遠い日の君と僕

「ねえトゥルバ王子」
「改ってなんだ」
「いつ王様になるの?」
 窓際の椅子に腰かけ、足をプラプラと揺らしながら、彼女は視線を外に向けたまま、その問いかけを口にする。ここ、砂漠の国における第22位王位継承権を持つ男は、顔を引きつらせながらもなんとか笑顔を取り繕って、彼女を見やる。
 いつか。と問われてもいますぐにと息巻くことができないのが現状だ。当然男、トゥルバも王の椅子に腰掛けるべく奔走しているわけだが、それは他の王子も同じことだ。
 現時点において、彼は22の位に立つ王子でしかなく、その現実は否応なしに彼を責め立てる。焦るような時期ではないとはいえ、のんびりしていては他に掻っ攫われる可能性も大いにあるのだ。
 故に彼は、まるで小さい子供に言い聞かせるが如く、「そのうちな」と言葉を落とす。
「そのうちっていつよ」
「そのうちはそのうちだ」
「はー、自称頭脳派のくせに答えられないんだ?」
 女、なまえも意地の悪いことを口にしている自覚はあった。しかし彼女にはもう、時間があまり残されていないに等しい。
 いつその地位を手に入れるのか、本当に手に入れられるのか、そんな焦りが生まれてくるのは、二人が幼い頃に交わした約束に起因する。

 遠い日の、まだ二人が無邪気に笑いあっていた頃のことだ。互いに胸にある好意を隠しもせずに、おおっぴらに口にしていたあの日、二人は二人だけの約束を交わしたのだ。
「おれが王さまになったら、なまえをきさきにむかえてあげるよ」
「ほんとう!? トゥルバならなれるよ! わたし、まってるからね!」
 他愛もない、現実を知らぬ子供の戯言に等しいものだ。しかし、二人はその感情を胸に灯したまま、成長してしまった。
 恐らくは友愛であったであろう感情は、もっとドロドロとして醜くも美しい恋の感情を伴うものへと徐々に切り替わる。そして、二人はその約束に囚われてしまった。

「トゥルバ王子、私は……」
「……なまえ」
 なまえの言葉を遮るように、彼はその名を小さく呟いた。その声があまりにも切実で、彼女もぐっと言葉を飲み込む。
 互いに互いを少なからず想っている。彼の愛はわかりづらいが、彼女は今も幼いあの頃と変わっていないのだと信じている。
 なにより、幼き日の口約束が反故にされていないのがその証拠だ。王子である彼からしてみれば、なまえ以外にも女を選べと言われればいくらでもでてくる。しかし彼はそうしない。
 王となるべくして生まれ育った彼が、その地位に着くまでは隣に佇むのは従者のただ一人だけだと、心の奥底で誓っている。それをなまえはわかっているからこそ、この宙ぶらりんな関係に甘んじているのだ。
 昔のように、好意を口にすることすらも許されないこの場所で。
 なまえの先の問いは、それに対する意趣返しに他ならない。それと、周りの目という存在もある。いくらなまえが王子と仲がいいからとはいえ、恋仲に見えないのであれば彼女の両親が掲示してくるのは「結婚」の二文字だ。
 いつまでも遊んでいないで、早く身を固めなさいと齢19の女に言い聞かせるのだからたまったものではない。行き遅れているという自覚が彼女にある分、尚更だ。
 当然それはトゥルバも知っていることだ。……かといって、急いては事を仕損じる。ただでさえ簡単な道のりなど用意されていないのだから、ここで気をぬくわけにはいかない。
「トゥルバ王子って、ホントーに馬鹿」
「キミには言われたくないな」
「ばかばかばーか」
「っ、あのさあ」
 トゥルバは笑顔でなまえに詰め寄る。表情は笑顔だが、それはどこか剣呑な様子が見て取れ、こめかみに青筋が浮かんで見える。つまりはキレた。
 脳筋、短気な家系だと愚痴ってはいるが、彼も例に漏れず身内には存外キレやすいところがある。
 がしりと力強く彼女の腕を掴むトゥルバに、なまえは小さく「痛い」と抗議の声を上げた。それも構わず、彼の黄緑色の双眸が彼女を射抜く。
「いっそ飼い殺しにしてやろうか」
 普段よりも低く、吐き出された言葉になまえも負けじと「今もそんなようなものじゃない」とそっぽを向く。これ以上、彼の瞳を見てはいられない。ただでさえ、大人しく彼の言葉を信じて待つほどには囚われているのに、これ以上は本当に手遅れになってしまいそうだった。
 こんなにも好きなのに。こんなにも好きだから。なまえは彼の言葉通り、まっているのに。
 窓から外を眺めながら、涙をこらえているようにも見えた彼女にトゥルバも我に帰ったのか、すぐに申し訳なさそうに眉を下げる。
「なまえ、俺はさ、なまえのことが――」
「ダメ。王様になってから、でしょ?」
 その言葉を拒むように、彼女はそっとその唇に指を当てて言葉を奪う。互いに言葉を牽制し合うものの、感情を隠す気など毛頭ない。
 互いの瞳に灯る熱をそのままに、二人の唇はそっと重ね合わされる。

「兎にも角にも王子、早く王様になってよ。私おばあちゃんになっちゃう」
「そうなったら俺しか貰いでいなくなるな」
「そうなる前に! とっととはっきりさせろって言ってんの!」
 バーカ。再びそっぽを向きながら吐き出された言葉に、彼は呆れたように笑いながら、その頭に自らの手を乗せるのであった。