熱を孕んだ白昼夢

 ――夏は暑い。
 当たり前だ。この世界は、そんな暑い季節を夏と呼ぶのだから。

「シス〜? あれ? どこ行ったのかな……」
 ジータが呼んでたんだけどな。なんて、小さな声で呟きながら、なまえはその男がいそうな場所をきょろきょろと見渡す。
 茹だるような暑さ。夏本番どころか初夏にも差し掛かっていないくせに、やたらと暑い。ただでさえ暑苦しい格好をしている彼が、余計暑くなるような場所にいるとも思えない。
 しかし、彼の部屋はもう訪ねた。いつも以上にしつこくノックして無言だったので、いないだろうと踏んでいたが……。
「や、船内の他に心当たりがないし、初心にかえるか」
 でかい独り言である。でも、それを口にしなければ心が折れてしまいそうだ。普段ならば探せばすぐに会えるその男が、今日ばかりは姿を見かけることすらないのだ。まるで、なにもしていないのに避けられているような……。
 そこまで考えてから、なまえは考えることをやめる。そうと決まったわけでもないのに、悪い方向で突っ切ってしまいそうになった思考を切り離す。
 そうしてから、はじめに訪れた彼の部屋へと足を運んだ。
「シス〜?」
 ノックとともに声をかける。しかし、返事はない。
 ドアの前で「ううん」と小さく唸れば、部屋の中から衣擦れの音が微かに聞こえてきた……気がした。
 再度ノックをして声をかけ、ようやくくぐもったような声が微かに聞こえてくる。
 ほんの一瞬の躊躇。それの後、彼女は迷うことなく目の前の扉を開け放つ。
「シス、大丈夫!?」
 勢いのままに男の名を呼びながら部屋へと飛び込む。どこか体調でも悪いのではないかと不安に思いながらも、部屋の主へと駆け寄る。
 そこには、汗で張り付く髪をかきあげながらも普段つけている面を装着しようとしているシスの姿があった。
 深いげに歪められた視線と目が合った瞬間、彼は鬱陶しそうに仮面を装着し、普段よりも少し荒い呼吸を整えるように大きく息を吸って、吐く。
「……何だ」
 仮面に隠されたその顔が、今はどんな色をしているのかわからない。そうやって、仮面で全てを隠してしまおうとするシスがどうしても許せないなまえは、勢いよく彼の顔を覆うそれを剥ぎ取った。
 何をする! と、彼らしからぬ大きな声が聞こえるが、仮面の下に隠れていた男の顔になまえはゴクリと生唾を飲んだ。
 有り体に言えば色気が爆発している。怒っているのだろうが、頬を流れる汗が普段のミステリアスな雰囲気を色気へと転じている。
 荒い息も、熱っぽい視線も、全てが普段の彼とかけ離れている。
「ど、どうしたの……?」
「……」
 答える気は無いと言わんばかりに無言を貫く男に、少なくても緊急性は感じられない。いざとなれば完璧に隠し通すであろう彼が、こうして少なからず表に出していることからもそれは推測できる。
 ――ならば、何故。
 再び頬を流れる汗を、なまえはゆっくりと指ですくい取る。うだるような暑さが自分にも伝染してしまったような感覚。ああ、そうだ。暑いのがいけないのだ。
 ……だから、こんなにも私は――。
「……おい。お前――」
 一体なんのつもりだ。そう吐き出されるはずであった彼の言葉を聞くよりも早く、なまえはハッと我にかえる。
 自分は今なにをしていたのだろうか。苦しんでいる男を目の前に、心音を高めていたのではないか。そう思ったら途端に羞恥心が顔を出す。
 慌てて手を離し、彼から距離を置こうとした。はずなのだ。
 引っ込めたはずの手を彼が力強く掴み、じっと彼女の両眼を見つめる。
 どこか熱に浮かされてしまっているようなその瞳が、彼女を捉える。
「……どこへ……行く……」
 ボソボソと、小さく吐き出された言葉は普段の彼を考えたらありえないようなもので、ギリギリのところで持ちこたえていたなまえの理性の意図をたやすく引きちぎる。
 ――色気の暴力だ。
 汗で張り付いた額の髪をそっと指で払い、なまえは露わになった額にそっと唇を落とす。
 予想外の行為に抵抗する間もなく、あっさりと口づけを落とされてしまったシスはポカンと呆けた顔でなまえを見た。
 ああ、もう。かわいいなあ。
 なんて、彼女が思っていることなど男は知らない。彼が理解するよりも早く、なまえは今度は鼻の頭に口づけを落とす。
「どこにもいかないよ」
「……っな……!?」
「シスの側にいる。ね?」
「……、違っ……」
「……だから、ね。まあ……うん」
 言いたい言葉をうまく見つけられないなまえは、上昇していく室温に煽られるようにベッドの上に腰掛けるシスの肩をつかみ、自らの体重をのせる。
 急だったことと、茹だる暑さにやられていたことと、それから更にいくつかの理由を持って彼はかけらも抵抗できずにベッドへと押し倒される。
「……私は悪くない……と思う。や……悪いかな?」
「おまっ……」
「あとでいっぱい謝るから、ごめんね」
 言いながら彼女は、薄く柔らかな彼の唇を貪るように、口づけを落とした。