第九話


何百もの目玉が一人の少女を見据える。魔法陣を囲むように並ぶ彼らは顔を隠している。一点に降り注ぐ視線には、どす黒い感情が透けて見えた。意識の失ったままのルーティは苦しげに酸素を求める。滲んだ額の汗を拭う者は、ここにはいなかった。

「しかし、まさか記憶が戻るとは」
「だが良い傾向です」
「特異点も共に、始末してくれれば」

にたり、目が細められる。袖から見える彼女の手足はほっそりとしている。強く触れば折れそうなほどの儚い少女に群がる視線は、ねっとりとしたものだった。人間の欲望をたっぷりと閉じ込めた視線は変わらずルーティに注がれていた。こちらへ堕ちるよう祈っているかのように。手を、足を引くように。







「ああ、おかえりなさい。私のかわいいルーティ」

たった今まで寝台で横になっていたルーティの側には、うっとりと彼女を見つめる女性の姿。質のいい女性の服が寝台にふわりとかかる。寝台に腰掛けルーティのほほへ手を滑らせる女性はにこりと笑みを作った。後ろに控える覆面の男達に言葉はなく、女性の声のみが部屋に落とされる。女性、玉艶はとろけるように瞳をゆるりと細めた。

「バルバッドでルーティが倒れたと聞いて、とても心配したのですよ?ああ、怪我もなくてよかった」

宝石のようなルーティの瞳に、玉艶が映る。バルバッドへ行く前と様子の違う彼女に玉艶は小さく口角を上げた。宝石箱に、ありったけの闇を落としたかのよう。絵の具を落としたようにどろりと濁った瞳。視覚化できるほど彼女に増えた堕転のルフ。

「記憶を、思い出したと聞きました」
「…私…」
「ええ、わかっています。私のルーティ。必ず制裁を加えましょう?あの裏切り者に」

抱き寄せられたルーティは人形のようだった。母のように寄り添う玉艶の表情は見えない。覆面は変わらず言葉を発さない。ふと、玉艶がルーティに手を翳した。魔法をかけるかのようなソレは、風のように黒いルフを生み出した。

「玉艶は、知って…いたの?」

玉艶の表情は変わらず笑顔のまま。迷子に諭すように、そっとルーティの頭を撫でた。

「ルーティのことですもの。でも、貴女の為だった。忘れてジュダルと共にいることが…貴女の幸せだと」
「……」
「思い出してから、憎くて仕方ないのでしょう?貴女を裏切り、騙し、殺そうとまでしてきたあの男が…」
「…」
「殺してしまいましょう。あの男がルーティにしたように」

復讐の時間よ、と言葉は続いた。刷り込むような言葉は彼女の頭を支配していく。頭の中で木霊していく。そして、その通りだと言葉達をするりと飲み込んだ。小さな小さな疑問は、玉艶の言葉にかき消されていく。言葉が紡がれる度に殺意が増していく。

彼女は幼い頃、シャム=ラシュという暗殺組織に属する暗殺者であった。ジャーファルはルーティにとっての組頭であり、幼馴染のようなものであり、そして大切な人であった。明日命があるかもわからないあの時に、ずっと一緒にいようと約束をするほど。共にいるだけで幸せだった。自らの手を血に染めるばかりの生活でも、家族のいない寂しさは彼がいるだけで満たされていた。自分の出生がわからずとも、ジャーファルと共にいるだけで。

あの日までは。

シンドバッドが現れるまでは。彼が現れるまで、ルーティは自分が普通ではないことを知らずにいた。暗殺をせず生きる子供がいることを知った。洗脳により、誰かの都合のいい人形になっていることに気づいた。それでもジャーファルがいるならばと前を向いたのに、彼は裏切り、ルーティの前から消え去った。ずくりと胸に靄がかかる。ガツンと殴られたかのように叩き込まれた映像は、ジャーファルが自分を殺そうとするものだった。息が、詰まる。酸素を失ったかのように呼吸が浅くなる。記憶を取り戻してから何度も見せられるこの光景は、ルーティの心をぐちゃぐちゃに荒らす。憎い、苦しい、辛い、悲しい、色んな感情が混ざり、膨張していく。

耐えきれず流れた一筋の涙を拭うのは、にたりと笑う玉艶だ。

「復讐をするのよ、ルーティ」

何もかもぐちゃぐちゃの頭に光が差したかのようだった。その言葉に、ルーティの目の色が変わる。濁った目に光はなく、変わりにどす黒い殺意がこもっていた。握りしめた掌に深く爪が突き刺さる。

復讐劇が、始まった。


2018/02/13