「働きたくない…お家でだらだらしたい…」

ばたんとカウンターに顔を伏せると、穏やかな安室さんの声がかかる。今日は仕事で失敗をした、というわけではない。忙しくて好きなことをする時間もない社会人が嫌と泣きたくなる期間なだけだ。少しあの一件から先輩とぎこちないだけで。いや先輩はいつも通り話しかけてくるから余計心が苦しいだけで。

「結婚します?」
「結婚…ですか〜…」

ゆっくり顔を上げ、少しボサボサになった髪を整える。目の前に置かれたラテアートに目を輝かせると、相変わらず安室さんはにこにことしていた。

「そうだ、僕がなまえさんを雇用するというのはどうでしょう」
「…へ?」
「僕、この通り探偵業やアルバイトで忙しくて。なまえさんに住み込みで、僕の家の家事をやって頂けたらなと思いまして。もちろんお給料もお出ししますし、福利厚生もお付けしますよ」
「福利厚生…」
「そうですね、住み込みで働いて頂くので家賃などはいりません。食事代も僕がお出ししますし、年金や保険の方もお支払いします。」
「働かせてください!!」
「ではこちらにサインを」

出された紙に名前を書こうとした瞬間、今日も何故か隣に座ってくれているコナンくんが慌てた。

「なまえお姉さんこれ婚姻届だよ!」
「え?」
「契約書ですよ。そこにサインしてくださればいいので」

握らされたペンを持ったまま固まっていると、ふとラテアートに目が奪われた。うさぎの柄になってる、かわいい!


「なまえさんさえよろしければ、本当に先程の条件で雇用しますよ。ご希望でしたら契約内容を記載した書類も後日」
「お給料はいかほど…」
「…これくらいですね」

コナンくんに隠れる形で提示された金額に、私は嬉々として名前を書き進める。コナンくんは慌てたように私の腕を掴んだ。コナンくん、字がずれちゃうよ。

「なまえお姉さん!だからこれ婚姻届だって!落ち着いて、ペン置いてってば!」
「え?契約書だよ?」
「違うって!」
「これが引き抜きってやつかぁ。ずっとおうちにいられるし、家事だけなんですよね?やったあ〜!」
「欲しいものなんでも買っていいですよ」
「本当ですか?」

こんないい条件で雇って頂いていいのだろうか。そういえば人を雇うのって何か法律がいるんだろうか。まぁいいか、と名字まで名前を書き進める。

「お姉さん、詐欺って知ってる?」
「サギ?」
「鳥の鷺のことですよ」
「…ん?左の欄のお名前、安室さんではない方ですけど」
「気のせいですよ」
「なるほど」
「(マジなやつかよ…騙されてる…)」

本当にいいのか安室さんに確認すると、家事代行は知り合いではないと安心できないからだそう。やった、すごい好条件で転職できる!

名前を書き終えると、光の速さで契約書が回収された。何故か隣ではコナンくんが頭を抱えている。コナンくんもその条件で働きたかったのかな。そう聞くと、なんだか怒ったような顔で否定をされた。難しい年頃だ。

「そういえば、今の会社に退職届とか出さなきゃ…」
「僕がやっておきますよ」
「えっ何から何までいいんですか?」
「もちろん」

いつも安室さんはにこにこしているけれど、今は比ではないくらい笑顔だ。とても嬉しそう。そんなに家事代行をしてもらう人がほしかったんだな。

「今日中に数日分の荷物を用意しておいてください。引っ越しも僕が手配しますので」
「はーい」

ご機嫌な安室さんにショートケーキをサービスしてもらった。すごくおいしかった。

ふと、安室さんと目が合い思わず笑みがこぼれる。コナンくんは大慌てだけれど、私は心の中で呟く。だって私達に、もうウソは必要ないんだよ。


2018/05/05