【第六章】―限りなく零―
「ハニー好きだよ!」
「私は慎也が好きなの!しかもハニーじゃない!私!いやハニーだけど!」
「「…」」
日本一、大きいとされる会場のステージ裏側…
会場の主役である男と、護衛する立場である女の言い合いが響き渡っていた。
「何をやってるんだ…アイツは」
「うーん?日本一の良い男に求愛されてるけど、断って違う男に求愛している図?」
「…」
呆れたように、見守っていてるのは狡噛と縢だ。視線の先は、自分たちの上司であるはずの監視官と、今、日本で結婚したい男ナンバーワンとされているアイドルの佐埜蟻俊介である。染めた茶髪が目立つ。
今日の一係の仕事は、この佐埜蟻俊介のライヴで、彼を護衛する仕事だ。彼の客層は老若男女いるが、色相が濁っている者も多く、毎回危険なことが佐埜蟻にふりかかるので、護衛を任されたのである。今、一係の者達はライヴ開始後、各自、配置される場所の確認に行っていて、狡噛と縢は確認し終えたので、ステージ裏に戻ってきたのだ。
「で?どういう状況なんだ。」
「なんか佐埜蟻チャンが惚れちゃったみたいだよ」
「…なんでまた」
「なんでだろーねぇ?俺が一通り会場を見回って帰ってきた時には、この状態だったよ」
「…そうか。とりあえず、そろそろライヴも始まる。俺は配置予定の入り口付近に戻る」
「…助けなくていいの?アレ」
「…何で俺が」
「だって」
「私は、慎也が好きなんだってばぁっ!!」
「…って言ってるよ?」
「…」
「助けてあげればー?コウちゃん」
「…ハァ、仕方ないな…」
「おっ?」
「なまえ」
ここで始めて、狡噛が動く。名前を呼ばれたことにより、彼の存在に気付いた彼女は、走って彼に抱き付いた。
「慎也ぁっ!!」
「離れろ。…ライヴが始まるぞ、そろそろ準備しろ」
「うんっ!」
「お前が…慎也か?」
狡噛の存在に気がついたのは、女だけではなく、佐埜蟻もだった。慎也と呼ばれ、女に抱き付かれた姿を見て、この男が想い人である事を認識したのだ。
「公安局一係の執行官、狡噛慎也だ。今日は俺らがお前を護衛する」
「執行官…?公安局の犬か。犬が彼女に想われているだと?」
「あれはネタだ。気にするな」
「何で勝手にネタにしてるの?!毎日毎日、慎也大好きって言ってるのに!本気なのに!」
「今日は会場も大きく、人も多い。何が起こるか分からん。勝手な動きは慎んでもらいたいもんだな。」
「勝手な動き…?僕のハニーに好きだ、と求愛する行動が勝手だと?」
「僕のハニーじゃない!私は慎也のハニーなのっ!」
「…とにかく、コイツの仕事に支障が出る事は辞めろ。迷惑だ」
「公安局の犬が…」
「慎也…!」
女がやっぱり素敵!と叫んでいる姿は、佐埜蟻の怒りのバロメーターを余計にあげる事となり、拳を作った手は、わなわなと震えていた。
「ふざけるなよ…!」
++++
「佐埜ォ!」
「俊介〜っ素敵〜っ!」
「キャーっ!」
「こりゃ、凄い人気だねぇ…」
「あれのどこが良いのか全くわからないわ。」
「そりゃ男に興味ない弥生チャンには、わかんねぇだろーよ…」
会場の座席付近に配置されたのは、縢と六合塚の二人。会場の入り口に狡噛、会場の外に常守と宜野座、ステージ横が征陸で、ステージ裏が だった。
座席付近に配置された六合塚と縢は観客の熱狂ぶりに冷めた目で見ていた。
「君たちの大好きな佐埜蟻チャンは、ステージ裏で、熱狂的に公安局の監視官様に求愛してるなんて知ったら…それこそ色相がやばくなっちまいそーだな!」
「そうね。」
「…で?どー思う?」
「何が?」
「あの二人の関係」
「…佐埜蟻となまえの?」
「ちげーって。コウちゃんとなまえだよ。」
「ああ…」
「毎日毎日、ほんと飽きねーよな。好きだ好きだーって犬みたいにくっついていってさ。どっちが犬かわかんなくなっちまいそーだわ、俺」
「…そうね」
六合塚は、縢の方は見ずに、観客を見ている。
「コウちゃんの方はネタだと思って本気で相手にしてねーし。」
「…狡噛は勘違いしてるのよ」
「勘違い?」
「…一回、聞いた事があるわ。本人に」
「聞いた事があるって?何を?コウちゃんに?」
「…」
縢の方は、興味津々なのか、六合塚に視線を向けた。それに気が付きながらも、六合塚は観客から目を離さない。ハァ、と一度ため息をついて、重い口を開けた。
「…狡噛は、なまえの本当に好きな人は佐々山だと思ってる。」
「佐々山…?ああ、あの標本事件の?何で?」
「…佐々山が死ぬ前まで……狡噛がまだ監視官の時、今みたいに毎日毎日好きだって言ってなかったのよ。むしろ、好意を隠していたわ」
「えええ?!あのなまえが?」
「狡噛がケガをして病室に見舞いに行くのも、一人じゃ恥ずかしくていけなくて…佐々山に着いてきてもらってたのよ」
「えええええええっ?!まじで?」
「…だから、狡噛にとって佐々山となまえはセット。佐々山が死んで、なまえだけになって…それからだわ、なまえが一人で狡噛に話しかけに行ったり、毎日毎日好きって言い出したのは。」
「…」
縢にとっては信じがたい話である。縢が執行官として働き始めたのは、狡噛が既に執行官落ちした後なので、佐々山の存在は、書類上や話でしか知らない。
「なまえを見ると、佐々山の事も思い出すんでしょうね。」
「でも、それとこれと、コウちゃんがなまえの好きな人が佐々山だって思うのは何が関係してるんだよ?」
「これは私の考えだけど…狡噛って昔からあの子には甘いのよね。」
「甘い??そうか?(結構キツイような…)」
「…そうよ。あの子の変化とか、落ち込んでるのとか、一番先に気が付いてるわよ。…好きなんじゃない、彼女の事」
「えええええええ!?じゃあ両想いなのかよ!あの二人!」
「本人が気づいてるかどうかは別として。…好きだからこそ、思い違いしてるんじゃないかしら」
「まじかよ…」
「最後のは私が見てて、思ったことだけど。」
「本当にそうなら、さっさとくっつけばいいんじゃね?」
「…そんな簡単には、いかないわ。……特に、執行官と監視官の恋愛は…」
「…」
流れ行く音楽が、二人や会場を包み込む。想いは交差しているはずなのに、環境や過去が二人を雁字搦めにしていた。
―甘くて、苦い恋物語には、回りも手が出せない。
++++
時間は進み、ライヴは何事も無く無事に終了した。
ステージ裏に、一係全員が集合し、佐埜蟻の関係者達に礼を言われる。
「公安局の皆さん、今日は本当にありがとうございました。無事、ライヴも成功し、佐埜蟻本人もケガをせず終える事ができました。」
「今日は本当に、ありがとう!ハニー!」
「…どうも。」
佐埜蟻と目を合わせようともしないハニーと呼ばれる女と常守と宜野座達、三人の監視官は無事終了した事を関係者とチェックしていた。執行官達はそんな三人の後ろで黙って立っている。
しかし、そんな時。
「ハニー」
「え?きゃっ!」
急に手を引っ張られて、佐埜蟻の腕の中に収まる監視官。不意打ちだったせいか、拒否する事もできず、抵抗しなかったという形になる。
「先輩!」
常守はそれにいち早く気付き、阻止しようと試みたが、一足遅かった。
「離して!」
「明日の午後三時空いてるかい?僕とデートしよう。」
「ハァ?!何言って…「ダメだ。」」
―腕の中に収まっている彼女が、拒否するかと思いきや。デートの約束を拒否したのは、彼女ではなく。
「コイツは明日、俺と約束があるんだ。お前には渡さん」
―意外にも、狡噛だった。
「え…慎也?」
驚きを隠せない彼女は、目を丸くしたまま、近づいてきた狡噛を見る。
「なんだい?君は。彼女の君への気持ちはネタだと君自身が行ってただろ!」
「五月蠅い。ネタでもなんでも、佐埜蟻…お前にコイツの気持ちは無い。嫌がってるのがわからないのか?」
「なんだと…!」
「いい加減、その腕を離せ」
「きゃっ!」
狡噛は力づくで、佐埜蟻の腕から彼女を離し、代わりに自分の腕の中に収める。
「しししし慎也?!」
ありえない展開に、話の中心であるはずの彼女は、一番混乱していた。狡噛と佐埜蟻は、言葉こそ発さないが、お互いにらみ合ったまま硬直している。
「どどどどうしようギノちゃん!」
「…ハァ。帰るぞ。」
そのままだと話が進みそうにないのを見かねた宜野座は、ため息ついでに、帰還の号令を発する。それを聞いた狡噛は、彼女の腕を掴んだまま、佐埜蟻に背中を向けた。彼女は、未だに状況が飲み込めてないまま、狡噛に引っ張られつつも、会場から出て行く。
公安局の者達の背中を見る事しかできない佐埜蟻は、またもや拳をわなわなと震えさせたまま、黙って自分の想い人が連れ去られていくのを見守る事しかできなかった。
限りなく零
(の、ハズだったのだ。私の恋心の成就は)
20160513
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