第十二話
染めたように広がる青空の下、煌の印の綴られた帆が風で大きくはためいた。
煌からの使節団を迎える為に、シンドバッド王だけでなく八人将にアラジン、アリババ、モルジアナも港へと赴いていた。白龍はこちらを見つめるアリババからの視線に反応することなく、シンドバッドに挨拶をする。その流れで後ろに控えていた紅玉へと話題が変わり、どろどろに煮詰めた憎悪を紅玉は笑顔の仮面で蓋をした。その後ろの従者の横では、全身を覆う真っ白なクーフィーヤに身を包んだルーティが、じっとジャーファルへ視線を向けていた。
激しい憎悪の感情が噴火するかのような勢いで増していき、溢れ出る殺気を抑えるように拳を作る。船にいる間はここまでの感情はなかった。ジャーファルの姿を目にした瞬間、ぶわりと感情が溢れ出したのだ。
「私と決闘なさいシンドバッド!!乙女の身をはずかしめた蛮行 万死に値する!!」
魔装により武器を出し、シンドバッドに切りかかった紅玉は感情を暴走させる。何があったのか問われると、事の顛末を思い出した紅玉は顔を真赤にさせ、涙で目を潤ませながら近くにいたルーティに抱きついた。
話のできる状態ではない紅玉に変わり、夏黄文が話を続けた。どうやらシンドバッドが煌帝国に滞在していた最後の日、夜が明けたら裸のシンドバッドが隣で眠っていたらしい。それを聞き、固まるシンドリアの人々に対し、ルーティは溢れ出る憎悪の感情に顔をしかめている。そして、湧き出る感情の濁流に耐えながらも、涙を流す紅玉の頭をぎこちない手付きで撫でた。
「う、うっルーちゃん…」
「……よしよし」
制御の効かない復讐心がルーティを蝕み、彼女の顔には冷や汗が滲んでいた。クーフィーヤでそれが見えない紅玉は、ルーティが珍しく自身の頭を撫でたことへの歓喜で頬を赤く染める。
だが、それで落ち着けるはずもなく武器を持ったままシンドバッドに対峙した。決闘に応じなければ死ぬとまで言う紅玉に、シンドバッドは頭を抱えた。シンドリア国王が煌帝国の皇女に淫行をはたらいたせいで自害してしまえば、戦争不可避の状況である。シンドバッドの主張と紅玉の主張が交差し、シンドバッドは否定を続けるが従者である八人将達の視線は冷めたものだ。
酒癖の悪さだけは信用できない、と話す彼らにシンドバッドは必死に策を巡らせる。そんな様子を、ルーティはじっと見つめていた。感情豊かに表情を変える、あの頃とは全く様子が違うジャーファルの姿が瞳に映る。自分と離れ、ジャーファルはこんなに楽しそうに、自身の仕える王と言葉を交わしている。…楽しそうというよりは、苦労をしているといった言葉のほうが合うのだが。
憎い、憎い、憎い、殺してやる。
何かに囁かれるかのように、感情を押しつけられているかのように、感情が制御できない。これ以上見ていたら、本当にこの場で殺しにかかってしまう、とルーティは従者達の後ろへ後退し、瞳を閉じた。
八人将の一人、ヤムライハの水魔法で真実を映すことになった。結果としてそのような事実はなく、本当は衣服も乱れておらずおかしいと思っていたのだと涙を流す紅玉に従者が駆け寄る。では犯人は誰が、と議論が始まった所で紅玉を慰めていた従者の男二人がすんなりと白状した。夏黄文がやった、と。
取り押さえられる前に抵抗しようと剣を抜いた夏黄文の手首に、白龍の手刀が落とされる。白龍がシンドバッドへ謝罪をし、結果的にくだらないことで皇子の膝を折らせてしまったことに従者の顔が歪む。
「おい お前も来い」
白龍が冷たい声で言い放った。視線の先にはルーティがおり、言われる通りにルーティは白龍の元へと駆け寄る。その足音は一切なく、自身の呼びかけに応じたことに白龍は顔に出さずに安堵を浮かべる。斜め後ろに並んだルーティに、白龍は態度を変えずに言葉を続けた。
「何を考えて来たか知らないが、邪魔はするなよ」
「……」
こくり、とルーティが頷いたのを見て白龍は前に向き直る。ルーティを覆うクーフィーヤが揺れるたび、溢れるように闇色のルフが声をあげた。そして、煙のように消えていく。
後ろから彼らを見つめるシンドバッドとジャーファルは、白龍の目的を伺う会話を短く終わらせると、次にルーティへと話が変わる。話題が移った瞬間、ジャーファルの顔が曇った。
「やはり…わかってはいたが堕転しているな。視覚化できるほど黒ルフが舞っている…あの布がルフを抑えているのか…?」
「……ルーティ」
「彼女は今回、煌帝国からの食客だ。あまり私情を持ち込むなよ、ジャーファル」
「…わかっていますよ」
苦しそうに眉を寄せるジャーファルの表情を見て、シンドバッドはフッと笑みをこぼす。そして、力加減はせずジャーファルの背中を叩くと、大きく笑った。
「ま、彼女が何を考えてきたかはわからないがせっかくの機会だ。ゆっくり話してくるといい」
「…簡単に言ってくれますね」
シンドバッドは、さも二人が喧嘩をしているかのような物言いで笑う。こじれてしまった二人の関係は安直な言語を用いて表現をするのは難しい。仲直りをするというのは難しいだろう。ならばせめて、原因がどこにあるのか知ることができたら。
瞳に映るルーティの後ろ姿に、ジャーファルの心臓が締め付けられる。そして、いつもより早い心音に、体中の血液が活発に流れ出していく。溢れ出る想いに応えるかのように、ジャーファルの周りのルフが桃色に染まった。
どんなに憎まれていても、やはり彼女が好きだ。例え、殺されることになったとしても。ぐっと感情を押し殺すジャーファルを遠くから見つめたアラジンは、ジャーファルの周りのルフの色が変わったことに首を傾げた。
■□
部屋に案内され、扉を閉めるのと同時に崩れ落ちたルーティ。扉に凭れ、肩を上下させ必死に酸素を取り込む彼女の顔色は悪い。心臓を押さえるように胸元を強く握りしめ、眉間に深く皺そ作る。
殴られているかのように頭が痛む。頭に響く声が殺しを促す。湧き上がる感情は止まることを知らず、時間が進むと共に殺意が増していく。
”殺してやる””憎い”なんで”裏切り者””殺せ””斬れ”おいて”コロス””シネ””殺せ””ニクイ”いったの”ウラギリモノ””始末しロ””殺せ””コロシテヤル””殺せ””コロせ””殺してやル””殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ!!!!!!!!!!!”
「…ーーっ」
ルーティの顔に冷や汗が浮かぶ。短く不規則な呼吸の音がどんどん大きくなっていく。胸元を握りしめる手にも冷や汗が滲んだ。混濁する意識を繋ぎ止めようと爪を立てる。ジュダルとおそろいのデザインの首飾りが、熱を持ったように熱く、チリチリと痛みを伴う。気絶すれば、寝てしまえば治まるかもしれない。そう考え鈍器を探し視線を上げた瞬間、背にある扉が叩かれた。
気配に気づかないほど焦燥していたこと、そして瞬時に扉を隔てた先に誰がいるのかを理解してしまい背筋が凍る。そして、その音を皮切りに、爆発するように夜を煮詰めた色のルフが暴れだした。
「ルーティ…あの、ジャーファルです。少し話が……」
「…っ…は、は……」
「!ルーティ?」
扉から咄嗟に離れたルーティは、無意識に暗器を握り扉を睨みつけて戦闘態勢に入る。扉越しに聞こえた異常なルーティの呼吸音に慌てて入ってきたジャーファルは大きく目を見張った。自身に向けられた明確な殺意が体に刺さる。暗殺者であったあの頃を思い出す殺意を向けられたことよりも、ルーティの様子にジャーファルは冷や汗を浮かべた。
殺意を向けられている。だが、顔色の悪いルーティは耐えるように体の一部を抑え、苦しそうに顔を歪めているのだ。何かがおかしい、と思考を巡らせる。
「に、げて…」
「! ーーっ」
彼女は、今何を。
それを理解する時間もなく、瞬く間にルーティはジャーファルの目の前におり、暗器でジャーファルの首元に刃を降ろす。反射で避けたジャーファルの首元近くの扉に、ルーティの暗器突き刺さる。自分と同じ、暗器だ。
激しい挙動でクーフィーヤのフードが取れている。俯く彼女の髪でうまく表情が伺えない。そしてふと、先程まで小刻みに震えて肩で息をしていたはずなのにそれが一切ないことに気づく。
ふ、と顔を上げたルーティの表情に息をのむ。彼女の瞳は、血のようなどす黒い赤色に染まっていた。
2019/09/05