#2
そうこう言ってはいたが、監督生は実に優秀な秘書だった。もとより観察眼が優れているのか、気がきく性質なのか、書類や備品の管理もしっかりしていたし、ちょうど欲しいなと思っていたタイミングで紅茶を持ってきてくれる。物怖じしないので電話にもすぐに慣れ、今では何人か顔見知りが出来ていた。

最初様子を見て気を配っていたクルーウェルも、存外上手く秘書業をこなしている監督生を見て、いつからかクロウリーの予定を彼女に聞くようになっていた。監督生も最初は戸惑いもしたが、以外と難しいことはなかったので今では部活のように一生懸命励んでいる。この世界に来て、勉強以外にこんなに時間を割くことは初めてだった。

「はい、ナイトレイヴンカレッジ学園長室です。」

1日のうちに電話の鳴る回数は以外と少なくない。学内からはもちろん、学外から内線で飛ばされることもあるからだ。何件かの対応は彼女の任した為、クロウリーはかつてないほどの仕事の進みを実感していた。彼女に秘書を任せてよかった…。これは心からの言葉である。

「学園長、学務課のスミスさんからです。ウィンターホリデー中の研究発表会について確認があるそうです。」
「ああわかりました、そのまま代わっていただけますかね。」
「はい。」

監督生はたたっと小走りでクロウリーの元に電話の子機を持っていく。

「クロウリーです。」

学園長は耳と肩で子機を挟むとそのままバチバチとパソコンに打ち込んでいく。普段のつかみどころないひょうきんな雰囲気とは違い、淡々と話して、せわしなく手を動かしている。監督生は素直に器用だなぁと思った。

ぼんやりとクロウリーを見ている場合ではない。監督生にも仕事が山ほど残っているのだ。最初の宣言通り、クロウリーは監督生に無茶な仕事は振らなかったが、いかんせん量が多い。この時期は忙しいというのは嘘ではない。手紙のなぜか山のようにくるし、メールもわんさ送られてきた。監督生はそれをせっせと分けていく。それが終われば電話中のクロウリーから書類を山のように渡され、今度はそれを封筒に詰めていく。全てメールにして欲しいと千回は思ったが、それは私も思っています…と力なくクロウリーに返されてからはなんとなく可哀想に思えてきて文句言わずにやるようになった。

黒いシーリングワックスに火をつけると封筒に蝋を垂らしていく。これも最初は手惑い、蝋に煤をつけてしまっていたが、今では手馴れたものである。固まるのを待っている間に次の封筒に蝋を垂らす。そしていい感じになってきたら右から左にスタンプを押していくと綺麗にカラスの羽の模様がワックスに浮き上がる。それを機械仕掛けのように繰り返し黙々と押していく。最初、封蝋をしていると聞いた時はおしゃれで心踊ったが、もはや今は何も感じなくなっていた。

ほとんど手紙に封を押した頃、クロウリーの電話が終わった。今回は随分と長い電話だったようだ。

「封終わりました?」
「はいっ!後手紙とメールの仕分けも終わってます。」
「でしたらそれを一階のポストオフィスに持って行ってください。今日はそのまま帰っていただいて大丈夫ですよ。」

クロウリーはその間も信じられないほどテキパキと仕事に取り掛かっている。下手にウロウロしてる方が迷惑になりそうだった。

「わかりました、ありがとうございます。」

監督生は素直に頷くと、荷物をまとめていく。最近このお手伝いが楽しくなってきたので、こうして時たま発生する戦力外通告が悲しかったが、忙しそうにするクロウリーの為に自分が出来ることは邪魔をしないこと、これに尽きるのだ。

「お疲れ様です。」
「ええ、ありがとうございました。」

監督生がお辞儀をすると、クロウリーもひらりと軽く手を振ってくれる。どんなに忙しくても必ず返事をしてくれるクロウリーに、監督生はもっと役に立ちたいと思いながら学園長室を後にした。



秘書という名のお手伝いをするようになってから結構過ぎたが、相変わらず忙しさは変わらなかった。むしろ増えている。クロウリーは監督生が手伝うようになって随分楽になったと言っていたが、毎年これを一人で捌き、授業の巡回にも行き、さらに今年は自分たちの世話もさせているとなると、監督生はクロウリーに一種の尊敬の念を抱くようになった。この忙しさを普段生徒に見せない所も監督生には好ましく見える。つまり、監督生はもっと役に立ちたかった。

最近監督生は早く帰らされた日は、勉強の他にも図書館で借りたビジネスマナー本を読むようになった。大人の世界というのは、学校では教わらない不思議なマナーが多く存在している。意外とクロウリーは仕事にテンプレートを作るのが好きなタイプだったので、何も知らない監督生もテンプレートの文字を差し替えてメールや手紙の返信をすることはできたが、やはり予想もしていなかった所でボロがでる。お給金をもらっている以上、学園長に恥をかかせないよう、監督生はビジネスの勉強をするようになった。

「今日は終わりでいいですよ。」

今日もクロウリーが終業の合図を出す。時間はまだ6時前で、外ではまだまだ部活動をする声が聞こえる時間だったが、監督生に割り振られていた仕事はもう終わってしまっていたのだ。

今までのような忙しさであったら、監督生も大人しく帰っていたが、今日は修羅場という感じではない。監督生は思い切ってずっと考えていたことをクロウリーに聞いてみようと思った。

「学園長、もう少しだけ居てもいいですか?」
「?…何かやること漏れてました?」
「いえ、もう全部終わってるんですけど…。」
「でしたら…。」

クロウリーは訝しげに監督生を見た。こんなことを言われたのは初めてだったからである。

「邪魔しないので!静かに本読んだり課題したりしてます!お電話とか来客対応だけでもしてちゃダメですか?」

監督生はなおも食い下がった。先ほどまでの従順に言われたことをこなす彼女とは別人のようである。

「まあさすがに来客はないですけど、電話は来ますしねえ…。」

クロウリーは渋った。確かにそれだけでもしてくれると仕事に集中出来るのでありがたいが、あまり女生徒を夜遅くまで残しているのも心配である。例え帰る先が学園の敷地内だとしてもだ。

「もう少しお仕事に慣れたいんです…ダメですか。」
「うーーーーん…。帰りが遅くなってしまいますよ。」

日が落ちるのも早いですし、とクロウリーはぶつぶつ言う。

監督生はもう一押しだな、と思った。クロウリーは随分気にしているようだが、校舎から寮までの距離は校舎から運動場に行くよりも近い。9時くらいなら部活終わりの運動部の生徒がうろついていることもある。何も夜道が危ないというほどではないのだ。

「みんな結構出歩いてますし、寮まで5分もかかりませんよ。」
「……わかりました。私としても居てもらえると助かりますし、あなたの判断にお任せします。」
「ありがとうございます!」

監督生は嬉しさのあまりぴょんと飛び上がる。今回はクロウリーに押し勝ったのだ。その様子をみてクロウリーは変に毒気を抜かれてしまった。

「こんな雑用みたいなこと、普通なら嫌がるはずなんですけどねぇ。」

監督生はすっかり定位置になっていたテーブルにぴょこぴょこと戻ると、カバンから何か本を取りだした。どうやら本当に宣言通り読書に励むらしい。

「もし何かあったらいってくださいね。」
「はいはい、優秀な秘書を持つ私は果報者です。」

残れることが本当に嬉しいようで、クロウリーに適当にあしらわれても監督生はニコニコとしていた。いつから彼女はこんなに素直になったのだろうか。しかしそれを鬱陶しく思わない自分がいるのも事実である。



ふ、とクロウリーは静かに息を吐いた。外を見ればすっかり暗くなっている。彼女が残ってくれるといってから約2時間、珍しく電話もなく、ただキーボートを打つ音だけが響いていた。そっとパソコンから顔を上げて監督生を盗み見る。彼女は随分と読書に集中しているようだった。

クロウリーはぼうっと彼女を眺めながら、そんなに熱心に何を読んでいるのだろうと思った。目はいい方なので、普段ならこの距離でも本のタイトルくらいは読めるのだが、ご丁寧に紙製のブックカバーがかかっていたのでそれも難しかった。彼女は普段の快活さとは裏腹に、真面目な顔で本を読み進める。たまに妙なしかめっ面で本に食い入るように読み進めていた。

ここで少し魔が差した。そっと自分に消音の魔法を施すと、椅子から立ち上がる。魔法をかけているとはいえ、気配を悟られないようにゆっくり彼女の背後に近づいていった。彼女の後頭部越しに文字が見えてくる。文字と一緒に図形やイラストも描いてある。何かのテキストのようだった。なんだ、授業テキストを真面目に読んでいたのか、このまま普通に声をかけようと思った瞬間、それは静寂をぶち破った。

ジリリリリ!!

「うわっ!?」
「えっうわっ学園長!?」

悪いことはするものではないな、とクロウリーは妙に冷静な頭で思った。彼は予期しなかった電話と、こっそり覗き見ようとした後ろ暗さから電話が鳴った瞬間跳ね上がり、動揺のあまり最近は彼女の任せっぱなしにしていた電話を取ろうとしてしまったのである。監督生はもちろん普段通り脊椎反射で電話に手を伸ばす。結果二人の手が電話にぶつかってしまい、カーペットに取りこぼしてしまった。ぼとんっぼとんっと鈍い音を立てて一回跳ねた子機が飛んで行ってしまう。

「ああーっ!ごめんなさい!」

監督生も普段にないパターンで焦ってしまった。慌てて床に落ちた子機を追いかける。そしてそのまま電話に出ようとした。

「いえ、あの、もう私が出ます!」

後々から考えれば、監督生に出てもらってから改めて自分が受ければいいだろうに、動揺が収まらなかったクロウリーはそのままむんずと彼女の手から子機を奪うと、そのまま電話口に話しかける。

「クロウリーです。」
「ははっ、トレインです。学園長室は随分賑やかなようですね。」
「ははは…。」

もはや笑ってごまかすしかない。こんな時に限ってトレイン先生とは。良かったというべきか、なんとやら。また落ち着きが足りないと言われるかもしれないな、と背中に冷や汗をかきながらクロウリーはトレインの話を聞いていた。

監督生の心臓もまた、信じられないくらいバクバクと脈打っていた。まさかあんな近くにクロウリーがいるとは思わなかったのである。電話は監督生のすぐ右側にあったが、まさか背後からクロウリーの手が伸びてくるとは思うまい。そもそもついさっきまで自分の席に座っていたのに、音もなくここまで来るなんて。

トレインの用事はすぐに済み、再び学園長室に静寂が帰ってきた。

「…失礼しました、私としたことが取り乱してしまいまして…。」
「いえ、私もまさかこんな近くに学園長がいると思わなくて。」

再び静寂が二人を包む。

「ふふ…ははははは!」

耐えきれず吹き出したのはどちらが先であったであろうか。一度冷静になった二人は自分たちのパニックになってた時の行動がおもしろくなってきたのである。

「ふふふ、学園長、さっきの驚き方やばかったですね!」
「失敬な!君こそ…ふふ、電話が落ちた時の飛び上がりっぷりときたら…。ああだめだ、おかしい…ははっ」

二人で顔を見合わせてバカみたいに笑う。そういえばこんな何も考えずに爆笑したのはいつぶりだろうか。監督生に至っては笑いすぎて涙を滲ませていた。

「はぁ、笑った…ふふ…。」
「まだ笑い終わってないじゃないですか…ははっ」

監督生はなかなか笑いが収まらず、くふくふと笑いながら、滲んできた涙をぬぐった。クロウリーの瞳は仮面のせいでよく見えなかったが、未だに目を糸のようにして笑っていることはわかる。

「そういえば、学園長なんでさっきあんなところにいたんですか?」
「うっ」

痛いところを突かれたな、とクロウリーは思った。そのまま忘れてくれればよかったものを。しかし、下手に隠すよりは素直に言ってしまった方が得策に感じた。別になにか害を与えようとしたわけではないのだし。

「…随分熱心に本を読んでいたでしょう。何の本か気になりましてねぇ…。」
「あっ、そうだったんですね。」

思った通り、彼女はあっさり頷くと先ほどまで読んでいた本を取り出し、丁寧にカバーを外して表紙を見せてくれた。

「国際秘書実務入門…?」
「ラギー先輩が貸してくれたんです。ナイトレイヴンはグローバルな学校だから、最低限の各国のマナーを知っていた方がいいって…。」

文化の数だけマナーがあり、文化の数以上にタブーが存在する。もちろん、一生徒に完璧なマナーや立ち居振る舞いを要求されるようなことはないが、逆にいえば期待されていないからこそ、こういったちょっとした知識で見直されたり、商談がスムーズにいったりするものなのだ。実際ラギーもこの本で得た付け焼刃の知識で何度も窮地をくぐり抜けてたと言っていた。ビジネスマナーを知りたいと言った彼女に王道のビジネスマナー入門書ではなく、国際秘書の本を渡したのはレオナ・キングスカラーの補佐をやっているラギーならではの発想だろう。王子付きは伊達ではないということだ。

「最近、秘書のお仕事が楽しくて。もっと役に立てたらなぁと思って勉強を始めたんです。」

照れ臭そうに彼女は笑った。クロウリーのために勉強していると言っているようなもので、少し気恥ずかしかったのだ。

「監督生さん……。」

クロウリーは感激のあまりぶわりと鳥肌を立てた。彼女は『お手伝い』をしに来ているのではなく、本気で『仕事』をしに来ているのだと肌で感じた。きちんと職務を全うしようと努力してくれているのだ。他でもない自分のために。その純粋でまっすぐな献身はクロウリーの胸を打つのに十分だった。

「……せっかく色々勉強していただいているので、明日から新しいお仕事もお任せしても?」
「……!はい!」

彼女は嬉しそうに笑った。クロウリーは知らないことだが、その言葉は監督生がこの世界で初めて、自分の努力だけで勝ち得た評価であった。


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