どうして、と渇いた声が口から漏れる。それと同時にごぼりと開いた口から溢れて出ていくのは、酷く粘着力のある血で。こみ上げてくる胸の圧迫を解放する様に大きく咳込めば、べちゃりべちゃりと地面が赤く染まっていった。
アルフィノが私の様子を見てこちらへと駆けてこようとするけれども、目の前の彼はその行動を咎めるかの様にアルフィノに銃を構えて、何の躊躇もなく撃った。その場に渦巻くのは動揺と、混乱。そして絶えることのない……銃声。
「なんで……どうしてよ」
はじめから優しい人だった。いつも朗らかに笑っていて、苦しい時も辛い時もこの人がいれば大丈夫だと思えた。仲間が怪我をした時は本気で心配して、仲間に怪我をさせた敵に本気で怒って。それが、その優しさが今は全く影すらも見せてはくれない。
「どう、してよ。ねぇ、リオ!」
全ての混乱に立つ彼は、世界を救った英雄たるその人は、感情が一切感じられない冷たい目で私達を見ていた。
【そうして彼はこの世に生まれた】
彼は暁の解散後、それまでの戦いの休養も兼ね、彼と共にいる小さな相棒に手を引かれるままにオールドシャーレアンに留まっていた。それは暁のメンバー全員が知ることで、私、アリゼーとアルフィノは彼らとゆっくりした時間を過ごそうかとガレマルドからオールドシャーレアンに訪れていた。訪れていたというよりは帰ってきていたという方が私達には正しいけれども。
ラストスタンドで先入れを買ってから、バルデシオン分館へと足を運ぶ。放っておけばかの英雄はまともに物を食べないものだから、暁のメンバーは彼に会いにいく時は何かしら物を口につっこませることにしていた。とはいえ、彼の小さな相棒がそばに居るのだから心配することはないのだろうけれども。
「おや」
隣を歩いていたアルフィノが声を上げる。アルフィノの視線の先を見れば、キョロキョロとあたりを見渡す、噂の小さな彼の相棒がいた。
「エルじゃない。どうしたの?リオは?」
声をかければハッと弾かれたようにエルは私達を見て、そしてうるうると目を湿らせていく。あ、まずいこれ。そう思ったけれどもう遅く。うわぁあんと泣き出したエルに私達はひたすらに困惑するしかない。アルフィノと顔を見合わせれば、アルフィノははぁと小さくため息を吐いて、エルの前にしゃがんでその頭をよしよしと撫ではじめた。
「エル。もしかして、リオと喧嘩でもしたのかい?」
そんなことあるのか。とアルフィノの言葉に思う。リオはエルにただひたすらに甘くて、喧嘩するなんてあまり考えられない。それに、エルをここまで泣かせたまま放置するなんていうのは、今までのリオから考えてあり得ないとしか思えなかった。予想通り、というか、エルはしゃくり声をあげながら、違うとそれを否定する。アルフィノも私もそれはそうだと思っていたから驚きはしなかったけれど、エルからもたらされた次の言葉に私達は言葉を失った。
「リオが、リオが…………居なく、なっちゃった……」
エルの小さな手には、さようなら、どうか幸せにとあの人の文字で書かれた紙が握られていた。
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リオが居なくなった。それもエルを置いて。
その情報は暁のメンバーにどれほどの衝撃を与えたか。分館にいたクルルとラハ、ちょうど近くに来ていたサンクレッドとウリエンジェもオールドシャーレアンに駆けつけてきて、その場は一気に混乱の渦に巻き込まれた。
とりあえず昨日の夜まではエルと一緒だったのだから、そう遠くには行っていないはず。
そう思った私達は、ぐずぐずに泣いているエルをクルルに預けて周辺を捜索することにした。
「リオ……?」
拍子抜けとはまさにこのことか。ラヴィリンソスの高台に彼はいた。崖の近くに座り、ただただその真下の風景を見て。さて手分けして探そうとしたところで、あっけなく見つかったその姿に私達は動揺する。
おかしい。いつもなら、声をかければいつもの笑顔で迎えてくれるのに。彼はこちらに視線一つ寄越さないでいる。
「ちょ、ちょっとリオ。エル泣いてたわよ。何があったか知らないけど戻って…………」
彼に近づきながらそう声をかける。けれども、戻ってあげなさいよ、という台詞はその先に続くことはなかった。
はじめは熱いと感じた。そして次第に感じるのは強い痛み。崩れおちる身体に困惑しながら、彼を見れば座ったままの状態で、こちらに構えた銃が硝煙をあげていた。
撃たれた。
そう理解した瞬間に、足が一気に痛みを訴える。だらりと流れる血は本物で。
「……何をしているんだ? なぁ、リオ?」
ラハが困惑のままに訴える。ゆっくりと立ち上がるリオに、サンクレッドとウリエンジェが武器を構えたが、私やアルフィノ、ラハはそれが出来なかった。
こちらを見るその目に光がないなんて、その顔にいつもの優しさがないなんて。一体誰が想像しただろうか。
「アリゼー! 今行……っ!」
怪我を治そうとこちらに来ようとしたアルフィノに容赦なく撃ち込むあの人は一体誰だ? サンクレッドがアルフィノを庇わなければあの銃弾はアルフィノに確実に当たっていた。
殺そうとした? 死んでも構わなかった?
「あなた、一体誰よ…………リオを返してよ! 正気に戻ってよ……!」
湧き上がる怒りと悲しみのまま、撃たれていない足で踏み込み、細剣を振り下ろす。操られてる。そう思った。いつかのあの時のように。また何かに体を乗っ取られたんじゃないかって。
私の言葉に、彼は、リオは。いつも通りに、優しく笑って見せて──容赦なく銃を撃った。
「どうして」
唇を強く噛んだサンクレッドが、目を伏せたウリエンジェが。手を強く握りしめたラハが、嘘だと呟くアルフィノが。再び感情を無くした彼を見る。なんてことないように銃を装填するその姿に全員が気づいてしまった。
信じたくなかった。そこにいるのは。操られてなんかいない、私達の知る、そして私達の知らないリオだと。
「……どうして? は、理由が必要か? お前たちが納得できる理由をわざわざどうして作らなきゃいけない?」
リオの声が聞こえる。いつもの優しい声じゃない。切先の鋭い刃のような声だ。
「ああ、そう。俺は至って正気だよ、アリゼー。操られても、脅されてもいない」
こちらを見ているリオは、しかし静かに動いたサンクレッドの不意打ちを軽々とかわす。ち、と舌打ちをしたサンクレッドはすっとリオと距離を取り、アリゼーの近くに立った。早く回復しろと言うサンクレッドの言葉に、やっと身体が動き始める。
「お前が正気なら何でわざわざ俺達を攻撃するんだ? 今まで仲間だったんだ。それくらい教えてくれたっていいだろ?」
アリゼーの様子を見ながらサンクレッドが声を出す。アリゼーに向けられた目を逸らすための挑発だったが、声は硬く、緊張の色を帯びている。こんなサンクレッドの声を聞いたのは一体いつぶりだろう。
「聞けば何でも答えを教えてもらえるなんて子供の考えることだと思わないか? サンクレッド」
「はは、俺は子供だからなぁ。教えてくれないか? 英雄さん」
はぁ、と息を吐いたリオは全員の顔を見て、当たり前のように言った。
「英雄は、死んだよ」
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味方であった時にはあんなに心強かったのに、敵になると最悪以上の言葉がない。星を救った英雄は伊達じゃない。
「死にたくないなら、殺しに来いよ。本気でやらないと死ぬぞ」
容赦なんてまるでない銃撃が止まない。殺すなんて出来るわけがない。ここにいる私達は、彼に助けられてきたんだから。その甘さを、その隙を嘲笑うかのように狙ってくるリオに、私達は小さくも、浅くはない傷を増やしていく。
「……畜生」
ラハが嘆く声が聞こえる。何回も何回も吹っ飛ばされた私達は地面にただ伏せるしかなくて。傷ひとつとしてない彼は、暇そうに私達を眺めている。
「終わりだな」
飽きたというように口から出されたセリフにヒヤリと冷たいものが走る。かちゃりと向けられた銃が誰に標準を当てているのか、見ることはできないが、それが決定的に私達の命を奪うものになることは明らかだった。
「痛っ……」
ここで終わるのだろうと思っていれば、何故かリオがひるむ声とひゅん、と風を切る音がした。何かと思えば、近くに槍が目に入る。
「待たせたな」
「エスティニアン……!? なんで」
「俺だけじゃないぞ」
エスティニアンの視線に促されるままに目を動かせば、そこには武器を構えたヤシュトラがリオを目の前にして立っていた。リオは片手を押さえており、リオが持っていた銃は遠くに吹き飛んでいる。どうやらヤシュトラはリオの銃を魔法で吹き飛ばしたようで。
「何をしているのかしら?」
にこにこと笑いつつも怒りを隠さないヤシュトラは、私達全員を横目で確認して顔を歪める。
「ヤンチャで済まされないレベルだけれど?」
ヤシュトラは銃を使えないように、ついでというように破壊する。これでもう、大丈夫だろうと全員が安心した矢先。
「えっ」
ヤシュトラが沈められるなんて誰が想像しただろうか。アリゼーにはその動きが、見えなかった。英雄と呼ばれた彼の武器は銃であると誰もが知っていたが、それ以外を使うところなんて見たことはなかった。
リオが持つ短剣は一体どこから出したのか。そして、どさりとその場に倒れたヤシュトラが全く動かないのはどうしてか。
「…………やっぱり銃ないと手加減出来ないんだよなぁ」
なんてぼやいて短剣をくるくる回すリオに緊張感はまるでない。
「相棒。本気なんだな?」
「もちろん?」
ヤシュトラを足で小突く姿に、かっと頭が熱くなる。本当の本当にどうしてしまったのか。私の知るリオは、本当に居なかったのか。このただの狂った人間が、私達が信じて共に戦った英雄だったのか?
ぼろぼろと涙が落ちる。止まらなくて止まらなくて仕方ない。
その間でエスティニアンとリオは戦い続けている。流石に近接ではリーチの差もあってか、先ほどまで傷1つなかったリオの傷も少しずつ増えていっていた。
やがて、ばり、と割れた音は何だったろうか。
「は、サバイバルナイフじゃ、流石に無理だなぁ」
リオののんきな声がする。エスティニアンの息を呑む声。振り下ろされる槍をリオは避けようとせずに────優しく優しく笑った。
「っ…………! リオ!」
避けて。お願い。そう願って叫ぶ。目が合った。悲しそうな、嬉しそうな、何とも言えないその顔はまるで。迷子の子供がするようなもので。
「「「「リオ!」」」」
その場にいた全員が思わず叫ぶ。動けない身体がこんなに憎たらしいとは思わなかった。その顔で全てわかってしまった。どうして彼がこんなことをしたのか。そうだ、考えて見れば彼は私たちに致命傷を与えることは一度としてなくて、一定のラインを超えそうになれば回復を止めることはなかった。彼は私たちを殺す気なんて最初からなくて。
最初から彼は死ぬつもりだったのだ。最悪な裏切り者として。
さようなら、どうか幸せに。
エルが持っていたあの紙はエルに向けたものであり、そして私たちに向けたものだったのだと思う。
何が彼をそこまで追い詰めたのかはわからない。けれど、彼は英雄でいながらも、たまに消えそうなほど儚くなる時があった。あれがどうしようもないSOS(助けての声)だったのだとしたら。私たちは。
私たちが彼を、追い詰めてしまったのかもしれない。ああ、この人は本当は器用に見せかけてどんでもなく不器用なんだ。
「逃げて、逃げてよ! 生きて! 生きなさいよ!」
叫んだ瞬間、空気が大きく揺れた。途端に聞こえる大きな呻き声に彼は思わずといったように槍を避けてそちらを見た。
「フルドラ……!?」
リオの言ったそれは聞いたことのない魔物の名前。大きな体を持つそれは、この周囲の血の匂いを嗅ぎつけてきたのだろう。
「……っ、エスティニアン! ここにいるみんなを連れて逃げろ!」
「お前、何言って」
「早く!」
「武器のないお前が何言ってんだ!?」
リオはああ、もうといって周囲を見渡し、私の方に近づいてきた。そうしてしゃがみ込む。
「アリゼー、少し武器を貸してくれないか?」
「……え、何言って」
細剣なんて彼は使えないだろう。エーテルを扱うことが苦手だといっていた彼は、赤魔道士の技なんて使えはしないはずで。細剣を取っていこうとする彼の手を力一杯引けば、大丈夫だからといつものように笑う。
「…………死んだら、殺すわよ」
「はは、そうしてくれ」
離れていく。離れていく。離してしまえば今度こそ彼は死んでしまうのに。
「エスティニアン、はやく。そろそろアルフィノが限界だ」
「だめだ、お前も行くぞ」
「逃げられるわけないだろ、この状況で」
意識のないアルフィノを無理矢理エスティニアンに背負わせたリオは、その背中を叩く。が、エスティニアンはガンとして動かない。リオはその姿に、大きく、大きくため息を吐いた。
「お前も……いや、お前たちも大概しつこいな?」
そしてリオはそれ以上何も言わずに、私の細剣を構えた。あんな構えは今まで見たことがない。
「リオ、お願い。やめて」
消えゆきそうな意識の中、呼び止める。ほんの小さな声だったのに、彼はそれを拾ったらしく。顔だけ振り向いて、私達がよく知る、そして私達が大好きなあの顔で。
「すぐ終わるから……寝てろ」
そうだ彼は。敵なら最悪だが、味方ならこれ以上ないくらいに頼もしい人なのだ。
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ふわふわと意識が浮かびあがる。目を開ければそこはオールドシャーレアンのナップルームだった。治療の為に並べられた布団には、規則正しく息をする仲間の姿。エスティニアンもそこにいて、疲れたのか壁にもたれて寝息を立てていた。外には星が瞬いていてかなりの時間が経っていることがわかった。
「リオは……?」
ナップルームには見当たらない姿。もしやあの後の戦闘で…………焦りながら身体を起こせば、近くには私の細剣がきちんと置かれていた。手に取って確認すれば、私が使った以外の傷は見当たらない。そよそよと風が入ってくる窓へと近づけば、その奥の方。橋の欄干に座る彼の姿が目に入る。私はその姿を追いかけるようにナップルームを飛び出した。
1人で空を見上げる彼に、怪我らしい怪我は見当たらない。けれどもその頬に残る小さな手形に思わずプッと笑いが込み上げた。
「……起きたのか。具合はどうだ? って俺が聞くことじゃないけど」
「まぁまぁよ。どこかの誰かさんが致命傷は避けていたから」
「はは、そりゃ良かった」
いつも通りの対応。あの時の彼とは違う。でも多分、この彼は本当の彼では無くて。本当の彼はあの時私たちに見せたような、冷たい表情の人間なのだろう。
「エルに怒られたの?」
「そりゃこっぴどく。しばらくご機嫌斜めだろうな、あれは」
「ご機嫌取り頑張りなさいよ、自業自得なんだから」
「わかってるよ」
大変だなぁなんて笑う彼の隣に私は腰を下ろす。夜空は皮肉なくらいに綺麗で、しんと静まり返っていた。
「そういえば、貴方細剣使えたのね」
「細剣というか、まぁ、剣のほうが慣れてはいるかな。ただ、手加減が苦手で。血とか色々飛んで汚れるのも嫌だし」
それにあんまり褒められた太刀筋でもないからさ、と言うが、意識がなくなる前に見えたその剣の使い用はとても綺麗だったように思う。細剣だって傷はなく、武器を無理に使ったりはしていないのだから、その道の人が聞けば嫉妬で怒ってしまいそうだ。
「あのさ」
「何よ」
「……ごめん」
しおらしい言葉に思わず顔を見れば、彼は俯いていて顔はよく見えなかった。ただその姿はいつしかみた儚い姿とまるで変わらずで。私はゆっくりと夜空に視線を移した。
「ねぇ、リオ。私は何も聞かないわよ。何を思って何を考えてあんなことしたのか。どうして…………貴方が死のうとしたのか」
「……ん」
彼は否定しない。否定して欲しかったけれども、彼の行動の理由は本当にそれだったのだろう。何故だか知りたい気持ちもあったけれど、そこは多分おいそれと踏み込んでいい場所でないこともわかっていた。
「でもね。これだけは覚えておきなさい。私は、私達は英雄としての貴方が大切なんじゃ無くて、馬鹿みたいに優しくて、そのくせ馬鹿みたいに不器用な貴方その人だから大切なの」
彼の顔は見ないでそこまで言ってから、そっと彼の顔を伺って続ける。
「だから貴方がいくら死にたくても、私達はしつこく食い下がるから」
「…………本当しつこいな」
揺れる瞳から流れるものを、ただ私は見ていた。この人がこんなふうに泣くのをはじめて見た。いや、大体にして笑っている彼の、本当の感情を初めて目にした気がした。
ずっとずっとこの人が張ってきた壁が、虚勢が、強がりが。彼を守ってきたそれがここでは無くなっていた。
「綺麗ね」
「ああ」
私は彼から視線を外して、空を見上げた。きっと見られたくはないだろうから。彼が泣き終わるまでずっとずっと空を見上げていた。それを他の暁のメンバーが見ているなんて、彼はこの先ずっと知らなくていい。
この日確かに英雄は死んだのだ。