「もう、さっさと付き合っちゃいなさいよ!」
「リア充爆発しろぉぉぉぉ」

A組のみんながそれぞれに色んなことを口にしていたが、轟くんはそれについて一切言及することはなく、じゃあ行くか、と至って普段通りの様子でそう言うと、私の少し先を歩き始めた。
後ろ姿もかっこいいなぁと、思わず見惚れて後ろを歩くと、教室を出て廊下に出ようとしたその時、肩が何かにぶつかった。

「まともに歩くことも出来ねぇのか!この色ボケ女がよ!!」

轟くんに見惚れていたところを、その怒声で一気に現実に引き戻された。

「ご、ごめん爆豪くん。ぼーっとしてて」
「てめぇはいつもぼーっとしてんじゃねぇかよ」
「し、してないし!」
「どーだか。やっぱ舐めプに惚れてる女は、同種の舐めプ属性なんだな」

そう言いながら、爆豪くんは私と轟くんを交互に見て、わざとらしくため息をついてみせた。

「ちょっと!ぶつかったのは私なんだから、轟くんのこと悪く言うのやめてよね!」
「はっ、こんな舐めプ野郎のどこかいいんだか」
「爆豪くんと違って、かっこよくて優しいところですー!」
「あ!?てめぇ喧嘩売ってんのか!?」
「喧嘩売ってるのはそっちでしょ!轟くんのこと悪く言うなら、言い値で買うよ!その喧嘩!」
「おーおー、上等だこのアマ!3秒でのしてやらぁ!」
「おい」

お互いに睨み合いながら言い合いをしていると、今までそれを黙って見ていた轟くんが、ついに口を開いた。

「早く帰りたいんだが」

心做しか少し怒っているようなその口調に、背中が少しヒヤリとした。

「あ、そ、そうだよね!ご、ごめんね!爆豪くんなんか放っておいて帰ろう、轟くん」
「おいコラこのアマ!今なんつった!?」
「じゃあまた寮でね、爆豪くん」

怒り狂う爆豪くんを無視して、再び歩き出した轟くんの隣に並ぶと、少し高い位置から視線を感じた。少しの期待と不安を胸に、隣にいる彼の方を見ると、やはりその視線は轟くんのもので、真っ直ぐに私を捉える綺麗な二つの目に、心臓がトクトクと速いテンポで音を刻む。

「ど、どうかした?」
「……なんでもねぇ」

私の問いかけに、轟くんは少し間を置いてそう返事をすると、視線を進行方向に戻してから、そのまま少しだけ足早に歩き出した。







「みょうじ」

職員室の前を通ると、後ろからよく聞き慣れた低い声が聞こえた。そのままくるりと振り返ると、そこに立っていたのは予想通りの人物で、頭一つ高いその場所から、じとりと私を見下ろしていた。

「相澤先生。どうかしましたか?」
「あぁ、お前とインターンの件で少し話がしたいんだが」
「あ、はい。えっと……」

どうしよう。せっかく轟くんと一緒に帰れることになったのだから、このまま二人で帰りたい。しかし先生だって忙しい合間にわざわざ声をかけてくれたのだから、それを無下にするのは絶対に良くない。

「待っててやるから、行ってこい」

私が答えるのを躊躇っていると、轟くんはそれを見透かしたかのように、淡々とそう口にした。さっき爆豪くんに絡まれていた時は、不機嫌そうに「早く帰りたい」と言っていたのに。

「え、い、いいの?」
「あぁ」

口調とは裏腹なその優しさに、心の中がぽかぽかする。あぁ、やっぱり私大好きだなぁ、この人のこと。かっこよくて優しくて強くて、本当に絵本の中から飛び出してきた王子様みたいなんだもん。

「どれくらいで終わりますか?」
「まぁ、30分もかからないとは思うが」
「わかりました。じゃあ、俺は図書室行ってるから」
「ごめんね、待たせちゃって…ありがとうね」
「別にいい。じゃあまた後でな」

そう言って立ち去っていく後ろ姿をじっと見ていると、相澤先生に軽く頭を小突かれた。

「見惚れてねぇで、早く職員室に入れ。一緒に帰りたいんだろ」
「……はい」

遠ざかるその背中すら愛しくて、まだその後ろ姿を見ていたい。そんな気持ちをぐっと堪えながら、気だるそうに歩き始めた相澤先生の後を、私は慌てて追いかけた。







相澤先生の嘘つき。何が30分もかからない、よ。思いっきり1時間近くもかかってるじゃない。

職員室を飛び出して、図書室までの最短ルートを走る。今日はいつもより廊下に人が少ないせいか、気を遣わずに思い切り走った(本当はダメだけど)。
すると図書室の入口近くに、紅白色の髪をしたあの人を見つける。良かった。まだ待っててくれた。そう思いながら声をかけようとした瞬間、向かい側にいるもう一人のよく知る人物の言葉に、私の足はピタリと止まった。

「前から思ってたんだけど、轟くんはみょうじさんのこと、どう思ってるの?」

轟くんの向かい側に立つその人物は、我がクラス屈指の分析家で、彼と一番仲が良い緑谷くんだ。どういった流れでその話になったのかはわからないが、思わぬ形で彼の本音が聞けるチャンスに、思わず私は身を隠した。

「どう思うって…何がだ」
「いやほら、毎日一緒に帰ってるってことは、轟くんもみょうじさんのこと、好きなのかなって思って」

いいぞいいぞ緑谷くん。それは私もずっと気になっていたことだ。周りの野次に対して特に肯定も否定もしない彼だけど、毎日一緒に帰ってくれるし、用事があればこうして待っていてくれるのだから、少なからず嫌われてはいないと思っているけど、実際のところ、轟くんは私をどう思っているんだろう。




「……苦手っつーか、嫌いだと思う」

胸にグサリと何かが刺さる音を、生まれて初めて聞いた。そして同時に、私はなんて馬鹿だったんだろうと、自分自身がとても恥ずかしくなった。

「え?そ、そうなの?」
「あぁ」
「な、なんで?毎日一緒に帰ってるし、教室でもよく話してるよね…?」
「それは───」

その言葉の続きを聞く勇気は持てなくて、逃げるように走り出した。もうそれ以上、聞きたくなかった。その場にいられなかった。辛くて、悲しくて、恥ずかしくて、泣きながら靴も履き替えずに、ひたすら寮の部屋まで走った。エントランスでみんなの驚く顔がちらついたけど、もうそんなことはどうでも良かった。

私が好きな人は、私のことが嫌いだった。残酷な現実に突き刺された胸が痛い。痛くて堪らない。

一緒に帰ってくれたのも、話をしてくれたのも、クラスメイトだからそうしてくれただけ。優しいから突き放さなかっただけで、本当は全部全部、嫌だったんだ。
泣いても泣いても涙が止められなくて、でも誰にも聞かれたくなくて、部屋のベッドの枕に顔を埋めて、声を殺してひたすらに泣いた。どれくらい泣き続けたか分からないが、腫れ上がった瞼は次第に重くなっていき、その日はベッドに横たわったまま、夕食も食べずに眠りについた。







「ねぇなまえちゃん。今日みんなで宿題するんやけど、なまえちゃんも一緒にどう?」

一日の最後のHRを終え、帰り支度をしていると、お茶子ちゃんが私に話しかけてきた。

「うん。いいよー。どこでやるの?」
「梅雨ちゃんのお部屋!」
「ふふ、女子会だね。楽しみ」
「寮に戻って着替えたら梅雨ちゃんの部屋に集まるって感じやから、なまえちゃんも適当に来てね」
「うん。わかった」

じゃあまた後でね、と手を振りながら、お茶子ちゃんは一足先に教室を後にした。

たぶん気を遣ってくれたんだろうなぁ、みんな。

あれから3日ほど経ち、その翌日から私は轟くんに一切話しかけなくなった。今までが今までだっただけに、他のみんなからはかなり心配されたが、「なんかもうどうでも良くなっちゃった」と、適当な強がりを言った。
あくまであの話は轟くんと緑谷くんの間で交わされた話であって、それを勝手に人に言うことは躊躇われたし、何より私がそれを立ち聞きしていたことを轟くんが知ったら、益々嫌われてしまう気がして、とてもではないが、その話を誰かに言うことは出来なかった。

机の中の教科書を鞄にしまい、帰り支度を終えてから、私もみんなと同じように教室を後にしようとすると、ドアを出たところで手首を急に引っ張られた。

「ぅわ…っ」

急に引っ張られたことでバランスを崩すと、掴まれた腕とは反対の肩を誰かが支えてくれる。思わず顔を上げると、今一番顔を見るのが辛い人物が、少し怒ったような顔でそこにいた。

「と……」
「なぁ、俺なんかしたか?」

彼はそう言うと、私の手首を掴むその手にぐっと力を込めた。ほんの少しその場所には痛みが走り、いつもより少し荒い気がするその口調に、心臓がバクバクとうるさい。

「あの、離し」
「3日くらい前から、ずっと俺のこと避けてんだろ。こないだも、何にも言わずに先に帰るし」
「それは……」
「何だよ。言いたいことがあんなら、言ってくれなきゃ分かんねぇだろ」

言いたいことが無いわけじゃない。
嫌いなら嫌いだと、最初からそう態度で示して欲しかった。そうじゃなければ、こんなに好きになることも、馬鹿みたいな期待をすることだって、きっとなかったはずなのだ。だけどそんなこと言えるわけもない。だって私が"あの話"を聞いたことを、彼は知らないのだから。

「おい」

轟くんの言葉になんと返していいか分からずにいると、いかにも気分が悪いという雰囲気を醸し出した声がその場に響いた。

「出入口の前で邪魔なんだよ、このダブル舐めプがよ。いちゃつくなら他所でやれや」

爆豪のその言葉に、轟くんの手の力が少し弱まるのを感じて、私はすかさず彼から離れた。
もういいや。どうせ嫌われているなら、いっそこの際どんな卑怯な手を使ってでも、この場から逃げ去ってやる。

「あ、爆豪くん!ちょうど良かった!さっき言ってた話なんだけど!」
「あ?」
「おい、まだ話」
「ごめんね轟くん、何か用事なら後でメッセージ頂戴!じゃあね!ほら爆豪くん、早く!」

私は轟くんの顔を一切見ることなくそう吐き捨てると、何が何だか分からないといった様子の爆豪くんの襟を思い切り掴んで、逃げるようにその場を後にした。
だってあのまま二人でいたら、きっとまた馬鹿な勘違いをしてしまいそうだったから。私のこと気にかけてくれたのかな、とか、そんなことをほんの一瞬考えてしまったのだ。彼は私のことが嫌いだと、はっきりそう言っていたのに。思い知ったはずなのに、心のどこかでまだ僅かな希望に縋ろうとする、そんな自分が嫌でたまらなかった。







「で、さっき言ってた話ってなんだ。この嘘つき女がよ」

呆れたようにため息を吐くと、爆豪くんは意外にも冷静に私にそう問いかけた。

「ご、ごめんね。ちょっと、轟くんと二人になるのは避けたくて……」
「毎日毎日、鬱陶しいくらいくっつき回ってた奴が何言ってんだかな」

爆豪くんの言葉が、既に何度も現実に打ちのめされた胸に、さらにグサリと突き刺さる。客観的に鬱陶しいと改めて言われると、もう自覚はしていたものの、それでもやっぱり落ち込んだ。

「まぁ、そうだよね」

何も言い返す言葉がなく、自嘲気味に笑いながら爆豪くんに同意の言葉を返すと、彼は何に対してなのか分からないが、イライラした様子で盛大な舌打ちをした。

「……何かあったんかよ。あいつと」

普段他人に気を遣わない彼が、珍しく心配しているような言葉を呟いたからだろうか。あの日以来枯れてしまったように流れなかったはずの涙が、瞼の奥からじわりと溢れ出てきてしまった。

「嫌いって、言われたの」
「は?」
「轟くんが、私のこと、嫌いって…言った…っ」

改めて言葉に出すと、あの日の光景が鮮明に浮かんできてしまう。いつもと変わらない表情。いつもと変わらない口調。でもそんな彼から紡がれたその言葉は、酷く胸を刺すものだった。

「まぁ俺なら、てめぇみたいな鬱陶しいのは確かに御免だな」
「わ、わかってるよ…っ!そんなこと…っ」

先程から容赦なく正しい言葉で突き刺してくる爆豪くんのせいで、早く涙を止めたいのに、全然止まる気配がない。優しく慰めてくれる相手ではないとわかってはいるが、ここまで失恋の傷に塩を塗らなくてもいいと思う。自分のせいで嫌われたことは、自分が一番分かっているのだから。




「そんじゃ、慰めてやろうか」

涙を何とか止めようと、制服の袖で何度も瞼を拭う私を余所に、爆豪くんは何を血迷ったのか、急にそんなことを言い出した。

「……はぁ?」
「フラれたんだろ。なら問題ねぇはずだ」
「い、いや、だって、さっき私みたいな女は御免だって」
「まぁそれは事実だ。けどまぁ、お前がどんだけ面倒な女だろうと、"そういうこと"は出来っからな」

唐突な申し出に混乱している私を余所に、爆豪くんは私の両手首を勢いよく掴んだ。

「ちょっ、と…!急に何!?」
「あ?何って、決まってんだろ。俺は他の男がチラついてる女なんか御免だからな。上書きすんだよ」

真顔でそう言いながら、ゆっくりと近づく彼の顔に、背筋がぞっと凍りついた。嫌だ。怖い。こんなこと、轟くん以外にされたくない。
あぁもう、未練がましくなんてことを考えてるんだ私は。頭ではそうわかっているのに、気持ちはどうすることも出来ない。だってそんな簡単に忘れてしまえるほど、彼への気持ちはちっぽけじゃないんだ。




「や、やだ…っ!轟くんじゃなきゃやだ…っ!」

思い切り力を入れて爆豪くんの腕を振りほどこうとしたその瞬間、身体を何かに引っ張られて、暖かい何かに包まれた。

「爆豪てめぇ、何やってんだよ!!」

すぐ側で、酷く焦ったような声がする。普段は冷静で、落ち着いているはずのその口調が、今はすごく荒々しい。あぁ嫌だ。ついに幻聴まで聞こえるようになってしまった。私を嫌いなあの人が、こんな所にいるわけないのに。




「へぇ、随分必死だなぁ?半分野郎」

にやりと笑う爆豪くんの視線の先に顔を向けると、幻聴だと思っていた声の持ち主が私のすぐ側にいた。そのがっしりとした腕は、守るようにぎゅっと私を包んでいて、私と彼の間には一切の距離がない。

「うるせぇよ。お前こいつに何した」
「愛しのトドロキクンに嫌いって言われたって、ぴーぴー泣きわめくから、じゃあ慰めてやろうかって言っただけだわタコが」
「は?そんなこと、みょうじに言った覚えはねぇぞ」
「こいつには、だろ」
「……あ」
「ほらな。どうせあのクソナードあたりにでも言ったんだろうが、めんどくせぇ言い回ししてんじゃねぇぞ。お陰でこっちが迷惑被ったわ」

迷惑そうにそう吐き捨てた爆豪くんに、クエスチョンマークが溢れてくる。ちょっと待って。何なのこのやり取り。どういう状況なのこれ。私だけが完全に置いてけぼりをくらってるんだけど。

「だからって、みょうじに触るんじゃねぇよ。それとこれとは話が別だろ」
「自分の女ぐらい、自分でどうにかしろや。だからてめぇは舐めプなんだよ。つーか、どうでもいいがそろそろ離さねぇとそいつ死ぬぞ」

二人の会話の内容が、未だに何一つ理解できない。というか、さっきから思ってたんだけど、なんで私、轟くんに抱きしめられてるんだろう。近い近い。こんなの無理。ドキドキしすぎて死んじゃう。
あぁ、もうダメだ。何だか頭がくらくらして、意識が少しずつ遠のいて───

「みょうじ?おい、みょうじっ」

遠くの方で聞こえる彼の声が耳を掠め、それだけでとても幸せな気持ちになる。あぁ、やっぱり轟くんが大好きだ。嫌いだと言われてしまったけど、やっぱりこの人を好きでいたい。
そんなことをぼんやり思いながら、力強い彼の腕の中で、私はそのまま意識を手放した。







「みょうじ、大丈夫か?」

薄らとした視界の中、そう問いかける声に瞼をこじ開けると、世界で一番大好きな人が、私を心配そうに見下ろしていた。

「と…っ!?」
「おい、急に起き上がるな。危ねぇだろ」

そう言いながら私の肩を支える轟くんに、意識を失う前の出来事を思い出してしまい、顔中に熱が集まり始める。慌てて咄嗟に彼から離れると、轟くんは少し驚いたような顔をしたあと、困ったように顔を俯かせた。

「その、悪かった」
「な、何が…?」
「気絶させちまうとは、思わなくて」
「あ、いや、その…なんていうか、あれは…色々頭が混乱してて…」

気まずさのあまり視線を泳がすと、ふと壁にかけられた時計が目に付いた。時刻はもう既に夕方の5時を回っていて、妙な焦燥感にかられた。私は何か、何かを忘れているような。

「あ…っ!!」
「どうした?」
「ど、どうしよう…っ、今日私、みんなと勉強会の約束してて……」
「あぁ。それならもう、蛙水に伝えた」
「梅雨ちゃんに?」
「お前を運んでる途中に、会ったからな」
「あ、そうなんだ…」
「『後で詳しく聞かせてね』、だそうだ。何についてかは、よく分かんなかったが」
「そ、そっか。梅雨ちゃんに後で聞いてみるね」
「あぁ、そうしてくれ」

轟くんは、どうしてこんなに鈍いのだろうか。そのシュチュエーションで会ったのなら、どう考えてもそうとしか受け取れない発言だと思うのだけれど。




「緑谷との話、聞いてたんだな」

核心をついたその話題に、心臓がどくん、と大きく跳ねた。

「その、ごめんなさい…。勝手に聞いて…」
「いや。なんで避けられてんのか分かんなかったけど、そういうことなら合点がいった」

轟くんは淡々とそう話すと、座っていた丸椅子から立ち上がって、私がいるベッドに座り直した。

「嫌いだと、思ってたんだ」

改めて口にされたその言葉に、泣きそうになるのを必死に堪えた。意識を失う前に聞いていた轟くんと爆豪くんのやり取りから、あれは違う意味だったんじゃないかと淡い期待を持ってしまったが、それは見事に打ち砕かれた。

「お前といると、ペースが乱れる」
「……は?」
「お前の、たぶん何の意図もないような一言でも、嬉しかったり落ち込んだりするし、お前が爆豪とか、他の男といると、すげぇイライラする。自分のペースが乱されて、いつもの俺じゃいられなくなるんだ」

いつもと変わらない表情。いつもと変わらない口調。だけどその言葉は、確実に私を期待させていく。

「でもそれを緑谷に話したら、腹抱えてすげぇ笑われた。涙目になりながら、それは嫌いなんじゃなくて、その逆なんだって、あいつが教えてくれた」

やめてよ。そんなこと言ってまた期待させて。その期待もまた打ち砕かれたら、もう立ち直れないじゃない。

「さっきも、爆豪がお前に触ってんの見たら、身体が勝手に動いてたんだ」

自然と目頭が熱くなるのを感じる。やだなぁ、もう。散々泣いたせいで、きっと今も不細工な顔なのに、これ以上泣き腫らした不細工な顔なんて、好きな人に見られたくない。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、轟くんは私の身体をゆっくりと自分の方へと引き寄せて、涙が流れないように必死に耐える私の頭を一度だけ撫でた。




「好きなんだ。お前のこと」

その言葉が鼓膜に触れた瞬間、ちっぽけな痩せ我慢は見事に打ち破られて、瞼から熱いものが溢れ出した。轟くんの背中に腕を回して、彼の制服をぎゅっと掴むと、轟くんはそれに応えるように、私の身体を少し強く抱き締めた。

「勘違いさせて、泣かせてごめんな」

申し訳なさそうにそう口にした彼に、首を何度も横に振ると、彼はそんな私の頬を右手で掬いとって、その綺麗な目で私のことをじっと見つめた。

「キスしても、いいか」
「……うん」

彼の綺麗な髪が、目が、そして少しだけカサついた唇が近づいて、彼との縮まる距離に反比例するように、心臓の音は大きくなっていく。ゆっくりと唇が重なり合うと、彼は私の頭の後ろに手を回して、そのまま息が続く限り口付けた。唇が離れ、その息苦しさから彼にもたれかかると、轟くんは再び私の頬に手を添えて、愛おしそうに私を見る。

「可愛いな、お前」

そう言うと、彼は再び私の顔に自分の顔を近づけた。もうダメ。これ以上はもう無理。もう一度キスなんかされたら、間違いなく死んでしまう。

「や、待って…」
「何でだ」
「こ、これ以上は、ドキドキして、死んじゃいますんで!!」

轟くんの肩を押しながらそう叫ぶと、彼はポカンとした顔をしてから、吹き出すように笑い始めた。

「はは、それは困るな」
「はい……困ります……」
「じゃあ、今はこっちで我慢する」

彼は私の手を取ると、そのまま自身の唇に私の指先を触れさせた。ちゅ、という軽いリップ音と共にそれが離れていくと、一気に顔中が熱くなった。

「なんか…逆にもっと恥ずかしくなった…」
「そうか?」
「その、王子様度合いが、すごくて…」

思わず両手で顔を隠すと、ふ、と小さな笑い声が聞こえ、程なくして再び彼の腕の中に閉じ込められた。

「轟くん、好き」
「ん。知ってる。俺も、お前が好きだ」

好きな人がくれる「好き」の二文字は、まるで魔法の言葉だ。その言葉があるだけで、どんなことでも乗り越えて行けるような、そんな気がしてくる。

「もう嫌いって、言っちゃやだ」
「絶対言わない。約束する」

そう言うと、彼は自分の額を私のそれにこつん、とあてた。私を見つめる轟くんの目は、いつもと同じように冷静に見えるのに、まるで彼の左側に宿るその力の如く、滾るような熱を孕んでいるように感じた。

「なぁ、やっぱもう一回だけ、ダメか?」

落とすように笑いながら、諭すようにそう囁かれてしまえば、私にそれを拒む権利なんてない。ゆっくりと近づく彼の熱に、そっと瞼を閉じてみると、すぐに唇にまたあの柔らかさが触れる。三度目のキスはとても静かで、まるで壊れ物を扱うような優しいその口付けは、私が大好きな彼そのものみたいだなと、そんなことをぼんやりと思った。

「好きだ」
「私も、好き」

唇が離れ、互いの視線がぶつかると、どちらかともなく笑みを零し、魔法の言葉を互いに紡いだ。


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はな様からのリクエストで、轟くんとのすれ違い夢でした。
設定なども細かく書いてくださったので、非常にありがたかったです。久しぶりにこういうちょっとしたすれ違い話を書きましたが、とっても楽しかったです♡
大変お待たせして申し訳ございませんでした...!
喜んでいただければ幸いでございます。

2021.07.14

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