「なまえって、少し梓さんに似てるな」

リラックスモードの零さんから突如出された言葉に、ソシャゲを進める手を止める。今がこの台詞を言う時だ!

「だれよその女!このうわきものっ!」
「違う。ポアロで働く店員にいただろう」
「あ、あの綺麗な女の人!」

ほわんと頭に浮かんだ女性の顔にはきちんと覚えがあった。人の名前を覚えるのは苦手だけれど、顔は思い出せてよかった。あずささんと言うらしい。

スウェットに着替えている零さんは隣に座る私をじっと見ている。お互いスマホを片手に話をしていて、なんだかおもしろいなぁ。

似てる、と来たか。記憶に残る店員さんと自分を重ね、ふと行きついた考えがあった。私は恐れ多くも零さんの恋人で、似てるということは、それはつまり。

「その店員さんに恋を…!?」
「は?」
「零さんが浮気するなら私だって浮気してやりますから!彼と!」

ソシャゲの画面をそのまま見せると、途端に零さんのオーラが変わった気がした。あれ、もしかしてこれジョークが通じない方の話題だった?お兄ちゃんと結婚しますって真剣に言った時の雰囲気に似ている。

「俺の、浮気を、疑うのか?」
「え、えっと…」
「お前は確実に誤解しているから一応言っておく。似てるとは言ったけどなまえはドジだしそそっかしいし、放っておいたら死にそうな所は似てない」
「そこまで言います…?」

放っておいても死なないと思うのだけれど。零さんもお兄ちゃんも少し過保護すぎる気がする。

なんだかラスボスの魔王に対峙した気分だ。冷や汗を止めるように私はテーブルに置いていたグラスに口をつけた。うーん、おいしくない!

「…待て、今何飲んだ?」
「おみずです」
「何を飲んだ?」
「そこにあった…封の開けられていた瓶の…飲み物です!」

グラスを片手にへにゃりと笑えば、グラスを奪われ零さんは匂いを嗅いでいた。そして、ぎゅっと眉間に眉を寄せた。

「酒じゃないか…しかもこれ、」

すこっち、と小さく呟いた。聞き慣れぬ言葉に首を傾げるが、零さんは詳しく言うつもりはないようだった。ふわふわと心地のいい気分のまま零さんの肩にこてんと頭をのせる。擦り寄るように腕に抱きつくと、ぴしりと零さんが固まった気がした。

「零さんと私って正反対ですねぇ。あずささんに浮気したら、悲しくて泣いちゃいますから」
「しない。正反対ってどういう意味だ」
「零さんは、かっこよくて頭も良くて運動もできて何でもできて。反対に私は頭も悪いし運動もできないし、ドジだし…」

壊れた蛇口のようにぽろぽろと言葉が落ちる。涙まで滲んで、隠すように零さんの腕の中に顔を埋めた。この温もりが、離れてしまったらどうしよう。

何度も不安になってしまうんだ。だって零さんは弱点なんてないくらい完璧でかっこよくて、文字通り相手なんて選び放題なんだ。世界一の美人さんに言い寄られたら、才色兼備の完璧な女の人が現れたら、とか。本当に私は零さんの正反対で、何をやっても零さんみたいに上手くいかない。隣に立つ女として、相応しくない。

零さんだってお仕事大変なのに、私の情緒不安定に付き合わせてはいけない。ばっと腕を離して立ち上がると視界がぐにゃりと歪んだ。間髪をいれずに腕を掴まれ、徐々に定まる視界では零さんが私を見上げていた。

「どこに行くんだ」
「寝ます…ごめんなさい、迷惑かけて」
「…ちょっとこっち来い」

そう言って零さんが指したのは、自身の膝だった。零さんも酔っ払っているんだろうか。ぽかんとしていると腕を引かれ、あっという間に零さんの膝の上に座ってしまっていた。

「言っておくが、似ているのは雰囲気だけだ。これから何度も来るだろうから、気が合いそうだろうなって思ったから言っただけだ。お前友達いないし」
「…ほあ…」
「で、なまえは何度も俺の隣に立つ女の妄想するけど。俺の隣はお前だけだろ、勝手に他の女に置き換えるな」

ひょえ、ドラマみたい。

思わず息を飲み、心臓が止まった気がした。心臓掴まれた言葉のせいでツッコミが入れられなかったけれど、友達いないのは零さんのせいです。通信手段遮断されたおかげで連絡できず、最近やっと許されたごく僅かの友達と連絡ができている。

それにしても、零さんはどこでそんな言葉を覚えてくるのだろう。膝に座らされ向かい合ったまま言われては、お酒のせいなのか言葉のせいなのか顔が林檎のようになってしまった。仕事中みたいに真剣な瞳だ。

こんな、情緒不安定になってしまう彼女にもきちんと向き合ってくれる。それが嬉しくてへにゃりと笑みがこぼれた。

「だいすきです」

今度は零さんが息を止めた。軽く頬に唇が落とされ、宥めるように頭を撫でられた。お兄ちゃんと違って、少し雑だけれど慎重に壊れ物を触るような手つき。お兄ちゃんに頭を撫でられたのは、もう何年前の話なんだろう。

お兄ちゃんと零さんと私で笑いあったのは何年前だろう。そっと零さんの部屋着を掴み、お兄ちゃんと違う体格を実感する。

「お兄ちゃんのお髭触りたい…」
「お前すぐヒロの話する…」
「お兄ちゃん…」
「俺の髭じゃだめなのか?」
「髭ないじゃないですか!ひろにいのお髭じょりじょりしたい…すりすりしたい…」

わっと零さんの胸元に顔を埋めると小さくため息をつかれた。大体零さん、髭あまりないじゃない。お兄ちゃんの触り心地のいいお髭が恋しい。髭剃りをするお兄ちゃんをまた覗きたい。お兄ちゃんのお髭がもふもふになっていたらどうしよう。写真撮りたいけど、お兄ちゃんも零さんも写真厳禁なんだよなぁ。


「俺よりヒロか?はぁ」
「…でも、最近ひろにいより零さんのこと好きかもしれないです」
「え?」
「えへへ」

ふわふわする。こんなにふわふわするのは久しぶりかもしれない。そんなに強いお酒だったのかな。それにすごく眠い。
ぎゅっと零さんに抱きつけば、零さんに抱きしめられているようでにやにやしてしまう。さっき言ってもらえた言葉が、本当に嬉しい。照れ隠しでお兄ちゃんの話題を出してしまったけれど、零さんは気づいてしまったかな。

零さんの隣、私だけ。立っていいのは私だけ、それが嬉しくて緩みまくった頬が固まらない。

「俺が一番好き?」
「んー…はい。ふふ」
「!そうか。…はぁー、やっと、やぁーっとヒロに勝った…このブラコン」
「ふふ」

なんだか心から嬉しそうだ。ぬいぐるみを抱きしめるように抱えられ、密着度が増した。同じシャンプーとボディソープを使っているはずなのに、零さんの方がずっとずっといい香りがする。

ねぇ、零さん。私、もっと前からちゃんと零さんが一番大好きですよ。恥ずかしいから言わないけど。

「あいつが泣くな」
「えっじゃあお兄ちゃんが一番!」
「コラ」

2018/05/18