気づいた時にはすでに手遅れ。


※短編「押してもダメなら引いてみろ。」の後日話です。
(未読でも特に問題はありません)


だからやめろと言ったんだと、誰もがみんなそう口にした。実際それを突きつけられて、やっぱり無謀な恋だったんだと、私自身もそう思っていた。

しかしちょうど一週間前、そんな私の恋物語は、衝撃の展開を迎えることとなった。

「みょうじー、轟来たぞー」

一人の男子がそう言うと、教室内の視線が集まり、ありとあらゆる方向から、冷やかしの言葉が向けられた。

「ほら、彼氏のお迎えだってさ」
「ひゅー、愛されてるぅ」
「う、うるさいよっ」

クラスメイトの冷やかしに便乗し、にやにやしながらそう口にする友達の言葉に、顔がかあっと熱くなる。ここ一週間はずっとこの繰り返しで、そろそろ耐性がついてもいいはずなのだが、やはり馴染みのないことだからか、この空気に慣れるまでは、まだまだ時間はかかりそうだ。
急いで鞄に荷物を詰めて、逃げるように教室の出入口に向かうと、その人物は私に気づいて、ふっと軽く笑ってみせた。そんな笑顔にドキドキして、さらに顔が熱くなる。

「お待たせ、しました」
「おう」

轟くんは小さく返事をすると、すっとこちらに手を伸ばし、その長い指を私の指に絡ませながら、きゅっと軽く握りしめた。大きくて少しゴツゴツしたその手を、そっと私が握り返すと、彼はそれを確かめるように、今度は強くぎゅっと握る。

「じゃあ、行くか」
「は、はい…」

力のない返事をする私を余所に、彼は一歩足を踏み出し、私を連れて廊下を歩く。ほどよいペースで進む歩調に、さり気ないその優しさを感じて、胸が自然と暖かくなる。時折感じる好奇の目に戸惑いながらも、ちらりと彼を見上げると、綺麗な二色の切れ長な目と、ぱちっと視線がぶつかった。

「わ…っ」

思わず小さく声をあげると、轟くんは一度足を止めて私を見下ろしながら、くすりと控えめに笑ってみせた。

「そんなに驚くか」
「だ、だって…見られてると思ってなかったから…」
「見るだろそりゃ」
「え…」
「好きな奴のことは見るだろ。普通」

淡々と紡がれるその言葉に、再び熱を帯びた顔を、ゆっくりと下へ俯かせる。確かにその通りだし、私も覚えがあるけれど、それを彼が口にすると、嬉しさよりも恥ずかしさの方が上回ってしまい、うまく言葉が出てこない。些細な言葉の一つひとつが、どうしようもなく甘くて。

「どうかしたか?」
「い、今、す、好きな奴って…言った…」
「それがどうしたんだ?」
「どうって…」
「もしかして照れてんのか?」
「もしかしなくても照れてます…」

逆にそれ以外の選択肢があるのだろうかと、少し疑問に思いながらも、素直にそう返事をすると、轟くんは覗き込むように少し屈んで、俯く私の顔を見た。

「な、何…?」
「いや、赤くなってんの可愛いなって、思って」
「か…っ」

彼は顔色一つ変えることなく、またも淡々とそう口にした。屈んだことで近づいた端正な顔立ちに、さらに胸がバクバクと鳴る。

「あ。さらに赤くなった」
「いや…轟くんのせいだからね…」

か細い声でそう呟くと、轟くんはなぜかポケットからスマホを取り出して、それを私の方に向けると、カシャ、と一度だけシャッターを切った。

「な、なんで撮ったの…!?」
「安心しろ。俺が見るだけで、悪用したりはしねぇ」
「そういうことではなくてですね…!」

薄々そんな気はしていたが、いい意味でクールな見た目とギャップがあり、彼はなかなかの天然だ。真っ当な私のツッコミに対し、轟くんは不思議そうな顔を浮かべながら、首を小さく傾げてみせた。

「怒ったか?」
「う、ううん…単に恥ずかしいだけで、怒ってないよ」
「そうか。なら良かった」

ぽつりとそう呟くと、ポケットにスマホをしまってから、彼は再び私の手を引き、また一歩前へと踏み出した。私の手を引くその人物を、もう一度確かめるように見上げると、そこにいるのは紛れもない、私がずっと好きだった人だ。

やっぱり、今でも信じられないなぁ…。

彼に散々付きまとっておいて、そんなことを考えるのもどうかと思うけど、轟くんとこうして手を繋いで歩く日が来るなんて、正直思っていなかった。押してもダメなら引いてみろ、なんて、よく聞く話ではあるけれど、無作為に起こしたその"作戦"が、結果的に私たちの関係を変えるきっかけになるなんて、全く予想もしていなかった。








「お、みょうじさんじゃん!!」

A組の寮に入ると、きらきらした笑顔を浮かべる金髪の男子生徒が、私の名前を溌剌と呼んだ。

「こんにちは。お邪魔します」
「いえいえ〜、散らかっていてすみませんね〜」
「今ここを散らかしてんのはお前だよ。上鳴」
「瀬呂、それは言わない約束」

そんなやり取りをしながら、轟くんのクラスメイトである上鳴くんと瀬呂くんが、私たちの側までやって来た。どうやら二人でボードゲームをしていたらしく、テーブルの上にはオセロやジェンガといったおなじみのものから、はたまた見たことのない謎のゲームまで、多種多様に並べられていて、そのすぐ側には食べかけのお菓子がいくつも散乱していた。

「この短時間でよくここまで散らかしたな…」
「散らかすだけなら俺得意!」
「いや、威張んなし」
「冗談だって!ところでお二人さん、今日はお部屋デート?」
「え、えっと…」
「まぁそんなとこだ」

にやにやしながら尋ねる上鳴くんに、なんと答えるか詰まっていると、私の隣に立つ彼が、はっきりとそれを肯定した。"デート"という言葉がまだむず痒くて、ドギマギしてしまう私とは対照的に、轟くんはいつも落ち着いていて、それがさらに照れ臭さを助長する。

「誰だよ。まだ秋だってのに、フライングして暖房つけた奴は」
「ほんとそれ。暑くてかなわねぇわ」
「……暖房なんてついてねぇぞ。大丈夫かお前ら」
「「これだから天然はよ」」

息の合ったそのツッコミに、思わずくすりと笑ってしまう。付き合い始めてまだ一週間しか経っていないけど、こうして轟くんの隣にいる時間は、驚きと発見の連続だ。もちろんそれはいい意味で、一緒に過ごせば過ごすだけ、好きなところが一つ、また一つと増えていく。

「あはは、相変わらず仲良しでいいね。A組は」
「そうか?」
「うん。みんな仲良くて、ちょっと妬けちゃうもん」
「俺だって嫉妬するぞ。お前のクラスの奴らに」
「え…」
「一緒の教室で授業も同じで、すぐ近くでお前のことを見れるそいつらが羨ましいし、正直言うと……ちょっとムカつく」
「それを言ったら私も同じだよ。A組の女の子たち、みんな可愛いし…」
「俺はお前が一番可愛いと思ってるから、なんの問題もねぇだろ」
「ま、またそういう恥ずかしいことを言う…」
「事実だ」
「わ、私だって轟くんが」
「あのー…」

そこまで口に出したところで、私の言葉は遮られ、遠慮がちな声がする。その声にハッとしてそちらを振り向けば、なんとも言えない表情をした上鳴くんと瀬呂くんが、私と彼をじっと見ていた。

「お二人さん、俺たちのこと完全に忘れてね?」

呆れたようにそう呟く上鳴くんに、顔が一気にまた熱くなった。隣にいた轟くんにばかり意識が向いて、本気で彼らの存在を忘れかけていた自分が、どうしようもなく恥ずかしい。

「なんだ。まだいたのかお前ら」
「いや、もともといたの俺らだかんね!?」
「あれか。もはや俺らなど眼中にはないってか」
「……今に限っては、割とそうだな」
「な…っ」
「「かーーーーっ!!」」

彼の言葉に戸惑いつつも、天を仰ぎながら声を張り上げる上鳴くんと瀬呂くんに、肩がびくっと大きく跳ねた。

「幸せそうで大変結構だなこの浮かれ半分野郎が!!さっさとフラれちまえ!!」
「え」

涙目でそう叫ぶ上鳴くんに対して、轟くんは珍しく目を丸くさせると、しばらく何かを考えるような素振りをしてから、ゆっくり私に視線を落とした。

「……俺ってフラれるのか?」

何をどうしてそう思ったのか、真顔で尋ねる彼に対して、何度も首を横に振る。念願叶って手に入れた大好きな人の隣に立つ権利を自ら放棄するなんて、そんな勿体ないこと、私に出来るわけがない。

「だそうだ。残念ながらそれはねぇ」

きっぱりそう言い放つ轟くんに、二人はまるで崩れるように、その場でがくっと膝を折る。彼は全くの無自覚だろうが、容赦なく続く甘い言葉の数々に、私も溶けて崩れ落ちそうだ。

「あぁそうかよ…良かったな…」
「もうお前ら、さっさと部屋行っとけよ…」

視線をこちらに向けることなく、俯きがちにそう言う彼らを、轟くんは不思議そうに見下ろしたものの、まぁそうだなと口にしてから、再び視線を私に戻した。

「じゃあ、そろそろ行くか。みょうじ」
「え、あ…う、うん…」

このまま立ち去って良いものかと、ほんの少し迷ったが、おそらくこの場に留まれば、無自覚な彼の甘い言葉に、どんどん追い詰められる気がする。二人に申し訳なく思いつつも、じゃあまたね、と声をかけ、轟くんに手を引かれるまま、エレベーターに乗り込んだ。







「ここまで出来たら、後はこれを」
「あ、分かった!代入すればいいんだね!」
「あぁ。この辺はだいぶ分かってきたっぽいな」
「轟くんのおかげです」

拝むように手を合わせると、彼はくすりと小さく笑う。相変わらず数学は苦手だけど、こうして轟くんが教えてくれるなら、ずっと苦手でもいいかもなんて、そんなことを思ってしまう。

「苦手って言う割には、お前普通に理解早いし、実は得意かもしれねぇぞ」
「教え方が上手だからだよ。寮の部屋で一人で勉強してると、時々分かんなくなっちゃうし…」
「そういう時は電話しろ。教えてやるから」
「でも…いいの…?迷惑じゃない…?」
「いくらでも頼れ。お前にはその権利がある」

電気を消し、部屋のベッドで眠りにつく前、もしもこれが夢だったらどうしようと、この一週間何度も思った。鬱陶しいと拒絶され、もうこの恋はダメなのだ、忘れなくてはいけないのだと、そう思っていた矢先、轟くんに腕を掴まれたその瞬間は、今も色濃く記憶に残る。心臓がバクバク鳴っていて、その理由の半分は驚きで、きっと残りの半分は、身の程知らずな期待だった。そしてその期待が現実になった瞬間、この世にこんな幸せなことがあるんだと、私は本気でそう思った。

「人生、何が起こるか分かんないなぁ…」

私がうっかりそう漏らすと、彼はきょとん、とした顔で、私の方へと顔を向けた。

「何の話だ?」
「こうして轟くんと一緒にいられて、幸せだなぁって話だよ」

そう言うと、轟くんは一瞬目を丸くして、照れたように視線を逸らした。自分で言うのは平気なのに、私が言うと少し照れる。いつもかっこいい彼だけど、そんな一面が可愛くて、もっと好きになってしまう。

「ふふ、照れてる」
「笑うな」
「だってなんか、轟くん可愛いんだもん」
「可愛くねぇ」
「えー、可愛いのに…」
「可愛くねぇ」

眉を顰めながら、ムスッとした顔でそう繰り返すと、轟くんは私の頬を両手で包んで、ぐっと顔を近づけた。急に目の前に来た好きな人の顔に、心臓がどくんと跳ね上がる。

「な…っ」
「お前の方が可愛い」
「と」

彼の名を口にする前に、そっと唇が塞がれた。想いが通じたあの日以来、初めて交わしたその口付けは、あの時よりも強引で、轟くんは私の頬に添えていた両の手を、頭の後ろと背中に回す。目の前に迫る綺麗な瞳から、逃げるようにぎゅっと強く目を閉じると、私を抱き寄せるその力が、ほんの少しだけ強くなった。

「熱いな」

唇が離れ、ゆっくり瞼を開いてみると、再び彼は頬に手を添え、嬉しそうにそう呟いた。何と返せばいいか分からず、ぱくぱくと魚のように口を動かせば、轟くんは吹き出すように笑いながら、私をぎゅっと抱きしめた。

心臓、壊れちゃいそう。

触れ合う場所に感じる熱も、力強い腕の力も、彼の匂いも、今は私だけのものだ。側にいられるだけでもいいと、そう思っていたかつての私は、一体どこへ行ったのだろう。轟くんの些細な言動が、私をどんどん欲張りにさせる。

声も視線も表情も、まるで別の人みたい。

「あの…」
「ん」
「轟くん、だよね?本物だよね?」

少し高い位置にある彼の顔を見上げながら、馬鹿げた質問をぶつけてみると、轟くんは小さく声を上げ、驚いたような顔をした。

「急にどうした」
「だ、だってなんか…前と全然、違うから…」
「そうか?」
「前はその、なんていうか…もっと淡々としてたっていうか…」
「そりゃあ友達だったのが彼女になれば、多少は変わるんじゃねぇか」
「え…」

今、"彼女"って言った。初めて。

彼が自ら私のことを、初めてそう呼んだ。たったそれだけのことなのに、信じれないほど嬉しくて、なんだかとてもくすぐったい。

「なんか変なこと言ったか?俺」
「う、ううん!なんでもないよ…!え、えっと…あ、ま、まだ問題残ってるからやらないと…!」
「あぁ。そうだな」

誤魔化すように机に向き直し、右手でペンを素早く持つ。きっと今の私は、すごくだらしない顔をしているに違いない。轟くんは何気なく口にしただけだろうが、彼が発したそのひと言に、どうにも顔が緩んでしまう。

せっかく教えてくれてるんだから、集中しろ私。

そう思いながら教科書のページをめくると、轟くんは少し前に屈みながら、その内容を確認した。

「あぁ、ここか。これは…」
「あ、ここは分かるよ!前に緑谷くんに教えてもらったから」

見覚えのある問題形式に、思わず得意げに声を上げた。

「いつ聞いたんだ」
「この間図書室で友達と宿題してたら偶然会って、その時に聞いたの!すごい説明分かりやすくて ─── 」

そこまで口にしたところで、自分の失言にようやく気づいた。しかしすでに時遅し。先ほどまでとは打って変わって、轟くんは明らかに不機嫌そうに顔を顰め、きゅっと唇を結んでいる。そんな彼を目の当たりにして、容量の少ない頭の中で、私は"あの日"彼が口にしていた、とある言葉を思い出す。

"あんまり緑谷と、仲良くしないでくれ"

それは轟くんと私が恋人になった、始まりの日。彼が口にしたその言葉に、思わず吹き出して笑ってしまったが、垣間見えた独占欲に胸の奥が熱くなったのは、まだ記憶に新しい。

「そうかよ。そりゃ良かったな」

心底不本意そうな声色で、轟くんはそう口にする。彼女になって一週間、早くもやらかしてしまった。もしも逆の立場なら、私だって嫌な気持ちになるし、他の女の子のことを褒めてほしくないと、きっと私もそう思うだろう。

あぁ、やってしまった…。

「轟くん、あの」
「まぁ確かに、テストの順位も緑谷の方がいいし、俺よりもあいつの方が、説明上手いしな」

ごめんねと口にする前に、私の言葉を遮って、彼は淡々とそう口にした。しかしその表情は相変わらず険しく、かなり機嫌が悪いことが伺える。

「そんなことないよ!轟くんだって十分…っ」
「適任がいるなら、無理して毎回俺に聞かなくたっていいんだぞ」
「む、無理してなんかないよ…!いつも本当に助かってるし、轟くんの説明だって、すごく分かりやすいし…」
「緑谷には敵わねぇよ」

ふい、と顔を横に逸らした轟くんに、嫌な汗がじわりと滲む。これは困った。どうやら彼は完全にへそを曲げてしまったらしい。

「轟くん」
「なんだよ」
「ごめんね」
「……何が」
「その、嫌な気持ちにさせたから…だから、ごめんなさい」

私がそう言うと、彼はとてもバツの悪そうな表情を浮かべ、少し顔を俯かせた。

「いや…今のは…俺がガキだっただけだ。お前は悪くない。俺が、悪かった」

一度は逸らしたその顔を、再び私の方に向け、轟くんはそう言いながら、軽くその場で頭を下げた。まるで叱られた子供のように、しょんぼりと背を丸めるその姿は、お世辞にもかっこいいとは言えないけれど、なぜかそんな彼の姿を、とても愛しいと思ってしまった。

「私ね、今まで好きな人とか出来たことなくて…だから恋愛してる友達が、すごく羨ましかったの」

俯く轟くんを余所に、私は唐突なカミングアウトを始めた。ちょっぴり恥ずかしくはあるけれど、なぜか自然と口が開いていて、私自身も少し戸惑った。そんな私に視線を移すと、彼はその先の言葉を待っているのか、黙って私を見つめている。

「高校に入って、やっと好きな人が出来たけど、でもその人は女の子にすごく人気があって、絶対私なんかじゃ無理だーって、思ってて」

この人が好きだと、そう思う瞬間は、ある日突然訪れた。ひと目見たその一瞬で、彼を好きだとそう思った。だけどそれから間もなくして、それがどれだけ無謀な恋かを、痛いくらいに思い知って、私なんかじゃ無理なんだと、すぐに気持ちに蓋をした。

「だけどやっぱり、諦められなかった」

日に日に気持ちは募っていって、気づいた時には告白していた。衝動的で考えなしで、どうかしていたと自分でも思う。だけどあの日がなかったら、今日という日もなかったわけで。

「友達とかクラスの男子とか、みんな『やめろ』って言ってた。傷つくだけだからって」
「……まぁ、現に一回泣かしてるしな」
「あはは、確かにね。あの『鬱陶しい』は、さすがに傷ついたよ」
「……悪ぃ」
「あ、違うの。それはもう全然気にしてなくて…。それに、轟くんは来てくれたもん」

教室を出て、いつものように寮に戻ろうと廊下を歩き始めた時、勢いよく腕を掴むその手に、本当にとても驚いた。そんなはずない。でも、もしかしたら。予想と期待が交差し、どくどくと心拍が脈打つ中、振り返ったその先には、大好きな人が立っていた。

「嬉しかった。会いに来てくれて。この人を好きになってよかった、ってすごく思った」

それからの毎日は、まるで夢でも見ているかのようだ。両手に抱えきれないほど、背負いきれないほどの幸せが、私の日常に溢れている。

「えっと…なんか色々語ってしまいましたが、何を言いたいかと言いますと」
「もういい」

取り留めのない思い出話の結論を、ようやく口にしようとしたものの、彼はそれを遮って、低い声でそう呟くと、私の肩をぐっと掴んで、自分の方へと引き寄せた。そのまま彼に身を預けるような体勢になると、轟くんは今までで一番強く、私の身体を抱きしめた。

「あの、轟く」
「今までも、本気、だった、けど」

彼は再び私の言葉を遮って、途切れ途切れにそう呟く。

「それ以上言われると、洒落にならねぇ感じになるから、やめてくれ」

私との関係をクラスメイトに冷やかされても、全く動じることのなかった轟くんの、余裕のないその声を聞き、嬉しさがとてもこみ上げた。どうしよう。きっと私また、すごくだらしない顔してる。

「ふふ、じゃあもう、私は手遅れだね」

好きよりも、愛してるよりも。
もっともっと、あなたが好き。

くすくす笑ってそう言うと、彼は少しだけ身体を離し、ゆっくり私に顔を近づけた。何をされるか理解して、そっと瞼を落としてみると、ちゅ、っと唇に柔らかいものが触れる。何度か私に口付けたあと、轟くんは舌を捩じ込み、私の口内を深く侵した。初めてのそのキスに戸惑いながら、必死にそれを受け入れていると、徐々に力が抜けていき、そのまま畳に押し倒された。ようやく唇が解放され、息を整えながら目を開くと、熱を孕んだ綺麗な目が、じっと私を見下ろしている。轟くんは私の頭を撫でると、今度は頬に口付けてから、その唇を首筋へと移していく。

「と、轟くん…っ、待っ」
「待てねぇ」
「でも、私たち、まだ」
「じゃあなんで、俺の首に手ぇ回してんだ?」

全く意識していなかった。しかし彼の言うとおり、私の両腕はその太い首へ回されており、頭で思ったこととは反して、私は彼を受け入れていた。そんな自分が恥ずかしくて、両手で顔を覆い隠すと、轟くんはその手を払い、こつん、と額をぶつけてきた。

「好きだ。なまえ」

初めて呼ばれた自分の名前に、とくん、と胸が高鳴った。

「好きだから、もっと知りたい。もっと、欲しい」

再び近づくその唇が、あと数センチでまた触れる。なぜか不思議と確信があった、それが触れ合ったらもう最後、彼はきっと止まらない。

「焦凍、くん」

初めてその名を口にした、その時だった。

「は」
「え…?」

息がかかるその距離で、彼は小さく声をあげ、ばっと勢いよく顔を上げた。少し離れた部屋の入口が、カチャ…と控えめな音を立て、なぜか開き始めたからだ。

「轟君いる…?昨日言ってた本持ってきたんだけ…%△#?%…!?」

突如現れたその人物は、そこまで口にしたところで、自身の視界に飛び込む光景に、声にならない声をあげた。"彼"のチャームポイントでもあるそばかすの頬は、りんごのように真っ赤に染めあがり、エメラルド色のつぶらな瞳は、さらに大きく見開かれている。

「み、緑谷く…!」
「痛っ」

その存在を認識し、恥ずかしさのあまり反射的に身体を起こすと、轟くんの顎に目がけて、私の頭が直撃する。突然の痛みに声をあげる彼に、ごめんと小さく謝ると、轟くんは自身の顎に触れながら、むくりと身体を起こしてみせた。

「……まぁ見ての通り、いることはいるぞ。正直来て欲しくはなかったが」
「ご、ごごごごめん覗くつもりはなくて一応ノックはしたんだけどでもそのそういうことするなら出来れば鍵はかけてもらえるといいかなと思いますすみませんお邪魔しました…!!」

息継ぎひとつすることなく、そう捲し立てた緑谷くんは、手に持っていたその本を適当な場所に投げ置いてから、開けた時とは対照的に、バタン!と大きく音を立て、驚くべき速さでドアを閉めた。しん、と静まり返った部屋には、時計の針の音だけが鳴り響き、私も彼も無言のまま、ただ静寂を受け入れる。
緑谷くんの出現により、ふと冷静になった頭で、自分が、というより、自分たちがしようとしていたことを思い出し、私は頭を抱えたくなった。もしもあのまま、緑谷くんが来ていなかったら。それを想像した瞬間、どこにも逃げ場はないというのに、どこかに走って逃げたくなった。

「あいつ、わざとじゃねぇだろうな…」

一人悶える私を余所に、彼はぽつりとそう呟いて、その場にすっと立ち上がる。轟くんは先ほどまで緑谷くんがいた部屋の入口に近づいていき、無造作に置かれた本を拾い上げると、ガチャ、と自室の鍵を締め、再び私の側までやって来た。

「その、悪かった。鍵すんの忘れてた」
「い、いえ…私も…よくやるので…」
「まぁでも、これで大丈夫だな」

彼はそう言いながら、私の肩をぐっと掴むと、再びいとも簡単に、私の身体を畳に縫いつけた。

「な、何して…」
「何って、続き」
「え!?」

しれっとそんなことを口にした轟くんに、思わず大きな声をあげると、彼は私を見下ろしながら、拗ねたように口を尖らせた。

「……嫌なのかよ」
「嫌じゃない、けど…でもほら、なんか今日はやめときましょうみたいな雰囲気だったっていうか…っ」
「知らねぇ」
「ちょ、ちょっと待っ」
「待てねぇ」

轟くんはぴしゃりとそう言い放つと、慌てふためく私の腕の両腕を掴み、じわりじわりと近づいた。

「たぶん俺も、もう"手遅れ"だ」

その唇が、触れるか、触れないか。目と鼻の先のその距離で、彼はふっと軽く笑って、私の頬に手を添えた。射抜くようなその視線に、胸の奥が熱くなる。互いにそこには想いがあって、すぐ触れられる距離にいるのに、それを拒む理由なんて、到底持ち合わせていない。

「じゃあ、一緒だね」
「そうだよ。だからもっと、欲しいんだ」

"お前が、欲しい"。

真っ直ぐな眼差しで、甘くそう囁かれれば、彼を好きだと思う以外に、思考回路は閉ざされた。きっと今がその時だ。だって私たちはこんなにも、互いを求めているのだから。


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10万打記念リクエスト第3弾。
ゆう様からのリクエストで、短編の「押してもダメなら引いてみろ。」の後日談でした。
このお話の焦凍くんはまさに思春期真っ只中という感じなので、多分手を出すのも早いな(笑)というところから、このお話が爆誕しました。
個人的に、上鳴くんと瀬呂くんが出てくるあたりが一番書いてて楽しかったです。

ゆう様、大変お待たせしてしまい申し訳ありませんでした。
楽しんでお読みいただけますと幸いです◎

2022.02.08

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