あのおばあさんが言うには、一本杉の下の一軒家に住むナビゲーターの夫婦がいるらしい。二時間ほどで着くとは言っていたけれど、二時間以上経っても例の一軒家は見つけられない。おまけに魔獣注意と書いてある看板がいくつも立てられている。日も落ち月明かりに照らされながら歩く森の中はずっと静かだった。
「!見えたぞ」
クラピカの声に釣られて見上げれば、言葉の通り一本杉の下には一軒家があった。他にも受験者が来ていると思っていたけれど、あたりはしんとしていて物音一つしていない。人の気配もなく、レオリオが先導して扉を叩くも返事がない。留守にしているのかな。
「入るぜー…う!?」
「?」
なにかに驚くレオリオとクラピカ。二人が壁になってしまってうまく見えず、二人の隙間から覗けば見たことのない大きな生き物がいた。女性を捕まえている魔獣と思われる生き物は目にもとまらぬ速さで私達の間も通り抜けてしまった。見えなくなってしまう、と慌てて私は構えていた銃のトリガーに手をかけるけれど、あの女性に当たってしまうリスクがよぎる。
「助けなきゃ!」
「レオリオ、ケガ人を頼む!」
「任せとけ!」
クラピカとゴンが駆け出したのを見て慌てて私も後を追った。レオリオを一人にして大丈夫かな、と不安で一瞬振り返るけれど真剣な目つきで親指を立てられた。構わず行けという合図だと受け取り、小さく頷いて前を向いた。…けれど、二人がとんでもなく速い。もちろん魔獣も目に追えないくらい速いのだけれど、木を使い地面を飛び駆けていく二人からどんどん遠ざかってしまう。
あれだけ師匠に森の中を走らされたのに、あそこまで速く走れない。ついには二人の姿も見失ってしまい、がつんと木の根っこに躓いてしまった。ぐっとバランスが崩れ、受け身を取ろうとした時柔らかいものがクッションとなった。もっふり、とふわふわで柔らかくて温かいものに包まれた。
「…え?」
「きゅん」
見たことのない生き物だ。狼のような犬のような姿に、きょとんとしてしまう。こちらに敵意はなく、むしろ心配するかのように私をじっと見つめている。混乱したままありがとうとお礼を言えば、答えるように一鳴きした。これは、もしかして言葉が通じるのかもしれない。
「あの一軒家を襲った…こういう感じの魔獣、どこにいるかわかる?」
「きゅん!」
何故か嬉しそうに鳴いたこの子は私を首元に捕まらせると、とんでもないスピードで駆け始めた。背に乗ったままではあるけれど手を離したら死ぬ、と必死になって掴まればまた大きく一鳴きした。しかも何かに襲いかかるように衝突したようで、頭が壁になって見えない私はどんどん混乱していく。
「…あ!みつけた!」
「ナニィ!?」
「喋った!?」
あの魔獣、人の言葉喋れたんだ!?
褒めてと言わんばかりに体が擦り付けられ、もふもふを堪能しながら頭を撫でてあげれば嬉しそうに鳴いていた。かわいい。魔獣は私達に驚いているようで、私を助けてくれた子に向かって指さした。どうしたんだとでも言いたいのだろうか。でもそんな場合じゃない。
「さっきの女性はどこですか」
「お前のお仲間が助けたはずだぜ?」
え、時すでに遅しというものだったりする?
ゴンかクラピカが既に女性を助けてしまったらしい。どうしよっか、と相談するようにもふもふを堪能する。すごく懐かれているみたいで、もふちゃんは私に頭を擦り付けようとしている。うーん、私の身長の倍以上あるから飛びつかれたら重さで骨が折れるかもしれないかな。
「…え、なんもしねーのか?」
「え?」
戸惑ったように魔獣は私を見つめた。そういえば女性を助けられたし、魔獣にどうしたらいいのだろう。少し悩んだ末、出た言葉に更に魔獣は目を丸くした。
「何かされたんですか?あの人達に」
人質として女性を攫った魔獣は知能がある。ただやみくもに襲う獣の類ではないことは、師匠のところで過ごした山やあの社のある山での生活でわかる。ただ恨みがあって襲ったのなら、私達が来る前に事を終えることだってできた。私達に見せるために、人質にした?
じっと魔獣の目を見つめれば、ぴくりとなにかに反応する魔獣。そしてすぐ私に向き直り、じっと私の瞳を見つめた。
「へえ…ウン、あんた合格だ!」
「…へ?」
「声と顔の違い…わかるか?」
「いや…全く」
「うーん……」
目の前にはそっくりの魔獣二匹と、襲われていたはずの夫婦。どうやら夫婦はこの魔獣、凶狸狐と呼ばれる変幻魔獣らしく、人の姿をしている彼らは夫婦ではなく娘と息子らしい。
「ところで…その魔獣はどうしたんだ、ナマエ」
「懐かれました…?」
私の後ろを見上げるクラピカは、少しだけ顔をしかめた。頭を擦り付けるように背中に押しつけられ、よしよしと撫でてあげると一鳴き。本当にかわいい。連れて帰りたいけれど、きっとここでさよならだ。
あの女性の体のイレズミは、民族の証。端的に言えばそうなるけれど、古代史に明るくないとわからないもの。博学とわずかなヒントで、クラピカは二人が夫婦ではないことを気づいていたらしい。
レオリオは私と同じく夫婦ではないことは気づいていなかったけれど、的確な処置にずっと彼に励ましの言葉をかけ続けていたらしい。
「ナマエ殿は、この地で敵知らずの一匹狼の魔獣を手懐けました。そして無闇に襲うことなどせず、相手の立場に立った考え方をしていました。」
「我々の心配をしたヤツなんて初めてだったね」
なんだか褒められることに慣れていなくて恥ずかしい。
それにしてももふちゃん、そんなすごい魔獣だったの。すごいねと撫でてあげればやはりかわいく一鳴きした。
「オレ思いきり殴っちゃった」
「あはは…」
とてつもなく人間離れをした運動能力、観察力を持つゴン。見事私達四人は合格したようで、キリコさんは私達を試験会場まで送ってくれるそうだ。
「…で、嬢ちゃんは悪いが誰かと一緒に運ぶ形になるんだが」
「誰かと…?」
息子さん達では一人を運ぶので精一杯らしく、私は三人の誰かと一緒に運んでもらうことになるらしい。身長的にゴンでも大丈夫と言葉は続いたけれど、着くまで掴まっていることを考えての指名だった。
「じゃあオレがナマエを抱えるってのはどうだ?」
「レオリオではいろいろと心配すぎる…私かゴンにした方がいい、ナマエ」
「んだと?」
また喧嘩が始まってしまう。慌てて仲裁に入ろうとしたけれど、ゴンに小さく服を掴まれた。じっとまっすぐ見つめられ、思わず見つめ返すと私の後ろに視線が動いた。
「どうするの?」
主語がなくともわかる。もふちゃんのことだ。私にべったりくっついて離れないもふちゃんは猫のように甘い鳴き声を出している。一匹狼のような存在ということは、ずっとひとりぼっちだったのかな。
クラピカとレオリオは取っ組み合いの喧嘩まではいっていない。それだけ確認すると、私は正面からもふちゃんに向き直った。
「ここでさよならだよ。助けてくれて、本当にありがとう」
「きゅん」
「…独りは、寂しい?」
こんなに大きな体をしているのに、しゅんと頭をこちらへ寄せるもふちゃんはとっても小さく見えた。最後になるだろう。甘えられるがまま撫でて上げると、もふちゃんは目尻に涙を浮かべていた。
「こんなに優しくていい子なんだから、たくさん仲間ができるよ。凶狸狐さん達だっているでしょう?」
「きゅう…」
「…力で傷つけてしまわないか、心配なんだよね?」
反応はない。でも、ぽろりと涙がこぼれていた。大好きだって気持ちをこめて微笑み、涙を拭って上げればまたぼろぼろと涙をこぼす。
私も、独りは寂しかったよ。一緒だね。
言葉に出さずとも伝わったようで、もふちゃんは少しすると顔つきがきゅっと変わった。決意をしたようにまっすぐと前を見つめる瞳に、嬉しくて笑みが溢れる。
「もう大丈夫だね」
一鳴きしたもふちゃんは私の頬を小さく舐めた後、笑っているかのように目を細めた。そして、のそのそと息子さん達の近くへ行くと、ぺこりと頭を下げていた。礼儀正しいいい子だ。一緒に私も頭を下げれば、少し息子さん達はきょとんとしていたけれど快くもふちゃんを受け入れてくれるようだった。
「ナマエ、動物が好きなのか?」
「…そうなのかな」
森でいつも私の側にいてくれて、助けてくれたのも動物たちだったなぁ。ゴンは楽しそうにもふちゃんに抱きつきにいっていた。その光景が微笑ましくて、思わず笑みが溢れる。
「…そういえば、私は誰と一緒に…」
「私だ」
「えっ」
慌ててよろしくお願いしますと頭を下げると、小さく笑われた。二人一緒に、ってどうやって会場まで行くんだろう。羽のように変わった凶狸狐さんの腕をじっと見つめると、クラピカがするりと説明を入れてくれた。なんでも、凶狸狐さんたちの足に掴まって会場まで行くらしい。
掴まる場所は一つ。…あれ、私は凶狸狐さんの背中にでも乗せてもらうのかな。疑問符を頭に浮かべ首を傾げていると、娘さんからとんでもないことを言われてしまった。
「では、クラピカ殿はナマエ殿を会場に着くまで抱えていてくださいね」
「…えっ」
か、か、抱える?
思わずクラピカを凝視すると、変わらぬ調子で頷いていた。私も一緒に掴まる方向ではないことに頭が混線していく。
「わ、私も一緒に掴まるとかじゃ…」
「同じ所に掴まって宙を移動するのは危険だ。どちらかが掴まり、抱えることで重心が一定になる」
「なるほど…?」
確かに不安定な空中で同じ場所に二人が掴まっていると危ない気がする。二人で掴まることを想像してみれば、風でうまくバランスが取れず、掴まる場所も不安定で危険な光景がすぐに浮かんだ。
抱えられるなら、身長も高くてがっしりしているレオリオの方が安定感がありそうだけれど。重量オーバーなのかもしれない。そこまで考えて選択ができるクラピカはやっぱり頭がいいなぁ。
「じゃあ、よろしくお願いします」
着くまでの長い間迷惑をかけることになる。深く頭を下げると、柔らかく目を細めたクラピカに微笑まれた。
「絶対に、落としはしないさ」
2018/06/02