第十話


禁城のとある部屋。広く、大きな寝台の置かれた部屋には豪奢な装飾品や棚があり、一見皇族の住む部屋にも見える。床には落書きのある紙が散らばり、ジュダルのものと思われる私物もあちこちに見えた。
遠くから小鳥のさえずりが聞こえ、ルーティは少しだけ顔を上げる。寝台に腰掛けていたルーティはゆったりと立ち上がると、肩にかけられていた着物がしゅるりと落ちる。それに構うことなく、どこかぼんやりとした彼女は柵で見にくい窓に近づくと、遠くを見つめた。鳥のさえずりは小さく聞こえたが、近くの木々にいるわけではなさそうだ。


音のない空間に、ルーティの足音は聞こえない。


寝台には数冊の書物があり、寝台のすぐそばに置かれた台にはお香の入れ物。そこからは絶えずふわふわと煙が上がり、部屋全体に香りが充満する。その煙が強くなるほど、ルーティの瞳がじわりじわりと濁っていった。


「ルーちゃん、私よ。…入っても、いいかしら?」


足音には気づいていたが、扉が叩かれてやっとルーティは反応を示した。扉を開ければ眉を下げ、居心地の悪そうな表情の紅玉が祈るように手を合わせていたのだ。ルーティは首を傾げ、部屋に招くと少しだけ紅玉の表情が明るくなる。


紅玉は、悪いと思いながら好奇心に負け部屋を見渡す。豪奢な部屋はルーティの趣味ではなく、上の者が用意したものだ。ルーティの私物はあまり無く、代わりと言っていいほどジュダルの私物が転がっている。ルーティの部屋であるはずだが、ジュダルの部屋でもあるかのよう。




しばらく、無言の時間が続いた。紅玉は言葉を迷っているようで、ちらちらとルーティを見ながら視線を彷徨わせている。対するルーティは、ぼんやりとどこかを見つめたまま。
思えば、煌に帰ってからルーティがより一層ぼんやりしている気がする。元々ぼんやりとしていて眠っていることの多い子だとは思っていたが、今の彼女の様子に違和感を覚えた。紅玉が最後に見たのは、ジュダルを治し、倒れた彼女。


「ルーちゃん、まだ体調は悪いの?」
「…ううん、大丈夫」
「そう、よかった…」


ぽつり、ぽつりと言葉が落とされる。ルーティから話題を振られることはないが、これはいつものことだ。


今日は何を食べたか、庭に花が咲いたこと。夏黄文のこと。楽しそうに話す紅玉は、ふとバルバッドに赴いた最初の日に、お忍びでジュダルたちと下町へでかけたことを思い出す。そこにいた占い師に占ってもらった運命の人。その結果を思い出し、顔をくもらせた。連想するのは、自分の想い人の姿。


「ルーちゃんは…運命の人っている?」
「…運命」
「私、そうだといいなって思う殿方がいて…でも…」


皇女という立場でなければ花を咲かせる話題だ。
今の紅玉は、政略のためにバルバッドの皇子の元へ嫁ぎにいったというのに波乱が起き、一度国へ持ち帰った。国からの評価はいいものではないだろう。それを感じ、紅玉は帰ってからずっと居心地が悪そうにしていたのだ。
皇女としての立場と、恋をするただ一人の女性としての気持ち。そういえば、その想い人が今日国へやってくるのだと思い出し紅玉の頬がわずかに赤くなる。


「運命なんて、大嫌い」


どこかぼんやりと話すルーティにしては珍しく、ハッキリと言葉を落とした。驚いてルーティを見ると、彼女は俯いており頬にかかる髪で表情が見えない。一瞬見えた彼女の瞳は、いつもは桃色の宝石のような透き通った色をしているのに酷く濁って見えた。


「ご、ごめんなさい…嫌なお話しちゃったわね」
「……ううん」


そうだ、と別の話題に変えようと取り繕うように笑顔で紅玉が口を開いた瞬間、大きな音を立てて乱雑に扉が開かれた。ぎょっとして扉の方を見た紅玉は、その開いた人物に目を丸くする。
同じく帰ってから様子のおかしいジュダル。紅玉の姿に目を向けると、不機嫌そうな表情を隠さず顔を歪めた。


「あ?なんでババアがここにいんだよ」
「ご、ごめんなさい……またね、ルーちゃん」


普段であったのなら、呼び名に怒りを表していたがジュダルの様子に咄嗟に謝り、紅玉は逃げるように退出した。部屋を出る前、ちらりとルーティに視線を向けるがルーティの表情は見えない。もやもやとした感情を抱えながら、慌ててジュダルの横を通り抜けて出ていった紅玉。


目線だけでソレを追ったジュダルは、扉を開けたままずかずかとルーティの側まで歩み寄った。


「ルー、外出んぞ」


ジュダルはルーティの返事を聞かず、ひょいと彼女を抱き上げた。そして、寝台横のお香を見つめ、忌々しいとばかりに舌打ちをする。虫の居所が悪いらしいジュダルはまたずかずかと部屋を出ると、扉を開け放ったまま外へ歩を進める。


そして、しばらく歩いた先にある低い木に登ると、足の間にルーティを座らせ、自分も木を背に腰掛けた。ため息をついたジュダルは後ろに手を組み、目を閉じる。そんなジュダルをじっと見つめ、ルーティは真似をするようにジュダルの胸に凭れる。何も知らぬ者が見れば、恋人同士のような光景ではあるが甘さは感じられない。歪な感情が絡み合い、寄り添うかのようだ。






バルバッドから帰還し、変わらぬ日常に戻ったはずだった。


ルーティもジュダルも様子がおかしく、ジュダルはなにか考え事をしている。ルーティは、以前より増して人形のよう。光の消えたルーティの瞳は何を映しているのか、ジュダルもわからなかった。
彼女は禁城を歩き回ることを禁止され、ジュダルや組織の者など、決められた人物が共にいなければ部屋から出ることも禁止された。軟禁状態になったというのに、ルーティがそのことに何らかの感情を抱く様子はない。


バルバッドの件でシンドバッドが煌帝国に来国している。そして連想する銀髪でそばかすのあるあの男の姿。


「…ルー、今バカ殿達が来てる」
「………」


目を閉じたまま静かに告げたジュダルは、ルーティの反応がないことにゆっくりとまぶたを開ける。だが、自身の胸板に凭れるルーティの頭しか見えず、表情を伺うことはできない。


「復讐しに行かねーの?」


シンドバッドは来ている。だが従者のメンバーにジャーファルはいない。それを知っていて、ジュダルはルーティに問いかけた。それを知っているのかどうか真偽は不明だ。ルーティは顔を上げることもなく、ぽつりと静かに答えた。


「まだ、だめなんだって」


それだけ答えると、ルーティはそっと長いまつげをを伏せる。ジュダルは「ふぅん」とだけ興味なさげに言うと、再び目を閉じた。
まだダメだとルーティに言った人物に心当たりはある。その人物が何を考え、どうルーティを利用しようとしているかわからない。何故なら、自分も利用されているからだ。自分の両親を殺され、奪われ、それを知らずに生きてきた。では、彼女は?


昔に彼女の出自についてジュダルが聞いたことがある。彼女はその問いに顔を曇らせ、親の顔は見たことがないとだけ言っていた。そして、ルーティは物心がつく頃から暗殺者として生きていた。その世界しか知らなかった。それに自分と近い何かを感じたジュダルは、後ろで組んでいた手をほどき、ルーティの体に腕を回す。人形を抱きしめるように体勢を変えると、満足したのか再び目を閉じた。その様子にルーティは首を傾げたものの、されるがままだ。


その姿は抱きしめているようで、守るようにも見えた。


または、執着するかのようにも。




2019/07/23