第四話
色という色を無くしたかのように、真っ白だった。どこを見ても白一面で曇りもなく、汚れもない。そこに、びちゃりと絵の具が飛び散ったかのように赤が広がった。血のような赤だった。
何もない空間に赤が増えたのを引き金に、音が増えていく。飛び散る音、何かを切り裂く音、そしてーーー人の叫び声が木霊した。
少しずつ真っ白な霧が晴れていく。だが、靄が多くハッキリとした景色は見られない。わかるのは、自分が廃墟にいることであった。不自然に低い視線を上げると、真っ黒な人型がそこにいた。闇の道化のように真っ黒であった。何かを言っているようだが、何も聞こえない。ただ一つわかるのは、その人型が小さな姿であることだけだった。
そう、これは夢だ。
最近頻繁に見る夢の一部だった。よくわからない空間で、名前も顔も姿も、声も何もわからない人型に出会うのだ。そしてその側には、真っ黒なルフが飛んでいた。
「あなたは、誰?」
問うても人影の言葉は聞こえない。耳障りな音が大きくなり、声をかき消した。
人影は、ふいに一本の花を差し出した。その手に収まるアネモネは、血よりも鮮やかな赤色をしていた。
◆◇◆◇◆◇
何かが壊れる音がした。爆発するような大きな音に、人の声。戦闘が行われているのだろうか。雲の上にいるかのように覚束ない思考のまま、ルーティはゆっくりと目を開けた。
まず視界に入ったのは、闇に宝石を散りばめたような夜空。視界をずらせば、補修されたコンクリートがあちこちにあった。轟音は止まらず、周りを見渡せばやはり自分の記憶にない場所にいた。自分が寝かされている絨毯は、普段ジュダルと空を移動する際に使うものだ。それ以外、見覚えはなかった。
どこかの建物の天井に寝かされていたらしい。中央に大きく穴の開いた天井には、木片で修復された場所が多々あった。側にあった小さな紙には、ジュダルの文字で伝言が書かれていた。
”ちょっと戦ってくるから!そこから顔出すなよ”
けして達筆とは言えない筆跡だった。そこ、というのは恐らく目の前にある大きな穴のことだろう。戦闘中だから見るなということか。書き置きの通り終わるまで待とうと座り直した時だった。穴の隙間から見えた地上に、人の何倍もの大きさの、大きな青い肌を持つ巨人がいたのだ。
首のない巨人に、大きな氷槍が突き刺さる。ジュダルが戦っている相手は、あの巨人なのだろう。ドクドク、心の臓が脈打った。何か、いつもと違うことが起きている。本能、野生の勘、そういった何かがルーティに告げていた。
一番見渡しやすいあの穴から覗くのはいけない。こっそり、影から様子を伺う必要がある。
気配を消し、歩を進める。少し離れた、いくつもある補修された穴の一つに手をかけた。釘で止められてはいるものの、隙間から地上の様子を伺うことはできた。視界に映すことで、地上の様子がよくわかる。数えられないほどの民衆が集まっている。中央で戦うのは、ジュダルとあの巨人だった。他には誰が、と視線を移した時だった。バキリ、と嫌な音がして視界が落ちる。手をついていた板が折れたのだとわかると、瞬発的にくるりと体勢を変え、風のように音もなく地に足をつけた。
「…っ!?何者だ!」
どこかで聞いた声がした。フードのかかる視界では何も見えず、問いに答えぬまま立ち上がると周りの一般人がどよめく。突然上から音もなく降ってきた人間に、体を震わせるものもいた。対面する男は、緑のクーフィーヤをたなびかせ、自身の武器を取った。
ジュダルに、自分がいない時は誰とも口を聞くなと言われている。既に書き置きの言葉を破っている為、普段の言いつけを破るわけにはいかなかった。
「その布、マント…お前、ジュダルの仲間か!」
「あの男の…!?」
そうだ、ジュダル。話を聞いているのか聞いていないのか。中央で戦っているはずのジュダルへとルーティが視線を向けたのと同時に、突風が彼らを襲った。その後に響いた轟音は、何かが吹き飛ばされたことを表していた。
気づけば視界が広がっていた。先程の突風でフードがとれたのだ。だが、ルーティはフードのことよりも目の前に広がる光景に目が離せなくなっていた。地面にめり込む形で、ジュダルがボルグごと叩きつけられていた。煙が晴れると共に大した怪我もなく現れたジュダルの姿に、ほっと胸を撫で下ろす。
「!」
「あなた、は……」
小刻みに震える手で、腕を掴まれた。何者だと問うた声と同じものだった。振り向けば、銀の髪に緑のクーフィーヤ。その特徴からシンドバッドの眷属であることを思い出すが、何故掴まれているのか理由がわからなかった。恨まれるようなことは彼らにしたが、殺意も何もない目だ。それどころか、涙をこぼしそうな顔をしていた。
「ルーティ?」
震える唇が紡いだ名前に、ルーティは目を見開いた。
空間が切り取られたように音が消える。掴まれたままの腕が動かせない。目の前の男は、誰なのだろう。確信を得たらしい男は、ぎゅっと眉を寄せた。酷く辛そうで、泣き出しそうな顔をしていた。
何故、自分にそんな顔を向けるのだろう。
何故、自分を知っているのだろう。
視界の端で、真っ黒な鳥が飛んだ。
17.12.26