パープルワルツ・シルキーナイト
ミルクのひだ
お気に入りのスカートをまとって森に繰り出す。とろける生地は上質で、本来ならばよそ行きとして大切に取っておくべき品である。最後に着たのは兄の結婚式だった。それくらい上等の服なのだ。けれども今から聖地に赴くのだから、下手な格好ではいられない。
聖地は森の中にある。簡単に行くことのできる場所。ミルクの湧く泉。
私は家を出ると、くるりとターンして裏の森へ向かった。生成り色の柔らかな生地が風に揺られてもてあそばれる。この服を着ているのが嬉しくて、途中でターンしてみたり、すそをつまんでみたりと遊んでいるうちに、一気に緑が深まった。たくさん歩いたような気はしないのに不思議なものだ。ここはそういう場所なのだ。
「女神さま!」
「来たのね」
美しい金の髪が深い緑を反射して煌めく。私は十日前に啓示を受け、初めてこの場所へやって来た。女神さまは泉の縁に佇んでいて駆け寄る私に微笑む。女神さまは私に多くを語らない。私を呼んだ理由も、御名も、内に秘める一切の考えも。
そう広くない泉には木のボートが浮いていた。前回はなかったと思う。促されて乗り込むと、泉に振動が伝わって乳白色の波紋が広がった。ずっと聞きたかったことが、頭の中でぐるぐる回り始める。
「どうして私が……」
余計な本音が口からこぼれた。慌てて口を塞いで首を振る。
「あの! 女神さまのお話、今日もとっても楽しみです」
女神さまはにっこり微笑んだ。私のどこが女神さまのお眼鏡にかなったのかは分からない。まだ出会って間もないから致し方ないことなのかな。女神さまの優しい声は好きだからたくさん聞きたい。こうして楽しいお話を聞かせてくださるのが一時の気まぐれだとしても、こんな機会はこれ以降一生ないことだと思うのだ。
そういえば女神さまは、自ら女神だと名乗らなかったなとふと思う。啓示は確かに受けた。同じ声が私の頭の中に響いたのは事実だけれど、私が勝手にそう呼んでいるだけ。でも女神さまは女神さまで、それ以上でも以下でもないだろう。気にすることではないなと思い直す。難しいことは私には分からないから。
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あの近くて遠い冠のファンファーレが聴こえる?
クイーン・ムジカの冠は魔法の冠だ。彼女の意志によってどんな楽器にだってなれる。その冠が楽器となり演奏されるのは国民の知る限り、戴冠式の際のパレードか、軍隊の出ていくときと帰ってくるときくらいだろう。そのときには音色聞きたさに国中の人々が首都へ集まるが、そのときというのはまさしく今日だった。友好国が侵攻されたので援軍を送ることになったらしい。わざわざ船を出して海の向こうまで出向くとはご苦労なことだが、それほど国家間の関係を重要視している証拠でもある。
見送りのパレードが始まるまでもう少しだというのに、クイーン・ムジカは悩んでいた。冠を何の楽器に変えるかという、とても重要な問題にだ。彼女はトランペットを吹くのが良いと考えていたが、見栄えの良いのはユーフォニアムだろうと側近たちが言う。確かに戴冠式では見栄えを重視して重量のある楽器を選んだ。重厚な音が新たな王の威厳を表してくれるだろうと踏んだのである。兵士たちを奮い立たせるためにも高い音より低い音のほうが良いのだろうか。
悩むばかりで結果の出ないまま、彼女は兵士たちの前に立つことになってしまった。もはや成るように成れといったところか。天候は良く、兵士たちは期待に満ち溢れた表情で彼女が来るのを待っていた。クイーン・ムジカは正装でその場に現れた。兵士らの戦闘服に似せて作ってある。彼女は静かに頭上の冠を下ろすと語りかけた。
「我、ミューの血を注がれし者、マギアの冠を受け継ぎし者、原初の音を紡ぐ者」
冠の継承者にのみ許された言葉が発せられる。一言一句はおろか、アクセントすらも間違えてはいけない。それは契約の言葉だった。
「――変じよ、我が心のままに」
最後の一言に呼応して冠が輝き、変化する。細長く、すっきりとした出で立ち。トロンボーンだ。本来であれば継承者の心を投影して、決まった楽器の形を取るのであるが、女王は迷った心のまま冠を扱った。冠にも意志があるのかと重鎮たちは騒ぎ立てる。真実はどうであれ、音色の美しいことには変わりない。こうして魔法の冠には付加価値が増えることになった。
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東にまつわる妖精の定義
指示されたページを開くと、私はあの日のことを思い出した。遠くから嫁いできた叔母との会話。彼女はこちらのことばに堪能ではなく、親族からも邪険にされていたのをよく覚えている。それでいて、叔父とは恋愛結婚だったらしい。
「めいちゃん、妖精って見たことある?」
「ないよ。でもどんなのかは知ってる」
叔父の家へ遊びに行けば、幼い日の私は叔父への挨拶も早々に叔母のもとへ行くのが常であった。彼女は姪であるわたしのことを姪ちゃんと呼ぶ。姪だから、めいちゃん。甥ならば、おいくん。彼女にとって私たちの名前は大層発音が難しいらしい。ほかの親族が良い顔をしなくとも、私だって彼女のことを叔母さんと呼ぶのだから、それと同じだと思えばどうということはなかった。
「羽が生えてて、小さくて、飛ぶの」
私は自慢げに知識を披露する。それを聞いた叔母は、目をぱちくりさせて言った。
「わたしの故郷では、妖精はひとと変わりないのよ」
「人と妖精はちがうでしょ」
即座に反論するも、叔母は一向に譲らない。
「おおむね同じよ。でも古い血を引くひとたちの家族は妖精と呼ぶの」
「……妖精から人間が生まれたってこと?」
「そういうこともある。故郷では、精霊の力をもつひとを妖精と呼ぶから」
この国では、人と妖精と精霊は別ものだ。妖精は創作話にしか出てこない。
「けれど、妖精はいまや一人しかいない。この先、死ぬまでずっとひとり」
教科書の文字列を辿るうちに、記憶と知識の点たちが一本の線で繋がっていく。
叔母の故郷はおそらく、かつて私たちの祖国が蹂躙し、属国とした地だった。お互いが富めるようだなんて、上辺だけの言葉をならべて搾取し、都合の悪い事実はきれいさっぱり忘れて記憶も歴史も良いように書き換える。
大人たちが良い顔をしなかったのは、きっと私が叔母と話すことだった。彼女が私に、余計なことを吹き込まぬよう。
――怪しい力を持つ蛮族は滅されるべきであった。
――融和のために両国の君主は、娘を互いの国へ嫁がせた。
一夫一妻のこの国で、王子殿下たちの伴侶にかの国の女性はいないはずだ。果たして叔父と叔母は、本当に恋愛結婚だったのだろうか。
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各話タイトルはOTOGIUNION様(http://otogi.moo.jp/)のセットお題「Inner purple」からお借りしています。