零さんの家に住み始めて数か月が経った頃、珍しく零さんが家でくつろぎシャワーを浴びて、一緒に寝た次の日の朝のことだった。目が覚めると安らかに寝息を立てる零さんの寝顔があって、慣れない光景に目を白黒とさせていた。寝ているというのに腰に回っている手はがっちりと固定されていて外れない。至近距離にいることに未だ慣れないからどうにか離れようと胸板を押したとき、違和感に気づいてしまった。

「…え」

左手の薬指に指輪がある。もちろんつけた覚えはない。おもちゃや安物のソレとは見るからに違う、高そうな指輪に心臓が動揺しだす。なんだこれは、と冷や汗を流していると布の擦れる音がした。

「…っ」
「ん、おはよう」

軽くキスをされて私の頭は大混乱だ。脳内会議は混乱のあまり緊急停止ボタンを押したけれど、零さんは止まらない。木漏れ日のように優しく微笑んだ零さんの寝間着は着崩れていて、咄嗟に目線を外した。

「あの、これ…」

目を合わせられないまま指輪のことをおそるおそる問う。回された腕に力が加えられた。より近づいてしまい、零さんの匂いに包まれる。

「今の…大きな案件が片付いたら、結婚してくれないか」
「…はえ…」
「毎日こうして一緒にいられないけど、出来る限り帰ってくるしお前を守る。…一生俺だけの女になってくれないか」

左手にはめられた指輪が鈍く光る。あまりの衝撃に思考の止まってしまった私は、ぱくぱくと言葉も出せなくなっていた。ゆでダコのように赤く染まった顔を至近距離で見られては、答えはもう伝わってしまっているだろう。

零さんはいつも突然だ。突然家に住まわせて無茶を言うし、挙句の果てにはこんな。

素直になれない私は頬を膨らませて零さんの胸元の衣服を掴んだ。

「わ、私…お兄ちゃんと結婚の先約があるんです」
「…そのお兄ちゃんから伝言だ。なまえをよろしく頼む、ってな」
「お兄ちゃんと連絡が取れたんですか!?」

我ながらかわいくないことを言ってしまったと、言った後に後悔するもお兄ちゃんの伝言に衣服を握る手に力が入る。いつ、と続ける前に零さんは言葉を放った。私がこの家に住む前日、だそうだ。

「お兄ちゃん、今どこに…」
「…今忙しいんだ。お前に会いたいって…嘆いていたよ」

そっか、忙しいんだ。それならまだまだ当分連絡は取れないんだろうな。でもお兄ちゃんが無事なことを知って、ほうっと息をつく。よかった、ちゃんとご飯食べているかなぁ。

「それで、返事は?なまえ」

答えなんてわかっているくせに。ちらり、目線を合わせてから零さんに抱きついた。

「私は、零さんのものですよ」

恥ずかしくて煙が出そう。せめてもの抵抗で顔を隠すために抱き着いたけれど、くつくつと笑った零さんはそのまま私を腕の中に閉じ込めた。しまった、退路を断たれた。そこまで考えてなかった!

「俺の…俺の、かぁ」
「くるしいです」
「もう少しだけ、な?」

あやすようにぽんぽんと撫でられ、言いたいことがしゅるしゅると萎んでいく。顔は見えないのに、零さんの声は弾むように明るい。落とされる言葉にありったけの砂糖を詰め込んだような重さがあった。耳に届く零さんの声が心地いい。

こんなに幸せでいいのかな。

左手の薬指に輝く指輪に、ふにゃりと頬が緩んだ。シルバーの指輪につけられた小ぶりのダイヤモンド。一つだけ埋め込まれた宝石をより一層輝かせるかのように、リングのデザインも素敵なものだった。いつ買ったんだろう。というか、いくらしたんだろう。…考えないようにしよう。

零さんもお揃いのものをつけていたけれど、仕事の関係上外でつけるのは難しいらしい。首から下げる、と真剣な顔で言われたけれど無理はしないでほしい。
彼は常につけられないけれど、私はお風呂に入るとき以外絶対に外してはいけないと言われた。しかも、この指輪は仮であって、婚約指輪で、本物はまた別で渡すと言われてしまった。零さんどこからお金作っているんだろう。警察の人ってそんなにお金持ちなものだっけ。…まぁ、いっかぁ。


2018/04/26