夢小説の世界にトリップできたらと何度願っただろう。何度、何でもするからこの夢小説の世界に、夢主としてトリップがしたいと神様に願っただろう。何度、トラックを見つめたことだろう。それが叶うわけがないと現実を突きつけられ、神さまなんていないんだと時には涙を流す。それほど本気で、本気で好きで辛かった。







「おはよう、なまえ。よく眠れたか?」
「……?」

目が覚めたら見知らぬ場所にいた。しかも目の前には知らない人がいて、どうやら場所はベッドの上らしい。慌てて自分の衣服を確認すれば、覚えのないパジャマを着ていた。しかもなぜか男物のパジャマだ。
目の前の金髪のイケメンは蜂蜜のように甘く目を細め私の頭を撫でた。そして顔が近づき、軽いリップ音と共に口が塞がれる。突然ファーストキスが奪われたショックと一緒に私は慌てて胸板を押した。

「あ、あの!誰ですか」
「…?寝ぼけているのか?」
「いや、あの…」
「なまえの彼氏の零だよ」

レイさん…?既視感がありすぎる、聞き覚えがありすぎる名前だ。よく見れば彼の肌は褐色で、私を見つめる瞳はきれいな空色をしていた。
混乱する私に、レイさんは落ち着くまで優しく気遣ってくれた。記憶喪失ではないかと彼は言うけれど、目が覚めるまでの記憶はしっかりとある。自分の名前も言えるし家族の名前も言える。
レイさんにスマホを借り、混乱しすぎて何故か自分の携帯番号に電話をかける。すると使われていない電話番号ですと無機質なアナウンスが流れ、体から血の気が引いていく。親の電話番号とか覚えてない。SNSやチャットアプリに頼り切った弊害がここに来てしまった。唯一覚えている家の電話番号にかければ、また同じ無機質な音声。なんで、どういうこと?

ここどこ?私、これからどうしたらいいの?なんで電話が通じないの?

「突然どうしたんだ」
「あの……ひゃ!え、あの!何を…」
「何って、おはようの挨拶だろ」

スッとスマホが取られ、怪しい手付きで腰に手が伸ばされる。慌てて顔を上げればまた唇が塞がれ、より近くで見た姿に頭がショートしかけた。

あれ、待って、この人、安室透では?

「ひあ、…やっ」

首筋に痛みが走り、べろりと舐められる。一体何が起きているんだろう。レイと名乗っていたけれど、本名の降谷零の方を名乗っているとでもいうの。あれ、待って、もしかして、トリップした?

布の擦れる音に小さな水音、朝の静けさに拘束された動けない手首。何度も深く口付けられ、息ができずどんどん思考能力が奪われていく。なんで安室透、というか降谷零とキスしているんだろう。夢小説の世界にでもトリップしてしまったのだろうか。ありったけの甘いものを詰め込んだかのようなキスを注がれ、それを考える余裕もなくなっていく。

「…そうだ、朝は何が食べたい?」
「…え、あ…」
「なまえの好きな物、なんでも作るよ」

とろりと溶けた瞳で見つめられる。必死に酸素を取り込みながら、イチゴジャムのぬったパンと言えばくすりと微笑まれる。どうやら作ってくれるらしい。厚い筋肉の纏った腕で横抱きにされると、そのままリビングまで運ばれてしまった。布団から出て気づいたけれど、私上しか着てない。

目の前に紅茶が置かれ、頭がついていかないまま調理を始めた彼を見つめた。家の中を見渡すとシンプルなデザインでまとめられていた。整理整頓が行き届いていて、ゴミも散らかっていない。彼は、本当にあの安室透なのだろうか。

「はい、できたよ」
「あ、ありがとう…ございます…」
「テレビ見るか?」
「は、はい」

そうだ、テレビ。テレビを見れば世界も情勢もわかる。真っ黒な画面から変わった色鮮やかな板は丁度ニュース番組を移していた。そこには米花町のテロップに、見知らぬ土地の羅列。東都って、何?東京じゃないの?

ぽかんとテレビを見ていれば、彼は「なまえはこっちの方が好きなんじゃないか?」と番組を変えた。動物の特集をしていたようで、思わず目が輝いた。赤ちゃん特集だ、かわいい、かわいい!

「かわいい…」
「ふふ」

小動物のかわいさで一瞬忘れてしまったけれどそれどころじゃない!慌ててレイさんに説明を求めようと開いた口元に、ずいっとフォークで指したものが向けられた。ぽかんと彼を見つめれば口を開けろと言わんばかりに、あー と言われる。

「あの」
「あーん」
「んむ」

口を開けた瞬間無理やり突っ込まれ、慌てて口の中に入れれば甘いジャムの味とふわふわな食感のものが広がる。なにこれ、おいしい!

「ケーキみたいだろ?」
「おいひいです」
「よかった」

なんだかロールケーキみたい。おいしくてもう一つ食べたいと思ったら、変わらぬ笑顔のレイさんがもう一つ私に差し出した。…また、食べさせられるらしい。一人で食べると言っても彼はにこにこと笑顔を向けてフォークを下ろさない。観念して口を開けば、満足そうにしていた。

食器の片付けもテーブルを拭くのも断られ、ソファに座らされると流れるように一緒にテレビを見ることになってしまった。
ニュース番組では東都がどうのと言っていて、東京の話題は一切出てこない。天気の一覧でも、東京だけ東都になっている。もしかしてこれ、やっぱりトリップしている?

でもトリップしているのだとしても、この状況がわからない。安室透ならまだしも、降谷零にこれだけ甘やかされて恋人扱いされるのはどういうことなんだろう。転生?でもこれまで生きてきた記憶がない。成り代わり?と思ったけれどテレビの真っ黒な画面に映った私の姿は変わらない。どういうことだってばよ…

「なまえ」
「はい」

呼ばれたから思わず返事をしてしまった。振り向くのと同時にソファが沈み、レイさんは私の腰に手を回した。軽く肩を押され、私はそのままソファに倒れてしまう。混乱する私にレイさんは口角を上げる。


「今日は休みだから…」
「っあ、」
「たっぷり愛してやるからな」

ぷちりとパジャマの合わせが緩められる。縫い付けるように手首をソファに押しつけられ、はだけた胸元に彼の手が怪しく伸びる。獣のようにギラついた瞳と目があい、胸がしめつけられた。


トリップ特典で零さんの彼女スタートなのか、誰かの成り代わりなのかはわからない。でも彼は私の名前を知っていた。別人に成り代わっているのだとしたらおかしいと彼は気づくはずなのに、ありのままの私を彼は甘やかす。

まさか二次元のキャラに処女を奪われるとは思わなかった。これ、夢オチだったりするのかな。









そして夢だと思って数日が経った。

零さんにどろどろに甘やかされ愛され、心臓が持たない日々が続く。トリップをしただろう日は口に出せないくらい激しい行為をされたせいで足腰立たず、ほとんどをベッドで過ごした。零さん、絶倫なのでは?

公安とポアロと組織のトリプルフェイスの彼は忙しい。一日家をあけることも多々あるけれど、零さんは帰れば必ず私をめちゃくちゃに甘やかした。
私は仕事をしているのか遠回しに聞いたけれど、自宅警備員らしい。ニートじゃん?

洗面所に並ぶ色違いの歯ブラシにコップ、おそろいのパジャマ。…最近はずっと零さんのパジャマを着せられるけど。私のものらしい洋服や鞄達に見覚えはなかった。スマホを渡されたけれどその中身は新品同様で、首を傾げたけれどどうやらスマホが壊れてしまったらしい。つまり前のデータは吹っ飛んでいるから知り合いがどれほどいるのかなどが全くわからない。

監禁夢主かな?と思ったけれどたまにポアロに一緒に行かせてもらえる。聖地巡礼をしている気分だ。夢のようで、あまりにも幸せでこの夢から覚めるのが怖くなった。ヨモツヘグイのように、この世界の食べ物を口にしたから帰れないとかならないかな。いつか終わる夢に涙した夜もあった。

けれど、何故か直感的に思うことがあった。帰れない、と私の勘がそう言っているのだ。

この世界のご飯を食べる度、零さんに愛されるたびに元の世界へ帰る要素がなくなっていく。そして、恐らくもう…

「なまえ、ただいま」
「…おかえりなさい、零さん」

玄関まで迎えに行けば、ぎゅっと腕の中に閉じ込められる。暖かくて安心するこの時間が大好きになった。帰れなくて困ることはないように、思えてきてしまったのだ。

ああ、でも、元の世界の家族や友達には二度と会えないのかな。それは、嫌だなぁ。

「…なまえ」
「?…ん、んんっ」

雨のように降ってくるキス受け入れるのに精一杯で、私は思考を放棄した。まぁ、いっか。







2018/06/18