零さんの家に来て、2回四季が訪れた。お兄ちゃんとは未だ、1度も連絡が取れていない。
最初はSNSも禁止され、少しの外出も許されていなかった。複数アカウントの所持は未だ許されていないけれど、SNSの許可も出ているし、報告すればコンビニに行くくらいは許されるようになった。

唯一許されないのはアルバイトだけ。掃除をしているとはいえ、あれだけ身を粉にして働いた零さんのお金で養われるのは気が引ける。せめて自分の欲しいものくらいは自分で稼ぎたかった。でも、アルバイトも内職も禁止され、2年経った今でもそれはなくならない。家事をしてくれているから、じゃあそれに対して賃金を出すとかわけのわからないことを言われ必死に却下したのは随分前の話だ。

私の欲しいものを買うお金なんて大したことないし、お金のことは気にするなと何度も言われたけれど気になるものは気になるのだ。世の主婦の方はどう考えているんだろう。

しかもこの二年のあいだに何度か引越しをした。引越しをした心境としては、未だ土地把握ができていないから困る。少し、少しだけ方向音痴なところがあるのもあるし、家から出ないこともある。つまり何が言いたいかというと、

「迷った……」

一時間は歩いただろうか。ケーキが食べたくて、ケーキ屋さんを目指していたはずだった。途中、かわいい猫ちゃんに導かれ気づけば見知らぬ場所。猫の集会が行われる見知らぬ公園では、かわいいかわいい猫ちゃん達がひなたぼっこをしている。
人懐っこいようで、近づいても逃げられないどころか触らせてくれた。思う存分もふもふさせてもらう。動物に触ったのはいつぶりだろう。

とりあえず零さんに迷いました、と猫ちゃんの写真を添付して連絡を送る。にゃお、と鳴いた猫ちゃんがかわいくてゆるゆると頬が緩む。

それにしても、ここはどこなんだろう。足元にすり寄る猫ちゃんに聞いても答えが返ってくるはずもなく、見知らぬ住宅地の中大きなため息をついた。まず、引っ越し先の住所がわからないから帰ろうにも帰れない。零さん、住所送ってくれたりしないかな。まだ連絡の来ないスマホの通知画面にまた心の中でため息をついた。

「あの、お困りですか?」
「え?」

振り向くと、制服を着た女の子二人が私を見つめていた。髪の長い女の子と短い髪の活発そうな女の子は私と猫ちゃんを交互に見つめている。学校の制服を着るその姿に、どくりと心臓が嫌な音を立てた。壊れたように重い鼓動の音を響かせる心臓を宥めるように胸元をそっと抑えた。怖くない、大丈夫。
久しぶりに、零さんとコンビニの店員さん以外の人と話すから緊張しているだけ。

彼女達に住所を聞いても解決はしない。かと言って全てを話しても不審に思われるか、交番に届けられるかの二択。後者は避けたい。なんだか面倒そうだから。どう行動すべきなのかと思考の渦をのぞき込み、ふと本来の目的を思い出した。

「あの…おいしいケーキのあるお店を、知りませんか?」
「ケーキ、ですか?」

きょとん、と瞬きをする女の子に心の中で苦笑いを返す。スマホを片手にきょろきょろとしていれば、迷っていると思うだろう。しかもこんな住宅地の真ん中でケーキ屋を探しているなんて言えば、よほどの方向音痴だと思われてしまう。この場合、もう思われていそうだけれど。

「引っ越したばかりで、ケーキ屋さん巡りをしようとしたら迷ってしまって」
「そうだったんですね!おいしいケーキ屋さん、ご案内しますよ!」









このかわいい女の子は毛利蘭ちゃんで、ショートヘアーの女の子は鈴木園子ちゃんというらしい。園子ちゃんはどうしても外せない用事があるらしく、今は一緒にいない。

不運なことにおすすめしてくれようとしたお店は定休日が重なり、申し訳なさそうにする蘭ちゃんに罪悪感が募る。これ以上迷惑をかけるわけにはいかないから、零さんが住所を送ってくれるまでどこかの喫茶店で待とう。それに、ここまで一緒に付き合ってくれた蘭ちゃんにお礼がしたい。お家にも送り届けてあげたい。

「喫茶店でしたら、おすすめのお店あります!私の父が経営している事務所の下にある、ポアロってお店なんですけど…」
「ぽあろ?」
「はい!確かケーキもあったはずです!」

キラキラとした目でそのお店のことをお話してくれる蘭ちゃんに相づちを打つ。かわいいなぁ。
ここから少し歩いた先にあるらしく、蘭ちゃんとの会話も弾みお店のある通りまであっという間だった。蘭ちゃんのお父さんは眠りの小五郎で有名な探偵らしい。眠りの小五郎、にいまいちピンと来ず曖昧に笑顔で誤魔化した時は心苦しかった。最近、録画している番組やDVDだけを見ているから世間の情報に疎い。というより、零さんが送ってきた最近あった事件だとか出来事のファイルだけを見ているからニュースは必要ないのだ。

「あ、あそこなんです!」

蘭ちゃんが指を指したその時、鞄に入れていたスマホが振動を伝えた。何かの通知かな、とスマホを手に取ったのと同時にお店のドアが勢いよく開く。鈴の音と強く開けられたドアの開閉音に驚いて顔を上げると、見慣れた姿がこちらを凝視していた。

「あ、安室さん!」

ぎょっと目を見開いたのは一瞬で、見たことのない柔らかくて優しげな笑顔を貼り付けた零さんはこちらに微笑んだ。急いで出てきたように見えたのに、そこから動く気配はない。

「蘭さんは学校帰りですか?」
「はい!あ、この方はなまえさんと言って…ケーキ屋さんを探していたので案内している最中なんです。どこも定休日だったので、ポアロに。」
「なるほど。丁度ケーキもありますから、是非。ご案内しますね」
「あれ?でも安室さん、今急いで出てきていましたけど…」

心臓の音が太鼓のようだ。

“安室透”の零さんに会うのは、初めてだ。外で会うことはないと思っていたから、どういう体で話しかければいいのかわからない。まず話しかけていいのかすらわからない。知らないふりをして、過ごせばいいのだろうか。ドアを開け入店を促す零さんをちらりと見ると、蘭ちゃんの質問に目を細めた。

「なまえさんを迎えに行こうと出てきたのですが、今会えましたので」
「えっ!お知り合いなんですか?」

なんてことだ。初対面の他人を演じようとした先に零さんは爆弾を落としてきた。見たことのないにっこりとした笑顔にたじろぐ。えっと、と言葉の出ない私に代わり零さんは言葉を溢れさせた。

「依頼人だった方なんです。詳しい話は店内で」

ぱちん、と私にウインクをした零さんに私は心の中で叫んだ。誰だこの人!!零さんじゃない!!



2018/04/28