甘美な夜はまだ早い
目の前で裸の男が、ホテルの床にうつ伏せで眠っている。その瞬間、言い様のない恐怖に襲われた。その男はただ眠っているのではなく、真っ赤な水溜まりをつくり眠っていたから。
それを見る覚悟が出来ていないまま、わたしはゆっくりと男に近づいた。自分の腕が、まるでそうすることを決められていたように、男を仰向けに。
息をのんだ。その男の胸には、なにか鋭いものでひと突きされたような跡があったから。見てはいけないと、今すぐ逃げろと頭の奥で叫ぶのに、震える身体は、どうしたって動こうとしていない。
この男はなんだ、裏側の人間だったのか。こいつを殺した奴はどこにいる。
そこでふと、不思議なことに気がついた。この男、ただ、殺されただけだと。財布も、携帯も、所持品でさえも荒らされてはいない。殺すことだけを、目的と、していたのか。
逃げろと言う感情が、やっと身体全体に伝わると、鼓動がさらに強くなる。…いや、分かってしまった。気付いてしまった。自分のすぐ後ろに、人の気配がある。
なんてタイミングだろう。愛用の麻酔針は鞄の中、その鞄はこの男の向こう、ベッドのサイドテーブル…あれ?
ど う し て わ た し の 鞄 が 荒 ら さ れ て い る の ?
「…夢野ミオ」
背中に汗が滲んだ。夢野、というのは今まで誰にも名乗ったことのない私の、本当の苗字。
「随分探したぜぇ…。ここまでオレをコケにした女はてめぇが初めてだぁ゙」
濁点のつくような話し方には、聞き覚えがあった。
「食い損ねた獲物を、喰いに来ただけだ」
まだ残る首のアザを撫でるように、後ろから掌で首を包まれる。
わたしは死ぬ、わたしは殺される。わたしは…っ!
腕につけたブレスレットの存在が、キラリと月明かりに反射して主張した。妙な形をした金のブレスレット。いざと言うときの針が一本、隠されている。
留め具を押して針を出した。首をつかむ腕を解放しろと掴むように、刺せば…っ
「同じ手は食らわねぇぞぉ!!」
手に刺した筈だった。それなのに、針は皮膚を食い破ることはない。
「っ!?」
「そっちに生身の手はねぇ、残念だったなぁ゙」
お風呂上がりの私が身に付けていた、下着とバスタオル。彼は暴れる私を気にも止めない様子でベッドに投げ捨てる。
「先ずはこの前のを頂こうじゃねぇか」
「前って、そんなの、騙された貴方が悪っ」
胸を鷲掴み、これでもかと力を加えられる。痛みで目に涙が溢れた。
「何“シて”欲しい?」
この前の私のように、首筋にキスを落としながら耳元で囁いた。さっきまで大きな声で喚いていた男とは思えないほど、小さな声。
「殺すには惜しい」
胸を揉みながら、天井へ向いてきた先をゆっくりと口に含む。
「んっ」
先程までの強い力と違って、途端に優しくなった愛撫に思わず息が洩れる。感じてはダメだと、そういい聞かせたところで、この男の前ではそんな覚悟も弾けとんだ。
「お、お金は…返し…ま、す…からっ!」
押し返す肩も頭もびくともしない、むしろ片手で一纏めにして腕を頭の横で拘束されてしまう。
「喘いどけばてめぇもイかせてやる」
剥ぎ取ったバスタオルで腕を覆い、何かで縫い止められる。それが血のついた剣だと理解する頃には、女の厭らしい部分が後戻りできないくらいになっていたときだ。
「…っは、てっきりヤりまくってんじゃねーかと思えば、」
日本の指が、くちゅりと音をならしてソコを広げた。
「まだまだ男を知らねぇな」
思わず顔を背ける。どうして、この男。こんな、屈辱…っ
「んんっ」
指が一本、ぐるりと中の壁にそって厭らしく動き回る。
「欲しがってんじゃねぇよ」
当てがわれたものは指ではなかった。快感と異物感の狭間で何度も、何度も突かれては果てるように叫んだ。この男の前では、成す術もなく、わたしは女にされた。
目が覚めると、首筋や肩がじんわりと汗で濡れていた。目覚めがよくない。酒でも呑みすぎたかと頭に浮かび飛び上がった。
「大丈夫、毒じゃないから」
首筋には針で刺されたような跡。はだけた服に、左胸に残るキスマーク。散らばる財布に、メッセージの書いた紙。まさか、一般人にオレは
PPPPP…
「…何だぁ」
“やっと出たわ〜!んもぉ、今どこにいるのよ!日本での仕事が早く終わったみたいだから撤収するってボスが”
「残る」
“え?”
「先に帰れっつってんだぁ!!」
“えぇ?ちょっと、何かあっ─”
途中で切った電話。しかし、カメラが起動していることに気が付いてフォルダを開いた。
「…あんのクソアマぁ゙!!」
ご丁寧に写真まで撮りやがって。つまり、女のカメラにもデータがあるという暗示か。財布の金はご丁寧に抜き取られている。カードは残っているが、金なんざもはやいくらでもくれてやる。
ホテルを出てまずは金を下ろした。それから、ホテルにもどり、ババアに金をつかませて監視カメラを見れば、ただの女ではないことがわかる。
カメラに顔が写らないようにオレの腕をつかみ歩いている。酔っているとおもえば、ただカメラから避けているだけの…。
「旦那もやられましたか」
「情報は無ぇのか」
「無い、ですねぇ。というか、だれも探そうとしないですよ」
「あぁ?」
「バックに、怖い人がね」
女のバックについているのが日本のマフィアだろうが知ったことではない。生憎、銃刀法違反だとかコソコソしているような連中に自分が劣るとも思わない。それに、ボンゴレの名の下でいる人間として、そこら辺の奴らを恐れることも無い。
「旦那ぁ、いくら旦那でも見つけられませんぜ」
「まるで見つけてほしくねぇみたいだなぁ゙」
いつも日本に来たときに利用していた情報屋でさえ口をつぐんだ。あの女は、何者なんだ。拉致があかねぇなら、使いたくないが同僚に金を積めばやってはもらえる。が、詮索されるとしたら厄介だ。
このオレが、一般人に、金を盗まれたなどバレれば。
「共通点としたら、バーで男をひっかけてホテルでサヨナラってパターンが同じってことくらいですねぇ」
「そこまで分かってんなら、巣を変えられる前に捕まえるだけだ」
こういうパターンには特徴がある。フラりと現れてある程度の期間で移る。ならば、ここ数週間連泊している女、歳は20代、容姿は分かる。足がつきにくいグレードのあるホテル。
「旦那ぁ、そいつの装飾品にも気を付けた方がいい。裸でも女は怖いって話さ」
女は怖い、確かにそうだとあの女に頷く。
だから、それさえも塗り替える。