第五話
「あなたは…誰?」
二人の空間だけ、時間が切り離されたかのようだった。音が消えた世界で、お互いに目が離せない。小さく感じた既視感に、胸がざわついた。
目の前の男が何者なのか、何故自分の名を知っているのか。そしてーーー何故そんな目で見るのか。ルーティには、何もわからなかった。
「!っジュダル…」
ハッとしたルーティは慌ててジュダルを見遣ると、巨人にボルグごと殴り飛ばされたジュダルが視界を横切った。巨人の様子がおかしいことは、主人であろう青い髪の男の子の表情から察することができた。周囲のルフを集め、必死に対抗するジュダルの表情は険しい。ほほにある傷や血の跡に、ルーティの顔色が変わった。殺意がどろりと混じった目の向ける先は、青い巨人。
持ち主である少年の力を持ってしても、巨人は止まらない。ジュダルはその巨人は、少年以外の力で動いていると叫んだ。ジュダルを助ける方法は、一つしかなかった。
「っそれは…!」
両手に構えた暗器は、ジャーファルの腕に巻き付けられたものと類似していた。いや、全く一緒のものであったのだ。一般的な武器の形ではないことは明らかだ。そこに刻まれた八芒星に、まだ気づかない。
「時と時空の精霊よ、汝と汝の眷属に命ず…」
「ッ!ソレ使うな!ルーティ!!」
「でも…っ!」
ルーティの口から紡がれた言葉に、ジャーファルは思考を追いつかせるのに必死だった。この言葉は、何度も聞いたことがある。違う箇所はあるが、自分の主が何度も告げる言葉。この世界で重要なジンの力を使う時に、必ず紡がれる言葉だった。
よく見れば彼女の持つ暗器には、見慣れた八芒星が刻まれている。決して暑くはないのに、背中に一筋の汗が伝った。
止めるジュダルの目的を考察する間もなく、彼は大きな氷柱を巨人の心臓に突き刺したのだ。
「勝った!」
人間であれば、即死といってもいい部位だ。青い髪の少年は、巨人の胸に深々と突き刺さった光景に目が離せなかった。誰もがジュダルの勝利を嫌でも確信した時、音もなく巨人の両手がジュダルを挟み、潰すような音が響いた。
咄嗟に発動したジュダルのボルグは、そう簡単に壊せない。そのはずなのだが、丸いボルグが大きく変形するほどの巨大な力がめり込んでいく。破裂しそうなほど力が込められ、あちこちからミシミシと、嫌な音が激しく鳴り響く。
そして小さく、割れるような音がした。
両の手でぐしゃりと潰されたジュダルは、人形のように地面に落とされる。虫を潰すような、想像し得ない巨大な力で捻り潰された。ピクリとも動かないジュダルの姿に、一同の息が止まった。
先刻まで、自分達の命を脅かすほどの力を持った少年が、ボロ布のような姿で地面に落ちているのだ。
「ジュダル!!」
悲痛なルーティの叫びが、静まり返った空間に響き渡った。それまで彼らの戦闘に目を奪われていた人間達も、やっと彼女を認識した。だが、姿を認識したのはジャーファルの側ではない。巨人、ウーゴの頭上で暗器を投げる、一人の少女の姿を一同は視界に入れざるを得なかった。
ジャーファルは、この手でしっかりとルーティを掴んでいたはずだった。ひらりと離れる彼女に手を伸ばすも、掴めなかった。その光景に、ツキリと頭が痛んだ。
一瞬で巨人の体に暗器を巻きつけ、巨人の体が傾く。天井を足場に飛び上がり、身軽な体で飛び回り、暗器を自由自在に投げ回す。一瞬、何かを言おうとしたが、ハッとしたように言葉を止めた。ジュダルとの約束を知るものは、この場ではジャーファルのみ。口の動きなど市民は気づかぬまま、少女は天井を蹴り、巨人を大きく斬りつけた。
刺さったままの氷柱を、跳躍の反動で蹴り飛ばす。先程よりずっと深く突き刺さったというのに、動きに変わりはない。
「!」
風を切るような音と共に、拳が飛んだ。咄嗟に避けるも、もう片方の手がルーティの体をがしりと掴む。ボルグが出たのは一瞬で、彼女は守られぬまま巨大な力で締め上げられた。
だが、それも一瞬で終わり、ルーティは投げ飛ばされてしまった。勢いに抗えず地面に叩きつけられ、いくらか受け身をとっていたとはいえ体が軋んだ。この瞬間に攻撃をされれば、ボルグのない彼女は一溜りもない。もっとも、力を使わなければの話ではあるが。
そう、絶好の機会であったと言うのに巨人は見向きもしない。両の手を組み、高く突き上げた拳にルフが集まっていく。光が大きくなる。その先にいるのは、地面に倒れたままのジュダルであった。
「まずい!全員逃げろ!!」
シンドバッドの声に、慌てて民衆が逃げ始めた。眷属である二人も、民衆の誘導や逃げる手伝いをするーーーはず、だった。巨人の天へ突き上げた拳の前にはジュダルが、そしてその巨人の右側にはルーティがいた。
ジャーファルの脳裏に浮かぶ光景に、視界がチカチカと点滅した。どんなに手を伸ばしても、どんなに暗器を伸ばしても、どんなに声を張り上げても、彼女に届くことはなかった。彼女を目の前にして、落ちていく暗器が頭から離れない。手の届かなかった彼女の苦しそうな表情が、ずっと脳裏に焼き付いている。
「ルーティ…!」
気づけば暗器を投げ飛ばしていた。あの場にいれば確実に彼女は巻き込まれる。彼女は、あのジュダルの仲間だと言うのに、気づけば体が動いていた。
ハッとした彼女が、目を向けた先にいたのは、ジャーファルではなくジュダルだった。そして、意識のない彼に手を伸ばした。その瞬間、巨大な力を纏った拳がジュダルに叩きつけられた。
またしても届かなかったジャーファルの暗器は、風圧で弾かれ、金属音を小さく響かせ地面に落ちた。その光景に、チカチカと記憶が重なる。自分の胸を抉られているかのような苦しさが、彼を襲った。
今までずっと、思い出さないようにしていた記憶が走馬灯のように降り注ぐ。膨大な記憶の波に溺れ、視界が点滅した。溢れていく映像の中、こちらを見て小さく微笑む少女がいた。ガラスのように、その姿にビキリとヒビが入る。
忘れていたわけではない。ずっと覚えていた。忘れていたわけではないんだ。
酷い虚無感に襲われる中、彼は魂が抜けたように目の前の光景の見ることしかできなかった。目の前の、ウーゴを中心にできた大きなクレーターが広がる光景を。
17.12.29