※スコッチ生存時の話


ピアノ線を張ったような空間は、息が止まりそうだった。私を見遣る目線は凶器のように鋭く、重く、痛い。言葉はないのに「お前は化物だ」とでも言いたげなのだ。濁った白と真っ黒な目玉が私を見つめる。音のない空間で、刺し殺されたかのよう。ああ、きっと彼らに加害者の自覚なんてないのだろう。この世の全てが悪に思える。とうの昔に消えた光を探すなんて馬鹿なことはしなかった。突然湧いた小さな光を見るまでは。


「今日は、新しい服を持ってきたんだ。どうだ?気に入るのあるか?」

寝台に広げられた数々の洋服はどれも明るい色で作られていた。着飾る為に生まれてきたかのように、かつての西洋貴族が身につけていたレースを模した布までつけられている。ピンクや白、水色といった性別を存分に生かす色ばかりだ。じっと持ち込んだ本人を見遣ると、太陽のような輝かしい笑顔が返された。

「…私には、似合わないよ」

我ながら捻くれた答えしか出ないものだ。選ぶこともせず視線を落とす。照明がチカチカと点滅した。音楽も生活音もないこの狭い部屋にいるのはスコッチと私だけだ。布の擦れる音がすると、気づけば目の前に服が翳されていた。真っ白なワンピースだ。袖がふんわりと作られたそれは、どこかのお嬢様が着そうだとぼんやりと思考する。血も痛みも、汚いものを何もしらない平和な人間にぴったりな色だ。

「似合ってるな」
「…そうかな」

押しつけられるまま服を受け取ると、スコッチはどこからか髪飾りを手にした。青いリボンで作られた髪留めを私の頭につけると、またあの笑顔を私に向ける。そんなに笑顔を作っていたら、いつかなくなっちゃったりしないのかな。スマイル0円とはこのことだろうか。誰にでも配りすぎて、笑顔がなくなったりしないのだろうか。押しつけられた白は、私にはあまりにも不釣り合いだ。穢れのない白と正反対の、真っ黒な化物なのに。今着ているベルモットから貰った洋服だって、真っ黒だ。私にはそれが似合っているし、この先も黒だけの世界で息をする。それを受け入れていたのに、彼はこうして真っ白な世界に私を連れ込むのだ。

「なまえはかわいいから、なんでも似合うなぁ」

いつか図鑑でみた、ひまわりみたいだ。膝に置いた白が、握ったせいで皺になった。無精髭の生えた彼は、私と話す時はいつでも太陽のようだった。こんなに綺麗な人が、何故真っ黒の世界にいるのだろう。
彼はキラキラ輝いていて、オレンジ色で、優しくて。それでも彼は人間だから、首や、心臓、頭を刺されたら真っ赤を流して死ぬのだろう。そう考えると、しばらく生死に頓着しなかったはずなのに、心臓を握りつぶされたような感覚になった。息がつまる。肺に酸素が送られなくなったような息苦しさだ。いつかの実験で首を締められ続けた時のよう。少しスコッチの死を想像しただけなのに、なんでこんなに苦しくて、涙が出そうになるのだろう。

「どうかしたか?」
「…ううん…」
「この部屋、テレビないよなぁ。今度置けないか頼んでみるよ。俺がいない時、暇だろう?」
「うん…」

ずっと、スコッチがここにいればいいのに。こんな風にお話して、ご飯を食べて、一緒に寝て。痛いことも怖いことも、苦しいことも何もない。血が流れるようなことは何もない。寒くないし、暑くもない。スコッチは私と違って、すぐ死んじゃうんだから。

許可がないと部屋から出られない私にと、スコッチが持ち込んだものでこの部屋は満たされていた。教材や本、ぬいぐるみ、そして今日は服が増えた。私はローテーブルの下に置いていた冊子を掴み、目の前の彼にそっと差し出した。さんすう、と大きな文字で書かれたソレには記号や数字、それからデフォルメされた動物が描かれている。

「おっ出来たのか!答え合わせしような。難しかったか?」
「ふつう」
「すごいじゃないか!すぐに九九も覚えたし、なまえは頭がいいなぁ」

あなたが言うなら、私はなんだって覚えるのに。人を殺す方法だって、覚えるのに。

「同じ幹部でさ、頭いいやつがいるんだよ。今度そいつにも教えて貰わないか?バーボンっていうんだけど…」
「や」
「ん〜やっぱ嫌かぁ。」
「スコッチがいい」

スコッチがいればいいもん。小さな呟きはしっかりと耳に届いたようで、ゆるゆると彼の口角が上がる。カタカタと震えていた彼は、急に両腕を伸ばし私を抱きしめた。突如伝わる温もりに驚く。だって、暖かいから。それに、心臓の音が聞こえる。彼の生きている音がする。私を抱きしめる彼は本当に嬉しそうだ。思っていることを口にしただけで、ここまで彼が喜ぶとは思わなかった。喜ぶなら、これからもっともっと気持ちを伝えてこう。彼が喜ぶなら、なんでも。

ああ、暖かい。*が緩む。これが嬉しい、という気持ちなんだろうな。昨日やった国語の文章題の、幸子はこんな気持ちだったのだろうか。大好きな人に抱きしめられて、嬉しそうに笑う幸子の挿絵が脳裏に浮かんだ。こんな時間が、ずっと続くといいな。ずっと。





2018/02/06