第十三話

甲高い金属音が短く響き、ドン!と壁にぶつかる音が続く。目にも留まらぬ速さで切り込むルーティは、同じ組織にいた頃と変わらない。顔を歪めるジャーファルは自身の暗器に手を伸ばしかけ、やめる。武器も無しにルーティの攻撃を避け続けるのは容易ではない。だが、ジャーファルはルーティを傷つけたくないという一心で、無意識に暗器から手を退けた。

何度かジャーファルはルーティの名を呼ぶが、濁った瞳のままルーティは表情を変えること無く暗器を振りかざす。ばち、ばち、と小さく静電気のように細い光が彼女の回りに帯びる。そして、はらりとルーティの体を覆っていたクーフィーヤが落ち、噴火したかのようにどす黒い靄が部屋中に満ちた。騒がしく鳴く、視覚化できるほどの黒いルフ。目の前の彼女の姿が見えなくなるほどの質量に、ジャーファルの背を冷たい何かが撫ぜる。真っ黒に埋もれていく視界の中、血のように染まったルーティの瞳がハッキリと映える。

「ルーティ…!」

体を突き刺す殺意に冷や汗が滲む。ピィピィと騒ぐルフ達の声の中、ぽつりとルーティの声が落とされる。

「裏切り者…」
「!」
「嘘つき…」

ひたり、ルーティの素足が床を這う。ひたり、また聞こえる。

この部屋から逃げ出すことはできた。だが、逃げるという選択肢などジャーファルにはなく、近づくルーティに苦しそうに顔を歪めた。その時、ひとつの気配にはっとジャーファルは息を呑む。ルーティはそれらに気に留める様子はなく、足を止めはするものの殺意は収まる気配はない。大きな足音が部屋の扉の前で止まり、遠慮せずに音を立てて扉が開かれる。そして、部屋から溢れ出した大量の黒ルフに「うわっ!」と驚くアラジンの声が聞こえた。

「ジャーファルお兄さん!」
「アラジン…何故ここに…っ!」


隙を狙って振り下ろされた暗器を咄嗟に体をよじり、扉とは反対の窓の方へと転がり込む。投げられた暗器を避け、ジャーファルはちらりと窓の外を見つめる。

窓の外を出て逃げ込めば、他の人間を巻き込むばかりかルーティの立場が危うくなる。先程紅玉姫の一件があったばかりだ。窓から逃げる選択肢もなくなり、ルーティの動きを止めるために意識を向ける。だが、ふと逃げ回る自身に疑問を持った。

彼女を、ルーティを裏切ったのは紛れもなく自分だ。何故逃げる必要がある?ルーティに恨まれ、殺されることに何の恨みも抵抗もない。自分を殺すことでルーティの気持ちが晴れるなら、と動きを止めた。

「その人、魔法具で何かされてるんだ!」
「…!魔法具…!?」
「っ首飾り!」

は、意識が戻る。アラジンの言葉に弾かれたように顔を上げ、ルーティの首元にある首飾りに息を呑む。爛々と煌く紅い宝石が埋め込まれた首飾り。ジュダルがしているものとよく似ている。違うのは、ルーティに合わせたのか細身に作られていることと、宝石が怪しく輝いていることだ。あの首飾りを壊すか外すことができれば、とジャーファルは地を蹴りルーティとの距離を詰める。頬、腕、手、あらゆる箇所に赤い線が走っても、ジャーファルはルーティの首飾りを外すことだけ思考する。

ルーティのクーフィーヤを目の前に投げ、視界を奪う。その隙を狙い、死角から飛び込みルーティの首飾りを、弾いた。カラン、乾いた音が響く。は、と短く苦しげに息をこぼしたルーティは、がくりと床へ崩れ落ちる前にジャーファルはすかさず抱きとめた。

「ルーティ!」

冷や汗を滲ませたルーティは苦しげに眉をよせて意識を失っているようだった。あれだけ視界を埋めていた黒いルフは、霧が晴れたかのように姿を消した。ルーティの周りに残った黒いルフは、相変わらず彼女の近くで鳴いている。

「ジャーファルお兄さん、このままじゃあこの人は死んじゃうよ」
「なっ…」
「今からお兄さんをソロモンの知恵でお姉さんのルフの中に送るよ。…覚悟は、できてるみたいだね」

ジャーファルの表情を見て、アラジンは柔らかく微笑む。そして、額に魔法陣を光らせると、ジャーファルの意識がぶつりと消えた。


















真っ暗だ。ぴぃ、と小さなルフの声が聞こえ、ジャーファルは瞼を開ける。ここがどこで、今どうなっているのか現状把握ができずにいるジャーファルは、ふと闇の深い場所に愛しい姿を見つける。

「ルーティ!」

駆け出すジャーファルに気づき、顔を上げたルーティは間髪入れずにジャーファルへと暗器を投げつけた。顔の横を通り抜けた暗器は、地へ落ちる前に砂のように消えていった。

「来ないで…」
「…ルーティ、私は…いや、俺は」
「早く、ここから…出ていって」

俯くルーティは、髪に隠れ表情が見えない。拒絶されても、それでも。この胸を巣食う想いは消えない。本物で、消えない想い。消えそうな彼女の声に、ジャーファルは泣きそうに顔を歪めた。

「ルーティを置いて、もうどこにも行ったりしない」
「…」
「あの時…ルーティを置いていって、本当に…ごめん。恨まれることをしたと、思って…」
「違うの…」

ぎゅう、とルーティは自身の胸元を押さえ、苦しそうに口元が結ばれる。恨みで立ち尽くしているのではない、何かを耐えているのだと気付き、息を飲む。

「逃げて、ジャーファル」

顔を上げたルーティの瞳は、涙が滲んでいた。苦しげに顔を歪ませるルーティの体には、地面からいくつもの鎖が伸び、彼女を縛り付けている。何故今まで見えなかったのか。黒い靄をまとう鎖が良いものだと思えない。血相を変えてジャーファルは駆け寄り、彼女を縛る鎖を引きちぎろうと力を込める。バキン、なんとか鎖が壊れたものの彼女の体を縛る鎖は多い。地面から次々に湧き出る鎖や黒い靄は、再びルーティを縛り付けようと伸びていく。咄嗟に踏みつけるが、キリがない。

黒いルフがジャーファルの頬へ当たる。鎖がジャーファルの足首を縛り付けた。瞬間、頭に直接注がれたかのように声が響き渡り、堪らずジャーファルは頭を抱えた。憎い、殺してやる、と呪詛の言葉が洗脳するかのように叫んでいる。頭がおかしくなりそうだ、と歯を食いしばる。その時、バキン!と金属の音がし、憑き物が落ちたかのように声が止んだ。足元に落ちた標が鎖を切ったのだ。自分ではない、と顔を上げれば、冷や汗を滲ませたままのルーティがジャーファルを見つめていた。

「逃げて…おねがい」

先程の鎖、一本だけであれほど苦しかった。何本も、何十本も彼女の体を縛る鎖。どんなに苦しいか想像もできないのに、ルーティはジャーファルを助けた上、逃げてと言うのだ。

頭を鈍器で殴られたかのような心地だ。助けるべき相手に助けられてどうするのだ、とジャーファルは暗器を手に持ち、ルーティを縛る鎖を壊していく。鎖は太く、固く、そうそうに壊れるものではない。一本を壊そうとしている間に、また地面から新しい鎖が出てくるのだ。それでも、ジャーファルは一心不乱に暗器を振り下ろし続けた。

そして、最後の数本を力任せに砕いた。その瞬間、足元からぶわりと黒い靄が溢れ、ジャーファルは咄嗟にルーティを抱きとめ、離れた地面に倒れ込む。靄は二人から離れることはなく、混じるルーティのルフに意識を取られた。


ずっと一緒だって、約束したのに。



小さなルーティの声が、ルフから聞こえた。





■□



「ルーティ、来なさい」

覆面の女性が温度のない声で言葉を落とすと、無表情の小さな少女は命令通りに歩を進める。瞳に光はなく、桃色の瞳は濁っていた。輝く金の髪は今より少し長く、長く整えられていないのかボサボサになってしまっている。ウェーブのかかった綺麗な金の髪に、桃色の瞳、真っ白な肌。小さな少女、ルーティが女性の後ろをついていく映像。そして、ぱ、と景色が変わる。拷問部屋のように部屋中に血痕があり、様々な器具が置かれた部屋でルーティは台に拘束されていた。彼女を囲む魔道士達は覆面をしており、苦しみ、暴れるルーティに顔色や態度を変えることはない。

記憶だ。それも、ルーティの。

目の前に広がる光景に、ジャーファルは息を飲んだ。これは、自分の知らない記憶だ。あの覆面達は、アル・ラーメンだろう。幼少期、彼女は拷問のようなことをされていたのかと冷たい汗が背筋を流れる。

悲痛なルーティの叫び声が耳に残る。こんな光景は、知らなかった。ぶつり、また映像が変わる。



「死にたくない!た、たすけ……」

ざくり。刃物が男の眉間に突き刺さされ、目を見開いたまま倒れた死体を少女は濁った瞳で見下ろした。
動かなくなった死体を見つめる少女の瞳に感情はない。少女は薄汚れた衣服を身に纏い、両腕には赤い紐が巻き付けられていた。その紐の先には暗器となる標がついており、死体に刺さったままのそれをルーティは抜き取る。ぶしゅり。赤黒い液体が噴き出した。

「おい、終わったか」
「……うん」

トドメに男の首に暗器を突き刺した時、血や肉塊でぐちゃぐちゃの部屋に音もなく少年が姿を現す。彼も少女と同じような服装をしており、二人は口元を包帯で覆っている。
少年は無表情で死体を見下ろす。少女の足元に転がる、残酷な殺され方をした男の死体を見つめ、彼女に視線を戻した。帰るぞ、と短く言うと少年は部屋を去る。少女はそれに従うように部屋から立ち去った。

彼らが去った家、そして彼らのいる村の集落には数人の気配しか存在しなかった。残りの2つの気配が二人に近づく。どうやら彼らも同じ組織の者らしく、似た服装をしていた。

「…ハッ、準備運動にもなんねーな」
「村人しかいませんからね」
「ったくよぉ、なんでこんな簡単なやつ俺がやんなきゃいけねーんだよ。他のやつでもできるじゃねーか」

愚痴をこぼす少年は、自身の銀の髪をくしゃりとかきあげ、ついた血を鬱陶しそうに見つめた。少年に従うように、少女を含めた3人は彼の後ろを歩く。

「マハド、ヴィッテル、…ルーティ!」


帰るぞ。続いた言葉に彼らは頷くと、風の音と共に姿を消した。既に宙を飛ぶ彼らは遠い地へ向かい、帰路へついた。








2019/10/16