呪い、あるいは愛について 

「夏油、良かったの?」

 唇を尖らせて「せっかくあんな小細工までしたくせにさあ」と、面白くなさげに尋ねる真人。
 繋ぎ合わせた縫い目の這う顔面は人間から生まれたという呪いらしい人間らしさが浮かぶに、呪いとて学習するものだなとしみじみ思いながら、夏油は続きの言葉を待った。
「虎杖悠里は結局高専が取ったよ。欲しかったんじゃないの?」
「いや、当然欲しいさ」
「ふーん、そんなに?」
「……そもそも、真人が計画通りに動いてくれてれば手中にあったかもしれないんだけどね」
「それはごめんね! でも順平がいたんだよ? 仕方なくない? ちゃんと殺してあげなくちゃあ可哀想じゃん」
「そう言うと思ったよ……」
 あれは諦めるにはあまりに惜しかった。
 なにせ両面宿儺の器足る虎杖悠仁の血縁者だ。
 虎杖悠里とて同じく器足る素質を秘めている可能性がある。
 いくら呪霊が強力なものであろうと、入れ込んだ器が脆ければすぐに使い物にならなくなってしまう。両面宿儺の指を取り込んだが最後、猛毒に侵し殺されてしまった過去の人間たちのように。
 耐久性のある器は虎杖悠仁のスペアとして、もしくは別の特級を冠した呪霊の受肉先として、どちらをとっても魅力が有り余る。
 しかも自分たちの企みにおいて必要不可欠な要素である虎杖悠仁の、明確な弱点であることも今回の襲撃で明らかになった。虎杖悠仁は虎杖悠里を見捨てられない。であるならば、盾に取り、脅しの道具とし、こちら側の要求を何としてでも飲ませてやる。
 礼拝堂の一件は布石だった。
 宮城に暮らす虎杖悠里に手を伸ばしても良かったが、そちらは五条悟の息がかかっていた。高専に勘付かれたくはない。時折足のつかないような呪いを送りつつ監視し、機が熟すのを待っていた。その待機中に飛び込んできた「虎杖悠里の東京訪問」という絶好の機会を逃す選択はなかった。
 友人の結婚式の前日、会場の地を一足先に踏むのだという情報に諸手を叩いて喜んだ。
 結婚式場は人間が集まる場所だ。そして人が集合するということは、呪いを生み出す場にも相応しいということに他ならない。ただ気がかりがあるとすれば、式場が教会であったことだ。

 神に祈りを捧げる場所は厳かで、ひどく清らかだ。
 邪悪を排し、不浄を許さない。邪道さえ正道へと昇華させる。ときに呪いの入り込む隙もないほどの神聖なる領域である。

 故に、夏油は別の方向から崩すことを決めた。
 呪いが入り込めないほどの聖域なら、聖域足る要素を排してしまえばいい。
 目的地である教会はホテルに隣接している。聖域は聖なる場所として独立してこそ聖域足るのだ。絶えず人の存在があるホテルが、つまりは絶えず人の思いが集合する場所が、教会と隣り合って接しているということは、[#ruby_不浄による聖域への干渉が可能である_・・・・・・・・・・・・・・・・・#]ということだった。
 夏油はホテルを呪うことから着手した。念入りに計画はした作戦は見事に実を結び、帳を下ろせば、教会という聖域は不浄の根城と成った。
 手筈通りに虎杖悠里が教会を訪れるタイミングで呪霊を投入し、――しかし、以降は想定外の連続だった。

 不浄域での、聖域の再確立。
 放った呪霊の崩落する気配。
 両面宿儺の器に壊される帳。

 確実性だけを摘み取って実行に移した。虎杖悠里を攫うことができると確信していた。だからこそ帳の内を確認する術など残してこなかったのに。

 ――嗚呼、腹立たしい。

 事象は知覚できていた。なのに内部の詳細だけが一切合切不明だった。
 そのときの状況を振り返って、夏油は歯噛みした。またしても煩わしさがふつふつと煮えてくるが、今回の収穫を考慮すれば、少しは腹の虫も収まる気がした。
 高専襲撃時の真人の無為転変が発動しなかった件についても、だ。
 虎杖悠里は非術師であったはずだ。
 単なる呪力操作でさえ覚束ない一般人であるのだ。魂の守り方など知るはずものないのに、真人曰く「術式が弾かれた感じ? なんて言うんだろう、触れなかった……?」である。高専への襲撃における真人の暴走は予想だにしなかったが、その結果は嬉しい誤算だった。

 虎杖悠里は両面宿儺を宿す器の血縁者である。
 虎杖悠里は虎杖悠仁という少年の弱点である。
 虎杖悠里は魂への干渉に耐えうる許容がある。

 ――嗚呼、この歓喜と言ったら!

 なんて使い勝手が良いものを生み出して・・・・・しまったのだろう。特級に値する呪霊を受肉させる器となり、虎杖悠仁への切り札となり、――何人たりとも干渉を許さない呪霊を生み出す胎となるではないか。
 そして虎杖悠仁にあれほどまでに想われているということは、つまり虎杖悠里が呪いに転じる可能性があるということに他ならない。

 かつての・・・・夏油傑という男は、大義を矛に純愛の刃と殺し合った。

 大義が人間から生まれた意識の集合体であるのなら、純愛はたったひとりの人間からでさえ生み出すことのできる情の単体である。集合体と単体、普通に考えれば集合体に軍配が上がりそうなものを、しかしながら夏油は敗北した。
 凶悪に磨き上げた男の矛は、砕かれた。
 少年の刃も無傷ではなかったが、それでも男は敗れたのだ。

 どちらも根源に人間を置くにも関わらず、大義は純愛を前にして殺されてしまった。

  かつての男・・・・・は諦観にも似た納得をしていたが、――己は違う。
 認知はしよう。純愛が大義に勝る力を秘めたものであると、認めはしよう。
 だが納得はできるはずがない。納得してはならない。万全で挑み、磨き上げた殺意を粉々に潰されて、笑って飲み込むことなど、記憶にある通りにはできなかった。
(存分に利用してやるさ)
 使えるものを使いこなして、
 使えるものは使い果たして、
 使えなくなったものを最後には捨てる強かさが、己にはあるのだ。これまで存在し続けてきた、妄執がある。
(だからこそ)
 乙骨憂太のような純粋さで愛し、祈本里香のような無垢さで愛され、その果てにあるのが特級過呪怨霊の姿なのだとしたら。
 それはなんて。

「素晴らしい 呪いであることだろうか」

 ――嗚呼、この愉悦と言ったら!

 まさしく善、まさしく良、まさしく正道、その正しく在ろうとする虎杖悠仁が、自分こそが呪いを生み出してしまえば、きっと手綱を取るのに易くなるに違いない。
 なぜなら絶望の淵ほど甘言が響くことはないのだから。

 




あなたを生かす、呪いになれたら
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宵、泳ぐ鳥