茜色のラブレター


しまった。寝坊した。よりによってこんな大事な日に。別に今日が誕生日というわけでも、何か特別な訓練がある訳でもない。ただ、私にとって今日は待ちに待った日で、普段そんなことなどしないのに、スケジュールアプリにわざわざそれを入れておくほどに、今日という日を楽しみにしていたのだった。

「お、おはよう...!」
「おはよー!なまえちゃん!」
「な...何とか...間に合った...!はぁ...つ、疲れた...」
「なまえちゃんがこんなにギリギリなのは珍しいわね」
「早くご飯食べて学校行こー!」
「う、うん...!急ぎます!!」

昨日の夜の時点では、今朝は早起きして、いつもより丁寧に身支度を整えてから学校に行く予定だった。いつもなら30分程度で済ませてしまうお風呂に1時間近く入り、入念にヘアトリートメントをして、いつもよりしっかりとスキンケアをして、21時半にはベッドに入った。けれどどれだけ目を閉じていても、頭の中は明日のことでいっぱいで、睡魔はなかなかやってこない。結局その後、眠くなるまで...と思って手にとった小説を読み終えた、午前2時。時計に刻まれたその時刻を見て、慌てて部屋の電気を消して、祈るように眠りについた。明日はいつもより話せるかな。そんなことを考えながら。

「みょうじ、これ良かったらあんたにあげるよ」

教室に着いて、教科書を机の中に入れていると、響香ちゃんがわざわざお菓子を持って来てくれた。

「え、でも...良いの?」
「朝ごはんあんまり食べれなかったでしょ。これ食べときな」
「わぁ...ありがと!響香ちゃん」

じゃあね、と言いながら自分の席に戻っていく響香ちゃんに心の中でもお礼を言った後、彼女がくれたお菓子を開けて口に入れる。甘くて美味しい。急いで朝食を食べたせいか、いつもより美味しく感じる気がする。

「嬉しそうだな」

甘いものを食べる幸せを噛み締めていると、隣から急に話しかけられる。その声に少し心臓の鼓動が早くなる。声のする方に顔を向けると、グレーと青の綺麗な目と視線がぶつかって、また少し鼓動が早まった。

「そ、そうかな?」
「みょうじは食ってる時いつも幸せそうだよな」

轟くんは左手で頬杖をつきながらそう言うと、右手で自分の口元を指差す。

「ん...?」
「ここ、ついてるぞ」
「えっ!?嘘っ!」

急いで鞄から鏡を取り出すと、轟くんが言った通り、口のすぐ横に、今朝急いで食べた時についたであろう、とても小さな魚の皮がついていた。

「あの、ありがとう...教えてくれて...」
「顔赤いぞ」
「いや...気づかず過ごしてたのが恥ずかしくて...」
「多分他の奴らは気付いてねぇし、大丈夫だろ」
「まぁ、そうなんだけどね...」

出来れば他の人に気付いてもらいたかった、というのが本音だ。よりによって轟くんに気づかれるなんて恥ずかしすぎる。こんな小さな魚の皮に気付けるなぁ...。あまり細かいことには気づかなそうなタイプなのに。
ちょっと失礼なことを考えていると、轟くんは思い出したように、あ、とひとつ声を発した。

「そういや、今日、日直一緒だな」
「う、うん。そうだね...!」

そう、今日が重要な理由とは他でもない、絶賛片想い中の轟くんと、一緒に日直をやる日だからなのだ。他のクラスがどうか聞いたことがないのでわからないが、うちのクラスは日直の仕事はそこそこ多い。日誌を書くのもそうだが、相澤先生は基本授業の準備などは委員長・副委員長ではなく、日直に頼むのだ。つまりは、日直を口実に轟くんと話が出来るのだ。入念なトリートメントもスキンケアも、少しでも彼によく見てもらいたいという下心ゆえの努力だ。

「準備とか、宜しくな」
「うん。よろしくね」

そんな会話をしていると、相澤先生が教室に入って来て、朝のHRが始まった。今日最初の授業はグラウンドでの演習だから、多分そろそろ相澤先生から日直への連絡が入る頃だ。

「この後の演習だが、少し準備がある。休み時間プラス15分後に着替えてグラウンドで集合。日直には準備を手伝ってもらう」

相澤先生は黒板に書かれた日直を確認すると、私と轟くんを交互に見た。

「轟、みょうじ。特に更衣室が遠いみょうじには悪いが、お前たちは日誌受け取った後、すぐに移動してグラウンドで準備を手伝ってくれ」
「はい」
「わ、わかりました...!急いで行きます...!」







「で、今日の演習に使う道具だが、このリストの内容通りに、ここの倉庫から出しといてくれるか」

相澤先生は轟くんにリストを渡すと、じゃあ宜しく、と言って、別の準備に行ってしまった。渡されたリストを覗き込むと、結構な量の道具の名前が箇条書きにされていた。

「結構量あんな...」
「あー...確かにそうだね」
「もう一人くらい居ても良いと思うんだが...まぁやるか」
「そだね...」

先生が鍵を開けておいてくれた倉庫に入ると、訓練や演習でお馴染みの道具から、見たことのないものまで、床から天井までびっしりと保管されている。前に日直をやったときは、ここの倉庫に入ったことがなかったので、あまりの物の多さに少し驚いた。

「じゃあ、みょうじは小せぇやつ出してくれ。俺はでかいやつ運ぶから」
「わかった。もし運ぶのに手が必要だったら言ってね」
「あぁ」

リストを確認し、私一人でも持てそうなものを一つずつ倉庫から外へと運び出していく。轟くんは一人で担架や救助用のマットといった大きなものを軽々と運んでいて、細いのに力強いんだなぁ、と思わず見惚れてしまいそうになる。

「あれ...通信機...どこだろ...」

他のものは一通り見つけて外に出したが、救助訓練で各自が持ち運んで利用する通信機が入った箱が見当たらない。通信機の本体は見つけられたのに、なぜかその近くにはない。倉庫をぐるりと見渡すと、棚のだいぶ高いところに見覚えのある箱が置かれているのが見えた。そのままの状態では届かないが、棚のすぐそばの積み重なったマットに乗ってしまえば届きそうだ。

重なったマットは固定されている訳ではないので、ちょっと足場が不安定だけど、まぁそんな高さでもないし、いっか。

積み重ねられたマットの上に登り、棚に置かれた箱を開ける。

「あ、やっぱりこれだ...」
「おいみょうじ、そんな不安定なとこ登ったら危ねぇぞ」
「大丈夫だよ。轟くん、もう大きいの全部運んだ?」
「あぁ...良いから早くそれ持って降りろ。危ねぇ」
「うん」

そう言いながら、マットから降りようと箱を持ったまま足を一歩前に出すと、突如視界がぐらっと曲がり、身体が傾く。

「ぅわっ...!」
「みょうじっ...!!」

やばい落ちる。床にぶつかる。そう思って咄嗟に目を瞑り、すぐにやってくるであろう身体への衝撃に身構えた。しかし次の瞬間、想定していた床の硬い感触ではない別の感触が身体に当たる。恐る恐る目を開けると、目の前には轟くんの顔があって、その表情は珍しく焦っていた。

「と、とと、轟くっ...!!」
「っぶねぇな...」

床の感触ではない別の感触とは、彼の腕だ。轟くんは両腕で私の身体を支えていて、いわゆるお姫様抱っこという状態になっている。轟くん端正な顔が、普段よりずっと近い距離にあって、せっかくこんな少女漫画のようなシュチュエーションが訪れたというのに、心臓が爆発しそうなほど煩くて、この状況を喜べる心の余裕が一切ない。

「だから言っただろ」
「は、はい...ごめんなさい...」
「痛いとこねぇか」
「う、うん...!全然大丈夫...!だから...そろそろ降ろして...」
「...ダメだ」
「え!?な、なんで...?」
「このままグラウンドまで運ぶ」
「ちょ、ちょっと待って!恥ずかしいからっ...」

私の制止などお構いなしに、轟くんは私を抱き抱えたままスタスタと歩き出してしまう。このまま運ばれるなんて恥ずかしすぎる。っていうか、通信機バラけさせたままで、結局まだだせてないし。
そう思っている私の思考を見抜いたかのように、あとで俺が取りに行くからいい、と言って、彼はそのまま歩き続けた。準備を終え、グラウンドに来ていたみんなにバッチリ見られて、あまりの恥ずかしさに両手で顔を覆った。

「何かあったのか」
「倉庫で結構な高さから落ちました」
「怪我したのか」
「いえ」
「......ならさっさとみょうじを降ろしてやれ、轟」

相澤先生にそう言われると、今度はすんなりと私を降ろしてくれた。あと通信機だけなので俺が取って来ます、と轟くんは倉庫にむかって走り出していく。残された私は、ニヤニヤしていたクラスのみんなから質問責めに遭い、授業前だというのに、相澤先生からは何故かお疲れ、と言われてしまったのだった。







午前の演習での出来事が、今日1日中何度も頭の中に蘇って来て、その度に顔に熱が籠るのを感じた。結局あの後はそれほど話せていないのだが、授業中も隣の席ということもあって、嫌でも轟くんの存在が視界の端に入ってしまう。彼が先生に当てられて、黒板にチョークで答案を書いている時でさえ、さっきはあの腕に...なんて考えてしまって、今日の授業は全く集中出来ず、気づけばもう放課後になってしまっていた。

「みょうじ、日誌書けたか」

呼ばれただけで跳ねる鼓動。私の頭の中を独占するその人物が、何事もなかったかのように、立ち上がって話しかけてくる。

「あ、ごめん...まだなの...私書いておくから、轟くんは先に帰っていいよ?」
「いや、俺も残る」
「え...でも...」
「どうせ何もねぇし」

そう言うと、一度立ち上がったその席に、彼はもう一度腰を下ろした。他のみんなも次第に教室から出て行って、いつの間にか教室には、時計の針の音と、私が日誌を書く音だけが響いていた。轟くんを待たせてしまうのは申し訳ないと思い、急いでペンを走らせる。でもこの時間がもっと続いて欲しいという気持ちもあって、乙女心は複雑だ。

「みょうじって字上手いよな」
「え...そうかな?」
「前に日誌書いた時、他の奴のも見たんだが」
「ふふ、見ちゃうよね。他の人のやつって」
「お前の字が一番好きだった」

その言葉に、走らせていたペンが止まる。待って待って。落ち着くのよ私。轟くんはあくまで字の話をしているのであって、決して私自身のことを好きと言った訳ではないのだから。

「あ、ありがとう...でいいのかな?」
「...いいんじゃねぇか」

彼は少し考えてからそう返事をした。その後はしばらく互いに話をせず、私は最後の1日のまとめの部分を書き始めようとしていた。ここの欄が一番書くのに困る。いわゆる総括的なものを書く欄なのだが、轟くんと日直をやって、お姫様抱っこされて、もう嬉しいやら恥ずかしいやらで、彼のことで頭がいっぱいで授業に集中出来ませんでした、なんて書くわけにはいかない。さてどうしよう...。
そんなことを考えていると、隣から視線を感じる。私に視線を送る人物は、今この教室には一人しかいない。

「な、何...?」
「みょうじって、好きな奴とかいんのか」
「えっ...!?」

予想外の質問に大きな声を出してしまった。驚く私に轟くんは顔色ひとつ変えずに、いつもの表情で私のことをじっと見ている。彼の質問の意図が分からずに、私だけが心を乱されている。

「な、何で...?」
「そういう反応するってことは、いるんだな」
「ま、まぁ...うん...そうだね...」
「どんな奴なんだ」
「どんなって...」
「俺の知ってる奴か」
「えっと...知ってるっていうか...何ていうか...」

知っているどころか、あなたですけど。心の中では平気でそう言えるのに、とてもそんなことは口に出して言えないので、更に答えに困る。どうしようかと言葉を選んでいると、轟くんは一度机に視線を落とし、少ししてから真っ直ぐに前を見た。それはまるで、何かを決意したかのような、そんな顔で。

「もし違ってたら、忘れてくれ」
「う、うん...」

「...好きな奴って、俺だったりするか」

彼がそう口にした瞬間、これ以上ないってくらい、心臓がどくん、と跳ねた。彼のその質問に否定も肯定も出来ず、ただ口を噤んで日誌に目を落とす。こんなの好きだって言っているようなもので、すごく恥ずかしくて怖いのに、それでも彼を好きだという気持ちに嘘をついて、誤魔化すようなことは出来なかった。
何も言えずに日誌を見つめ続けていると、轟くんは私の机の方へ手を伸ばし、机の上に置かれた日誌を指さした。

「え...と、どうしたの?」
「最後のとこ、俺が書いてもいいか?」
「え...うん、いいけど...」

今の会話の流れで、何故急にそうしようと思ったのか、理由はわからない。先ほどの質問の答えは聞かなくて良いのだろうか。それとも、私の気持ちには気づいたけれど、それは無かったことにされてしまったのだろうか。様々な憶測が頭を駆け巡る中、少し躊躇いつつも日誌を彼に渡すと、彼は迷うことなくペンを走らせて日誌を閉じ、それを私に返した。

「え...?」
「中、確認してくれ」
「あ、うん...」

閉じられた日誌をパラパラとめくって、今日の日付のページを開く。彼が書いたであろう、最後のまとめ部分の箇所に目をやると、その内容に私はうっかり日誌を落としそうになった。


"お前が好きだ"

1日のまとめの欄には、私の字ではない文字で、そう書かれている。これはきっと夢だ。そう思って、一度日誌を閉じてから、もう一度開く。そして同じ場所に目をやるが、書いてある言葉は同じだ。これはどうすればいいのだろう。そう思って彼の方にちらっと目をやると、彼は机に突っ伏していて表情が見えない。どうしようかと思ったが、私はもう一度ペンを手に取り、彼が書いた文字の下にゆっくりと、今までで一番丁寧に字を書いた。そして日誌を閉じて、彼の机の上にそっと置いた。

「中...見てもらえる...?」

私がそう言うと、轟くんは顔を上げ、日誌を開いた。私と同じようにパラパラとページをめくり、私が書いた文字を見つけて少しだけ目を見開いた。彼が書いてくれた文字のすぐ下にある、"私もずっと好きでした"という文字を見て。そして立ち上がって、私の方へ一歩近づいた。

「俺と、付き合ってくれるか」
「...はい」

私が一言だけそう返事をすると、彼は私の腕を引っ張り、そのまま自分の腕の中に私を閉じ込めた。さっきよりもさらに近い顔と、ぴったりとくっついた身体にドキドキして、このまま心臓が割れて、死んでしまいそうだ。

「みょうじ、好きだ。俺もずっと好きだった」

轟くんはそう言って、愛しむように私の髪を撫でる。彼の一挙一動にドキドキしながらも、昨日トリートメントしておいて良かったと、思っていたより冷静な自分に少し驚いた。
彼の背中に手を回すと、彼は少しだけ腕の力を緩めて、私の顔を見てくる。突然目の前に来た好きな人の顔に、つい顔を背けると、頬に柔らかい感触が当たる。それが彼の唇だと分かるのには、そんなに時間はかからなかった。

「い、今...の...」
「いいだろ?両想いなんだから」

そう言って彼は、今まで見たこともないほど嬉しそうに笑ってくれた。その笑顔に私もつられて笑ってしまうと、彼はもう一度顔を近づけて来る。今度は顔を背けずに、代わりに目を閉じた。すると先ほど頬に感じた柔らかい感触が唇に触れる。その間に、時計の秒針は何十回も時を刻み、ゆっくりと名残惜しむように、その感触は離れていった。目を開けるとまた彼が居て、恥ずかしいけど幸せな気持ちでいっぱいになる。

「好きだ」
「うん、私も...好きです」

互いの想いを言葉で再確認すると、今度は互いの顔が自然と近づく。再び唇が触れ合い、存在を確かめ合うようにお互いを抱きしめた。
轟くんが好き。大好き。ずっとこのままでいたいと、心の底からそう思った。まだ離れたくないと強く思いながらも、彼の唇が離れたその時、下校時刻を告げるチャイムが鳴る。彼はその音を聴いて何か思ったのか、私の身体をいとも簡単に手放した。

「え...?」
「早く出して帰ろう」
「ど、どうしたの、急に...」
「急に離れて寂しいか?」
「なっ、何言っ...!?」

戸惑う私の肩を抱き寄せて、彼は耳元でこう囁いた。




「安心しろよ。帰ったら、もう離してやらねぇから」

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(おまけ。翌朝のHRにて)
「轟、みょうじ。お前ら今日も日直な」
「「え...」」
「今日も日誌に関係ないこと書いたら、もう1日追加するからな」
「...あ」
「(言葉にならない声)」

1000Hits Anniversary企画リク第4段。
みき様からのリクエストで、ヒロアカ轟くん夢でした。
両片想いで轟くんから告白、というリクエストを頂きました!
彼はどストレートに告白して来そうなイメージありますが、本当に好きな子には少し臆病になっちゃう彼もいるのではと思って、こんなお話を書かせていただきました。
喜んでいただければ幸いです^^リクエストありがとうございました♡♡
2020.11.02

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