白と、青と、それから。

 うちの上司はアホだ。バカだ。脳筋だ。普段ならばその傍に、頭脳役の男がいるのだが、生憎と現在、上司ことバルトロメイ隊長とともに二人仲良く街へ連れ立つこととなったのだ。
「さ、さむい……」
 白く濁る吐息が視界に入る度に、ことさら寒さが厳しくなるような気すらしてくる。手袋をつけた手を擦り合わせても、一向に暖かくならない。
 いっそ指先から冷気が出ているのではないかと思うほどに、寒い。隊長は「みんな同じモン支給されてんだろ。お前、弱いなあ」と悪意なく言ってのけたのでとりあえず睨みあげたら口を噤んだ。
「はー……お前、寒さに弱いのによくうちに入ろうと思ったな」
「私はもともと実働部隊に入る予定じゃなかったんですけどね」
「ご苦労なこって」
 言いながら、隊長は肩を竦める。本当に、こんなはずではなかった。彼のもとに配属されたことも、彼に一目惚れしたことも、彼が恋人を求めていて、誰彼構わず口説きに入ることも。……私が、彼の下で働く時間が増えれば増えるほど、嫌いになるどころか好きになることも。
 いっそ、軽薄な男だと嫌いになってしまえればよかったのだ。想う相手が変わったのならば、こんなに苦労することもなかった。
 気づけば隊長、副隊長に次いだ立場に籍を置き、副隊長が非番の時にはこうして彼と細やかな任務に出る羽目になってしまった。
「その苦労の半分以上は誰かさんのせいなんですけど?」
「ん? 誰のせいだ? お前に手間掛けさせる奴はオレから一言言ってやるぞ?」
 お前だお前。なんて、返せたらいいのだけど、生憎と私はそんなにはっきりと隊長に言えるほど偉くもなければ勇気もない。さすがに、彼はなにも思わないだろうけれど。
 普段は割とイラつくのだが、彼がそういうところで察しが悪くて良かったと心から思う。あと、自らに向けられる恋愛感情に疎いところも高得点だ。
 別に、隊内での恋愛は御法度というわけでもないのだが、彼や私の立場はまた少し特殊だ。上司部下の関係でのそれは、同僚同士、先輩後輩同士とのそれとは周りの目が変わってくる。
 そうでなくても、私は素直に思いを口にすることができないひねくれ者だから、私が彼と恋人同士、なんて甘い関係になる日は来ないだろう。
「知らぬが仏ってやつですかね」
「?」
「わからないならいいんですよ……――隊長」
「ああ。お前はじっとしてろ。オレが行く」
 僅かに感じた気配は、一体何だろうか。体調に呼びかければ彼もまた、真剣な目で頷いてその正体を探りに動き始めた。
 先ほどまでの親しみやすい空気は霧散し、今は獲物を狙う狩人が如き眼光を携えている。こんな時だというのに、不意に垣間見せるそんな様子に胸が高鳴る。
 ダメだダメだ。今は任務中。雑念は捨てねば命に関わる。ただでさえ、辺境調査隊は危険と背中合わせなのだ。気を抜いたら明日は来ない。
 だけど、戦闘において彼と共にいることほど安心できることはなく、この辺りで自然災害が起こりうる可能性はほんの僅かだ。つまり、今隊長が対峙している存在がモンスターであったとしても、よほどのことがない限りは安全だ。
 本当に、狡い。
 案の定気配は癒されていないモンスターで、こちらに気づくなり襲いかかってきたユキンを相手に、彼はあっという間に戦闘を終わらせてしまった。
「待たせたな」
「……いえ」
「お? なまえ、素直だな? ……まさかオレに惚れ……」
「てないです」
「遮るなよ」
 むう……と唇を尖らせるその姿は、とても先ほどまで剣を振るっていた男とは思えない。黙っていれば、格好がいいというのに……。
 呆れながらも彼を見やれば、隊長は何を思ったのかウインクを投げてよこす。
 ……いや、本当に何やってるんだこの人。
 少しばかり早くなってしまった心音に気づかないふりをして、「何やってるんですか」と問いかければ彼は悪びれもせずに「熱烈な視線を送られてしまったからな!」と笑う。
 うっかり彼を見る目に熱を込めてしまったのかと背筋が冷えたが、相手は隊長だ。視線に込められた感情の些細な揺れなど、気づくはずもない。
「バカなことやってないで、行きますよ」
「なまえ、ホントつれねーな」
「はー……隊長がかっこよすぎるあまり、自分を見失っていました。……なーんて……」
 言えば気が済みますかと続けようとした声が途切れる。だって、目の前の男があまりにも嬉しそうに目を輝かせているのだ。
 あ、これちょっと面倒になるやつだ。なんて想うと同時に、ずしりと肩に重みが加わる。普段から剣を握るために鍛え上げられた筋肉質なそれは、私の胸を高鳴らせるのには十分で、おまけに肩を組む、という行為のせいで普段よりも近い位置にある彼の顔が余計に私の心を乱す。
 もっと、私が素直ならばここで何かしらのアクションが取れるだろうに、胸中の大騒ぎとは裏腹、吐き出した言葉はいつものように、淡々としていた。
「セクハラで訴えますよ」
「肩を組むのもダメなのか!? 厳しいなー」
 眉を下げながら、彼はぱっと手を離し降参の形を取る。僅かな間だけ伝わってきた温もりが離れたことに、自己嫌悪だ。
 バカだ。私はどうしようもない大バカ者だ。目と鼻の先に、好きな人の温もりがあったというのに。
「はー……街に着いたら恋人とかできねえかな」
「どうせすぐフラれますよ」
「お前も言うねえ」
「事実じゃないですか」
 全く、誰に似たんだか……とわざとらしく頭を振り、隊長は大きくため息をついた。
 告白して、付き合って、すぐにフラれる。それが彼のおきまりのパターンだ。付き合うに至る前にフラれることだって多い。もとより数打ちゃ当たる作戦なのも問題だろう。
 思っていたのと違う。なんて、耳にタコができるほどに聞いてきているらしい。これは副隊長からの情報だ。
 確かに、この見た目から中身の推測をするのは難しい。なんといっても彼は少々難あり物件だ。
「オレは諦めねーぞ!」
「はいはい。行きますよ」
「扱いが雑!」
「副隊長よりは優しいつもりです」
「うーん……どうだろうな?」
「そこで真剣に考えるのやめてください」
 うちの上司はアホだ。バカだ。脳筋だ。隣にいるんだから、早く気づいてよ。
 ……本当にバカなのは、素直になれない私なんだ。