木枠の窓の外から聞こえる鳥の声に、柔らかく降り注ぐ光がベッドに落ちる。だらりと人形のように垂れた腕を直す元気も気力もなく、壁をぼんやりと見つめた。一時間、二時間、何時間経ったのだろう。私を心配するかのようにベッドの上に並べられた人形は、火事の影響もなかったようであの日のままのきれいな姿で私を見つめていた。あの日にまだ戻れるのでは、と錯覚を起こしてしまい、そっと視線を外す。
そろそろ、起きないと。師匠とクラピカに食事を作っていないし、洗濯もしていない。頭ではわかっているのだけれど体が動かない。人形師という人を探せば、二人の行方がわかるかもしれないという希望を得たのに、頭のどこかで渦巻く考えがそれを霧散しようとしてしまう。二人は、生きてる。私は見たもの。幽霊だとは思えなかった。幻覚だとも、思えなかった。生きてる。言い聞かせるように心の中で呟き、頭の中で聞こえる声から逃げるように身を起こす。机の上には、ミアさんからの手紙と少し大きめなサングラスと、タンマツ。帰る前に師匠がタンマツを買ってくれたんだった。といっても、ここは山奥だからあまり繋がらないらしい。どうして買ったんだろう。
ベッドからそっと足を降ろすと、冷たいフローリングが熱を奪っていく。見慣れないタンマツをそっと手に取る。流行どころかこの世界のことに不慣れな私がタンマツの機種を迷っていたら、クラピカが自分と同じものを提案してくれた。クラピカとお揃いのタンマツは、少しだけ特別なもののように思えた。
といっても、ここではあまり意味のないものだ。そっと机の上に戻し、サングラスもここでは変装の必要もないから必要ない。簡単に身支度を整えてから部屋を出て、やっと今家に誰もいないことに気づいた。あまりにもぼんやりとしすぎていたようだ。二人はどこにいるんだろう。私が村に行くのに付き合ってくれたクラピカの修行だろうか。窓から外をそっと覗いてみたけれど、姿は見えない。靴音だけが響く静かな家の中を歩くのは、どこか居心地が悪い。リビングに行けば、いつも食事をしている場所に布がかかったカゴと小さな紙が置かれていた。
「……」
布を外すといくつかパンが入っていた。メモには北西、とだけかかれている。字体からして師匠だろうな。北西、ということはそこで修行をしているという解釈でいいのかな。メモを机の上に置き直し、外した布を再度かぶせる。あまりお腹はすいていないからいいや。
■□
「命をかける」
ひゅ、と息が止まった。
聞き慣れた声の発した言葉の重みに、足が止まる。クラピカのいる方からわずかに見えたオーラに、師匠は間を置いてからハッとしたようにその状態でもう一度水見式をしてみろと声をあげていた。
誓約と制約は、師匠に修行をつけられている時の念についての話の時に聞いた。制約が強ければ強いほど、大きな力が手に入る。クラピカはその制約に、命をかけると言ったのだ。もしその制約を破れば、クラピカは死んでしまう。命をかけてでも同胞の命を奪った幻影旅団を葬る覚悟。
もし、クラピカが死んでしまったら。嫌な想像をしてしまい、全身の血液が流れていってしまったように体が冷たい。微かに震え始めた指先を止めることができず、震えたまま拳をつくる。
クラピカに、死んでほしくない。
走馬灯のように駆け巡るクラピカとの思い出に、とくとくと心臓が早くなる。真面目で優しくて博識で、誠実で、人の感情に機敏で…出会った時から今までもずっと助けてくれた。吊り橋効果でなくても恋に落ちても仕方ないほど、クラピカは素敵な人だ。少し前からクラピカと一緒にいると、どこか落ち着かなくてそわそわとしていた。この想いを告げるつもりはない。感情を押し付けることはしたくない。私がクラピカに願うのは、彼の幸せだけ。
願いを叶えて、心穏やかに過ごしてほしい。笑っていてほしい。
復讐に身を置き闇に囚われ、命を奪われていい人ではない。
もう、大切な人が傷ついてほしくない。
クラピカが師匠と話している姿を視界から外し、音と気配を絶ってその場からそっと離れた。声も届かず姿も見えない場所まで移動し、変わらぬ森林の風景に囲まれながら一つため息をこぼした。ふらふらと力が抜けていく体を、近くの木に凭れさせる。ずるずると体が地面に滑り落ちていく。
頭の中がごちゃごちゃしてしまっていて、うまく考えられない。クラピカの言葉が頭の中で渦巻いている。何度も鮮明に思い起こされる言葉に、胸が苦しくなった。クラピカを守りたい、死んでほしくない。でも、どうやって?自分のことも整理できていない私が何をできるというのだろう。苦しいもやもやを少しでも吐き出すように、ゆっくりと細く息を吐く。
まずは冷静にならなくては。自分自身はこれからどうするか。人形師本人を見つけ、ミアさんとジャックさんの行方を知る。その後は?
生きていたら、全てを投げ捨てて二人を守って平和に暮らしたい。けれど、もし。
「…っ」
気が滅入っているからなのか、嫌な想像をしてばかりだ。
胸元の服をぎゅうと強く握りしめる。希死念慮から逃れるように、目を瞑った。人形師を見つけるにせよ、聞いた話によるととても有名な情報屋だ。そんな人物に接触して穏便に物事が進むと思えない。そもそも私は今指名手配のようにいろんな人に狙われている。周りに迷惑をかけないよう、二人と再会できたとしてもそれらを倒せるほどの力が必要。
どの道修行をするつもりではいたけれど、目標は決めていなかった。クラピカはきっと、幻影旅団を倒せるほどの実力をつけるための修行をする。それより弱くては、クラピカを助けるどころか足手まといになる。それに、私の髪が今現在どう伝わっているのかわからないけれど、その幻影旅団がみーちゃんを狙わない可能性はゼロではない。強く、ならなくちゃ。
みーちゃんの力は未知数だ。念能力と一緒に使えばもっと強くなれるとは思う。けれど、この世界の強いひとはどんな念能力を使えるのかわからない。どんな念があるかわからない。
私はまだ念能力を身につけていない。師匠がまずは体力をつけてみーちゃんを少しでも制御できるようにと修行の方針を固めたから、自身の特別な念能力は持っていない。師匠曰く、みーちゃんがいれば無理に作る必要もないだろう、と。私も必要ではないと思っていた。私の念系統はなんだったっけ。どんな念能力があれば、万が一の時にクラピカを助けられるだろうか。
とくとく、鼓動が早まっていく。少しでもクラピカの助けになる念能力があれば。回復?戦闘?ううん、それはみーちゃんがやってくれる。みーちゃんではできなくて、私にしかできないこと。念能力ではないとできないこと。命をかける。命。
……あ、そうか。簡単なことだった。
思い浮かんだ一つの答えがするりと頭の中で悩みを解消した。念能力は決まった。後はどうやって、その念能力を身につけるかだ。師匠にはぐらかして聞いても、バレてしまうだろうか。師匠は、止めるだろうか。ううん、クラピカが命をかけると言ったことを咎めてはいなかった。命をかけるなと言わなかった師匠なら、私に教えてくれるのではないか。
「ねぇ、みーちゃん」
ふわりと髪の束が宙に浮かぶ。首を傾げるかのように動いたみーちゃんに笑みがこぼれた。
大切な人に迷惑をかけてばかりの私でも、役に立つことができるかもしれない。気づけばこの世界にいて、崖から落ちて私を助けたミアさんとジャックさん。何度も助けてくれて、私の自殺を止めて私を生かしたクラピカ。かけがえのない人たち。大切な人たち。命にかえても、守りたい人たち。
「私、やっと大切な人を守れそうだよ」
今度は絶対に、守るんだ。
2020/06/07