Let’s have a break


「何をやってんだ、てめぇはよ」

呆れたように私を見下ろす爆豪に、パンチのひとつでも入れてやりたくなったが、あいにく今はそんな元気もない。

「ちょっと...もう少し気遣いのある言葉はかけられないわけ...」
「生憎と、俺はそういう類のモンは専門外だわ」
「あぁ、そう...そうよね...あんたにそんなこと出来るわけないわよね...」
「今すぐここから追い出すぞてめぇ」
「そこまで人でなしなら、ヒーロー辞めた方がいいわよ...」
「体調管理も出来ねぇ奴に言われたかねぇんだよ。マジで可愛くねぇわ」
「......その方がいいです」
「あ?」
「いや、こっちの話...」

今まで出会った人の中で、最も相性の悪い奴と言っても過言ではないこの男と、ひょんなことから期限付きの同棲生活を送ることになって、今日で二日目。早くもピンチが訪れている。
ピピ、と電子音が鳴り、服の中に潜めた小さな機械を取り出すと、そこには39.2℃の文字。頭は重いし、喉は痛いし、全身がだるい。完全に風邪をこじらせた。
こんな状態で彼と舌戦を繰り広げられている自分は、ひょっとしたらすごい人間なのではないか、そんな錯覚さえ抱いてしまうほど、今日の私は体調が悪い。

「つーか、馬鹿は風邪ひかねぇんじゃなかったのか」
「...あんた本当にムカつくわね」
元はと言えば、あんたのせいじゃない。

そんなことは口が裂けても言えないので、このムカつく男を、心の中で12回くらい"バカ"と罵ってやった。

何の間違いだったのか、犬猿の仲である爆豪勝己の家にお世話になることになり、さらに何の間違いだったのか、スーパーに食材を一緒に買い出しに行った。そしてさらなる間違いがもうひとつ。買い出しに行った帰り際の、あの出来事だ。
口を開けば、互いへの罵詈雑言が飛び交うような間柄の私たち。互いに顔も見たくないほどの相手だし、爆豪が私を女として認識しているとはとても思えない。だからこそ、貞操的な意味でも安全な環境だという想定のもと、ここへやって来た。それなのに。

どっちがバカなのよ。私のことを、かわいいとか。バカじゃないの。バカバカバーカ。

彼が口にしたとんでもない台詞のあと、スーパーから彼のマンションまでの道のりを、どうやって帰ってきたのかは朧げだ。家を貸してもらうのだから、一応そのお礼として、キッチンで得意料理のシチューを作ったことは記憶にあるが、その味はどうだったか思い出せない。
その後、気分をスッキリさせようとお風呂に入ったものの、それでも妙にそわそわして、私は髪も乾かさず、ソファに座ったり、立ち上がったり、はたまたベランダに出て風に当たってみたりした。おそらくこれが失敗だった。
ひとまず眠ることはできたものの、朝起き上がる時に感じた身体の重さに、すぐに体調が悪いことに気づいた。ふらふらする身体を引きずりながら、朝食を用意するためにキッチンにむかう途中、寝室から出てきた爆豪と目が合った。目敏い彼は少しだけ私の顔を観察すると、今私が置かれている現状をすぐに見抜いてしまったのだ。

今すぐにふかふかのベッドで休みたい気持ちは山々だが、生憎今日は出勤日だ。抜けが出れば迷惑がかかるし、代理を立てている時間もない。重たい身体を再び引きずるようにして、鞄の中に入ったメイクポーチを取り出すと、後ろからたいそう機嫌の悪そうな男の声がした。

「おいてめぇ、何しとんだ」
「何って...支度」
「何の」
「何のって...仕事に行く支度よ」
「やっぱてめぇは本物の馬鹿だな」

爆豪はそう言うと、私が手に持っていたメイクポーチを奪い取る。

「ちょ、何...?」
「...いいか。絶対に漁ったりすんじゃねぇぞ」
「だから、何を...」

質問に答えることなく、爆豪は私の手首を掴んで歩き出し、今まで足を踏み入れたことのない、彼の寝室のドアを開けた。

「ちょっと...爆豪...」

戸惑いを隠せずに彼を呼ぶと、彼はそのまま勢いよく私を突き飛ばして、自分のベッドの上に沈めた。

「痛...っ、ちょっと...何なのよ...!」
「寝てろ」
「は?」
「んな状態で事務所に来られても迷惑だ。寝てろ」
「で、でも...今日普通に色々仕事入ってて...代わりの人も探してないし...」
「ごちゃごちゃうるせぇな!!いいから寝てろ!!」
「そんな大声出さないで...頭に響くわ...」
「いいか。今日一日この家から一歩でも出てみろ」
「...出たら、どうなるのよ」

私をベッドに突き飛ばしてから、寝室の入り口に仁王立ちしていた爆豪が、無言で私の方へと近づいてきた。

「ば...」

私が彼の名前を呼ぶよりも早く、爆豪がそのまま私の両肩を掴むと同時に、視界がガラリと変わった。背中にあたる柔らかいマットの質感に、彼に押し倒されているという自分の状況をようやく理解した。

「今日一日、この家から一歩でも出たら、てめぇぶち犯すからな」

彼は顔色ひとつ変えることなく、私を見下ろしながらそう言い放った。その言葉の意味を理解するまでのタイムラグがおよそ7秒。熱で上昇した体温が、顔面に集中していくのを感じた。

「......はぁ!?」
「うるせぇな...至近距離で叫ぶんじゃねぇよ」

私の叫び声に耳を押さえながら、爆豪はスッと私から離れた。

「叫ぶわ!!何言っちゃってんのあんた!!馬鹿じゃないの!?」
「俺に犯されたくねぇなら、黙って寝てろ」
「いや、おかしいでしょ!そんな条件!」
「さっきも言ったが、漁ったりするんじゃねぇぞ」
「人の話聞きなさいよ!」
「うるせぇっつってんだろ。大体な、てめぇは俺の家にご厄介になってる身なんだろうが」
「...そうですけど」
「だったら家主に口ごたえしてんじゃねぇよ、この家無しがよ」
「う...」

それを言われてしまうと、もはや何も言い返せない。なんて無茶苦茶なことを言ってくる奴なんだ。それにさっきの条件は何だ。そういうことは、彼女とか、好きな人とするものじゃないのか。200%冗談でそう言っているのだろうけど、軽々しくそんなことを言ってくるあたり、やっぱりこの男はいけすかない。

「いつまでそうしてんだ。さっさと寝ろ」
「...わかったわよ」

渋々そう返事をすると、爆豪はようやく納得したのか、何も言わずに寝室から出て行った。あいつの言葉通りに行動するのはしゃくだが、言い合いをして余計な体力を使い、どっと疲れが溢れてきた。
熱で朦朧とする意識の中、普段彼が使っているであろう布団で自分の身体を覆った。異性のベッドで寝るなんて、家族以外では初めてかもしれない。
ベッドに横になりながら、初めて足を踏み入れた彼の寝室を改めて見渡す。リビングと同じく、必要最低限のものしか置いていない部屋だ。ベッドと、パソコンが置いてあるデスクがひとつと、クローゼット。これといって趣向を目的としたものはなく、黒を基調とした男の人っぽい部屋だな、と率直に感じた。

まさか二日目にして、この部屋に入ることになろうとは...。

そんなことを考えていると、ほのかにシーツから甘い匂いがする。あの男は大嫌いだけど、この匂いは嫌いじゃないかも。熱に浮かされた思考は、いつもなら絶対にあり得ないようなことをさせてしまう。まだ少し冷たいシーツに頬をすり寄せて、そっと瞼を閉じて浮かんできたものは、大嫌いな同期の顔だった。







熱い。苦しい。

一体どのくらい眠っていたのかは分からないが、窓の外が明るいということは、おそらくまだ昼間なのだろう。

喉、渇いたなぁ。

そういえば今日はまだ何も食べていない。せめて水くらい飲まなければ、脱水症状になってしまう。しかし、そう思って起き上がろうとしても、全身を襲う熱さと倦怠感のせいで、思い通りに身体が動かない。これはなかなかしんどい。
ベッドから何とか出て、壁を伝って寝室を出ると、リビングの空気は少しひんやりとしていて、ぞわっと寒気が身体を駆け巡った。そのまま壁伝いにキッチンにむかい、冷蔵庫にあったミネラルフォーターを適当なコップに水を注いだ。それを一気に飲んだあと、何か食べようかと思ったがやめた。本当は何か食べたほうがいいのだろうけど、身体がだるくて今は食欲より睡眠欲の方が圧倒的に優っていたからだ。

「寝よう...」

寝室に戻るために足を踏み出し、数歩歩くと突然、視界がぐらぐらと揺れる。気持ち悪い。立っているのに耐えられず、そのままそこにうずくまると、少し離れた場所から、ガチャ、という音が聞こえた。

「な、に...やってんだ...っ」

こんな時間に家にいるはずのない人物の声が聞こえて、思わず顔を上げると、珍しく焦った様子の爆豪が居た。

「水、飲んで...そしたら、気持ち悪くなって...」
「もういい。喋んな」

爆豪はピシャリとそう言い放つと、私をいとも簡単に抱き抱える。いつもなら絶対にお断りな状況だが、熱で思い通りに動かない身体は抵抗力を持てない。彼は何も言わずに、そのまま寝室に私を連れていき、私をそっとベッドに下ろした。今朝私をここに突き飛ばした人間とは思えないほどに、優しく。

「朝より熱ぃな」

額に触れる手のひらから、シーツと同じ甘い香りがする。

「吐き気はすぐ落ち着く。落ちついたら、とりあえず何でもいいから口に入れろ。そんで薬飲め」
「ば、くご...」
「...んだよ」

何でここにいるの?仕事は?事務所の人にはちゃんと伝えてくれた?
この男に、聞きたいことは山のようにある。だけどそれ以上に今、私はこの男にどうしても言わなければいけないことがあると思った。

「...ありがと」
「うるせぇ死ね」

今それを言うのは、結構洒落にならないと思うんだけど。

呼吸をするように物騒なことを呟く彼は、相変わらず本当に口の悪い奴だ。それなのに、なぜか今、このタイミングで私は気づいてしまった。
言動こそ非常に乱暴だが、爆豪は熱を出した私に寝ろと言い、自分の寝室を貸してくれた。意味不明な条件付きではあるが、外に出ないように言ったのも、きっとそう言わなければ、私が仕事に行くだろうとわかっていたからだろう。私は気づいてしまった。朝の彼の言動が全て、私を休ませるためのものだったことに。

「ねぇ...」
「うるせぇっつってんだろ」
「ばくごーって、私のこと好きなの?」

何も考えず、気づけばそんなことを口走っていた。朦朧とした意識の中、自分が何を口走ったのかも気づかず、珍しく驚いた様子で私を見る爆豪の顔を、私は黙って見ていた。
そして彼は無言のまま、私の顔にゆっくり自分の顔を近づけてくる。

「ば...」

彼の名前を呼ぼうと口を開くと、ゴン、と言う音が耳に届いたと同時に、激しい痛みが私の額を襲った。彼は自分の頭を思い切り私の額にぶつけてきたのだ。

「っ...!!」
「バカか!!寝言は寝て死ね!!」

突然の激痛に声も出せずに悶える私を、爆豪は思い切り怒鳴りつけた。

「いっ...たいじゃない!!このバカ!!」

あまりの痛みに涙を流しながら、彼の顔面に枕を投げつけた。高熱を出して倒れかけた人間に、頭突きをしてくるなんて信じられない。実は意外といい奴だったのかも、なんて思った私は確かに馬鹿だ。大馬鹿だ。
彼の顔面にヒットした枕は、情けない音を立てて床に落ちる。爆豪を見ると、青筋を立て、今にもキレそうですと言わんばかりの表情で、私を見下ろしていた。

「てめぇ...」
「な、何よ...めっちゃ痛かったんだから、それくらいで怒らないでよ...」

自分でも珍しく控えめな反論を爆豪にぶつけると、彼は深いため息をひとつ吐いた。

「......吐き気は」
「え...あ、もう平気みたい...」
「じゃあ後はてめぇで何とかしろ」

ほらよ、と言いながら、爆豪は私にむかって乱暴にビニール袋のようなものを投げつけた。

「ちょっと...痛いんだけど...」
「黙れや。俺はもう戻るからな」

爆豪はそう言うと、私に背中をむけ、そのまま寝室のドアの方へ歩き出そうとした。

「え、仕事抜けてきたの!?」
「黙れ死ね」
「...心配、してくれたの?」
「してねぇわ。俺の家で死体が出来上がってたら、俺のネームバリューに傷がつくんだよ。そんだけだ」
「そ、そう...なんだ...」
「理解できたなら、さっさと寝ろや」

今度こそ足を踏み出して、彼はこちらを振り向くことなく寝室を出る。少しすると、もう一度ガチャ、という音がして、彼がマンションを出て行ったことがわかった。まだ少し痛む額を押さえながら、投げつけられたビニール袋の中身を見ると、中にはペットボトルの常温水にゼリー飲料、薬など、風邪の時に使えるものが沢山入っていた。

「ほんと、何なの...ムカつく...」

わざわざ仕事を抜け出して、こんなものを買って戻ってきて。一体どういうつもりなのだ。いくら頭の中で考えていても、彼の真意は全く読めず、ビニール袋からやけくそ気味にゼリー飲料をひとつ取り出して、キャップを外して口に含んだ。

「美味しい...」

あっという間にゼリーを飲み終え、薬を飲んで再びベッドに沈んだ。シーツからは相変わらず甘い香りが漂ってくるが、額に当てられたあの大きな手と比べると、それは微かなものだった。
大嫌いな相手。面倒な相手。粗暴で品がなくて、他人のことなんてそこらへんの石ころみたいにしか思ってない奴だと、そう思っていたのに。今日まで知ろうともしなかった彼の意外な一面を見せられて、それを思い出して、心がざわつく。
それを振り払うようにして一度起き上がると、ほんの少しだけまだ額が痛い。そしてまた思い出す。触れそうなほどに近くにあった、無愛想なあの顔を。

何で私が、あいつのことを考えなきゃいけないのよ。

きっとこれは熱のせいだ。そう自分に言い聞かせながら、もう一度ベットに沈み込んだ。都合のいいタイミングで襲い来る睡魔に、私は考えることを放棄して、逃げるようにその身を預けた。


−−−−−−−−−−

2021.01.07

BACKTOP