意識が落ち、力無く体を預けたナマエにクラピカは静かに視線を落とした。傷を負ったはずの肩に痛みがないのは、ナマエが治したのか、それとも….
ナマエの持っていた手紙をしまい、起こさぬようにそっと彼女を抱き上げると泣きはらして赤くなったナマエの目元に眉を寄せる。月明かりに照らされ、宝石のように輝く彼女の髪がはらりと肩から落ちる。

「何故ナマエに嘘をついた?」

クラピカは、斜め後ろの木へ視線だけ向けた。落ち着いた声色に怒りが込められる。草の揺れる音と砂利の擦れる音。自身の身を隠していた木の後ろから姿を現したイズナビは険しい顔をしていた。そして、じっとナマエを見つめ、少し苦しそうに眉間にしわを寄せる。

イズナビは、ナマエと再会してからの二人の様子や、ナマエの髪を知っていて飛び込んだことを思い返し、区切りをつけるかのように大きく息を吐いた。

「…あの二人の依頼は、”ナマエが殺されないよう危険から守り、助けること”」
「……」
「ナマエの性格を考えて、二人の死を伝えればこうなると予想したから嘘をついた」

クラピカは体ごとイズナビへ向け、怒りを隠さずに睨みつけた。イズナビは頭をかき、少しだけ視線を外す。

「では何故このタイミングで告げた?何故ハンター試験を受けさせた」
「ナマエが生きていくためだ」
「答えになっていない」

誤魔化すように選んだ言葉は一蹴され、イズナビは再び重く息を吐いた。そして、諦めたように視線を小屋の方向へ向ける。一先ず戻ってナマエを寝かせてから話の続きを、という言葉の途中でクラピカは再びぴしゃりと言葉を続けた。

「断る。ナマエの安全が優先だ」

つまりイズナビは現時点で信用していないということだ。気を失っているナマエが目を覚ます気配はないのを確認すると、イズナビは重い口をゆっくりと開く。

「こいつの処遇は、ハンター協会で研究されるか殺処分されるかの二択だった」
「!」
「国や大きな組織からの依頼ならともかく、人里離れた閉鎖的な小さな村の若夫婦。権力も何もない依頼をもみ消すくらい容易いからな」

ひそひそと話すかのように木の葉が揺れる。先程まであんなに光り輝き、闇夜に浮かんでいた月にうっすらと灰色の雲がかかっていく。

「上では殺処分で合意されるはずだったが、会長がナマエにハンター試験を受けさせ、ハンターにさせると言った。ハンターという肩書きがあれば身分証に困らない。そして、ハンター協会はコレを監視しているという立場ができる」

だが、それはナマエの髪の力が手の内にあるという権力を持つことにもなる。

確かに、試験で見た彼女の髪の力は恐ろしいものだった。だが、ヒソカの脅威性を鑑みてもどちらも自分にとっては未知数のように感じる。先程言ったイズナビの”研究”、”監視”というワードがクラピカの頭に引っかかる。

「試験を受ける為の修行期間も、修行と称した監視期間だった。ハンター試験もな。俺らの予想以上にナマエは大人しくて無害な女の子だってことで、殺処分はもうされない。これが最後のテストだったからな」

どんなに大人しい人間でも、大事な人間が死んだ時どう行動に出るか。そこで他者を傷つける行動に出るようだったら、監禁や殺害の処分がされていたのだろう。

全て、試されていたのだ。

気に入らない、とふつふつと湧き上がる怒りや苛立ちにクラピカは顔を歪める。だが、顔に出さぬようにしているのだろうが、殺処分などの単語を出す際イズナビは苦しそうに声のトーンが下がっていた。そして何より、彼がその結果になることを嫌がっているのが態度でわかるのだ。

もしナマエが他者を傷つける行動に出ても、殺処分などされぬよう何らかの対策を練っていたのだろう。クラピカは小さくため息をつき、ナマエに視線を戻す。あれだけ泣いた上に、小雨とはいえ雨で体が冷えているはずだ。ククルーマウンテンで修行をしていた時も、彼女はよく体調を崩しては気づかれぬように治していた。やはり、あまり体は強くないのだろう。

「ナマエを寝かせる。部屋はどこだ」
「!…ああ」

どこかほっとしたようにイズナビの眉間のしわが緩まる。雲の隙間から柔らかな月の光が彼らを照らした。







□■





蝶板の軋む音と共にドアが開く。想像していたよりも随分シンプルなナマエの部屋には私物がほとんどなく、必要最低限のものと語学の本が本棚に置かれているだけの簡素な部屋だった。ベッドにそっと降ろし、靴を脱がし肌掛けを優しくかける。手紙を近くの机に置き、再びナマエに視線を戻す。彼女の目尻に滲んだ涙に、膝をついてそっと指で拭った。静まり返った空間に響くのは布の擦れる音。じっとナマエを見つめ、柔らかく彼女の頭を撫でる。どうか夢の中ではいい夢を、とクラピカが部屋を後にしようと立ち上がると、服が何度か引かれる。

「?」

彼女の手は布団の中にしまわれたまま。では誰が、と考えたところで答えは決まっていた。ふわりと束になった彼女の髪が宙に浮かぶ。ナマエの意識のない状態でソレと対峙することに、クラピカの心臓が少しだけ早くなった。

「…ここにいろということか?」

ぐいぐい。今度は手が引かれる。引っ張られるがままナマエの元へとまた膝をつけば、ナマエの手を握らされた。…ああ、そうか、とクラピカは緊張していた肩が下がる。

「…私でなくても、キミがナマエの側にいるだろう?…そうか」

髪と会話をするというのは、なんとも不思議な心地だ。

案外言いたいことを察するのは容易く、縦か横に振られる髪はどこまでもナマエを想っていた。

「!なんだ…私をベッドに?いや、女性と共寝するわけにはいかない」

髪がクラピカもベッドへと引っ張るが、クラピカは慌てたように何度も拒否をしたため、ぴたりとその行動は止まった。試しの門で第3まで開けるほど髪の力は強い。無理矢理ベッドに乗せられてしまう可能性もあったが、譲歩できる思考能力もあるようだ。

単純思考の持ち主かと思っていたが、ナマエのことを考えた判断は稚拙なものではない。周りの人間の言葉を理解し、彼女の気持ちや立場も考えることができている。…つまり、この力が独立的にここまで思考することができるのなら、戦闘の際ナマエの思考は不要。ナマエは何もせずただ立っているだけでも、ヒソカほどの実力者を殺せる可能性がある。みーちゃん、と名を呼び願うだけで。

一つ、クラピカは息を吐いた。

ナマエの手を握りしめたまま、寝台に顔を伏せる。この体勢で寝れば次の日は体の節々が痛くなっている可能性が高いが、仕方ない。暗闇に意識を沈めた。












真っ黒の絵の具を何度も塗り重ねたような空間に、白い靄がかかる。それはどんどん質量を増していき、少しずつ自我が覚醒していく。雲のような厚さになった靄に飛び込むように落ちると、しゃぼん玉が弾けたかのように意識が戻る。水の中にいるかのように不鮮明だった音が、徐々にはっきりしていく。そして、ふわふわといつまでも感じていた浮遊感が消え、目の前に広がる光景にクラピカは息を飲んだ。

木造の部屋、窓ガラスすらない小屋のような家。視点は低い。視界には、カントリーなワンピースに身を包み、全身に包帯を巻かれたナマエがいた。彼女の前に座る女性は、今のナマエと同じ髪色をしており、肩甲骨まで伸びた髪を横にひとつ結びにしていた。

しゅるり、彼女の腕に巻かれた血の滲む白い帯が解かれる。その下には傷一つない腕があった。ソレを見て、女性は目を見張る。が、すぐに柔らかく優しい表情に戻った。

「よかった、怪我治っていて。不思議ねぇ、骨折もしてたのに治っちゃった」

骨折、怪我。女性の発した言葉にナマエは反応を見せない。じっと、自身の怪我があっただろう腕を見つめている。その表情は真っ青で、驚異的な回復に身に覚えがないようだ。

「崖から落ちているあなたを見つけた時は心臓が止まるかと思ったけど…神様が治してくれたのね。あ、ええと…どう描けばいいかしら」

女性は近くに置いていた紙に鉛筆を走らせる。視線が動き、その手元が見えるようになる。そこには文字ではなく、女性が描いたであろうイラストが次々に展開していた。その絵は、何かを伝える目的で描かれているものだった。

描き終えると、女性は身振り手振りと表情、絵を用いてナマエに訴えかける。暗い表情のナマエが、少しだけほっとしたように顔色が変わる。

何故、自分がナマエの記憶を見ているのか?いや、ナマエの記憶でもない。第三者から見ているような視点だ。

「ナマエちゃん、大丈夫よ。何も怖いことはないわ。私達が守るからね」
「ミアーー!!ナマエちゃん!!あったぞーー!!」

女性がナマエの手を優しく包み込んだところで、知らぬ男性の声と走る足音が近づく。滲んだインクのようにはっきりとしない光景が、少しだけ広がった。金髪の髪を持つ男は太陽のように笑顔で何かの棒状のものを持っている。松葉杖の代わりだろうか。そして男性はナマエの包帯の解かれた腕を見ると、きょとんと足を止めた。

「あれ?治ったのか?」
「ふふ、神様がナマエちゃんの怪我を治してくれたみたいなの」
「そうなのか!よかった!!」
”わあっ!?あ、あの!”
「よかった!」

男性にひょいと抱き上げられたナマエは焦ったように声を上げる。その言語は聞き慣れぬもので、女性の行動も頷ける。くるくると心の底から嬉しそうに笑うこの男性がジャック、そして柔らかく笑っている女性がミアという人だろう。

これが本当に過去の記憶ならば、この頃のナマエは随分と顔色も悪く、表情も暗く口数も少ない。不安と恐怖に押しつぶされそうな、そんな雰囲気だ。

この夫婦は”神様のおかげ”だと気に留める様子はないが、普通治るはずのない期間ーー包帯に血が滲んでいることから察するに、怪我をして1日程度ーーに跡も残らず完治しているのだ。ぞっとするのも無理はない。

「快気祝いをしましょう!ナマエちゃん何が好きかな」


ミアが朗らかに笑い、ぶつりと映像が消える。そして、またぱちんと景色が変わった。場所はまた同じ家の中のようで、視点は少し低いまま。おそらくこの映像記憶は、ナマエのものではなく髪の方なのだろう。

木の机の上に広がるのは、少しだけ古びた絵本だ。ミアが絵本を読み上げ、必要があれば紙に解説のようにつけくわえる。言葉を教えているようだ。たどたどしく発音をするナマエは必死に絵本を見つめており、不安そうに眉を下げている。そして、自身の母国語で何かを呟いていた。

”あの、これは…?”
「これ?これはね、”大好き”よ」
「だぃ、す…?キ?」

首を傾げるナマエに、ミアは柔らかく笑った。そして、どこから出したのか小さな手作りの人形をナマエの頬にキスさせる。きょとん、とするナマエの前に人形が生きているかのように動かした。

「”ナマエちゃん大好きー!ちゅっちゅっ”」
”わ、わ……ふふ”

初めて、ナマエから笑みがこぼれる。ミアは人形をナマエに持たせると、自身のポケットを探る。手に握らされた人形に視線を落とすナマエは、ふと首を傾げた。視点が動く。手作りのかわいらしい人形は、どことなくナマエに似ており、その人形の手にはぬいぐるみのような不思議な生物を持っていた。

「じゃーん!これは私とジャック!」

ミアは自身とジャックに似せた人形をナマエに手渡す。持ちきれずに膝の上へそれらを置き、それらを見つめる。その瞳は少し、輝いているようにも見えた。柔らかく微笑んだミアは、ナマエに似せた人形を指差す。

「これはね、みーちゃんよ」

人形の持っていたぬいぐるみは、みーちゃん…髪をイメージしたようだ。ふわりと嬉しそうに揺れる髪の束に、二人は楽しそうに笑っていた。そこに、ばたばたと足音を響かせながら家のドアを大きな音を立てて開けたジャックが既視感のある登場の仕方をしてみせた。

「見てくれ!おもしろい野菜があったんだ!!」

ジャックの手には、足を組んだように見えるカブ。太陽のような笑顔でジャックが大型犬のように二人の元へ駆け寄ったところで、また暗闇に包まれる。


ぱちり、ぱちりと映像が変わる。そして、ネガフィルムが目の前を流れていくかのように、枠には様々な光景が広がっていた。優しい二人の元で、少しずつ笑顔を取り戻していくナマエは、幸せそうだった。あの二人は、ナマエを守るために命を落としたのか。まるで本当の親子のような彼らの過ごした時間は短くともかけがえのないものだったのだろう。

ぶつり、クラピカの意識が落ちた。






2019/10/22