緑谷くんの災難な1日


緑谷出久 16歳。
僕は今、人生最大のピンチを迎えています。


「緑谷くん、どこ行くの?」

頬を染めながら僕の服の裾を掴む彼女は、僕のクラスメイトだ。普通なら喜ぶべきこの展開を、今の僕はちっとも喜べなかった。

「え、えっと...その、ちょっと外に走りに行こうかなって...」
「私も一緒に行っていい?」
「いや、その...」

普段なら、もちろんいいよ、と返事をするところだが、今回の場合はそうはいかない。もう12月だと言うのに、彼女の後ろから感じる無言の圧力に、僕の両手は汗だくになる。
一人は烈火のごとく、一人は流水のごとく、双方共にとてつもなくイライラした様子で、僕と彼女のやり取りを見ている。"見ている"と言っても、これはただの予想だ。でもわかる。見えなくとも肌で感じる、二人が発するオーラがすごいのだ。

「ダメなの...?」
「だ、ダメって言うか...その...今日は一人で集中したいって言うか...」
「私がいると、邪魔?」
「そうじゃなくて...ほら、僕とみょうじさんだと、走るペースも違うし...麗日さん達とか、女の子の付き合ってもらったらどうかな?」
「やだ。緑谷くんと一緒がいいの!」

そう言いながら頬を膨らませる彼女に、僕は頭を抱えて逃げ出した衝動に駆られる。彼女からではない。彼女の後ろにいる、幼なじみであるかっちゃんと、友達の轟君からだ。
何を血迷ったのか、僕は彼女の後ろにある、共有スペースのソファに、ちらりと視線を向けてしまった。僕の予想通り、いや、想像以上にイライラした様子で、二人はこちらを見ていた。対照的ではあるが、彼らから感じる威圧感は、まるで敵と退治している時のような、冷たく張り詰めた空気を作り出している。僕はそんな二人から、逃げるように目を逸らす。

「デクてめぇ、ぜってぇ後でぶち殺すからな」
「やめろ爆豪、緑谷は悪くねぇ」
「セリフと顔が合ってねぇんだよ、てめぇは」
「......仕方ねぇだろ、事故なら」

かっちゃんが僕に対してイライラするのはいつものことだが、"仕方ない"、と言いながらも、轟くんの足元には霜がおりていて、相当イライラを抑えていることが伺えた。

「緑谷くんは...私のこと嫌いなの...?」
「いや、そんなことは...ないけど...」
「ほんと...?」
「う、うん...」
「嬉しい...っ!緑谷くん大好き!」

彼女がそう言いながら、僕にむかって抱きついたその瞬間、彼女のすぐ後ろで何かが大きく破裂するような音と、バキッ、と割れるような音が鳴る。
その音に驚いて、再び彼らの方を見ると、先程までそこで彼らが腰かけていたソファは、もはや原型を留めていなかった。

ごめんなさい、お母さん。オールマイト。
僕の命日は今日かもしれません。







事の始まりは、インターンの帰り道での出来事だった。
エンデヴァーの事務所でのその日のインターンを終え、4人で何か食べて帰ろうということになった僕らは、お店を探して街をブラブラ歩いていた。
すると少し先の方からガラスの割れる音と、何人かの悲鳴が聴こえてきた。

『道を開けろ!』

僕らがそこへ駆けつけると、ナイフを持った20代くらいの若い男が、細い体型に不釣り合いな、大きな鞄を持って立っていた。かなりの挙動不審な上、身体付きや身のこなしから見ても、どうやら敵ではなく一般人のようだ。周囲の人たちは男の手元にあるナイフへの恐怖からか、あっという間にその場からいなくなる。

『チッ、また馬鹿が馬鹿なことしてやがるわ』

空腹でイライラしていた機嫌最悪のかっちゃんは、動揺など全くすることなく、ヒステリックを起こすその男に近づいていった。

『おいガキ!聞こえねぇのか!?道を開けろって言ってんだよ!!』
『るせぇなこのモブ!!お断りだわ!!こっちは腹減ってイラついてんだよ!!』

左手にバチバチと火花を散らせて、かっちゃんは見事なまでの自分本位な理由で、男の要求を突っぱねた。

『相変わらず、気の短い奴だな』
『あの、止めなくていいの...?』
『かっちゃんなら、たぶん大丈夫』
『みょうじ、俺の後ろ下がってろ。あいつ今イラついてるから、巻き込まれるぞ』
『あ、うん...』

轟君がみょうじさんの手を引いて、彼自身の後ろに居るように促した。すると、例の男と話をしていたはずのかっちゃんが、さらに不機嫌な顔でこちらに戻ってきた。

嫌な予感しかしない。

『おいてめぇ、半分野郎...人にあんな馬鹿の相手させて何やっとんだ』

始まった。クラス屈指の実力者二人の、おそらく日本一子供じみた争いが。

『お前イラつくと周り見えなくなんだろ。みょうじが巻き込まれたらどうすんだよ』
『ちょっと...こんな時に喧嘩は...』
『あ?あんな馬鹿ぶっ殺すのにそんな広範囲な攻撃いるかよ』
『だったら、さっさとあの馬鹿何とかして来てくれ』
『てめぇが行けや!あんな馬鹿なら、俺が出ていってやるまでもねぇわ!そんでそいつこっちに寄越せ』
『断る』

空は綺麗な夕焼け色だと言うのに、何故かこの二人の向こう側に見える空は、まるで血の色のように見えた。
あぁもう、最近はインターンの度に頭痛がするような気がする。

『何であの二人って、インターンの時はあぁなっちゃうんだろうね...普段はそこまででもないのに...』

いつの間にか僕の隣にいたみょうじさんの言葉に、僕はこめかみを押さえる。気のせいではない。僕は今、頭が痛い。
目の前でバチバチと互いを睨みつけている二人も当然厄介だが、さらに厄介なのは彼女だ。誰がどう見たって、かっちゃんと轟くんがみょうじさんに好意を抱いていることは明らかだ。にも関わらず、肝心のみょうじさん自身が、それに全く気付いていない。せめてそれに気づいて二人を諫めてくれるか、あるいはいっそのこと、どちらかと付き合ってくれれば、まだ収拾はついているかもしれない。

『大体てめぇ距離が近ぇんだよ。ベタベタしやがって』
『お前だって今日のインターンの時、ひっついてたじゃねぇか』
『あれは事故だわ!!』
『お前ら...』
『『あ?』』

もはや二人の頭の中からはすっかり消えていたであろう、ナイフを持った男が、わなわなと身体を震わせながら、僕らに話しかけてきた。

『人のこと無視してんじゃねぇよ...!!』

男はそう叫ぶと、手に持っていたナイフを勢いよくアスファルトに叩きつけた。何かしようとしている。それに気づいた僕らの、失われつつあった緊張感は一気に高まった。男がナイフを放したその手を前に突き出すと、そこから紫色のガスのようなものが勢いよく噴き出す。

『毒...!?』
『やべっ...』

僕は目を瞑り、急いで口と鼻をマスクで覆う。目を瞑っているため、他の三人の様子が見えないが、おそらく三人ともすぐに個性で対処できるはずだ。身体の感覚を研ぎ澄まして、いつきてもおかしくない攻撃に備えた。

襲ってこない...?

しかし、いくら待てども次の攻撃は来ない。一体どういうことだろうか。恐る恐る目を開けると、催涙効果などはないようで、目を開けている分には問題なさそうだ。警戒は解かずにそこでじっとしていると、次第にガスが晴れ、視界がクリアになっていく。すると僕の隣にいたみょうじさんが倒れていて、僕は血の気が引いた。

『みょうじさん...っ、大丈夫?』

僕がそう声をかけると、それを聞いたかっちゃんと轟くんも、珍しく慌てた様子で近づいて来た。

『ガス吸ったんか?』
『緑谷、みょうじは...』
『意識がないから、ひとまず、病院に...』
『...病院に連れて行っても無駄だ』

僕らがみょうじさんの様子に気を取られていると、彼女の意識を奪った張本人が、何故か疲れきった顔をしてそこに立っていた。男が放ったその言葉に、かっちゃんと轟くんがゆっくりと立ち上がり、男に近づいていく。

『...おいてめぇ、"無駄"っつーのはどういう意味だ』
『場合によっちゃ、ただじゃ済まさねぇぞ』

先ほどまでくだらない喧嘩をしていた二人は、少し離れている僕でさえ感じるほどの威圧感を放っている。正面から対峙している男は、その威圧感に抑えれたのか、彼はアスファルトに蹲み込んだ。
それと同時くらいに、僕が支えていたみょうじさんの肩が、少しだけ動いた。

『みょうじさん...?』
『...ん、みど...やく...』
『良かった...!二人とも、みょうじさん起きたよ!』

僕の言葉に勢いよく二人は振り返り、かっちゃんは男をアスファルトに文字通り"叩き落として"、僕らの方へと戻って来た。

『みょうじ、大丈夫か?』
『あんなガス吸い込んでんじゃねぇよ』
『でも、良かった...目を覚ましてくれて...』

僕らがそれぞれ彼女に話しかけると、何故かみょうじさんは僕の顔をじっと見て、頬を赤く染めた。

『...どうしたの?顔赤いよ?』
『...なんで気づかなかったんだろ』
『へ?』
『私、緑谷くんのこと、好きみたい』

その言葉に、一瞬にして空気が凍りついた。

『は...っ!?な、ななな何言ってんのみょうじさん...!!』
『緑谷くん見てると、何かドキドキするの...』
『待って待って!絶対に気のせい!何かの間違いだから...っ!!』
『そんなことないもん...っ、私緑谷くんが好きだもん』

涙目でそう言いながら、みょうじさんは僕に抱きついて来る。いつもの控えめな彼女からは想像できないその姿に、僕は言葉を失いつつも、ある可能性が頭に浮かんだ。

『...これって、もしかして...』

恐る恐るかっちゃんと轟君の方へ視線を向けると、彼らの表情はまさに" 無"だ。みょうじさんのことになるとムキになって饒舌になる二人が、一言も喋らないのが余計に怖い。少しすると、二人はいまだアスファルトに張り付いている男に、もう一度近づいた。

『てめぇの仕業だな、おいこのモブ』
『みょうじに何しやがった』
『ひっ...』

先ほどまでの威勢の良さは本当にどこへ行ったのだろうか。すっかり二人に萎縮してしまった男は、小さくひとつ悲鳴をあげた。

『どうすれば治るんだ、これ』
『に、24時間すれば、自然に治る...でもそれまでは、何をしても治らない...』
『...ざっけんなよ!!このモブが!!何してくれとんだ!!』
『緑谷、こいつ凍らせていいか?』
『ダメだから...!!抵抗してない人凍らせちゃダメ...!!』

少しすると、遠くからパトカーのサイレンが鳴り響く。僕の腰に抱きついて離れないみょうじさんを引き剥がし、怒りのあまり、今にも男に殴りかかりそうなかっちゃんと轟君を何とか諫め、警察の人に事情を説明し終えた頃には、あたりはすっかり真っ暗になっていた。







後から警察の人に聞いた話によると、あの男の個性は、いわゆる惚れ薬のようなガスを噴射するというものだった。意識を失い、目が覚めた時、最初に見た人物を好きになるという、摩訶不思議個性。しかもそのガスは女性にしか効果はないもので、ガスマスクをつけていなかったのに、僕を含めた三人が何もなかったのは、性別による違いだったようだ。

「はい、緑谷くん、あーん」
「ぼ、僕、自分で食べれるから、大丈夫だよ...!」

幸いなことに今日は土曜日で、クラスのみんなは各々に出かけたり、部屋で過ごしたりしているおかげか、お昼時だというのに、共有スペースには僕らしかいなかった。

「嫌なの...?」
「い、嫌っていうか...その...」

男としては、別に嫌という訳ではない。むしろ女の子にこんなことをしてもらえるなんて、光栄の極みだし、相手が彼女でなければ、この状況を受け入れていたかもしれない。

視線が、視線が痛い。

「は、恥ずかしいから...」
「じゃあ、1回だけ、ね?いいでしょ?させてくれなきゃ泣くから」

彼女の"あーん"を受け入れても、受け入れなくて泣かせても、どっちにしても地獄しかない。それならば、二人には申し訳ないが、まだマシな方を選びたい。

「じゃあ......い、1回だけ...なら...」
「やった!はい、あーん」
「...あ、あー...ぅわっ...!?」

僕が口を開け、彼女がスプーンを僕の口に入れようとしたその時、後ろから勢いよく首を掴まれて引っ張られる。すると次の瞬間、彼女の持っていたスプーンは、何故かかっちゃんの口の中にあった。

「え...」
「...ゴチソウサマ」

かっちゃんはそう言うと、何故か僕に勝ち誇ったような顔をして、自分の席に戻った。みょうじさんはとても驚いたのか、その場で固まっている。

「な、何で爆豪くんが食べちゃうの...っ」
「あ?食いたかったから」
「緑谷くんに食べて欲しかったのに...」
「...そいつはカツ丼しか食わねぇんだよ」
「え、そうなの...?確かに学食でも、カツ丼しか食べないイメージだけど...」

かっちゃんにチラッと視線を送ると、"話を合わせろ、じゃないと殺す"と顔に書かれているのがハッキリと見える。彼女を傷つけず、自分の株も下げない手法が、彼らしいと言うか、何と言うか。

「そ、そうなんだ...!だからその...嫌とかじゃなくて、苦手だっただけなんだ...」
「そうだったんだ...ごめんね。爆豪くん、教えてくれてありがとうね!」

みょうじさんがかっちゃんにむかって笑顔でそう言うと、かっちゃんは舌打ちをしてから、自分のご飯をまた食べ始めた。

「ねぇ緑谷くん、午後って暇?」
「え...?」
「一緒にどこか...行かない...?」
「えっと...午後は...」
「何かご用事あるの?」
「いや、用事は...無いけど...」
「チッ、この杓子定規がよ...」

上手い言い訳を思いつかない僕に、むかい側に座るかっちゃんが盛大な舌打ちをした。"適当に用事あるっつっとけや、クソナード"という声が聞こえるのは、きっと気のせいじゃない。

「じゃあ、一緒に映画行かない?先週公開されたやつ!」
「あぁ...あのサスペンスのやつ...?」
「俺も行く」

先ほどまでの"あーん騒動"を、イライラしながらも、ただ黙って見ていた轟君が、ようやく口を開いた。二人っきりでデートなんか行かせない、という、確固たる意思が感じられる。

「じゃ、じゃあみんなで行こっか」
「みんなでなの...?」
「...あ、ほらっ!ポップコーンとか!みんなで行けば大きいの買ってシェアとか出来るし!た、楽しいかなって...」
「二人でも、シェアは出来るよ?というか...カツ丼以外食べないんじゃ...」
「え、あ、あの...っ、それは...」
「緑谷は、実はカツ丼の他にポップコーンも大好物なんだ」
「え、そうなの...?」
「あぁ。最近好きになったんだよな?」

"話を合わせてくれ、頼む"と顔に書かれているのがハッキリと見える。今日の僕はエスパーだ。

「う、うん...そう!かっちゃんにはまだ言ってなかったかも...あはは...」
「みんなで行けばたくさん買えるし、そしたら緑谷が嬉しいだろ?」
「そっか...それなら...みんなで行こっか!」

いや、どんな奴なんだよ。僕は。一体君らの脳内構造はどうなっているんだ。







「はぁ〜...面白かった!」
「伏線全部回収されてねぇじゃねぇかよ」
「お前、結構細かいな」
「かっちゃんはホントそういう所しっかり見てるなぁ...」

案の定、轟君だけでなく、しれっとかっちゃんもついてきて、結局4人で映画を観に行った。

「あ、僕ゴミ捨ててくるよ。ちょっと離れたところにあるみたいだから、先に入り口で待ってて」
「おう、頼む」

階段をワンフロア分登ったところに、大きなゴミ箱が置かれている。僕は大量のポップコーンのカップをまとめて、ゴミ箱へと入れた。轟君が勝手につけた"ポップコーン好き"の設定を守り抜き、僕は今まで食べたことが無いほどの、大量のポップコーンを食べた。

しばらくは、見るのも嫌になりそうだな、ポップコーン...。

そんなことを考えていると、急に視界が暗くなった。誰かに目を抑えられている。

「だーれだっ」
「...びっくりした...みょうじさんか...」
「ふふ、正解!」
「あれ、かっちゃんと、轟君は?」
「えへへ、撒いてきちゃった」
「な...っ」

よくあの二人を撒けたな...いや、感心している場合じゃない。これは状況的にまずい。

僕は自分のスマホを見た。時刻は17時12分。あの男の個性の効果が消えるまでは、おそらくあと15分ほどはかかる。この個性の厄介なところは、本人の性格は一切考慮されないことだ。いつも控え目で、一歩下がったところにいるような彼女が、個性事故のせいで今日は別人のように積極的なのだ。今周囲にほとんど人がいない中、二人きりになるのは、正直かなりまずい。そう僕の勘が告げていた。

「やっと二人きりになれた!」

そう言うと、彼女は僕の腕に自分の腕を絡ませて来る。腕に女性特有の柔らかい感触を感じて、さすがに顔が熱くなる。

「みょうじさん、あの...離れて...」
「だーめ!それに、ほとんど人いないし...」
「そういう問題じゃ...」
「緑谷くん...私のこと、嫌い?」
「き、嫌いじゃない...けど...」
「じゃあ、キスしよ?」
「は...っ!?」
「ね、いいでしょ?しよ...?」

彼女の顔が少しずつ僕に近づいてくる。どうしよう。突き飛ばしたりしたら危ないし、唇を手で押さえつけることも躊躇われる。

「ま、待って...ちょっと...」

仕方ない。申し訳ないけど、ここは何とか唇を押さえつけて回避するしかない。

そう思い、彼女に手を伸ばすと、瞬時に視界がぐらついた。そしてそのすぐ後で、後頭部に激痛が走る。その場にしゃがみ混み、後ろを振り返ると、息を切らしたかっちゃんがそこに立っていた。

「てめぇ...クソデク...何してんだおい...」
「...かっちゃん、もう少し加減してよ...」
「るせぇ!!今触ろうとしやがっただろ!!」
「僕はただ離れようと思っただけだよ!!」
「はぁ...何とか回避出来たな...」

同じく息を切らす轟君の声が聞こえて、後ろにむけた視線を正しい位置に戻すと、呆然とするみょうじさんの肩を轟君が支えていた。

「だから、距離近ぇんだよ!!」
「仕方ねぇだろ、緊急事態だ」
「......爆豪くんと、轟くんは...私の事嫌いなの...?」
「「は?」」
「だって...っ、全部邪魔するんだもん...っ」

個性事故による設定上、僕のことが好きということになっている彼女は、ついに二人の妨害工作(僕的にはありがたい)に泣き出してしまった。
二人は少しだけ焦った様子を見せたあと、轟君は彼女の肩を更に自分のほうに寄せ、かっちゃんは俯く彼女の顎を右手でくい、と持ち上げた。

「......んなわけあるか。逆だ、逆」
「え...?」
「みょうじ、泣かせたことは謝る。でもお前のこと好きだから、緑谷とベタベタしてんの見るの嫌だったんだ」
「え...えぇ...っ!?」

ふたりの突然の告白に、顔を真っ赤にさせながら声を上げる彼女。

「そ、そんな事言われても...だって、私...」
「じゃあみょうじ、仮に俺と爆豪なら、どっちがいい?」
「いや...そんなこと、急に言われても...」
「思った通りに言ってくれればいい。どっちともダメなら...また頑張る」
「頑張んな、さっさと諦めろや」
「嫌だ」

真剣な眼差しで自分を見つめる二人の視線に、さすがのみょうじさんも、タジタジになっている。すっかり置いてけぼりな僕は、そんな三人のやり取りを黙って見つめながら、かっちゃんに殴られた後頭部を押えた。

「真っ赤になってんの、可愛い」
「...まぁ、悪かねぇな」

そう言いながら、二人は左右それぞれの彼女の頬に、それぞれの手で触れる。

「ちょ、っと...あの...」
「で、どうなんだよ」
「俺と爆豪、どっちがいいんだ?」
「......わ、私は...」

二人に詰め寄られた彼女が、少しの間をおいて口を開いたその瞬間だった。

「あ...れ...何か...急に、目眩が...」
「みょうじ、大丈夫か?」
「...24時間経ったみてぇだな」

ふらつく彼女の轟君が支える。僕は先程と同様に、スマホを取り出して時間を確認した。時刻は17時41分。かっちゃんの言う通り、あれからちょうど24時間経ったくらいだ。おそらく彼女の目眩は、個性の効果が切れる合図だろう。

「轟、そいつ一旦ソファに寝かせろ」
「このまま俺が抱いてたらダメか」
「死ねや。ダメに決まってんだろ」

轟君はそれ以上は何も言わずに、近くにあったソファにみょうじさんを優しく置いた。ふらついていた時はうっすらと開いていた瞳は、いつのまにか閉じられている。

「これで、元に戻るかな...」
「だといいけどな」
「戻んなかったら、てめぇには死んでもらう」
「やめて、ホント...冗談に聞こえないから...」

そんなやり取りを少しすると、横たわっていた彼女の首が動いた。

「ん...あれ...ここ...」
「気ぃついたか」
「轟君...に、爆豪くん、緑谷くんも...」
「ったく、面倒掛けさせやがって」
「あの...私...なんでこんな所に...?」

起き上がった彼女は、周りをキョロキョロ見回しながら、困惑した顔で僕らを見た。

「みょうじ、意識がなくなる前に何があったか覚えてるか?」
「えっと...確か...強盗がいて、その人が手からブワッて、何かを...」
「...どうやら個性が解けると、その間の記憶も無くなるみてぇだな」
「そうみたいだね...」

僕らは顔を見合わせて、三人同時に深いため息をついた。相変わらず混乱している様子の彼女に、僕は事情話すか話さないか、それを考えてまた頭が痛くなった。







「ホントに...ごめんなさい...っ!!」

彼女は心底申し訳ない、という様子で深々と頭を下げた。

「いや、みょうじさんが謝ることじゃないから...良かったよ、元に戻って」

結局のところ、本人には知る権利があるということで、僕は彼女に事情を説明した。話を聞く内に、彼女は顔を赤くしたり青くしたりと、すごくせわしなく表情を変えていた。

「爆豪くんと轟くんも、ごめんね。迷惑かけて...」
「アホらし」
「どうせなら、さっきの返事だけでも聞いてから解けて欲しかったもんだな...」
「えっと...さっきの返事って?」
「「何でもねぇよ」」

思わず声を合わせてそういう二人に、彼女はくすくすと笑いだした。

「ふふ、いつも喧嘩してるのに、今日はなんか仲良しだね?」
「冗談じゃねぇ。誰がこんなに舐めプと仲良くなんかするか」
「仲は良いだろ。好きな女も一緒だしな」
「え...そうなの?じゃあライバルだね!男のアレだなぁ〜」

すっかり元に戻ったみょうじさんの言葉に、かっちゃんと轟君は再び深いため息をついた。

「あ...でも、ひとつ残念なことがあるの」
「あ?」
「どうしたんだ?」
「映画の内容も覚えてないの...せっかく観たいやつだったのになぁ...」

しょんぼりする彼女を見て、二人は顔を見合わせてから、もう一度彼女を見た。

「もう1回観るか?まだあんだろ、たぶん」
「18時半の回があんな」
「いや、いいよいいよ!そんな...散々迷惑かけたんだし...」
「じゃあ、迷惑料としてもう1回一緒に観てくれ。正直お前が心配だったし、あんま内容頭に入ってねぇんだ」
「え...」
「そういうこった。さっさと行くぞ」

そう言って、かっちゃんはみょうじさんの右手を握る。そんなかっちゃんを見て、轟君はムッとした顔をして、負けじと反対側の手を握る。

「じゃあ、こっちは俺な」
「う、うん...?」

彼女を見ている時の目は、二人とも本当に愛おしそうだ。ホントに、めちゃくちゃ分かりやすいのに、なんでみょうじさんは全く気づかないんだろう。

「...じゃあ、僕は帰るね。三人で楽しんで」
「え?緑谷くんも行こうよ」
「いや、その...僕は...」
「「ダメだ」」

事故とは言え、今日一日、みょうじさんの心を奪っていた僕に、むき出しの敵意で二人はそう言い放つ。他意はなくとも、彼女が僕を誘うことすら、もはや今の二人は相当お気に召さないのだろう。

「ありがとう。でも僕はもう充分楽しんだから、大丈夫だよ」

色んな意味で、お腹もいっぱいだし。そう言いかけた言葉を、僕は勢いよく飲み込んだ。

「そう...?じゃあまた学校でね。ホントにごめんね...迷惑かけて...」
「大丈夫だよ。楽しんできてね」
「クソデクなんぞほっとけ」
「意外と時間ねぇから急ぐぞ。じゃあな、緑谷」
「うん、行ってらっしゃい」

三人の姿が見えなくなると、僕は先程まで彼女が眠っていたソファに腰を下ろした。ようやく緊張感から解き放たれ、一気に疲労が身体にじんわりと広がっていく。

「はぁ...疲れた...」

かっちゃんと轟君。とんでもなく厄介な二人と、そしてそんな二人を無意識に振り回すみょうじさん。そんな彼らの物語の結末は一体どんなものになるのだろう。かっちゃんか、轟君か、どちらが選ばれるのか、それとも、彼女の運命の人は別にいるのか。それは誰にもまだ分からない。
ただ一つだけ確かなことは、僕は決してその物語の登場人物にはなれないし、出来れば二度となりたくない、ということだけだった。

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10000HIT記念リク第2段、爆豪くんvs.轟くん夢です。
菜月様リクエストで、個性事故にあったヒロインに、二人がばたばたするお話、でした!
ツートップと女の子の様子を、ツッコミ満載の緑谷君視点で書いてみたのですが、いかがでしたでしょうか...?
個性事故は初めて書いたのですが、書くのがすごく楽しかったです♡
菜月様、素敵なリクエストをありがとうございました!喜んでくだされば嬉しいです!

2020.12.17

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