甘いお菓子を食むまでに

 人と深く関わろうとしなくて、ひとところに決して止まりはしなくて、いつだって独りであろうとしているくせに、とても情が深くて優しい人だ。だからこそ私は、彼にひそやかな感情を抱き、スイーツハンターとなって事あるごとに彼と対面していた。
 そんな、私の想い人がある日突然子持ちになっていたなんて、誰が信じられようか。

「たっ……ターネス」
「よお、久しぶりだな」
「うんそうだね。久しぶり……って違う! 違うよ!」
 にこやかに挨拶の言葉を口にするターネスに、つられるように私も手を上げて応えた。
 いや、違う。そうじゃない。すぐさま頭を振りながら私は目の前の信じがたい様子を否定すべく、ひとまず現状の再確認を始めた。
 あの、ターネスの足元には、彼に抱きつくように幼い少女の姿がある。そう、幼い少女だ。
 誘拐でもしたのだろうか。その割に懐いているように見える。無理やり連れ回しているならばありえない光景だ。
 少女を見てから、もう一度ターネスを見る。二人の間を視線が行き来しているのに気づいたのか、不機嫌そうに彼は「なんだよ」と口にする。
 あのね、ターネス。それは私の言葉なんだ。
「……人攫いは流石にまずいと思うの」
「ちげぇよ!」
「じゃ、じゃあ……?」
「娘だよ。俺の。マーガレットって言うんだ。おい、マーガレット。挨拶は?」
「こんにちはー」
「こんにちは。って! むっ、娘!?」
 思わず声が裏返ってしまった。子供らしく無邪気な笑顔を浮かべて間延びした声で私に挨拶をしたその少女――マーガレットという名らしい――のことを、彼は今、娘と言ったのだろうか。
 決して一箇所に止まり続けることのない彼が、どこの誰と娘をこさえたというのだろうか。何と言ってもあのターネスだ。天地が逆さまになってもあり得ないと思っていたのに、私が手をこまねいている間になんということが起こってしまったのだろう。
 私の絶望なんて知らない彼は、私の勢いに驚いたのか「なっ、なんだよ」と言いながらもそっとマーガレットちゃんを庇うように手を出して一歩前へ出る。
 それが、彼の言葉が本当だという裏付けになっているようで、そのままが胸に突き刺さる。つまり、私は思いを打ち明けることなく失恋したというわけだ。
 彼が、人と関わる気がないから、踏み込んだら離れてしまうだろうと予想できていたから、ずっとずっと胸の中に押しとどめていた感情が、飴をハンマーで叩き割るような豪快さで見事に粉微塵にされてしまった。
「いっ、いつの間に結婚したの……」
「は? 結婚? してねえけど」
「えっ? してない!?」
「お、おう……」
 私の剣幕に押されるように、彼はたどたどしく首を縦に降る。
 結婚していない。でも娘がいる。つまり、どういうことなの。混乱しながらも、「じゃあ、その子は……」と問いかければ、ようやく彼は私が何に驚いているのかがわかったように「ああ」と声を上げた。
「こいつは……あー……どこから話せばいいんだ?」
「や、聞きたくない」
「いや、聞けよ!」
 私に説明しようとしているのだろう。でも、何が悲しくて自ら傷口に塩を塗りつけるような真似をしなくてはいけないのか。どうせならば甘いシロップの中で、都合のいいだけの夢を見続けていたいというのに。
 両手で耳を塞いで言葉を拒む私に、彼も少々苛立ったのか少女をかばっていた手で私の両手をがしりと掴む。
 こんな状況だというのに、思わずときめいてしまったのはここだけの話だ。
「こいつは……あー……訳あって俺が預かってるというか……」
「でも、娘なんでしょう?」
「そうだけど、そうじゃなくて……いや、そうなんだけど」
「どっちよ」
 煮え切らない彼につい半眼で返してしまった。しかし彼の歯切れの悪さゆえに、私の思考は悪い方へと進んでいく。
 以前付き合っていた女性との間にできた子を押しつけられた……とか。
 人と関わらないようにしていた彼に付き合っていた女性がいるなんて聞いたこともなければ信じられない事ではあるが、現に彼の"娘"がそこにいる。
「ぱぱ?」
「ぱっ……パパ?」
 それまで空を眺めてぼんやりとしていた少女が、ターネスを見上げて小首を傾げる。
 パパなんじゃん! やっぱりパパなんじゃん! と、追撃しようとした私に彼は「ああもう」と声を上げて私の手を掴んだまま、目を合わせる。
「いいからお前、ちょっと来い! いま俺らが借りてる部屋行くぞ! そこで詳しい話をするから!」
 言うなり私の手を引いて、マーガレットちゃんに「一旦帰るぞ」と声をかける。
 少女は目を瞬かせて小首を傾げたのち、満面の笑みを浮かべて「うん」と返し、「おなかすいたー!」と続けたのだ。
 その言葉に彼は昼菓子の時間だもんな。と苦笑を浮かべる。どう見たって仲のいい親子である。ああ、神様、何故私にこのような光景を見せつけるのでしょうか。
 嘆きながらも、彼に手を引かれるまま私は舗装された道を歩く。子供に合わせたゆっくりとした歩調は、私に考える余裕というものを与える。
 あの、ターネスに子供ができた。おまけに割と大きめの。引き取ったと言っていたが、もしかしなくても血の繋がりはないのかもしれない。しかし、彼の子供として生きているようだ。
 次第に冷静になってきたおかげで、どうにかそこまでは落ち着いて考えることができた。まあ、実際彼に子供を作るだけの甲斐性はないだろう。なんて失礼なことを考えながら、を歩く。
 促されるままに現在彼が居住している部屋へと足を踏み入れ、ついでだと言わんばかりに昼菓子をご馳走になることとなった。
 食卓に着くなり、勢いよく出された菓子を食べ始める少女にわずかな疑問を抱きつつ、私は向かい側に腰を下ろした男をにらみ上げた。
「ちゃんと説明してもらえるのよね?」
「わかった。わかったよ」
 降参だと言わんばかりに両の手を上げるターネスは、ポツリポツリと少女との出会いから語り始めた。多分、私に聞かれたくない話はごく自然に除外して。
 とりあえずわかったことは、以前立ち寄った町のすぐそばにある森が異形と化していて、そこで少女と出会ったということ。色々あって、保護者もいないことからターネスが引き取って面倒を見るようになったこと。少女はマーガレットという名で、それはターネスがつけた名だということ。この3つだ。
「……アンタが子供を引き取るどころか名前までつけるなんてね」
「何か言いたそうだな」
「別に。マーガレットちゃん、大変だったね」
 一人ぼっちで異形の森に居ただなんて。……でも、どうやって? 疑問に思いつつも、説明がなかったということは私に話す気は無いのだろう。
 一から十まで全てを教えてもらえるとは思ってもいなかったが、それはそれで寂しいものだ。
 ターネスの隣に腰掛けてお菓子を頬張る少女は、私を見て瞬きを繰り返したのち、こてんと首を傾げた。
 ああ、そうか。私はまだ自己紹介すらして居なかった。
「私はなまえだよ。あなたのぱっ……パパとお友達なの」
「おともだちー?」
「ああ、そうだ」
 彼女の瞳がターネスに向いた。マーガレットの言葉を肯定するように、彼は頷きながら答えている。
 彼が少女の頭を撫でて目を細める様子は、頭を撫でられて嬉しそうにターネスを見るマーガレットの姿は、どこからどう見ても仲のいい親子である。
 友人であると肯定されたこと自体は嬉しいはずなのに、私の胸はズキズキと痛みを訴えていた。友人以上の立場になんて、なれないことはわかっているくせに。
「……というわけでまあ、いまはこいつを連れて旅してるってわけだ」
「……あのターネスがねえ」
 しみじみとそう口にすれば、彼は「似合わなねえことをしてる自覚はあるよ」と唇を尖らせた。本当に、彼は変わったようだ。
 以前ならば「お前には関係ないだろう」と言わんばかりに突き放してきたというのに。
 ふと、視線を感じてマーガレットちゃんを見れば、彼女は私とターネスを交互に見て瞬きを繰り返している。
 それから、ポツリと声を落とした。
「ちがう」
「ん? どうした? マーガレット」
「ちがうの」
「なにが……――」
「まま」
 私を指差して少女はそう、声を上げた。まま。ママ。……ママ?
 私が彼女の言葉を理解するよりも早く、ターネスが「はあ!?」と素っ頓狂な声をあげる。
 思考停止する私をよそに、彼は慌ててマーガレットに「お前な、そういうことを誰彼構わずいうもんじゃねえぞ」だとか、なんかそんなようなことを言っているが少女は疑問符を浮かべて首をかしげるだけだ。
 私は真っ白な頭のまま、自らを指差しながら少女に問いかける。
「……ママ?」
「まま!」
 嬉しそうに笑いながら言い切った少女に胸を打たれたような感覚。だって、可愛らしく、嬉しそうに、笑うのだ。私を見て、ターネスを見て、それからやっぱり花が綻ぶように笑うのだ。

 それから、紆余曲折を経て本当の家族になるまでの、私と彼と彼女のすこし奇妙な日々が廻り始めた。