甘酸っぱい熱情を君に


「あら、なまえちゃん、こんばんは」

木々の葉が落ち、木枯らしがいよいよ冬の始まりを告げる金曜日。仕事を終えてマンションに帰ってくると、エントランスで仲良しの大家さんとばったり会った。

「こんばんは」
「今日もお疲れ様。今帰り?」
「はい。...あの、随分沢山手に持ってますけど...良ければお手伝いしましょうか?」

大家さんは、小柄なその体型にミスマッチなほどに、何かが入っているであろう沢山の袋を持ってエレベーターの前に立っていた。

「ありがとう。でもお裾分けだからすぐに手元から無くなるし、大丈夫よ。あ、そうだ。ちょうどなまえちゃん達の分も用意したから、ここで渡してしまっていいかしら?」
「はい、それは全然いいですけど...これは...」

開けてみて、とチャーミングな笑顔で言う大家さんを可愛いなぁと思いながら、受け取った袋を開けると、中には綺麗なオレンジ色の果実が沢山入っていた。

「わぁ...!美味しそうなみかんですね!」
「親戚の農家から沢山送られてきたのよ〜、良かったら食べて」
「いいんですか!?ありがとうございます!」
「ふふ、みかん農家のみかんだから、美味しいわよ〜」
「楽しみです!」
「焦凍くんはもう帰ってるの?」
「いえ、彼はまだ。でもさっきもうすぐ帰るって連絡来てたんで、もう少ししたら帰ってくるかと」
「大変そうよねぇ...ふふ、立派なお仕事だけど」
「ですねぇ...ふふ」

焦凍の話をこんなふうに出来るのは、ごく身近な関係者を除けばこの人くらいだ。今までお互いの部屋を行き来する際には、マスコミを警戒して、細心の注意を払わなければならなかったが、ここはプロヒーローのみが契約できるマンションだ。マスコミの取材や干渉は禁止、彼らのプライバシーは遵守される契約になっているため、ここなら一緒に暮らせると、焦凍がわざわざ探してくれたのだ。
彼としては、面倒なのでさっさと公表したいらしいのだが、それはちゃんと結婚が決まったらにしよう、と私が何気なく口にした、"結婚"というワードが嬉しかったらしく、わかったと納得してくれた。


「じゃあまたね、焦凍くんによろしくね」
「はい!みかんありがとうございました!おやすみなさい」

今日はそれほど遅くならないはずと言っていたし、頂いた蜜柑は帰ってきた焦凍と一緒に食べよう。仕事終わりの思いがけない収穫に、部屋へむかう足取りも自然と軽くなった。







「寒い日のみかんと言えば...やっぱりこれは外せないけども...」

部屋の収納スペースの前で、私は一人困り果てていた。

「何であんな高いとこに置いたんだっけなぁ...?」

部屋に入り、大家さんから貰った蜜柑を、袋から家にあった籠に移してから、キッチンのカウンターに置いた。最初はさほど気にしていなかったのだが、それが視界に入る度に私の中にある欲求が湧いてきたのだ。

「こたつで食べたかったんだけどなぁ」

冬のみかんと言えば、そう。こたつだ。
このマンションに住むようになってからは二年ほど経つが、せっかく和室のあるマンションにしたのだからと、去年の冬に新しくこたつを買った。桜の咲く頃、さすがにそろそろしまおうかと、名残惜しくもこの収納スペースにしまった。こたつ用の布団はすぐに取り出せたのだが、肝心の本体は収納スペースのだいぶ高いところにある。なぜあんな高いところにしまったのか、その理由は定かではない。
椅子を持ってきて取り出そうか。でも本体は確かなかなかの重さだった気がするし、私ひとりで出せる自信が無い。

「だめかぁ...うーん...」




「何が"ダメ"なんだ?」

腕を組んで唸っていると、部屋の入口から待ちわびた声が聞こえた。

「あ!焦凍いいところに!おかえり!」
「ただいま。...なまえ、何やってんだ一体...」

こたつを指さしてこれ取って!と言う私に、焦凍は何でこんな時間に出すんだ...?と言いたげな顔をした。







「あったかいね」
「そうだな」
「出すの手伝ってくれてありがとね。疲れてるのに」
「大丈夫だ、気にするな」
「助かったよ〜。あー、こたつって良いよね。寒いのは苦手だけど、日本ならではって感じで好き!」
「なまえは好きだよな。桜とか花火とか、そういう季節ものが」
「うん!そんで極め付けは!」

じゃじゃーん、と言いながら蜜柑を入れた籠をキッチンから持ってくると、始めはきょとんとしていた焦凍は、私が言いたいことを察したようで、落とすようにふ、と笑った。

「こたつで食べるみかんです!」
「それ買ってきたのか?」
「ううん、マンションの大家さんから貰ったの!で、これを見ていたらこたつが欲しくなって」
「だからこんな時間に出し始めたのか」

納得した、というふうに頷きながら、焦凍は真ん中に置かれた籠から、蜜柑をひとつ手に取った。彼が皮に爪を立てると、ほのかに柑橘系のいい香りがふわっと漂い、鼻に抜けるその爽やかな匂いに、これぞ冬だな、なんてぼんやりと思った。

「あー...くそ」
「どしたの?」
「...千切れた」

そう言って焦凍は、僅か3,4センチほどしかない小さな蜜柑の皮を私に見せた。

「...うまく剥けた試しがねぇんだよな、これ」
「ぷふっ、いや、知ってたけど...いくらなんでも下手くそすぎでしょ...あははっ」
「笑うなよ」
「剥いてあげようか?」
「...いや、いい。これくらい出来ねぇとダメだ」
「変なところ真面目だよねぇ、焦凍って」

焦凍は拗ねたような顔を見せると、視線をまた落として、手の中にある蜜柑の皮を剥き始めた。必死なその姿をじっと見ていると、さっき笑うなと言われたのにまた笑いが込み上げてきてしまう。さすがにまた笑ったらへそを曲げてしまうので、そこはぐっと堪えた。
強烈な個性とその実力で、今やトップヒーローに名を連ねる彼が、こんな狭い部屋のこたつに入って、蜜柑の皮に弄ばれているなんて、誰が想像できるだろうか。
それにしても、さっきからずっと彼の視線を独り占めしている蜜柑がちょっと羨ましくなってきた。あの、その人は私の恋人なんですけど。

「焦凍さん、焦凍さん」
「ん...何だ」

視線を蜜柑にむけたまま、彼は適当な返事をする。何だよ、こっち見てくれたっていいのに。

「...何でもない」

籠の中の蜜柑をひとつ手に取る。先程まではこれを食べるのが楽しみだったのに、今は恋敵と対峙しているようなそんな感覚だ。子供っぽい、馬鹿みたいなこと考えている自覚はある。
皮を剥いてからひとつ口に入れると、甘酸っぱい味が口に広がる。さすがはみかん農家直送だ。美味しいわね、ちくしょう。




「みかんきらい」
「いや、さっきまで嬉しそうにしてたじゃねぇか」
「...今きらいになったの」
「なんだ、不味かったのか?」
「だって焦凍、さっきからみかんばっかり見てる」
「は?」

そう吐き捨ててこたつに顔を伏せて不貞腐れる。焦凍の顔は見えないが、たぶん何言ってんだこいつと言う顔をしているだろう。

「マスコミに、ショートは蜜柑の皮が弱点なんですよってリークしてやる...」

顔をこたつに伏せたままそう言うと、むかい側からふっ、という笑い声が聞こえてくる。すると何やらゴソゴソと音が聞こえ、気になって顔を上げようとすると、足の裏を何かに擽られた。

「ちょっ、あははっ!しょ、しょうとやめて...くすぐらないで!」
「お、泣いてる訳じゃなくて安心した」
「いや、いくら私でもみかんでは泣かない...っていうか、いきなり何するの」
「なまえは俺に構って欲しいんだろ?」
「...まぁそうですが」

私を擽っていた焦凍は、自分にかかっていたこたつの布団を剥ぐと、膝を数回叩いて、ん。とだけ言う。

「えっと...?」

よく分からずに首を傾げていると、彼はちょっとだけムスッとした顔をして、今度は両手を広げて見せた。

「こっち来い。なまえ」
「...さすがにそれはちょっと恥ずいんだけど...」
「来い」
「いや、でも...」
「いいから来い」

早く、と急かす言葉を付け足しながら、彼はそう言う。さっきまで拗ねていたのは私の方だったはずなのに、今は焦凍の方が駄々をこねる子供のようだ。
元はと言えば私が撒いた種なので、少し抵抗はあるが焦凍の言う通り、こたつを出てから、彼の足の上に座ってみる。待ってましたと言うように、すぐに後ろから彼の腕が伸びてきて、そのまま後ろからぎゅっと抱きしめられる。




「こんなもんより、お前の方がいいに決まってんだろ」

私の髪、頬、耳、首筋と、順番に軽くキスを落としながらそう言う焦凍の声がすごく色っぽくて、身体が熱くなる。ただでさえ、くっついたままこたつに入って、少し暑いくらいだというのに。

「なまえ、顔真っ赤でりんごみてぇ」
「だって...焦凍が、熱くするから...」
「すげぇ可愛い。好き」
「しょ、と...口にも、して?」
「ん、」

私がキスを求めると、焦凍は私の頬に触れ、自分の方をむかせて口付けてくる。さっきまでの優しいそれとは違う、深いキスに、自然と力が抜ける。それを見透かしたかのように、彼はゆっくりと私の足を撫でた。

「ま、まだお風呂入ってないから、待って...」
「待たねぇ」

ですよね。この顔の時の焦凍に、そんな我慢ができる訳が無い。しょうがない、このまま彼に流されようと思った瞬間、私はあることに気がついてしまった。




「...っていうか、みかん...食べないの?」

焦凍があれだけ夢中になって皮を剥いていた蜜柑は、こたつの上に文字通り剥き出しのまま置かれている。その皮は千切れることなく、辛うじてではあるがきちんと繋がったままの状態でそこにあった。

「いらねぇ」

その質問に、私に触れるその手を止めることなく、彼は答えた。

「せっかく、頑張ったのに?」
「もうどうでも良くなった」
「私の待っていた時間の意味とは」
「安心しろよ。その分これから朝までずっとなまえのこと見るから」

そう彼が言った刹那、視界がぐるりと変わり、気づくと目の前には先程まで後ろに居たはずの焦凍が居て、その後ろには白い天井が見える。目の前の彼は、悪戯っぽい笑顔で私のことを見下ろしている。さて何をして遊ぼうかと考える、子供のように。しかし、それ同時に彼の表情には、隠しきれない大人の色気のようなものが共存している。

「あの...お手柔らかにお願いします...よ?」
「善処する......たぶん」

話はもう終わりでいいか、と彼はそう尋ねてきたが、私の答えを聞く前に、自分の唇を私の首筋に落としてくる。これからされることに期待と不安を感じながら、近づいてくる彼の熱に、私はそのまま身を預けた。

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1000Hits Anniversary企画リク第2段。
みゆ様からのリクエストで、ヒロアカ轟くん夢でした。
甘めをご希望とのことで、いつもより砂糖多めで書かせていただきました!
リクエストありがとうございました♡♡
2020.10.26

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