#6

あんなことがあったというのに、クロウリーと監督生の関係は以前と何も変わらなかった。あの出来事の後は帰っていいと言われたので、監督生もさすがに残る気持ちになれずおとなしくオンボロ寮に帰ったが、その日の夜は関係がどう変わってしまうのか、怖いような期待していたような気持ちで眠れなかった。だというのに、次の日学園長室にいたクロウリーの態度は普段通りで、監督生はほんの少し落胆した。しかしそれもすぐに困惑に変わってしまうことになる。

「あなた、何回言ったらわかるんでしょうか。」

今も監督生はクロウリーに押し倒されている。だが、最初の時のような緊張や羞恥はなく、あるのは困惑とほんの少しの安堵だけだ。というのも、クロウリーに押し倒されるという事態が監督生の日常に組み込まれてしまったからである。押す倒すだけではない、後ろから抱きしめたり、壁に押し付けてきたり、過剰なスキンシップ全般に彼女は慣れてしまっていた。

彼が何のスイッチでこういったことをやり始めるのかはわからない。唯一分かったのは、監督生が何らかの『拒絶』をするとそれが始まるということだ。拒絶というと大げさだが、身を引いたり、少し避けたり等の小さい行動で、クロウリーはそれを敏感に察知して突然押し倒してくる。そして長い爪で優しく引っ掻いて、耳元でつらつらと恨み言をつぶやき『虐め』だすのだ。恨み言はその時々で違うが、大概は同級生と距離が近いやら、無防備だ等の彼女の行動についての苦言が大半を占めている。まるでいつも見張っていることを訴えているみたいだった。しばらくすると気が済むのか解放され、まるでその時間が無かったかのように仕事に戻る。監督生もさすがに慣れてしまい、最近は帰ったりせずそのまま仕事を続けていた。

そして今日もまた、彼のスイッチを押してしまったようだ。

「今日の3限目の飛行術の授業の時、スペードくんとの距離が随分近かったですねぇ。それに相乗りは危ないからやめなさいとハウルくんの時にも忠告したはずですが。」

彼がネチネチ言ってくる内容はいやに具体的だ。カラスはどこにでもいると言ってはいたが、本当に常日頃から監視しているのだろう。それでも監督生はそれを煩わしいと思ったことはなかった。軽い拒絶を見せればクロウリーは面白いほどに彼女の行動について苦言を告げてくる。それを聞いて彼女は安心するのだ、今日も彼の関心は自分に向いている、と。

「デュースは親切で乗せてくれただけです。」
「そんなの、実際はどうなのかは本人にしかわかりませんよ。」

クロウリーはこれ見よがしにため息を吐く。ため息を吐きたいのは彼女の方だというのに。彼の長い鉄の爪が彼女の耳裏を優しく引っ掻きだす。

「デュースもジャックも友達なので、距離が近いのも普通です。」
「普通?あの距離が?」

時折わざとなのか力加減を間違えているのか、少し強めに引っかかれ、引っかかれた軌道に沿ってヒリヒリとした感覚が残る。大抵彼の琴線に触れた時にそうなることが多いから、監督生はわざとなのではないかと思っていた。

「普通です、学生同士なら…。」

彼はまるで不貞を責める妻のように言ってくるが、本当に彼女と同級生たちには何もないのだ。箒に一緒に乗るのも、同じソファに座るのも、学生生活を送っていればよくあることであるし、彼らに下心がないことは普通に見ていればすぐにわかるような気がするが。

「学生同士なら、ですか…」

何度も何度も耳の後ろを引っかかれる。皮膚の柔らかい部分を力加減されているとはいえ、何度も同じところを往復されるとさすがに痛くなってきた。

「が、学園長、痛いです…。」

思わず手を掴んでその行為を止めさせるとクロウリーは不満そうに彼女を見た。しかし彼女が手を離そうとしないので、そのまま止めてきた手をきゅっと握りそのまま話を続けた。

「猛獣使いといっても、飼い犬に手を噛まれることだってあるんですよ。それをあなたはあっちへふらふらこっちへふらふら…。誰彼構わずベタベタさせて…。」

もはや耳タコの話だ。クロウリーの言い分だけを聞いていると自分が尻軽になったような気持ちになる。

「たとえ同級生であっても男ですよ。何かあったらどうするんです。」
「大丈夫ですよ。」
「何を根拠に…。」

クロウリーは呆れたように再びため息を吐く。監督生もばれないように静かに息を吐き出した。この関係になってからため息ばかりが増えていく気がする。

彼女は決して考えなしに言っている訳ではない。男女の友情が100パーセント必ず成立すると言い切れるほど純粋ではないし、男子と女子が親密な関係であれば間違いが起きるかもしれないと危惧する大人の気持ちも理解できる。それでもクロウリーの言葉を否定するのは彼女なりの皮肉であった。だって現にこんな関係になっても、あなたは私に手を出してこないでしょう。

「…学園長が触るのはいいんですか。」

ピク、っと握られた手が揺れる。言った瞬間、監督生は後悔した。万が一にも、それもそうですね、適切な距離に戻りましょうと言われたら、今度こそ自分は立ち直れない自信がある。クロウリーの表情が伺えないのが辛い。何か言って欲しいが何も言って欲しくない、相反した感情がぐるぐると渦巻いた。

「…だから、抵抗しろと言っているのですよ。」
「っ!」

クロウリーは握っている手と反対の手ですっと太ももを撫であげてきた。かろうじて声を噛み殺したが、ぞわぞわとした感覚が背中を駆け上がる。そのまま腰のラインまで撫で上げられ、時折際どい所を掠めていく。それでも監督生はクロウリーの好き勝手に動き回る手を抵抗せずに受け入れた。

「がくっ…えんちょうは、」
「ん?」

続きを促すようにクロウリーが指の腹で彼女の唇を撫でる。目の下にチラチラと鋭い鉄の爪が見える。これには何回やられても慣れない。

「…学園長は、私に、そんなこと出来ないから。」
「………。」

クロウリーは苛立ったように彼女のスラックスの上から爪を立てる。生地越しとはいえ、鋭い爪が肉に食い込み、鈍い痛みが襲ってくる。声を上げるほどではない。

「…そうでしたね。」

それでも彼は彼女を虐める手を止めることはなかった。監督生も余計なことは言わずにその行為を受け入れた。



「今日はここまで、各自しっかり復習するように。」

トレインのお決まりの言葉を最後に、魔法史の授業が終わる。生徒たちは無意識に詰めていた息をそっと吐き出した。トレインの授業は厳しい。それでも果敢にばれないように居眠りをしたりスマホを弄る生徒もいるが、ばれた後の説教のほうがよほど面倒臭いので、真面目に受ける生徒が大多数を占めている。その為、他の授業よりも終わった時の開放感は大きかった。

監督生は何かをサボるほどの余裕もないので、どんな授業であろうと真面目に受けているが、それでもトレインの授業は教室全体が少し緊張しているので息が詰まるような気持ちになる。その為、例に漏れず彼女も終わった時の開放感は大きく感じた。しかし魔法史は魔力がなくても支障がない分野ということもあり、予習を欠かさなければ他の授業よりもついていけるので、彼女はそこまで嫌いな授業ではない。

各々デスクの上を片付けると次の教室に向かい出す。先ほどの静けさがまるで嘘のように喧騒が教室を占めていった。

「ああ、」

それだというのに、トレインの声は教室によく響く。決して声を張り上げているわけでもない。もうマイクも使っていないというのに、この喧騒の中でもはっきりと自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。

監督生は自分の荷物をさっとまとめると大人しくトレインのいる教壇に向かった。彼に呼び出されるのは(いい意味でも悪い意味でも)よくあることで、彼女にとって驚くようなことではなかった。トレインに近づくと教壇で寝ていたルチウスがのそのそと起き出し、彼女を一瞥しオ”ァ…と小さく鳴き緩く尻尾を振る。監督生はルチウスのふわふわの背中を優しく撫でた。これは彼女とルチウスの挨拶なのである。ちなみになんて言っているのか、ラギーと授業が重なった時に聞いてみたら、

「またお前か…て言ってるッスね。」

と言われてちょっと凹んだので、それ以来誰にも通訳を頼んでいない。

「いつもの補足資料だが、次回から新しい章に入るので、次の授業までの放課後に私の研究室に取りに来なさい。」
「ありがとうございます。」

監督生はこの世界の基礎知識がほとんどない。その為、真面目に授業を受けていても、授業の内容以前の問題で躓いてしまう所が多かった。それを直接トレインに相談したら、彼自ら補足資料を作ってくれるようになったのだ。トレインは厳しいが、真面目に学ぼうとしている生徒にはきちんと手を差し出す先生である。

「すいません、ちなみに、今から取りに行ったら迷惑ですか…?」

約束のクリスマスパーティまでもう2週間を切っていた。別件で頭を悩ませることも多いが、仕事も大詰めである。今日もパーティの日に行われる聖歌隊が学園内を歌って回る行事、キャロリングの打ち合わせに同行する予定であった。

「ああ、放課後は忙しいんだったな。いいだろう、ついてきなさい。」



「座って待っていなさい。」

研究室に着くとトレインは魔法を使って鍵を開け、扉を開けると監督生を先に中に通した。未だにその文化に慣れず、彼女は恐縮しながらもおずおずと中に入る。そして後を追うようにトレインとルチウスが入り、彼女に座るよう促すとまっすぐ部屋の奥にある自身のデスクに向かう。

監督生は扉近くにある、アンティークレッドの革張りのソファの真ん中に、そっと腰を降ろした。トレインの研究室内の家具はすべてダークレッド調のアンティークで揃えてあると前に教えてもらったことがある。その為、室内に3つあるソファやデスク、イスなど全てシリーズで揃っているわけではないが、トレインがセンスがいいのだろう、それぞれの家具を上手く組み合わせ統一感のある研究室に仕上がっていた。あのトレインの研究室、というだけで重厚感もひとしおだが、やはりアンティークだからだろうか、どことなく温かみも感じられ、彼の研究室が好きだという生徒が存外に多かったりもする。中には歴史的価値の高いものもある為、監督生はいつも研究室内では細心の注意を払っていた。オンボロ寮にも古いものはたくさんあるが、あれはアンティークではなくただの古い家具だ、座った瞬間木が腐っていて大破する椅子や、経年劣化でひび割れている革張りのソファとはもはやカテゴリーが違う。

何度も来てはいるがやはり物珍しく、キョロキョロと研究室内を見渡していたら、いつの間にかトレインの腕の中を脱出したルチウスが隣にどすっと居座っていた。そして不満そうに彼女の右太ももをぐいぐいと鼻で押す。結構な力で押されるので監督生はおとなしくソファの真ん中を譲り、左側へ避ける。それでもぐいぐいと押されるので彼女はすっかりソファの肘掛とルチウスに挟まれてしまった。

「こらルチウス、あまり彼女を虐めるんじゃない。」

もちろん口ではそう言っているが、トレインは一切止める気がないようだった。彼女としてもフワフワとした生き物は好きなので特に問題はない。むしろ最近の問題や仕事の忙しさも相まって、ルチウスのもふもふは癒しに近かった。同じ『虐め』でもぜんぜん違う。思わず深いため息を吐いた。

「疲れているようだな、仕事が随分忙しいと聞いているよ。」
「あっすいません。」

ため息を聞かれてしまい、監督生は思わず謝った。トレインは気にしていないと言いたげに片手でそれを制す。彼女が動くと、ぴったりくっついているルチウスが居心地悪そうに不満げな表情を見せるからである。

「そのままでいい。これが、次回の分の資料だ。」

いつも板書しているノート二つ分くらいの大きさのプリントを渡される。二つ折りにするとノートとぴったり同じサイズ感になるので、監督生は密かにこのサイズ感を気に入ってた。

「いつも本当にありがとうございます。」
「なに、知識を望むものに私は与えるだけだよ。」

トレインはそう言うと向かいのソファにゆったりと腰掛けた。

「お前の有能振りは聞いているよ。」
「そう、なんですか…。」

前まではそう言われれば、謙遜せず素直に受け取ることができたが、最近のことを考えると素直に受け取ることができず歯切れが悪くなってしまう。勤務中にあんなことを許す秘書は果たして有能だと言えるのだろうか。かといって止める気もないのだが。

「…随分と歯切れが悪いな。学園長もこの間様子がおかしかったのだが…。何かあったのかね。」
「あっ…全然…その、」

脊椎反射でそう言ってしまったが、その瞬間、秘書アルバイトをやらないかと誘われた時のクルーウェルの言葉を思い出す。そうだ、彼は「万が一何かされたらトレイン先生に相談しろ」と言っていたはずだ。

「えっと…」

少しクロウリーについて聞いてみようかと思った。しかし、ここで相談するのはためらわれる。クロウリーの監視があるからだ。彼について下手なことを言って、この後ネチネチと言われるとこは避けたかった。彼は未だにリドルに彼女が学園長に虐められていると表現されたことを根に持っているのだ。

「オ”ァ〜〜〜〜ッ、ナ“ァ〜ン、ホアッ」

監督生がためらっていると、突然彼女の膝まくらにしていたルチウスが起き上がり、トレインに独特な鳴き声で鳴き出した。

「ん?」

トレインはすぐにルチウスに目を向ける。普段の動物言語とは違った鳴き方をするため、彼女にはよく分からなかったが、どうやらルチウスはトレインににゃごにゃご話しかけているようだった。

「ああ、なるほど。どうりで。よく教えてくれた。」

トレインは自分で納得すると、魔法を使いなんだかやたら高級そうなルチウスのおやつを取り出した。そしてひとかけらを取り出すと、また魔法でルチウスの口元までフヨフヨと持って行く。ルチウスは一瞥するとパクンと一口で飲み込み、また監督生の膝の上でゴロゴロと寛ぎだした。

「安心しなさい、ここでのことは学園長も知りえないよ。」
「えっ…どういうことですか。」

読心でもされたのかと思った。ルチウスを見るとなんだか得意そうな顔をしている。トレインはゆっくり足を組むと、再び魔法でパッと2組のカップを出現させた。込み入った話になりそうだと思ったからである。

「カフェ・クレームだ。飲むといい。」
「あ、ありがとうございます…。」

膝のルチウスを刺激しないようにカップを手に取った。カップの中には猫のラテアートがされており、ふわりと甘い匂いが漂ってくる。トレインの手元を見ると小さなカップが置いてあり、おそらくエスプレッソだろうと監督生は思って見ていたが、トレインはどこからともなくスティックシュガーを2本取り出すと、その小さなカップの中に全て入れていたので、監督生は思わず二度見した。

そんな監督生を気にも止めず、トレインは話を続ける。

「最近やたらカラスが飛び回っていてね、私も気になっていたんだ。大方、君を見張らせていたのだろうが、ここは学園長であっても知ることができない。」
「どうしてそれを知っているんですか。」
「私もお前を監視している、と言ったらどうする?」
「!?」

監督生は身体を強張らせた。もしかして、この学園の先生はそうやって生徒を見張らせているのだろうか。考えてみればおかしな話ではない。

「はは、そう怯えるな。冗談だ。」

トレインは見るからに警戒した彼女を見て、目元を和らげた。彼女は本当に正直な生徒だ。エスプレッソを一口飲むと、彼は口を開く。

「種明かしをしてあげよう。今、私の可愛いルチウスが教えてくれたのだ。彼女がカラスに付きまとわれていると。そしてカラスたちが君の情報を執拗に集め回っているとな。」

監督生は思わずルチウスを見た。ルチウスは素知らぬ顔で彼女の膝の上で寛いでいる。

「お前は私が学園長と何かあったか聞いたときに口ごもっていただろう。そしてルチウスの報告。これがあれば推察は容易い。大方、学園長に監視していると脅されでもしたのだろう。違うかな。」
「え、いえ、合ってます…脅されているわけではないですが。」
「ああ、それは良かった。」

トレインは満足そうに頷く。

「でも、どうして先生の研究室は学園長は見れないんですか?学園長は私がどこにいても何を話していたかまで細かく知っているんですけど…。何か魔法とか…?」

そうだ、学園長が何か言ってくる時、その内容は異様に細やかだ。まるでその場面を見てきたかのような。カラスはどこにでもいると言われたが、彼女にはまだピンときてはいなかった。わかるのはクロウリーは確かに自分を見ていて、どこにいても何をしていても全て筒抜けになっているということだけだ。

「ふむ、それはまず、学園長がどうやって君の行動や会話を知っているかの説明をしなければならないな。学園長は君や生徒たちを直接見て、監視しているわけではない。ある意味ではそうであるとも言えるが…。」

トレインの授業と同じく、少しもったいぶった話し方だ。監督生は大人しく頷いて聞いている。

「カラスで情報収集しているのだ。お前は先ほどから学園長が『見ている』と言っていたが、それは誤りだ。何と吹き込まれたかは知らないが、彼は何かを直接見ているわけではなく、この学園中、いや、このツイステッドワンダーランド中に飛び回っているカラスを使って、情報を仕入れているに過ぎない。」
「じゃあ、学園長はルチウスみたいな使い魔のカラスがいっぱいいるってことですか。」
「いい質問だ。」

監督生が質問をすると、トレインは指を組んで微笑んだ。

「学園長の使い魔の正確な数を私は知らないが、恐らくそれほど多くはない。だが、何羽か使い魔のカラスがいれば、情報収集には事足りるだろう。カラスはどこにでもいるからな。使い魔がその辺のカラスに聞けば何かしら知っているカラスがいるだろう。そうやって学園長は君の周りを嗅ぎまわり、さも見てきたかのように振る舞った、ということだ。」
「それなら、ここのことが学園長がわからないのは…」
「カラスは猫が嫌いだからだ。そしてここはルチウスの一番の縄張り。いかに学園長のカラスが優秀でも、本能的な嫌悪感には勝てない。猫はカラスを狩るのが上手いからね。」

そうだったのか。監督生はいきなり多くの情報を与えられて混乱していた。しかし、見られているわけではないと知って、ほんの少し肩の力が抜けた。思わずカフェ・クレームに口をつける。まだ冷めてはおらず、程よい温かさが体に染みていくようだ。

「お前がどうしてここまでカラスに付き纏われているかは知らないが、もし困っているのなら、ルチウスに頼んで狩ることもできるがどうしたいかね。」
「………。」

本来ならこんな監視行為、止めてもらえるなら止めてもらうべきだろう。しかし監督生はお願いします、と口に出すことはできなかった。なぜなら、これは何も言ってくれないクロウリーの唯一の主張であるからだ。それに、得体の知れない何かに常に見張られているわけではないと分かった今、この行為は多少は困るがそこまで恐ろしいものではないと監督生は思った。オンボロ寮に住んでいるだけあって、彼女は変なところで肝が座っている。

「えっと、大丈夫です…。」
「ふむ、異な事を言うね。まぁ、数では猫よりカラスの方が多いから、完璧に情報をシャットダウンするのは不可能かもしれないが…。」

そう言われたルチウスは不服そうに太い尻尾で監督生の腿をぺしんぺしんと叩いた。やろうと思えば根こそぎ狩るぞという意思表示かもしれない。

「先生を信じていないとかじゃないんです。でも、これは学園長が…私に関心がある証拠ですから…。」

そう言って監督生は自分の両頬が熱くなっていったのを感じた。言っている途中で、あのトレイン先生に向かって恥ずかしいことを言っているのでは?と、正気に返ってしまったからである。

「…………。」

予想通り、トレインは今までの授業でも見たことがないくらい惚けた顔をしていた。監督生はそう言ってしまった手前、気まずくて視線をルチウスに移した。しかしルチウスの目からも「お前バカだろ」といったような呆れた目をされてしまい、いよいよ身の置き場がなくなってしまった。

「ふっ、はははははは!」

監督生はぎょっとして顔を上げた。トレインが声を上げて笑い出したからである。先ほどの気まずさを棚に上げて、トレイン先生って声を上げて笑うんだ…と妙なことを思う。トレインは愉快そうにひとしきり笑うと、足を組み直した。

「いや失敬。こんな誰もが不気味がるようなことを受け入れるとは。あの学園長がなかなか、一途に想われているようじゃないか。この健気さは若さの特権だな。」
「いえっ、あの、そういうわけじゃないんです!」
「隠さなくても良い。人の恋心など理性でどうこうなるものではなく、また身分や立場で何かをいうような者は、少なくともナイトレイヴンカレッジにはいないだろうからね。」

トレインは面白そうに監督生を見る。秘書騒ぎから数ヶ月、まさかこんな面白いことになっていたとは思いもしなかった。それもあのディア・クロウリーが。決して彼女に顔向けできるようなことをしていない、誠実や潔白という単語から最も遠いところにいる男が、よりにもよってこの女に、後ろ暗いこともなく健気に想われているなんて。なんて皮肉な話なのだ。

「でも、本当に何もないんですよ。私が一方的に好きってだけで…。」
「ふむ、そうだろうか。」

確かにあの男は腹立たしい位世間体を気にする男だ。しかしそれだけで、欲しい物に手を伸ばさない理由にするだろうか。監督生に言うつもりはないが、どう考えてもクロウリーのそれは恋心を拗らせたストーカーの域だ。

「ディア・クロウリーという男が、ただ一生徒の安全のためにこんなにカラスを放つとは思えない。」
「そう、です、か…。」
「まあ大方、どうしてこうなったかは予想はつくがね。」
「え?」

監督生は未だ、自分の置かれている状況の半分も理解しきれていないというのに、トレインはもうクロウリーの行動の理由まで分かるという。監督生は思わず身を乗り出した。

「しかし、それをお前に教えるのはルール違反だ。だから教師らしくアドバイスをしてあげよう。」
「…………。」

彼女は彼に改めて向き合った。まるで授業のような口ぶりが、彼女の背筋を伸ばさせる。ゆったりとした研究室の空気は消え、教室のような心地よい緊張感が走る。

「お前は大方、学園長に奪われてもいいと思っているかもしれないが、その考えでは何も勝ち得ないと知りなさい。お前がプライベートを犠牲にしたところで、学園長はお前の気持ちに向き合わないだろう。」
「じゃあ、どうしたら向き合ってもらえるんですか。」
「簡単な話だ。奪えばいい。奪われることに慣れるな、奪われることを享受した時点でその関係は対等ではない。」

トレインの姿勢は美しく、存在感は教卓に立っている姿そのものだった。そして教師らしく言われたその言葉には妙な説得感がある。

「なに、カラスは頭がいい分、思わぬ反撃にすこぶる弱い。コツさえ覚えれば手玉に取るのも難しくないぞ。」

ルチウスがその言葉に同意するように鳴いた。


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