【第五章】―冷えたスープは飲みにくい―
―それは、いつの日だっただろうか…懐かしい記憶。誰かの、頭の中に残っているのか、危ういくらいの、記憶。
「狡噛が記憶喪失ゥ?!なんじゃそりゃ!めっちゃ面白いじゃねーか!」
「佐々山!何言ってんの?面白がってる場合じゃないでしょ!」
「いや面白いの一言しかねェよ!!!この機を逃すな!自分が彼女ですって植え付けてやれ!」
「辞めてってば!!!!佐々山に慎也の事、好きなの言うんじゃなかった!」
「お前らは今の狡噛にとって不利益だ。少なくとも数日間は、面会を禁止する。」
「待ってギノちゃん…せめて彼女って植え付けてから…!」
「ほら、みろ!やろうとしてるじゃねーか!」
「うるさい佐々山!」
慎也が記憶喪失になっていたらしい。数日前、対象者を追っている間にケガをし、気を失った。おそらく、その時に記憶喪失になったのだろう。今も病室にいるが、もう身体は異常なく、記憶だけが戻らない状況。
確かに、この数日間、何度か見舞いにいったが、様子がおかしかった。あれは記憶が無かったからなのか、と妙に納得してしまった自分がいる。
ああ、あの時に彼女ですって言っておけば…
「状況を判断する為に、数日間、黙ってたところが、狡噛らしいよな。」
「このまま慎也が黙ってたら、もしかしたら誰も気づかなかったかもね」
「さすがに、そりゃねーだろ」
「そうかなぁ」
「必ず誰かが違和感を抱く。」
「んー、まぁそうか。」
「で?」
「ん?」
「行くんだろ、狡噛の病室」
俺はお見通しだぜ、と語尾につくくらい軽快な声音だった。
++++
「慎也、本当に記憶無いんだね…」
「ああ…すまない。」
佐々山と病室に行くと、彼はベッドで本を読んでいた。私達を見ると、ああ、という顔はしてくれたが、やはり、いつものような雰囲気は無い。
「ううん、大丈夫…私、慎也の記憶が戻るまで待ってるから…、ううん、戻らなくてもいいの!慎也が生きてさえいてくれば…」
「お前誰だよ。どこの少女漫画のヒロインだよ。」
「五月蠅いな、佐々山!今良いところなの!」
「どこがだよ!」
「…」
身体に異常がないとはいえ、ギャーギャーと病室で騒ぐ。
いつもだったら、五月蠅いぞ、二人とも!と叱ってくれる慎也は、今はいない。…私達に気を使いまくってくれてる慎也だけ。
「で?いつ記憶が戻るんだ?エリートさんよぉ」
「佐々山っ!」
相変わらずデリカシーの無い彼に苛立ちを隠せず、怒声をあげる。
「…俺にもわからない。」
しかし、そんな彼に怒る様子も見せず、ただ申し訳ないという表情で返す彼が痛々しかった。
「具体的にいつから、いつが無いんだよ?」
「…ここ数年間の記憶が無いらしい。公安局に入社した記憶は無い。」
「じゃあ私の事、覚えてないの?」
「…悪い」
「ううん大丈夫!実は私、貴方の彼女…「お前は、とりあえず黙ってろ。」…なんなの佐々山」
「じゃあ、あの堅物の事はわかるんだな?」
「堅物?」
「ギノちゃ…宜野座の事!」
「ああ、わかる。」
「学生時代の記憶はある、ってことだな?」
「ああ…」
一瞬、何かを考える素振りを見せた佐々山。…今ので何かわかったのだろうか?私には、さっぱり何もわからないけど。
「…行くぞ」
「え?ちょ、佐々山?もう行くの?」
彼は、もう用が無い、と言うかのように慎也に背中を向け、さっさと病室を退散する。
「俺ら、一応、面会禁止令出てんだろ!長居するとやべェからな」
「え、あ…。じゃ、じゃあね!慎也!また来るね!」
「あ、ああ…」
まだ話したい事は、たくさんあったけど。ギノちゃんに見つかったら、のちのち面倒なので、佐々山の言う通り、素直に病室を退散する。
扉を閉める直前、慎也と目があったけど、なんだか恥ずかしくて、目をそらしてしまった。
++++
佐々山と別れた後、とりあえず自分の家へと戻った。執行官である佐々山は、公安局の檻から出る事は出来ないので、執行官専用宿舎に戻って行ったが。
味気ないホロで内装された部屋。別に嫌いではないが、たまに虚しくなる事がある。
「はぁ」
今日の疲れが一気に身体にきたらしい。ソファに倒れこみ、今日一日の出来事を思い出す。
「記憶喪失、かぁ」
嬉しいことに、私は記憶喪失になった事は無い。強いて言うなら、酒で記憶を飛ばしたことがあるくらいで、病的に記憶をなくした事は無かった。
今の慎也は、私には想像できないくらいの不安があるに違いない、のだ。記憶を失ったのが公安局に入社した頃から無いらしいので、まだ記憶にあるギノちゃんが側にいた事は、慎也にとってかなり安心する要素の一つだっただろう。ギノちゃんの存在が、もしかしたら記憶をなくしている事を告白する切っ掛けの一つだったのかもしれない。学生時代の慎也とは関わりが無く、入社時期が同じで同期という接点しかない私は…慎也にとって、重大な人物でないという事を思い知らされた気分だ。
「…」
好き、なのになぁ。
「…」
始めて会った時から。
「…」
でも、慎也にとって私は…彼に好意を寄せる大勢の女性の一人にすぎないのだろう。彼に好意を直接、伝えた事は無いが。私の内なる気持ちを知っているのはギノちゃんと、佐々山だけである。慎也の病室に行く事だって、一人ではできない。仕事以外で慎也に話しかける事も、できない。そういう点では、同期で同じ一係に所属しているのは不幸中の幸いというべきか。…逆にいうと、それを利用しないと、話しかける勇気もない。
「もっと私が可愛ければなぁ」
慎也の周りにいる女の子達みたいに。…そしたら、…
「あーもぉっ!そんな事、考えても無駄無駄!」
考えを消すように、顔を振る。ソファから立ち上がり、服を脱いだ。
「さっさとシャワーでも浴びて寝よ!」
―水で全て洗い流せてしまえたら。
しかし、事はそう簡単に進まなかった。シャワー室の扉を開けようとした瞬間、コール音が鳴る。家に誰もいない事を良い事に、素っ裸で音を鳴らしている者の名前を見た。
着信中:佐々山執行官
「こんな時間に…何かあったのかな」
―ピッ
【もしもし?!】
「どーしたの、佐々山。」
【大変だ!】
「何が?」
【狡噛の元カノとやらが現れた!!しかも、めっちゃ美女だ!俺が喰うしか…】
「…」
【おい?聞いてんのか?オーイ】
「…」
【もしもーし】
この後、佐々山が色々言っていたような気がするが、私の耳には全く入ってこなかった。
++++
「で?ギノちゃんは?」
「今日は非番だ。どこぞの温泉でも行ってんじゃねーか。監視官様は、外を自由にウロウロできる身だからな」
「…」
次の日の朝、佐々山の自室に突撃訪問し、無理矢理起こして、慎也の病室に向かった。昨日の電話のせいで寝不足の、身体にムチを打ちながら。
病室につくと、信じがたい光景が真っ先に視界に入ってきたが。
「ねェ、慎ちゃん。本当に私の事忘れたのォ」
「ちょ、」
「うっひょーー!ナイスバディすぎるぜー!」
「黙って佐々山」
超ナイスバディの女が、慎也を押し倒していた。
横で佐々山は、その女の身体に反応してるし、慎也は慎也で、どうしていいのかわからないのか、黙ってるだけ。
「とりあえず、退いてください。」
「…誰?あなたたち」
私達の存在に気付いた女が、慎也の上から退いて、ベッドの上に腰かけた。慎也も、女が退いたので、身体を起こす。
「一係監視官の者です」
「一係の執行官でーす」
「今、カップル水入らずの時間なの。邪魔しないで」
はぁ?と言いたいのを我慢して。とりあえず。
「貴方は?」
「公安局受付嬢の櫟真麗よ。慎ちゃんの元カノ。慎ちゃんが記憶喪失になったって聞いて、飛んできたの」
彼女が…昨日、佐々山が言ってた…
「そうなの?慎也」
「悪いが、覚えてない…」
「酷ォい、慎ちゃん!あんなに愛し合った夜も忘れるなんて…」
なんだか胸糞悪い事を言っている女に、詰め寄る。
「とりあえず今から、私達、仕事の話をするので!部外者は出て行ってください」
「なんなの?貴方。誰が部外者ですって?」
「貴方ですよ、櫟真麗。受付嬢は出て行ってください」
「…ふぅん、貴方、もしかして嫉妬してるのね?」
「!」
「貴方もどうせ、慎ちゃんに想いを寄せてる女の一人なんでしょ?そりゃいきなり元カノが現れたら、むかつくわよねぇ」
…!その通りすぎて、ぐうの音もでない…!ていうか待って!慎也そこにいるんですけどぉ?!
「そんなエリート辞めて正解だ!俺と今からイイコト…「佐々山黙って」…」
五月蠅い佐々山を黙らせて、
「とりあえず出て行けーー!!!!」
叫んだ。
++++
しかし、次の日、ギノちゃんが出勤してきた時に、事実は発覚した。
「なんだ?あの女は」
「慎也の元カノらしいですけど…」
「は?元カノ?いつのだ?」
「え…記憶に無いらしいから…たぶん、公安局入ってからの?」
「俺は聞いたことない。記憶喪失なのを良いことに女が勝手に虚言吐いてるだけだ。病室からつまみだぜ」
「え…えええええ?!」
―そう、この頃は…好意を伝えることも、できなかったし、佐々山がいないと、慎也に堂々と話しかけることもできなかった。
冷えたスープは飲みにくい
(慎也の記憶は、ベッドから落ちた時に戻った)
20160513
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