百鬼夜行に誘われるように

 化生の物だと指を刺される。女狐だと非難される。……おかしい。私は只人であるはずだ。姿も他と変わらなければ、なにか怪しい術を用いるわけでもない。
 ――なのに、現実はなんと残酷なものだろうか。
「もし、そこのお方」
「私、でしょうか」
 不意にかけられた声に応じて顔を上げれば、そこには柔和な笑みを浮かべた見目麗しい殿方が立っていた。
 まるで名家のご令嬢であるかのように流れる黒髪は、漆黒の絹糸を丁寧によせあわせたかのような美しさを持っていた。
 目を瞬かせ、不躾ながらも食い入るように見つめていた私に彼はホッと息をついて「よかった」と呟いた。
「えっ?」
「いやあ、身投げでもしようとしているのかと」
「あっ……その」
 そう言って彼の指し示す先には、今しがた私が見つめていた川があった。
 そうだ。私は今橋の上でひとり、この水の流れに吸い込まれそうになっていたのだ。
 彼の言うように、身投げの一つでもしてしまえばよかったのだ。……いや、むしろ"そうしようとしていた"のではないか。
「もし望んでそうしているのでしたらお邪魔してしまい大変申し訳ございません」
「えっ、いや……」
 一体、この人は何なのだろうか。突然声をかけてきたかと思えば、身投げの邪魔をしてすみませんと謝ってみせる。
 お陰様で先ほどまで私の中にあった鬱々とした感情が霧散し、なんだかとてつもない阿呆を晒してしまっているような気になる。
 私が不審に思っているのを察したのか、その人はニコニコと笑いながら言葉を続ける。
「そうだ、ときにお尋ね致しますが、これくらいの背丈で頭に角を三本生やした子供をお見かけしていませんか?」
「角、ですか?」
「ええ。鬼を自称する童のような人物なのですが」
「お、鬼……」
 その人は手で背丈を示したあと、こんな感じに……と両手の人差し指を立てて頭の方に持っていく。
 別段大したことがないようにそう言うこの人は、この国において"鬼"というものがどういう存在なのかわかっているのだろうか。
 たとえ冗談であってもそんなことを口にすれば、周りからは白い目で見られること間違い無いというのに。
 目を瞬かせる私をよそに、彼はなおもその"童"の特徴を挙げる。「白い髪に背丈と同じほどの大太刀を担ぎ、騒ぎの中心に、問題として腰を下ろす」ような人物らしい。
 曰く"鬼"であるというが、その童は名の知れた家の出なのかも知れない。であればごっこ遊びに付き合ってやる理由は分かるし、誰も咎めぬ理由も察する。
「私の主なのですが、少し目を離した隙に何処かへと姿をくらませてしまいまして」
「そ、それは大変ですね」
 あはは。と愛想笑いを浮かべれば、彼も「ええ、まったく」と同意を示しながらあっけらかんと笑う。
 少なくとも、姿の見えないその主を心配しているようには見えないのだが……まあ、人にはそれなりの事情があるのだろう。
 しかし、鬼を自称する童とは一体――。
「しずめきー! しずめきはどこじゃ!」
「おや」
 前方に声を張り上げて誰かを探す少女の姿があった。"しずめき"という名を呼んではきょろきょろと辺りを見回して、目的の人物がいないとわかるや少しだけ肩を落として……でも、それでも諦めないのかもう一度声を張り上げて。
 その一連の動きを繰り返す少女は、近づくにつれ、先ほど聞いたばかりの特徴が見事に当てはまる人物であると気づいた。
 白い髪。背丈と同じほどの大太刀を担ぎ、騒ぎの中心にいるどころか現在進行形で騒ぎを起こしている。そして、その見た目に不釣り合いなほどに禍々しくも際立つ三本の角。
 堂々とした立ち振る舞いも相まって、思わず見惚れてしまうその人物は、彼が探している――……と思った私の耳に、小さくため息が聞こえてくる。隣を見上げれば彼は、やはり笑顔で肩をすくめていた。
「どうやら彼方から来てくださったようです」
「ええっと……」
「少々頭の痛い事態にはなっておりますが、あれが我が主にございます」
 そう私に説明したかと思えば、彼はこちらに向かってくる少女の方に一歩足を進め、かと思えば物思いに耽るように顎に手を当てて立ち止まる。
 そんな彼――少女の声から察するに「しずめき」さん――はううむと小さく唸る。
「どうかされましたか?」
「いえ、ね……少し離れているとはいえ、目の前にいるのにあのように声を上げて……」
 そう言って彼は肩を震わせる。声をかけようと口を開いてみたけれど、少女の一層大きい「しずめきー!」の声に飲み込まれてしまう。
 そうしてようやく、彼は「失礼」と私に声をかけてその人の元へと向かう。五間半ほどの近い位置にいた少女は、ようやくこちらに気づいたのか怒声をあげる。
「こら、しずめき! 呼んだらすぐ来んか!」
「失礼しました。そちらの女人と言葉を交わしておりました故」
 そう言って彼は私を指し示す。……否応無しに巻き込む気だ。あの人。
 少女は「む?」とら眉をひそめ、私を見る。しかし私は、その額に鎮座する三本の角に目が釘付けだ。失礼であるとは思っていながらも、物珍しさが先立つ。
 なるほど。これが鬼を自称する童。
 そんな私に気を悪くした様子もなく、少女は笑う。嗤う。
「なんじゃ女。わしに恐れをなしているのか? ふふん。そうであろう。わしこそが天をも戴く鬼! たいてんき様じゃ!」
「ヨッ! 流石はたいてんき様! 言葉の意味を創り変えた上にもうそのことを開き直っておられる!」
「……」
 太鼓持ちのように彼女を褒め称える姿勢をとってはいるが、その実まったくそうではないらしい。
 それは彼女もわかるのか、少しばかりの沈黙の後、また豪快に声を上げて嗤う。もうどうにでもなれと言ったやけくそ感を覚えるが、実際のところどうなのかはわからない。
 ――それが、女狐と呼ばれた只人である私と、只人なれども鬼のような風貌をした二人組の、少しばかり奇妙な出会いであった。