飛行船や電車を乗り継ぎ、駅からバスで移動してさらに歩いた場所に、村はあった。青色の広がる空には雲が浮かび、見渡す限りの晴天。師匠から連れ出された時はハンター協会の飛行船だったからわからなかったけれど、随分辺鄙な場所というか…所謂”田舎”な場所にあったようだ。
生い茂る木々を抜けた先に広がる村。木の柵があっただろう場所には跡があり、いくつか残っている木の棒は炭のように真っ黒だ。久しぶりに訪れた村の土を踏みしめ、砂利の音が響く。道中で買った大きめの黒のキャスケット帽を無意識にかぶり直した。念の為に変装をしておこうと言われて帽子の中に髪を全て入れ、細身のスキニーに男性っぽい服装をしている。
火事の後。燃えた無機物のにおいはしない。けれど、手のつけられていないこの村は家々の骨組みが残りはしているものの、焼け落ちた家屋はそのまま残っている。何も知らぬ人間がこれを見れば、ずいぶん前に寂れた廃村だと思うだろう。
あまり村の中を歩き回らなかったけれど、早朝にミアさんと一緒に水を汲みにいっていたから家の位置はわかる。駆け足でその場まで行けば、焦ったように師匠があまり離れるなと声を上げた。焦燥感に似た何かに責められている私はその言葉に構うこと無く駆ける。
「……」
ああ、ここだ。この家だ。
焼け落ちて原型の留めていない家だったものが瞳に映る。ぽっかりと胸に穴が開いたかのような喪失感に、感情さえも置いてけぼりのようだ。
「…ナマエ」
立ち尽くす私の隣に立ったクラピカは、そっと私の名を紡いだ。は、と引き戻されたように真っ白になっていた思考が鮮明になる。私はクラピカの目を見ることもできず、反応をすることもできないままふらふらと家の方へ歩き出す。
全て、燃えている。
ミアさんとジャックさんと囲んだ木のテーブルも、三人で一緒に雪景色を見た窓も、ミアさんと一緒に立ってご飯を作ったキッチンも。服も、花も、何もかも。焼けなかったらしい割れたお皿が、崩れて焼け落ちた壁の下に埋もれている。ミアさんのお気に入りの食器だった。畑にある倉庫も焼けていた。ジャックさんが使っていた農具も、燃えてしまったのだろう。
ふと思いだす。何かあった時のために、床下に三人で大事なものを埋めた。
素手で瓦礫を退け始めると、慌てたようにクラピカがこちらへ瓦礫を避けながら駆けてきた。
「どうした」
「下に…床に、二人が大事なものを、埋めたの…もしかしたら、まだ…」
「!私も手伝おう」
「待て、素手じゃ無理だろ。掘り起こせるもの持ってくるから」
どこかへ走っていったイズナビさんをぽかんと見つめていると、いつの間に私の前まで来ていたのかクラピカに視界を塞がれる。そして、私より背の高い体躯を少し屈めると、私の帽子にぽんと手のひらが乗る。
クラピカは、何も言わない。下手に何かを言われるよりもずっと良くて、ささくれ立つ心を溶かした。
戻ってきたイズナビさんが見つけたシャベルは火事で良い状態ではなかったけれど、無いよりマシだった。シャベルを受け取ろうと伸ばした手はソレを掴むことはなく、するりと横から伸びた手がシャベルを攫う。思わずクラピカを見れば、変わらぬ調子で「どの辺りだ?」と問う。私の事情でここまで来てくれているのに、ここまでしてもらう必要はないのに。私が慌ててシャベルへ手を伸ばすと、するりとかわされてしまった。仕方なく、キッチン近くの床下に埋めたから…と言葉を続けるとクラピカはずんずんと廃墟になった家の中を進んでいく。
瓦礫をどかして床に散乱した物もどかし、地面にシャベルを突き立てる。いくらか掘り進めたところで、土へぶつかる音とは違う鈍い音が響いた。ざり、と土を払えば埋もれていた箱が姿を現す。ああ、これだ。土で汚れてしまっているけれど間違いない。缶の箱をクラピカは取り出し、土を払うと私の視線を移す。
「…これか?」
「……うん」
箱が私の手の中に渡る。ドクドクと鼓動が早くなる。震える手で缶の縁へ指をかけ、力を入れる。がぽ、と予想以上に簡単に開いた箱の中は燃えていないようだった。けれど、中にあったものに息を飲む。
一番上にあるのは、写真。使い捨てのカメラを手に入れたジャックさんが嬉しそうに報告しに来てくれたあの日のことが昨日のことのように思い出される。箱を抱えたままそっと写真を手に取る。ミアさんもジャックさんも笑っていて、二人に抱きしめられて写真に映る私も笑っていた。戻れない。幸せだったあの日に戻りたい。じわり、涙が滲んだ。
ふと写真の下にあったものに視線が変わる。通帳と、印鑑。それからなにかの本のような冊子。それだけ。それだけだったのだ、この箱の中に入っていたものは。大事なものを入れたとジャックさんは嬉しそうに笑っていたし、ミアさんも笑顔だった。二人の大事なもの。通帳、お金はたしかに大事で、何かあった時のためならば頷ける。けれど、写真。
「…箱を持とうか?ナマエ」
「あ、えと…大丈夫」
箱を地面に置いて、写真を大事に、丁寧に折れないようカバンの中に入れていた本に挟んだ。通帳には今までの暮らしから想像できない貯蓄。師匠に渡された手紙に”三人で一緒に村を出る準備をしている”と書かれていた。つまり、この貯蓄は村を出て当分暮らしていく為のお金だろう。確かに、これだけあれば移動の交通費にも宿泊費にも、食事代にも困らない。1ヶ月は保たないだろうけれど、一週間は保つのではないか。職を探すには十分だとは思う。家を借りるとなれば足りないかもしれないけれど。
毎日質素な暮らしで村も裕福ではない。定期的に村から出て物を売っても稼げるお金が微々たるもの。そういえば、二人はたくさん内職をしていた。造花を作るのはミアさんが得意で、木を使ったおもちゃを作るのはジャックさんが得意だった。私も教えてもらいながら刺繍をしたっけ。
冊子には、あまり綺麗とは言えない字で”日記”と書かれていた。表紙をめくれば、見慣れたミアさんのイラストの下にタイトルと同じ字体が綴られている。そこには、日記を書くということと、娘ができたと字体からも嬉しそうな感情が書かれている。一枚めくると、インスタントカメラで撮られた写真が貼り付けられている。チェキ、と前の世界では呼んだっけ。その写真の下には”快気祝い!”とジャックさんの字で書かれていて、三人で食卓を囲んでいた。日記には神様が私の怪我を治してくれたということと、ご飯がおいしかった話。
これは、ジャックさんの日記だ。それも、私と出会ってからのもの。ぱらぱらと紙をめくると、ミアさんのイラストや写真が必ずあって、時折ミアさんもこの日記にコメントを残しているようだった。二人が生きていた頃残したもの。生きた証だ。こぼれ落ちた涙に構うことなく、日記を抱きしめた。
■□
「ここだ」
師匠に連れられて石畳の階段を降りれば、視界に映るものに息が止まる。
床に広がった茶色は酸化したもの。倒れた椅子に染み付いた同じ色に、足枷、見慣れた靴。視界の端で転がるのは拷問器具。ぞわりと背筋が凍る。あの写真の場所だと、師匠に言われずともわかった。
この血が二人のものだと限らない、と必死に自分に言い聞かせる。転がる鈍器にこびりついた血液は酸化して茶色く、黒くなっている。暴れたような引っかき傷がある。
指先が震える。こんな場所に二人がいて、この光景から想像できることをされていたのだと思いたくない。違う人だと思いたい。そもそも、こんな村に何故拷問の為に作られたといってもいいような部屋があるの?それも、村長の家の地下に。拷問器具も、足枷も古いもののようには思えない。村にある農具は最新のものではないし、みんな裕福ではない。水道すら通っていないのに、何故。
また視線を動かす。死角で気づかなかった。私達の降りてきた入り口、階段のところに小さなぬいぐるみがぽつんと置かれていた。この場に似つかわしくないもの。そして、見覚えのあるソレに心臓が大きく波を打つ。
「ナマエ?……!それは…」
言葉を失う私に気づいたのか、私の視線の先を追ったクラピカが息を呑む。恐る恐るソレに向かって数歩、進む。やっぱり、ミアさんの作った私を模したマスコット人形だ。汚れも風化もしていない人形の側に、名刺サイズの紙が置かれていた。震えた指先でそっとつかみ、人形を手に取る。濡れていないし、ホコリすら被っていない。備えられていた紙には、文字が書かれている。
”愛しいあなたへ
人形師”
「…人形師、だと?」
「……何?」
横から覗き込んでいたらしいクラピカが声を上げる。人形師、聞き覚えのある単語に首を傾げる。するとクラピカがあの映像の提供者だとすぐに補足してくれた。何故、人形師と呼ばれる人がこの村に?そもそもこの人形は家にあったはずなのに、何故こんなところにあるのだろう。
「…視察に来た人間が、これを見逃すはずがない。後から置かれたものだ。それも…」
「つい最近だ。埃一つ被っていないところを見ると、昨日今日といったところだろう」
二人の雰囲気が変わる。糸が張られたような空間には音一つない。未だ頭が追いつかない私は、ぼんやりと人形を見下ろした。
村に長居は危険だと、師匠は言う。最後に二人の墓を見ようと階段を上がり、村の外れ、森へと続く道の近くの静かな場所にそれはあった。並ぶ墓石は十字架がつけられ、墓石に刻まれた名前を感情のない瞳に映す。そして、端に置かれた墓石に刻まれた名前。ごっそりと感情が抜け落ちたかのように、ぽっかりと胸に穴が開く。二人の名前を、そっとなぞった。
「…少し村を見回ってくる。クラピカ、お前はナマエといてくれ」
「ああ」
師匠が離れたことに、ふと顔を上げる。クラピカは墓石に何か思うところがあるようで、少し離れたところでじっと見つめていた。駆け足で村の方に戻る師匠の後ろ姿に視線が移り、また目の前の墓に視線を動かした時だった。森の方に、人影。弾かれるようにその方を見れば、その後姿に心臓が跳ね、息が止まる。ぎゅう、と胸が締め付けられる。駆け出した足は森の方へ向かい、私の名を呼ぶクラピカの声が耳を通り過ぎる。
森の土を踏みしめ、続く道へと顔を上げる。二つの後ろ姿に涙が滲んだ。
「ミアさん!!ジャックさん!!」
声を張り上げ、追いつこうと必死に走り出す。二人は気づいていないのか、どんどん森の奥へ進んでいく。
走る。走る。走る。
ただ二人に追いつくことだけを脳が占めていて、道中仕掛けられていた罠を慣れた感覚で交わしていく。動物たちが襲いに来る人達に向けて仕掛けた罠だ。どんどん山頂に近づき、やがて見えた建物に心臓が嫌な音を立てる。思わず足が止まり、荒くなった呼吸の音が耳に響く。葉の揺れる音に木の匂い。ここは燃えなかったのか。
あの時のままの社が、目の前にある。
「ナマエ!何があったんだ」
ぱしり、手首を掴まれても目の前の建物から目を逸らせない。ドクドクと心臓が嫌な音を立て、震えが指先まで伝わっていく。ざっと顔から血の気が引く。けれど、ミアさんとジャックさんが進んだ方向はここしかない。追いかけて、調べなくてはいけないのに。怖い人が私を殺しに来る想像が、出来事が頭から離れない。
手首を掴んでいた手が離れ、ふわりと私の肩に置かれる。身を屈めたクラピカの瞳に私が映る。
「…何があった?」
「あ……」
「大丈夫。人の気配はない」
嘘、たしかに二人はこっちに来たはずなのに。震えた手が無意識にクラピカの服を掴む。脳で思い浮かんだ単語を、ぽつりぽつりとこぼした。
「ミアさんと、ジャックさんがいたの…」
「!」
「確かに、こっちに……でも、ここは…」
私が幽閉されていた場所。
時間が止まったかのように感じた。走ったせいでずれた帽子から髪が落ちる。そして、ふわりと吹いた風がそれを運んだ。クラピカは真剣な表情で眉を寄せると、何も言わずに私の帽子を直した。
「私が見てこよう。ナマエは、」
「わ、私も行く」
「…ああ」
肩に置かれた手が離れ、今度はするりと私の手を掴んだ。また急に走り出さない為だろうか。
久しぶりに訪れた社は相変わらず風通しがよく、雨ざらしのせいか少し風化したように感じた。社の中は広くはなく、踏み入れた靴音と木の板が軋む音が空間に響く。ぼろぼろになった毛布が隅に転がっていて、近くには何冊か本があった。床には斧による傷もあって、酸化した血溜まりだった場所も変わらない。かつん、クラピカの足に何かが当たる。床に落ちていた金属へ視線を向け、懐かしいものに眉を寄せる。
「これは…」
「…私の足に、つけられてたやつ」
「………そうか」
クラピカの声のトーンが低くなる。床に転がる足枷は少し錆がついている。こうして見ると、私の足首にあったとは思えないほど大きめの作りだったのだと知る。足枷に続く鎖は途切れ、また社の奥には繋ぐように設置された長い鎖が千切れたまま。
社は広くはない。隠れる場所もない。社の中に人はおらず、木の枠があるだけの窓から見た外にも人影はない。私のいた痕跡があるだけだ。…私は、夢でも見ていたのだろうか。
「おい、急にいなくなるな」
どうやら追いかけてきたらしい師匠が怒った顔で社の中に踏み入る。すみません、と言葉を落とした瞬間、視界に映ったそれに目を見開いた。また、入り口の近く。カゴの中に入れられた二つの人形。ミアさんとジャックさんを模した人形。なんで、ここに二人の人形があるの?
「これは…」
ふらふらと引き寄せられるように数歩進み、咎めるように手を引かれる。そして、代わりにクラピカが手に取ったのは、また備えられていた紙。
”いつかあなたを迎えにいきます
人形師”
「…ナマエ、ここを出るぞ」
「え?」
「今すぐ。持ち帰るものがあるなら今すぐ取りに行く。急いでここから立ち去るぞ」
窓の外を睨みつけるように見ていた師匠がクラピカの言葉に同調する。どういうこと、と聞いても早くここを立ち去ろうとクラピカは顔を歪めていた。私は慌ててミアさんとジャックさんの人形を手に取りカバンにしまう。本はいいかな、と顔を上げると焦ったような、慌てたようにクラピカに手を取られる。クラピカが私の一歩先を歩き、私の後ろを師匠が歩き社を後にした。
もう二度と、戻ることはないだろう。
殺された動物たちのお墓に手を合わせたかったけれど、二人の表情からそんな余裕はないのだろう。何故そこまで焦っているのだろう。人形師、と綴られた紙は師匠が預かることになった。人形は師匠が何かを確認した後、大丈夫だと言われ私のカバンの中に戻る。
駆け足になりながら森を降り、村を抜けてバスへ乗り込んだ。後ろの席に座り、がたごと揺れる車内にほっと息をつく。乗車客は私達だけのようだ。来た時はあんなに晴れていたのに、輝く太陽を雲が覆い隠している。
村に来てわかったのは、家が燃えたことと拷問部屋に二人の靴や服の切れ端があったこと。二人のお墓があること。わからないのは、人形師と署名のある紙が置かれていること。それも、拷問部屋と社に。
「…ナマエ」
声を潜めたクラピカが私の名を呼ぶ。ちらり、車掌さんに視線を向けてこちらの話を聞いていないことを確認したのか再び彼の口が開く。
「気をつけろ。人形師に狙われている。社にいた時、外から物音がした。人形師本人か…手下だろう」
「…」
「人形師について、どこまで知っている?」
師匠まで真剣な顔だ。困惑した表情を隠すこともなく、知っていることと問われて頭に浮かんだ単語を落とした。
「情報屋…ということだけ」
間違いではないようで、師匠はこくりとうなずく。
人形師、と呼ばれる情報屋は裏社会でとても有名らしい。顔も性別も不明、だけれどもその人形師への依頼は跡を絶たない。国が秘密裏に依頼をしたこともあるらしい。頭の回る切れ者だとか、相当強いだとか。命を狙われても死んでいないということは、実力者であることは確かだ。そして、人形師はハンターライセンスを持っているらしい。あくまで噂程度のようだけれど。
人形師の知らないことはこの世にないと言われるほどの評価を得ているようだ。人形師についての説明を聞き、ふと疑問が残る。それほどすごい人、有能な情報屋が何故こんな辺鄙な場所にある村に?
「何を狙っているのか現時点ではわからないが…火事や、あの村にしては違和感のある拷問部屋。奴が関わっている可能性は十分ある」
「じゃあ…その人に聞けば、ミアさんとジャックさんのことがわかるかもしれないってことですか」
「…ナマエ」
「私、見たんです。二人の後ろ姿…森の奥へ歩いていく姿。二人を、探さないと」
「だが、お前の声に反応しなかったんだろう。きっと…」
「二人は、生きてます!」
声が震える。つい声が大きくなってしまい、咄嗟に俯き拳を作る。幽霊なんかじゃない。二人は確かに動き、まっすぐと森の奥へ歩いていった。社の近くを探したけれど二人は見つからなかった。けれどきっと、どこかにいるはずだ。この近くにいるはずだけれど、生きている人間の気配はないと師匠に言われてしまった。みーちゃんに探してもらっても答えは同じ。
でも、それでも。
二人は捕まっているのかもしれない。逃げたのかもしれない。わからないけれど、二人の居場所を掴まなければ。二人は生きている。この目で見た。あのお墓もきっと嘘。見間違い。
「…生きてます…」
蚊の鳴くような私の声が空間に落ちる。拳にぽつりと涙が落ちた。
2019/11/11