曖昧センチメートル


目の前にいる人物との距離を目算してみる。何度試してみても、まるで見えない壁があるかのように、これ以上は前に進めない。いや、正確に言うと、前に何かがあるというよりは、後ろから強力なゴムで引っ張られているような感じだ。

「やっぱ、まだ戻らねぇな」

さて、ここから一体どうするか。ちらっと隣にいる人物を盗み見ると、不安なのか、困惑しているのか、それとも両方なのか、何とも言えない表情のみょうじと目が合った。

「ど、どうしよう、轟くん...!」
「まぁ、一緒にいるしかねぇよな」
「や、やっぱり...そうなりますよね...」

みょうじは頬を染めて遠慮がちにそう言った。いつも一緒にいるのだから、そんなに照れるようなことでもないと思うのだが。そう思いながら、俺は手の中にあるペットボトルの蓋を開けた。







遡ること2時間ほど前のこと。
戦闘用の強化アイテムをサポート科に依頼していた俺たちは、今日がその試作品の納期だと聞かされていたため、放課後にサポート科の研究室に立ち寄った。

『これが轟くんで、これがみょうじさんのだね。ちょっと試してもらってもいいかな?』
『わぁ...すごい!ありがとうございます!』
『じゃあ、使ってみるか』

試作品は双方とても良い仕上がりで、俺たちは二人とも、このままの設計で完成品を納品してもらうことにした。

『ありがとうございました。また完成品の納品日に来ます』
『あ、ねぇ二人とも、もし良かったら、もう一つ試作品を試してみてもらえないかな?』

礼を言い、そのまま寮へと戻ろうとした俺たちだったが、良いものを作ってくれた恩もあるし、特に断る理由もないので、俺たちは快諾した。
それがまさか、こんな状況を生み出すことになるとは、全く予想していなかったからだ。

『これをぜひ試してみて欲しいんだ!』

もう一つの試作品というのは、サポート科の3年生が共同開発したものらしく、個性そのものを一時的に強化するドーピング剤のようなものらしい。見た目からはそんな効果があるとは思えない、淡い桃色の液体の入った小瓶を手渡され、俺たちはそれを疑うことなく飲んだ。

『なんか、変わった味だね...』
『だな』

その直後、背後にあった扉が開き、別のサポート科の女子生徒が入ってきた。女子生徒は俺たちの手の中にある小瓶を見ると、わかりやすいほどに焦った表情で、俺たちに近づいてきた。

『あなた達...もしかして、そこにあったやつ、飲んだの...!?』
『え...?あ、はい...』
『ちょっとあんた、勝手に何やってんのよ!!』
『え...ドーピングの効果を試してもらおうかなって...』
『今2人が飲んだのは別の薬よ!?』
『え!?』

女子生徒がそう言うと、俺たちに薬を飲ませた本人は、顔を真っ青にして慌てふためいた。

『色が同じで間違えやすいから、ドーピング剤は奥の棚に閉まっとこうってなったじゃない!』
『...あっ!』

そんなサポート科の生徒のやり取りに、みょうじはとても不安そうな顔をした。

『え...あの、これ...飲んだらどうなっちゃうんですか...?まさか、毒とか...』
『あぁ、大丈夫。そういうものじゃないわ。害のあるものじゃないから...。失礼だけど...あなた達って確か、付き合ってるのよね?』
『は、はい...』
『なら、不幸中の幸いってところか...』
『俺たちが飲んだやつって、何なんですか?』
『あなた達、お互いに背中を向け合って歩いてみなさい』

何が何だかよくわからないが、俺たちは顔を見合った後、言われるままにお互いに背を向けて歩き出すと、すぐにある違和感に襲われた。確かに一歩踏み出しているはずなのに、何かに引っ張られ、それ以上は前に進めなかった。

『これがこの薬の効果よ』
『一定距離以上、離れられなくなるってことですか』
『そう。これは個性因子を抽出したエキスみたいなもので、一時的に飲んだ人に抽出した個性を付加させるっていう効果があるの。その小瓶に入ってたのは、いくつか抽出したもののひとつで、人の体を磁石みたいにくっつけられる個性を抽出したものなの』
『抽出した個性は、あくまで本体の劣化版に過ぎないから、ぴったりくっつくことはなかったけど、一定距離以上は離れられなくなってしまったみたいだね...』

サポート科の二人は、冷静に現状を見ながら、薬の効果の分析結果を俺たちに告げた。俺自身は、まぁみょうじとなら別にいいか、という程度の意識だったが、みょうじは尚も不安そうにして、俺のブレザーの裾を掴んだ。

『これって...いつまで...』
『こればっかりは個人差があるから、何とも。マウスの実験データを見る限り、早くて2,3時間、最長で半日くらいかかった子もいたわね...』
『だいぶ差がありますね...』
『本当にごめん!!うっかりしてて、君たちに間違った薬を...』
『まぁ、毒でないならしばらく様子をみます』
『そうね、それがいいと思うわ。本当にごめんなさいね...』
『今度お詫びさせてくれ』

必死に頭を下げながら謝る二人に、俺たちは何も言うことができず、そのまま寮へと戻った。







「何でそんな顔してんだ」

依然として頬を赤く染め上げているみょうじに、俺はその疑問をぶつけた。

「だ、だって...その、これしか離れられないってことは...」
「なんだ」
「いや、その...」
「不安に思うことがあんなら、何でも言ってくれ」

みょうじは目を泳がせながら、とても気まずそうな顔をしてみせる。うーん、と唸りながらその辺りをウロウロする。しばらくそんな状態が続き、痺れを切らした俺が彼女を急かすと、みょうじは相変わらずの表情だったが、観念したように口を開いた。

「.....お風呂とか、寝る時とか...どうなるのかなって...思いまして...」

彼女の言葉に、飲みかけのペットボトルがするりと手から抜け落ちる。コン、という間の抜けた音を立てて落ちたペットボトルの水は、あっという間にフローリングに広がった。

「轟くん...っ、床、床...っ」
「お、おう...悪ぃ...」

みょうじは、"何か吹くもの..."と言いながら、足元に置かれた鞄をガサゴソとし始めた。俺はゆっくりとフローリングに広がっていく水を眺めながら、彼女が顔を赤くしていたその理由を明確に理解した。思わず口元を左手で覆って、その場にしゃがみ込む。

どうもこうもあるかよ、そんなもん。

みょうじと付き合い出したのは、3ヶ月ほど前のことだ。偶然日直が一緒になった日の放課後、俺が"付き合ってくれないか"と尋ねると、みょうじは顔を真っ赤にさせながら、小さく"はい"、とだけ返事をした。
人のことを言えた義理ではないが、みょうじも今まで誰かと付き合ったことはないらしい。お互いが初めての恋人なこともあり、俺たちはまだキスをたった一度しただけだった。
特に不満はなかった。みょうじの反応を見て、俺が初めての男なんだな、とその都度実感しては、独占欲が満たされるのを感じた。俺も一人の男であることには変わりなく、それなりにそういう欲求は持ち合わせているが、みょうじの様子を見る限り、その段階が来るまでは、おそらくそれなりの時間を要するだろうと思っていたし、俺自身もそれでいいと思っていた。それなのに。

「轟くん、これ...」

情けなくしゃがみ込む俺に対しては特に言及することなく、みょうじはタオルを差し出した。俺の方へ屈んだ際に、彼女の髪からふわっと甘い香りがして、心臓が大きく跳ね上がった。今までも、同じことは何度もあったはずなのに、意識し始めてしまうともうどうしようもなく、誰か俺を殴ってくれと、生まれて初めてそう思った。

「あぁ、ありがとな」

文字通り無心で、フローリングに広がってしまった水を拭き取る。消えろ煩悩。俺はそういうことがしたくて、こいつに付き合ってくれと言ったわけじゃないんだ。いや、したいことはしたいんだが。でも大事にしたいんだ。それは本当だ。

「あ、あの...轟くん」
「...どうした」

遠慮がちに俺の名前を呼ぶみょうじに、俺は必死に平静を装いながら返事をする。

「さっきの話に戻るけど...これからどうしよっか...」
「...まぁ、こうなっちまったら、どっちかの部屋で過ごすしかねぇだろ」
「う、うん...そう、だね」
「お前が選んでくれ」
「え...」
「俺の部屋か、お前の部屋か。好きな方でいい」
「えぇ...っ!?わ、私が選ぶの...!?」

目を見開きながら、真っ赤な顔でそう言うみょうじに、頼むからそんな顔しないでくれと、喉元まで出かかった言葉を飲み込む。いや、確かに俺が決めるべきだったのかもしれないが、今の俺は"そういうこと"をする想定してしまうのだ。どっちを選んだとしても、邪な感情があることは明白だ。卑怯だと言われてもいい。俺はみょうじに嫌われたくないのだ。

「じゃ、じゃあ...轟くんの部屋で...」
「わかった」

何をわかったのかわかっていないのかが、俺にもよくわかっていないが、ひとまず着替えをとりに行きたいというみょうじと一緒に、女子部屋に続くエレベーターに乗る。部屋に行くのは別に初めてでもないくせに、初めて部屋にむかったあの時と同じか、それ以上の緊張感があった。







「お、お邪魔します...!」
「いや、何度も来てんだろ」
「まぁ、そうなんだけど...」

部屋について荷物を置き、ひとまず互いに座る。みょうじは落ち着かない様子で視線を泳がせて、ほんの一瞬、俺と目が合うと、顔を真っ赤にして俯いた。

「考えたんだが」
「は、はい...」
「今日はこのまま寝ちまうのがいいんじゃねぇかと思う」
「え...」
「嫌か?」
「あ、えっと...そうじゃないけど...」
「なんだ」
「今日、普通に演習あったし、結構汗もかいたから、できればお風呂には入りたいかなぁって...」

いやいやいや、待て待て待て。

こいつはこの状況がわかっているのだろうか。およそ40センチ程度しか離れられないというこの状態で、風呂になんか入ろうものなら、何が起こるのか。誰に聞いても結果は見えている。いや、本音を言ってしまうなら、好きな女と風呂に入ること自体は、やぶさかではないどころか、願ったり叶ったりなのだが。

「さすがにそれは、まずくねぇか」
「...そ、そうだよね!うん!ごめん、やっぱ今の...忘れて...」

本音とは裏腹な、あくまで紳士的な言葉を返す。そんな俺に対し、彼女は少し涙目になりながら、慌ててそう言う。男の俺は一日くらい風呂に入らなくても、特に大した問題ではないのだが、女はやはり違うのだろうか。いや、それ以前に、本人は無自覚だろうが、せっかくみょうじの方からそんな提案をくれたのだから、これは乗ってみてもいいのではないだろうか。

「...まぁ、確かに俺も、できれば入りてぇ」
「う、うん...?」
「タオル使えば...まぁ、何とか見えないように出来んじゃねぇか」

自分の煩悩を正当化し、あくまで"みょうじの希望を叶えるため"、という体を保ち、俺はそう提案した。断って欲しい、いや、断って欲しくない。二律背反の気持ちが俺の中でぐるぐると駆け回っている。

「じゃ、じゃあ...それで、お願いしたい、です...」
「...わかった。じゃあ、消灯時間過ぎてから行くか」
「うん...」



寮の消灯時間が過ぎて一時間ほど経った頃、すっかり静まりかえった共有エリアにむかった。正直それまでの間、部屋で何を話していたのかはもうほとんど覚えていなかった。誰にも見つからないよう、足音をなるべく立てずに大浴場へと足を踏み入れた。俺が女子の方に入るのはさすがにまずいので、申し訳ないがみょうじに男子の方へ来てもらうことにした。
俺の方がおそらく準備をするのは早いので、みょうじに目を閉じていてもらって、その間に素早く服を脱ぎ、外れないようにかなりきつめに腰にタオルを巻いた。

「もういいぞ」
「う、うん...」

みょうじは恐る恐る、ゆっくりと目を開けた。

「...あんま、見ないでくれ」
「あ、ご、ごめん...!いい身体だなぁって...」
「いい、身体...?」
「え、いや!変な意味ではなく...!」
「変な意味って、何だ」
「もう、いいから!轟くんはあっちむいて目を瞑ってて下さい...!」

みょうじに背を向けて、自ら視覚を閉ざす。しばらくすると、布が擦れる音や、パサ、っと服が落ちる音が耳に届いてくる。見えなくなったことで、逆に研ぎ澄まされた聴覚が、嫌になるくらい過剰に音を拾い上げる。今すぐそこで、俺の好きな女が服を脱いでいる。まだ見たことのない彼女の姿を想像して、こいつを大事にしたいという彼氏としての理性と、やっぱり見たいという男としての本能が、俺の中で鬩ぎ合う。何を見たという訳でもないのに、既に色々と限界が来ている。

「えっと...もう、大丈夫です」
「じゃあ、お前俺の後ろ歩け。そしたら俺からは見えねぇから」
「う、うん...」

目を開けて、なるべく視界に入れないようにして、彼女の前を歩く。浴室につづくガラス戸に手をかけると、ガラス越しに彼女の結い上げられた髪や白く細い肩が見えて、顔が馬鹿みたいに熱くなる。

ちゃんと食ってんのかこいつ。

自分の彼女の食生活が少し心配になりながらも、確実に大きくなっていく欲を抑え込み、その扉の向こうへ足を踏み入れる。
はじめに身体を洗う時は、お互い背を向けて、目を瞑りながら、何とか事なきを得た。再び身体にタオルを巻きつけて、二人で入るには広すぎる風呂に、今現在可能な最大の距離を取って浸かる。ここに至るまでの間、男としての欲求に何度か抗えず、見えない彼女の身体を想像してしまい、俺は今とてつもない罪悪感に駆られていた。

「轟くん」
「どうした?」
「あの...ありがとね。わがまま聞いてくれて」
「いや、いい。さっきも言ったが、俺も本当は入りたかったし」
「そっか...」
「...そろそろ出るか?あんまり長居して見つかったらシャレになんねぇぞ」
「そうだね、思ったより、ちゃんと入れたし...」
「じゃあさっきと同じで、俺が先に上がるから、お前は後ろからついてきてくれ」
「うん」

そう言って、俺の方が先に風呂から上がる。外気に触れても少しも涼しくないのは、きっと風呂のせいではなく、俺自身の内側の熱のせいだ。俺が段差を上がると同時くらいに、すぐ後ろで湯が跳ねる音がする。あぁ、本当はものすごく見たい。好きな女の、他の男が知らないその姿を。
ついに露骨にそんなことを考え始めてしまった、その時だった。

「ぅわっ...」

背後から聞こえるその声に、思わず反射的に振り返った。こういう時は、本当にスローモーションのように時がゆっくり流れているような錯覚に陥るから不思議だ。バランスを崩し、浴槽に落ちる寸前の彼女の腕を掴む。
よかった、何とか彼女は風呂に落ちずに済みそうだ。そう心の中で安心し切って油断していたせいか、そのすぐ後で俺自身もバランスを失っていることに気づく。そして直後、大きな水飛沫とともに、俺とみょうじの身体は水中へと落ちた。

「みょうじ、大丈夫か」
「う、うん...大丈夫...」

ひとまず相手が怪我などしてはいないことを確認して、互いに胸を撫で下ろす。そしてふと我に返るその瞬間がやってきた。本来あるべきものがそこには無く、互いにいつの間にか、生まれたままの姿になっていたのだ。

「や...」
「わ、悪ぃ...っ!」

勢いよくみょうじに背を向けて、俺の気も知らずにクラゲのように漂う白いタオルを二枚、素早く回収する。彼女に背を向けたまま、大きい方を差し出すと、彼女は蚊の鳴くような小さな声で、ありがとう、と言ってそれを受け取った。







部屋に戻ると、もう既に深夜一時を回っていた。今日は演習もあって、それなりに体力を消耗しているはずなのに、ちっとも眠くならないのは、間違いなくさっきの出来事が原因だった。
見た。もうそれはがっつりと。濡れた髪。ほんのりと赤く染まっている頬。浮かぶ鎖骨と、女特有の膨らみ。ほんの数秒足らずだったのに、俺の脳内に刻み込まれるのには十分な時間で、あれからずっと、心臓はやかましく鳴りっぱなしだ。

「布団はお前が使え」

俺は畳に置かれた布団を広げて、シーツを少しだけ整えた。

「え...轟くんはどうするの?」
「俺は畳で寝るからいい」
「で、でも...もう結構寒いのに...」
「いいから。お前が使え」

あと何かもう一つイレギュラーが起こってしまったら、もう後戻りできそうもないギリギリのところで、なんとか踏みとどまっている。今の俺はそんな感じだ。こんな状態でこいつと一晩、同じ布団でなんか過ごしてしまえば、もうこの気持ちを抑えられる自信はない。

「もう遅いし、今日はもう寝ろ」

そうだ。寝てしまえばいいのだ。時間をかければ、どうしようもなく膨らんだこの感情も、きっと少しはおさまってくれるはずだ。

「轟くん」

か細い声で俺の名前を呼ぶみょうじの声に、違和感を感じて彼女の方を見ると、みょうじは何故かとても不安そうな顔をしていた。

「みょうじ、どうした?」
「...私のこと、好き?」
「え...」
「本当に好き?」

質問の意味がわからない。俺とこいつは付き合っていて、それはお互い好きだからに決まっているのに。

「なんでそんなこと思ったんだ」
「だ、だって...轟くん、全然...」

みょうじは俺に何かを言いかけたが、気まずそうに俯いて黙ってしまう。

「どうした?」
「言ったら、引かれるかも...って、思って...」
「大丈夫だ。なんでも言ってくれ」

そう言う俺に、相変わらず不安そうな顔をしながらも、彼女は小さく口を開く。

「...触ってきたりとか、しない...から、私、彼女として魅力ないのかな...って、思って...」

彼女の言葉に、俺は一度だけ深呼吸をした。
そして不安そうな顔で俺の方を見ていたみょうじの腕を掴み、気づいた時には自分の布団に押し倒していた。彼女覆い被さるようにして、そのまま噛み付くように、唇を奪った。酸素を求め、薄く開いたその唇に無理やり舌をねじ込んで、本能のままに口内を犯した。
起きてしまったのだ。"もう一つのイレギュラー"が。

「ん...っ、ふ...っ...は...ぁ...」

ようやく唇が離れると、みょうじは苦しそうに肩で息をしていた。

「と...」
「ふざけんなよ」
「え...?」
「今も、さっきも、俺がどんだけ抑えてんのか、お前わかってねぇだろ」
「...と、どろきく...」
「ずっと好きだったんだぞ、俺は」

始めは本当に些細な、小さな願いだった。隣にいられたら、一緒の時間を過ごせたら、それで充分だと。でもそんなのは綺麗事だった。すぐに足りなくなった。欲しくなった。
彼女の視線を、心を、自分だけのものにしたくなった。そして今、頭から足の爪先まで、こいつの全てが欲しいと、全身が彼女を求めている。

「ごめんなさい...疑うようなこと、言っちゃって...」
「わかってくれればいい」
「うん...」
「...続き、していいか」
「え...!?」
「まぁ、今更もうやめねぇけどな。どうせ離れらんねぇんだし」
「え、あの...ちょっと、待っ...」
「待たねぇ」

俺の肩を押し、わずかな抵抗を見せるその両腕を押さえつけて、また口付ける。みょうじの細い指に、自分自身の指を絡めると、彼女も俺の手をきゅ、っと握った。それを確認して唇を離すと、とろん、とした目と視線が合う。

あぁ、こういう顔するんだな。こいつ。

「轟、くん」
「ん?」
「...優しく、して...下さい」

顔を真っ赤にしながらそう言うみょうじに、今までにないくらいの高揚感が湧き上がる。ずっと好きだった奴と、俺は一線を越えようとしているのだ。

「優しく、する。大事にする」

彼女の額にキスを一つ落とすと、みょうじは安心したように眉を下げて微笑み、俺の首にぎこちなく腕を回した。それを合図にして、俺の身体はみょうじの方へと沈んでいく。あの不思議な薬の制約も、今の俺たちには無意味なものだ。
今はもう、40センチどころか、たった1ミリでさえ、俺はこいつと離れたくない。

「好きだぞ、なまえ」

初めて名前を口にすると、彼女は少し驚いてから、照れ臭そうに俺の名を呼んだ。


−−−−−−−−−−

10000HIT記念リクエスト第3段、轟くん夢でした。
ボタン猫様からのリクエストで、個性事故でラッキースケベ、というお題をいただきました!
最終的にただのスケベになってしまったような気もしますが...汗
ボタン猫様、リクエストありがとうございました!
喜んでいただければ幸いです♡

2020.12.26

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