「で、何か言うことは?」
「大変申し訳ございませんでした」

何かを確認してから車の助手席に乗せられ、ドアの閉まった瞬間に心臓が止まるような心地になる。零さんの顔が見れない。声がとんでもなく怖い。ちら、と横目で零さんの顔を見れば顔はまだ安室透のままだった。余計怖い。

「ケーキ屋に行くのは知ってる。でも近所で行くって言ったよな?それにあの写真はなんだ」
「迷っちゃいました…猫ちゃんにナンパされて」
「罪な猫だな」
「そうなんです」
「で、流せるとでも?」

ヤンキーだ。とても怒っていらっしゃる零さんは深い深いため息をついた。シートベルトを握りしめ、びくりと肩を跳ねさせる私に構うことなく車は車道を突き進む。零さんの運転めちゃくちゃ怖いから乗りたくなかったのだけれど、勢いに押されて乗ってしまった。

沈黙の時間が、処刑を待つ時間のようだ。スマホを見る、なんてことをしたらスマホを割られるんじゃないかと思ってしまうほどのどす黒いオーラが車内に充満するだろう。法定速度なんてなかったのだ、という程度にはかっ飛ばしている。警察に捕まりそう、って思ったけど零さん警察だった。

「一週間外出禁止」
「そ、そんな!」
「はぁ…本当は、半年は外出禁止にしたいところなんだからな」

思っていたよりもお怒りのようだった。これは何を言っても火に油を注ぐだけだということは私でもわかる。窓を流れる景色と一緒にこの件も流してほしい。太陽が落ちかけるこの時間は、オレンジの世界に包まれる。いつもこの時間は家で一人、ぼんやりと時間を潰すだけ。今は、隣に零さんがいる。それがなんだか嬉しくて、ふにゃりと口角が緩んだ。

何かを警戒するように、車や家の周辺を念入りに調べてる零さんは映画でみる犯人みたい。こんなこと言ったら怒られるから絶対に言わないけど。

「初めて会った”安室透”はどうだった?」

ばさりとレザージャケットを脱いだ零さんをぼんやりと見つめる。雑に脱がれた上着は椅子の背もたれに投げられた。こんなことは、安室透なら絶対しなさそうな行動だ。向けられた笑顔は”安室透”ではしない顔で、零さんの笑顔だった。

「やっぱり、零さんがいいです」
「へぇ?」
「零さんのそっくりさんな別人…って感じでした。私は安室さんじゃなくて、零さんが好きなので」

零さんが壁に頭を打ちつけた。突然何故、と固まっていると悶えように低い声で何かを言っているけれど聞こえない。疲れすぎてついに壊れてしまったのかもしれない。零さん?と名前を呼び、俯いて髪に隠れた顔を覗き込もうと近づく。

「わあっ!」

ぐっと強い力で引かれ、バランスを崩す。自分の足で立つこともできないまま抱きしめられ、脳が一気に混線状態になってしまう。バランスを崩したままの体は零さんの筋力のみによって支えられている。

「…かわいいこと言うなら事前に言え」
「えっ?」
「はぁー…”安室透”と浮気するなって言おうとしてたのに」

ぐりぐりと頭を押しつけられ、情緒不安定らしい零さんはおかしな発言ばかりだ。いつかわいい発言をしたんだろう。どれが零さんの琴線に触れたのかがわからない。はてなマークを量産しながら零さんの思うがまま抱きしめられているとぬいぐるみになった気分。

零さんが帰ってこないなら安室さんと浮気します、と冗談で口走りそうになり我に返る。国の平和の為にここまで身を削っている零さんになんてことを。零さんともっと一緒にいたい、なんてわがまま言ってはいけない。わかっているけれど、今日見たポアロでの光景は刺さるものが大きかった。

零さんではない。けれど、安室さんになら会える。”安室透”の零さんに会える人たちが羨ましかった。一緒に働く店員さんや、常連さんや楽しそうにおしゃべりをする女の子たちが。そんなこと思ってはいけないこと、十分わかっているはずなのにもやもやと黒いものが胸に溜まっていく。

「いいなぁ…」
「え?」
「お客さんは、いつでも会いに行けるじゃないですか」

明日か今日か、いつ離れるかわからないこの温もりが愛おしかった。いつお仕事でいなくなるかわからない。行かないでと言えるはずがない。遊びでやっているわけではないことだってわかっている。そして、一般人で大した能力もなく、今日のように咄嗟に言葉をうまく使って誤魔化す話術もない。そんな私が行ったって、足手まといになるのは日の目を見るより明らかだ。わかっているのに、もやもやは消えてくれない。

「…なまえ」
「ごめんなさい、わがまま言って」

零さんの服を握る指先に力が入る。温もりが離れ、冷水をかけられたような心地になった。呆れられた、嫌われた。じわりと滲んだ涙を堪え、俯きかけた顔を大きな手に阻まれる。頬に添えられた掌は大きくて、温かかった。視界に影が落ち、顔を上げるより前に息ができなくなる。言葉を発することもできないまま押し当てられた唇を認識してしまい、沸騰したかのように顔に熱が集まった。

息ができない。鼻を抜ける空気と自分の声ではないような声が漏れる。一気に体温の上がった体は一向に収まらず、角度が変えられより深く唇が合わさる。オーバーヒートしそうな頭は処理落ちして、涙がひとつ落ちた。
もう耐えられない。力の入らない手で必死に零さんの胸板を押すと、納得いかないといったようにしぶしぶ離れていった。…離れる前に、唇を舐めて。

「れ、れい…さ…」
「なまえがかわいいことするからつい」
「うう…」

もう一週間は零さんの顔見れない。未だ熱の収まらない体からは湯気が出そうなほどで、ぱたぱたと手で扇ぐ。零さんのばか。急に、こんな恥ずかしいことしないでほしい。
ちらりと零さんを見れば、整った顔を幸せそうに緩めながら私をじっと見降ろしていた。瞳に孕む星屑に、目が奪われる。そんな顔されたら、何も言えない。

「寂しがり屋ななまえの為に設定考えるから、待ってろ」
「え…それって」
「ただし俺が許可した時だけ、だ。いいな?」

ぽん、と頭に落ちた掌にゆるゆると口角が上がる。つまり、許可が出たら零さんと外で会うことができる。今よりもっと零さんに会うことができる!
嬉しくてふにゃふにゃと頬が緩み、零さんは楽しそうに私の頬をつまんだ。力は込められておらず、じゃれあうような触れ方がくすぶったい。今日は、いつまで一緒にいられるんだろう。

「あ、そうだ」
「ん?」
「おかえりなさい、零さん」

へにゃりと笑えば、零さんはぎゅっと瞳孔を開く。そして、ふっと糸が切れたように微笑み目を細める。その顔は、時々私の目を見てする表情。悲しそうで辛そうな、そんな感情を滲ませた目で私を見るのだ。何かと重ねているように。

「ただいま」

安心したように眉を下げる零さんと一緒に笑い合った。夕飯は、何にしようかなぁ。




2018/05/01