Crunch time


女の子は、女の子らしく。

あの人がそう口にする度に、まるで烙印をひとつ押されるようだった。女の子らしくなれない私は、失敗作のダメな子なんだと。

女の子は、女の子らしく。
それは母の口癖で、私にとっての呪いの言葉だった。







「で、いつまでてめぇはそうやってダンマリ決め込んでんだ」

本来であれば、報告のために一度事務所に戻らなければいけないのだが、私を抱えていた爆豪に、とにかくこの場から私を遠ざけて欲しいと頼むと、いつもなら人の言うことなど聞かないこの男が、私の様子がおかしいことを察したのか、何も言わずに私の言う通りにしてくれた。
ホテルを出てタクシーを拾い、尾行されていないことを確認しながら、迂回ルートを利用して、私たちは爆豪のマンションにひとまず戻った。

「...ごめん。報告行かないといけなかったのに」

私がそう返事をすると、彼はイライラした様子で盛大な舌打ちをしてみせた。

「見当違いなこと言ってんな。俺が聞いてんのは」
「巻き込んだことは謝るわ。ごめん」
「…ちっ、そんなん今さらだわ。てめぇをここに置いてやってる時点でな」
「まぁ...それもそうね。ごめん」
「馬鹿の一つ覚えみたいに謝ってんじゃねぇぞ」

いつもならその失礼極まりない発言に、同様の悪態をついているところだが、とてもそんな気分ではなかった。

「...あれがてめぇの母親か」

私が何も言い返さないでいると、爆豪はわざとらしくため息を漏らし、リビングのソファに腰を落としながらそう尋ねた。

「似てるでしょ」
「知るかよ。てめぇが血相変えてここから離れろっつーから、一瞬しか見てねぇわ」
「見た目は似てるのよ。全く相入れなかったけど」
「聞いてねぇわ」
「...女の子は、女の子らしくしてなきゃダメなんですって」
「あ?」
「あの人の口癖。まぁ見ての通り、私はそんなタイプじゃないから、あの人は私のことが気に入らなかったのよ。何をやるにもあれはダメ、これはダメって、私のやることは全部否定されて」

着る服も、通う学校も、友達でさえ、自由に選ばせてはくれなかった。
何かにつけて、女らしくあることを強要されて、彼女の価値観に当てはまらないものは、全て不要と切り捨てられた。
決められた服、決められた学校、決められた友達。
高校に入学するまでの15年間は、母の思い通りにされるがままの、まるで着せ替え人形のような人生だった。

「てめぇがやたらとメディアに出たがらねぇのは、そういうことかよ」

爆豪はたったあれだけの情報で、私の状況を正しく理解したらしく、納得したようにそう呟いた。

「ホントにムカつくくらい察しがいいわね、あんた。でも御明察。ヒーローやってるなんてバレたら、連れ戻されちゃうもの。あの人は私がこっちで公務員をやってると思ってたのよ、今日まではね」
「高校はどうやって通ってたんだよ。てめぇヒーロー科出てんだろ」
「お手伝いさん達と結託して、普通科に通ってることにしてたの。全寮制だから滅多に家には帰らないし、それで3年間隠し通したわ。郵便物は本人の手元に届く前にお手伝いさんが全部チェックするから、都合の悪いものは、その時に捨ててもらってね」
「金がねぇっつってたのは」
「正確に言うと、使え"ない"って意味よ。単純に、何かあった時に使えるようにっていう保険」
「馬鹿のくせに意外と狡猾だなてめぇ」
「工夫と言って欲しいわね。それに割とあんたもそのクチでしょ。お互い様よ」
「はっ、そのキャラで実は筋金入りのお嬢様でしたってか。笑えねぇ冗談だな」
「冗談だったら良かったわよ。私だって」

堂々と胸を張って、ヒーローとして生きられる人生が良かった。
そしてそれを、自分の事のように喜んでくれる、そんな家族が欲しかった。







最初から諦めていたわけじゃなかった。
自分のことをわかってもらおうと、頑張ってみようと思っていた時期が、私にもあった。

『ねぇ聞いて!私ね、今日も短距離のタイム、クラスで一番だったの!』
『それは素晴らしいですね、お嬢様』
『男の子よりも速かったのよ』
『まぁ…!それはすごいです!』

住み込みで働いてくれていたお手伝いさんたちは、みんな私に優しかった。
母は決して認めてくれなかった私の長所を、私の悔しさを埋めるかのように、いつもそうして大袈裟に褒めてくれた。

『将来はオリンピックに出れるかもしれませんな』
『今からサインを頂いておかないとですね!』
『あはは、さすがにそれは大袈裟すぎるよ〜』

しかしそんな和やかな空気は、頭上から聞こえてくる声に、一瞬にして壊された。

『いつまでそこで無駄話をしているつもりなの』

少し離れた階段の上から私たちを冷たく見下ろす母は、私に一瞥もくれることなく、こうしていつもお決まりの台詞を吐いてみせた。

『も、申し訳ありません』
『働く気がない人間を置いておく気はありません。そんな人は辞めてもらって結構よ』
『ちょっと、お母さ…』

私が母に反論しようとすると、我が家で一番古株の執事が、私の前にスっと立ち塞がり、声を出さずに口を動かした。

"大丈夫です、お嬢様"

『大変失礼致しました、奥様。直ちに、ご夕食の準備に取り掛かります』

執事がそう言うと、他のお手伝いさんたちは私に軽く頭を下げると、そそくさとその場を後にした。
最後に執事が深々と頭を下げてその場を去ると、母は階段を降りながら、わざとらしいため息を私に浴びせた。

『あなたはこれからピアノのレッスンでしょう。早く部屋に行きなさい』
『ねぇ、普通にみんなと話をするのもダメなの?』
『話題が相応しくないわ』
『ただ、体育の授業の話をしてただけじゃない』
『一体どうしてそんな科目が必修なのかしらね。顔に傷でもついたらどうするの。女の子なのに』

女の子なのに。女の子なんだから。
気が狂いそうになるほどに何度も聞いたその言葉に、感情が爆発しそうになるのをギリギリこらえて、私は冷静に語りかけた。

『ねぇ、お母さん。私は可愛い服より動きやすい服の方がいいし、お淑やかにしてるより、体を動かす方がずっと好きだし、私にはそっちの方が合ってると思う』
『またその話なの?』
『お母さんは、女の子らしく生きることが私の幸せだと思ってるのかもしれないけど、私はそうは思えない』
『まだ子供だからそう思うだけよ。いずれ分かるわ。だからあなたは私の言う通りにしていればいいの』
『私は私の人生を生きたいの!用意された幸福とかじゃなくて、苦労したり、傷ついたりしても、自分がどうやって生きていくかは、ちゃんと自分で決めたいの!』
『大きな声を出すんじゃありません。女の子がみっともない。それに、何も知らない子供が、親に偉そうな口をきくんじゃないの』

そう吐き捨てると、母は私に踵を返して、降りてきた階段を再びゆっくりと登っていく。

『ちょっとまだ話…っ』
『ピアノのレッスンよ。早く部屋に行きなさい』

言いたいことを全部言いきれたことは、たぶん今まで一度もない。

自分の示した生き方こそが、幸福だと思っている母。
自分らしい生き方を、自分で選びたい私。

私の言葉は母には届かず、同じことの繰り返し。
いつかはきっと届くはずだと、心に抱いていたほんの微かな希望は、幾度となく打ち砕かれ、何度もそれを繰り返すうちに、やがてそれは塵のように見えなくなっていった。







『メディア露出ゼロっていうのは、なかなか難しいよ。事前に放映や出版がわかってるものはこっちに校正があがってくるけど、中継カメラはどうにも出来ないからね』

"立地と知名度で選んだ"と、周りにはそう告げていたが、実は私が今の事務所を選んだ最も大きな理由は、別のところにあった。

『まぁ、できる限りやってみよう。要はプロヒーローのハイドランジアが、君だと分からなければいい訳だから、装備で何とか上手いこと誤魔化そう』
『本当に…すみません…』
『いや、僕は君の出自を知った上で、君を採用してるからね。ある程度予想はしてたけど…お母さん、更に随分と拗らせてるみたいだね』

詳しいことは聞いていないが、事務所の所長と私の母は、若い頃に面識があったらしい。
所長はいずれ詳しく話すよ、と言い、それ以上話すことはなかったものの、私の事情を鑑みた上での指名だったため、迷わず今の事務所を選ぶことになった。

『ところでさ、なんで君はヒーローになりたいと思ったの?』
『え…?』
『いや、気を悪くしないでね。客観的に見れば、裕福な家庭で、何不自由ない暮らしができる未来が待ってるのに、敢えて苦労する道を選んだ理由は、何でだったのかなって』

所長は穏やかに笑いながら、私にそう尋ねた。

『中学の時に、車に轢かれそうになった小さい子を助けたことがあって』
『おぉ、それは素晴らしいね』
『咄嗟に道路に飛び出して、轢かれる寸前でその子を助けて…まぁその後、当然擦り傷とか痣とか沢山できちゃいましたけど』
『お母さんは怒っただろうね』
『…引っぱたかれました』
『やっぱり』

苦笑いを浮かべながら、所長は私に続きを話すように目で促した。

『でも私は、すごくそれが誇らしくて、嬉しかった』
『立派なことだよ。とても』
『私、本当に運動神経だけが取り柄だったんですけど、母はそれを長所としては認めてくれませんでした』

女にとって、そんなものは必要ない。それが彼女の哲学だ。

『でも、自分の身体であの子を助けた時、ずっと否定されてきたけど、ありのままの私でも、誰かの力になれるんだって思いました』

可愛くなくても、お淑やかじゃなくても、確かにその時の私は、そこに存在している意味があった。

『その後、助けたお子さんの親御さんが病院にその子と一緒に来てくれて、そこで気持ちが固まりました。これだって、思ってしまって』
『なるほどね』
『すみません、単純な動機なんですけど』
『心を動かすきっかけなんて、案外単純なもんだよ。テレビで観たヒーローがかっこよかったから、ヒーローになりました、とかね』
『ふふ、確かに。私の周りもそういう人います』
『でしょ?たしか君の同期の爆豪くんも、そうじゃなかったかな』

その名前が所長の口から飛び出した瞬間、腹の奥底からむかむかと嫌なものが溢れ出てきた。

『……あいつの話はしないで下さい』
『僕としては、仲良くして欲しいなぁ。たった二人の同期なんだから』
『所長命令でも、それは難しいと思います。相性最悪なんで、私達』
『そうなの?』
『所長だって、既にご覧になってるじゃないですか』
『僕は結構、お似合いだと思うけどね』
『絶対に無いです。死んでも御免被りたいです』
『はは、まぁいずれ雪解ける時が来るよ、きっと』
『永遠に来ないと思います』

きっぱりと否定する私に、所長は困ったような笑顔を見せると、俯きがちに再び口を開いた。

『お母さんともね』
『それは……もっと、難しいと思います』

私の言葉も、想いも、一番近くにいたあの頃でさえ、あの人に届くことは、一度たりとも無かったのだ。
もしかしたら。いつかきっと。
ひたすらその希望を打ち砕かれ続けた私には、そんな未来はとても思い描けなかった。

『不器用だね。君も、お母さんも』

何気なくそう口にした所長は、なぜか少し悲しげで、どことなく儚げなその横顔は、今も朧気ではあるが、確かに私の記憶にこびり付いている。







「...てめぇもアレだが、母親も大分キてんな」
「アレって何よ。失礼ね。まぁでも、そうね。自分でも、よくここまで拗れてたもんだと思うわ」
「どうやったらそんな歪んだ教育方針になんだよ」
「知らないわ。物心ついた時からずっとそうだったんだもの」
「つーかよ、結局てめぇの母親と所長の話しか出てこなかったが、親父は何してんだよ」
「いないの」
「あ?」
「私が1歳くらいの時に、事故で亡くなったって聞いてる。父について知ってるのはそれだけよ。あの人も、他のお手伝いさん達も、父については何も教えてくれなかったから...多分、訳ありな人だったんだと思う」
「...そーかよ」

一言そう呟くと、爆豪はなぜか黙りこんだ。
それは父のことを尋ねた後ろめたさがあるからではなく、何か思うところがあったのか、お馴染みの仏頂面で思考を巡らせているようだった。

「で。どうすんだよ、これから」

一通り考えがまとまったのか、爆豪はついに核心をついた。

「さぁ...どうしようかしらね。少なくとも、あの警備の仕事に関わっていたのがウチの事務所だってバレるのは、時間の問題だと思うけど...事務所や住民票に登録してある住所は、今リフォーム中で誰も居ないから、ある意味タイミングは良かったかもしれないわね...」
「ふざけんな。こっちは大迷惑しとるわ」
「それについては、謝るわ。ごめん。でも心配しなくても、一両日中に出ていくわよ。さすがにこれ以上巻き込むのは申し訳ないし、それくらいの良識はあるわ」

断じて心配しているわけではないし、不本意ながらこうなったにせよ、私をここに置いている時点で、彼にも何かしらの影響はあるかもしれない。
ただでさえここに来てから、この男には借りしか作っていないのだ。これ以上の借りを作るなど、まっぴら御免である。

「行くとこは」
「ない、けど...まぁ、しばらくネカフェを転々とするとか...」
「アホか。都市部はそこら辺にカメラがあんだぞ。辿られたら終いだろうが」
「...いっそ海外に逃げちゃうとか?」
「てめぇはやっぱり本物の馬鹿だな」
「さっきから、バカとかアホとか...罵倒したいだけなら他をあたってくれる?普通に話してるけど、これでも結構焦ってるのよ、私」

爆豪もそうだが、所長のことが気がかりだ。
母が本当に所長と面識があるのなら、私の素性を知った上で所長が私を採用したことには、おそらくすぐに気づくだろう。
私を連れ戻すことはマストとしても、その他の面で、あの人がこの状況でどう動くのか、正直皆目見当がつかない。

「てめぇの荷物は、てめぇでまとめろ」
「最初から頼むつもりなんてないわよ」
「まとめたらさっさとズラかるぞ」
「は?」

ちょっと待って。今こいつなんて言った?
ズラ"かるぞ"って。その言い方だと、まるで一緒に逃げようって言ってるみたいに聞こえるんだけど。

「は、じゃねぇわ。早くしろ」
「ちょ、ちょっと待ってよ!今の感じだと、あんた一緒に逃げるってこと?」
「...一旦はな」

私の問いかけに、爆豪は含みを持たせてそう答えた。

「一旦はって...どういうこと...?」
「黙ってさっさと荷物まとめろ。一日分の服だけ持って、後は必要最低限のモンだけにしろよ」
「ちょっと、私の質問は無視なの!?」
「だー!!うるっせぇな!!」

彼の真意がまるで汲み取れず、戸惑う私を怒鳴りつけると、爆豪は私の顎を片手でぐっと掴んだ。

「いいか!?俺はてめぇの母親に顔見られてる上、てめぇをあの場から連れ去ってる時点で、もうどうやったって渦中の人間なんだよ!!」
「わかってるわよ!だからこれ以上巻き込まないように、一人で出てくって言ってるんじゃない!」
「はっ、寝言は寝て死ねや!!くだらねぇ親子喧嘩に散々俺を巻き込んどいて、今さらいい子ぶってんじゃねぇぞ!!そもそもてめぇがババアに隠れてコソコソしてなきゃ、こんなことになってねぇんだろうが!!」

爆豪の言葉に、何も言い返すことができなかった。
確かにこの状況を作り出しているのは、他の誰でもない私自身だ。母と向き合うことを諦めて、逃げ続けた結果が、今この現状を作っている。

でも、それでも。

「これしか方法がなかったんだから...、仕方ないじゃない...っ!」

私だって、本当はこんなふうになりたくなかった。
胸を張って、堂々とヒーローになりたかった。
女の子らしくなくたって、私らしくいることを認めて欲しかった。

「ちゃんと...私を見て欲しかった...っ」

悔しい。
家を出てから今まで、一度だって、こんな風に人前で泣いたことなんてなかったのに。
こんな奴の前でなんか、絶対泣きたくなかったのに。

「...言う相手が違ぇだろ。馬鹿野郎が」

刹那。
それを呟いた人物を睨みつけようと顔を上げると、すぐ目の前に揺れる赤い瞳が見えた。
いつもなら火花を散らすその両腕が、壊れ物を扱うように優しい力で、その場に崩れ落ちていた私の身体を包み込んだ。
爆豪の言葉と行動に、感情がぐちゃぐちゃに掻き回されて、その場でそのまま動けずにいると、彼はすっとその腕を解き、その場に再び立ち上がった。

「支度しろ」

まるで何事もなかったかのように、爆豪は淡々とそう言った。

「どこに...行くの?」
「いいから黙ってついて来い」
「...本当に大丈夫なの?」
「あぁ。まぁてめぇ次第だが、場合によっては、今日明日中に事は片付く」

爆豪はそれ以上何も言わず、私もそれ以上聞かなかった。
未だ整理のつかない頭と心をどうにか落ち着かせ、私は言われた通りの荷物を鞄に詰めて、彼と二人で部屋を出た。


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2021.04.14

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