エピローグ

「すっごい綺麗!」
「喜んでいただけて嬉しいです。」

人間に戻れて早一ヶ月。彼女とジェイドは山に来ていた。当初は歩く練習で山に訪れていたが、今ではすっかり彼女も山登りの魅力に取りつかれていた。断じてジェイドほどではないが。断じてジェイドほどではない。しかし、定期的に登っても苦にならない程度には山を気に入っていた。入るたびに新しい植物や見たことのない動物と出会うのはそれなりに興味を惹かれたし、何より、山で生き生きとするウツボを眺めるのが楽しいのである。

今日は珍しく夜に山に行こうとジェイドに誘われたのだ。彼女一人であったら絶対に行かないが、勝手知ったる学園の裏山であったし、ジェイドがいれば大抵のことは対処できるため(彼の山登りの技術は名人の域にまで達していた)、彼女も二つ返事でついて行った。いつものルートを外れ、少し足場の悪い道を30分もしないくらい歩くと、少し開けた小高い草原にたどり着く。そこだけ丸く木が刈り取られているようだった。学園や街の電球からだいぶ離れたその場所は、星の光を阻害するモノは何もなく、満天の星空だ。

「元々占星術のために森を切り広げられた広場なんですよ。この山で星を見るならここが一番です。」
「こんな綺麗な星空、初めて見ました!星ってこんなにあるんですね!」

彼女は興奮していた。まるで降ってきそうな星空だ。よくよく見ると白、赤、黄色と星の色の違いもよくわかる。数え切れない星がキラキラと彼女の目の中に飛び込んできて、めまいを起こしそうだ。

「さぁどうぞ座ってください。ずっと上を向いていると転びますよ。」

ジェイドは手早くレジャーシートを敷くと、持ってきたクッションとブランケットを用意し彼女を座らせた。もう秋も終わろうとしており、夜は冷える。

「ありがとうございます。」

彼女がおとなしくジェイドの隣に座ると、ジェイドは持っていたブランケットを彼女にかけた。彼は寒さにめっぽう強いのでブランケットなどなくても平気だった。そのままごそごそとリュックを漁ると今度は水筒とコップ、そしてティーバッグが出てくる。水筒の中のお湯をコップに注ぎ、ティーバッグを入れてしまえばお手軽な紅茶の完成だ。最初は彼女も色々と手伝おうとしていたが、彼の鮮やかな手際を見せつけられてからは全て彼に任せることにした。自分がやったところで彼の手間を増やすだけである。

「やっぱり夜は寒いですね。」
「今夜は特に冷えるみたいですよ。」
「ジェイド先輩は寒さに強いですもんね。」
「あなたが寒さに弱すぎるんですよ。」

彼女と恋人と呼ばれる立ち場になってから、ジェイドは彼女との違いを改めて感じることが多かった。例えば今日だって、ジェイド一人であったらブランケットもクッションも温かい紅茶も持ってこなかっただろう。彼女は自分が思っている以上に脆く、弱い。しかし、彼女の過ごしやすい環境を整えるのはまったく苦にはならなかった。

ジェイドはポケットに入れていたスマートフォンをちらりと覗かせて、画面に表示されている時間を確認する。

「さ、もう直ぐ流星群が来ます。」

今日の夜に彼女を山に誘ったのはこの流星群があったからだ。流星群といえば、もちろん大量の流れ星が見えることを指すが、今日の流星群はその中でも特別珍しいものである。

「流れ星が消える前に三回願い事を言うと叶うって言いますよね。」
「へえ、そうなんですね。三回も言うのは難しいと思いますが。」

ジェイドは無茶をいう俗説だと思った。流れ星が流れる時間は1秒にも満たないというのに。

「でも、無理でも挑戦してみたくなりませんか。流星群だったら、もしかしたら一つくらい願いを聞いてくれる星がいるかも。」
「その星は多分隣にいますよ。」
「え?」

ジェイドはニコニコと彼女に笑いかける。そんな俗説を信じるくらいなら自分を信じてほしい。なんでもは叶えてあげられないが、大抵のことは叶えてあげたいと思っているというのに。

「…わぁ……。」
「…クサいですかね。」
「少し。」

彼女はあの日のモストロ・ラウンジでのやり取りを思い出して少し口角を上げた。彼はロマンティックな場に来るとキザったらしくなるようである。以外と雰囲気に流されるタイプなのだなぁと思ったら、可愛く見えてきたのだ。

「ジェイド先輩って結構…。」
「これ以上言ったらブランケットを剥ぎ取ります。」
「……。」

彼女は寒い思いをしたくなかったので黙った。その様子を見てジェイドが腹の奥でクツクツを笑う。彼女も段々可笑しくなってきて小さく笑った。二人で見つめ合いながら、きゃらきゃら笑っていると不意に彼女の頭に小さい何かがコツンとぶつかってきた。

「あれ、何か頭に…。」

頭上には星以外何もない。なのになぜか、真上から何かが時々落ちてくる。

「おや、流星群が始まりますよ。」

ジェイドは彼女の手から飲み終わったカップを取ると、さっとウェットティッシュで拭き、仕舞った。そして彼女に横になるように声をかける。流星群を見る時は仰向けが一番見やすく、幻想的だ。

「待ってください、ジェイド先輩。何か降ってきて…。」
「だから流星群ですよ。」

ジェイドは彼女に腕枕をしながら、反対の手で空を指差した。彼女がその由布の方向に視線を向ける。すると…。

「わあ!」

瞳の中に流星群が飛び込んでくる。そんな気がするくらいのたくさんの流星が流れ始めていた。まるで光のシャワーである。

「すごい!流星群ってこんなにたくさん流れるんですね!」

彼女は夜空に手を伸ばす。掴めないとわかってはいても、これだけの流星が落ちてきていると掴めそうな気がした。

「あいて。」

また何か小さいものが伸ばした手のひらにぶつかる。痛くはないが、無視できないくらいの衝撃が腕に伝わる。

「おや、またぶつかりましたか。持ってますね。」
「さっきっからこれって何ですか?」

彼女は寝転んだままパタパタと手探りでその正体が落ちていないか探した。体のすぐ近くに小さい石のような感触がする。それをつまんで自分の眼の前に持っていく。

「金平糖?」
「ふふふ、食べても甘くないですよ。それはクラムジー・スターです。」
「クラムジー・スター?」
「なにか願い事がある人に落ちてくる、ドジな星のことですよ。今日の流星群はクラムジー・スターが落ちてくる流星群と聞いたので、あなたにお見せしたかったんです。」

まるでいたずらが成功したようにジェイドは笑った。

「それって隕石じゃないんですか?」
「隕石は願いを叶えてくれないでしょう?クラムジー・スターは願いを叶えてあげたいと思っていますよ。」

彼女は不思議な星だと思った。願いを叶えてあげたいと思っているドジな星なんて、元の世界には絶対にない。というか、叶えてあげたいと思っているというのは、なんとも微妙な表現だ。

「叶えてはくれないんですか?」
「星にできることなんてたかがが知れているでしょう。」

夢も何もない。ジェイドのスイッチは未だによくわからなかった。

「…クラムジー・スターに願うとしたら、ジェイド先輩は何を願いますか。」

その質問に何も他意はないのはわかっていた。しかしジェイドの喉はひゅっと鳴った。自分の願いは決まっている。しかしそれは彼女に伝えることはできない。

「…あなたは、もし叶うとしたら何を願いますか。」
「私は………。」

ジェイドは聞いておいて後悔した。彼女の願いなどわかりきっているというのに。

「少しでも流星群が長く続きますように、なんてどうでしょう。」
「えっ。」

ジェイドは思わず彼女を見た。彼女も少し恥ずかしそうに頰を赤らめながら、ジェイドを見る。彼女が手をもぞもぞと動かすと、ジェイドの手に触れる。ジェイドは反射で彼女の手を握った。

人魚の恋人に、夢のような満天の星空、そしてドジな星。そしてかつて尾ひれだった足。これら全ては元の世界にはないものだ。

「もう少しだけ、見てたいなって。」

ベタですかね。彼女はジェイドに笑いかけた。

「…少しだけ。」

ジェイドの表情は正面に向き直っていたので見えなかった。

彼女も視線を夜空に戻す。流れ星がすーっと尾を引き、ただの星に戻っていく様を見ていた。流星群はいつかは終わり、流れ星はあるべき星の形に成っていく。今の彼女はジェイドと一緒にいたいと思った。いつか帰れる日が来た時、自分はどの選択をするかはわからない。しかし、今はこの時間が少しでも長く続けばいいと思う。今の彼女はジェイドを選んだのだ。それが彼女の中では重要だった。
ジェイドと繋いでいない反対の手で、かつての尾ヒレを撫でる。そこに鱗もヒレもない。ただ二本の足がそこにあった。


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