「なまえさん、やっぱりどこかに座っていてください!」
「大丈夫…ありがとう、蘭ちゃん」

被害者女性にソファを譲り、ふらふらとした足取りのまま立つ私に蘭ちゃんは本当に心配そうに眉を下げた。被害者女性にこそ休んでもらわないといけないのに私が座るわけにはいかない。蘭ちゃんはぎゅっと辛そうに私の手を握りしめる。心地よい強さに、どこかほっと肩の力が抜けた。本当に、優しい子と出会えた。

事情聴取は全員行われたけれど、私の状態を見て安室さんが代わりに全て行ってくれた。被害者である樫塚さんの事情聴取も終わり、警察はどこのコインロッカーの鍵か調査することにしたようだった。未だ鑑識の人達もあのトイレで作業をしているようで、そっと安室さんの服の裾を掴んだ。
樫塚さんの亡くなったお兄さんの遺品。お兄さんとの写真を待ち受けにしている樫塚さんに、どこか既視感を覚えた。私もお兄ちゃんを待ち受けにしたかったけれど、お兄ちゃんは写真厳禁。写真に映る二人は幸せそうで、それが失われたものだと思うと胸に小さな針が刺さる。被害後で少しぼうっとしているのか、樫塚さんは一度安室さんの問いに反応が遅れていた。それ以外はきちんと受け答えができていて、警察の人からの問いかけにも答えられていた。

もう、その兄はいない。兄との思い出に浸り涙を流す樫塚さんを、他人事に思えなかった。

家に帰るのなら送ると言い出した安室さんは、どこで他の犯人が待ち伏せをしているかわからないと正論を叩きつけていた。安室さんが樫塚さんを送るのなら、私はタクシーで帰ればいいだろうか。そうぼんやり考えていると、くるりと笑顔のまま振り返った安室さんにびくつく。

「もちろんなまえさんも、ね?」

考えが全て読まれている気がする。にっこりと晴れやかな笑顔ではあるけれど、普段の零さんを知っている人間としてはこれは圧力だとすぐにわかる。従うしかない。頷くと満足そうな安室さんに鞄を取られた。持ちますよとか言っているけれど、逃げない為の行動だ。











「あの、やっぱり私タクシーで帰ります…」
「だめですよなまえさん!あんなこと遭ったばかりですし、危ないですよ!」
「蘭さんの言う通りですよ。それに、ボディガードとしても許可はできませんね」
「いや、でも…人数オーバーですよね?」

樫塚さんに毛利さん、それに加えて探偵事務所に残されるのは怖いと蘭ちゃんとコナンくんが増えた。明らかな人数オーバーにタクシーで帰ることを提案すれば、蘭ちゃんが必死になって私を止め始めたのだ。タクシーだから大丈夫だよという問題でもないらしい。心配されているのはすごく嬉しい。嬉しいけれども。挙句の果てには毛利さんまで私を心配し、同乗することを勧め始めてしまった。

「コナンくん、悪いけど私の膝の上でいい?」
「うえっ!?」
「…ということですので、なまえさん。こちらへ」

圧力をかけるように助手席のドアを開けられ、乗るように促されてしまった。鞄は相変わらず安室さんが持っている。タクシーで強行突破しようにもお財布は鞄の中だ。零さんと対峙するといつも詰んでしまう。諦めて助手席に乗り込めば、満足そうな安室さんににっっこりと微笑まれた。

というかまず後ろの席も三人用ではないのに。降りようとしたら「しっかりシートベルトを締めてくださいね」と笑顔で圧力をかけられてしまった。

ついたマンションは高そうなマンションで、セキュリティ面もしっかりしていそうだった。樫塚さんを送り届け、帰ろうとした時急にコナンくんが声をあげた。なんでもずっとトイレを我慢していたらしい。そういえば事件で忘れていたけれど、コナンくんはトイレに行きたかったはず。空気を読んでずっと我慢してしまっていたんだ。なんだかそれに気づけなくて申し訳なくなってしまう。こんな状況でコナンくんは大人よりもっと不安のはず。できる限り気にかけてあげないと。

でも、震えたままの手は治まらない。ずっとずっと、あの光景が頭から離れない。人の死体、壁に飛び散った大量の血液、死んだ人の顔。全てが鮮明に残っていて脳に刻みつけられる。未だ怯えているのは私だけで、自分が本当に情けなく思えた。もっと、しっかりしなくちゃ。もっと、ちゃんとしなくちゃ。

トイレを我慢していたらしい毛利さんに安室さんまで加わり、私達は樫塚さんのお家にお邪魔することになった。リビングに通される三人に続く前に、私はトイレの近くで足を止めた。トイレに出て誰もいなかったら、コナンくん不安になるかな。出てくるまで待っていよう。そう思ってすぐ、コナンくんはそっとトイレから出てきた。

「あれ?コナンくん、早かったね」
「えっ、なまえお姉さん」
「みんなのところに行こっか」

そっと手を差し出すと、コナンくんは言葉を詰まらせる。どうかしたんだろうか。首をかしげていると、言いづらそうにコナンくんは家の中を探検したいと呟いた。これくらいの歳の子だったら、探検したくなるよね。本当は樫塚さんに許可を取ってからのほうがいいとは思うのだけれど、うーん、少しだけならだめかな。

「じゃあ少しだけね、女性のお家だからね」
「はぁい」

言葉通りコナンくんは部屋に入ることもなく、少しだけ廊下の先を覗いたりするだけで満足したようだった。素直でいい子だ。蘭ちゃんも本当に優しくていい子だし、彼らに出会えてよかったなぁ。戻ろうとした時、樫塚さんが玄関から出ていこうとしていた。

「どこ行くの?おねーさん」
「お、お茶っ葉が切れちゃったから、コンビニまで買いに行くの…」
「だったらボクもついてく!ボクもほしいものあるんだぁ」
「じゃあ、私も一緒に行きます。危ないですから」

というか樫塚さん、あんな事件が起きた後なのに一人でコンビニに行くなんて危ない。女性一人と子供一人だと狙われるかもしれないけれど、女性が二人なら少しは可能性が減ると思う。…もし襲いかかられても何の役にも立てないけど。
二人の後についていく形で思わず出てしまったけれど、そういえば全く零さん…というか安室さんに報告していない。茶葉を買うだけって言っていたし、いいのだろうか。怒った零さんが怖くて、念の為にメッセージを作成した。樫塚さんとコナンくんとコンビニに行ってきます、と。送った後で思ったけれど、零さん用のスマホと安室さん用のスマホで分けていたら意味がない。うーん、まぁいっか。

樫塚さんにはついてきてもらうお礼として自販機で飲み物を奢ってもらってしまった。おすすめのジュースらしい。樫塚さんのおすすめということもあってよりおいしく感じた。おいしいです、と素直に言えば樫塚さんは嬉しそうに微笑んでくれた。あまり喉は渇いていなかったから、ペットボトルの飲み物はあまり減っていない。いつも小さなペットボトルの飲み物ですらすぐ飲みきれないんだよなぁ。帰ってから飲もう。

「…?」

急に意識がぼんやりとしていく。おいしいのだけれど、急激な眠気が襲ってきた。今日、夜更かしはしていないんだけどな。疲れてしまったのかな。せめてジュースを落とさないようキャップを閉めた後から、意識がぶつりと途切れた。そういえば、また零さんとの約束破っちゃった。人から貰った食べ物を口に入れるなって言われてたなぁ。















「ところで安室さん、心配ではないんですか?」
「え?」
「なまえさんのこと…」

怪訝そうに眉を顰める蘭に、安室は困ったように眉を下げた。肩を竦め、変わらぬ調子で言葉を続ける。

「彼女の居場所はわかっていますよ。今知り合いに追跡させているので」
「えっ!?じゃあコナンくんも…」
「樫塚さんは二人と言いましたが、確実に一緒にいるかわかりません。引き続きコナンくんの捜索もお願いします。」
「は、はい…」

すぐ駆けつけることもできるが、状況が分からないままでは対策が取れない。捜査を続ける安室は、二人の見えない所で掌に爪を立てた。仮面のように笑顔が貼り付けられている。

「でもなんでなまえさんの居場所、すぐにわかったんですか?」

その言葉に安室は笑顔のまま、ちらりとスマホを取り出した。

「発信機、つけているので」
「え」

けろりと言った安室に、蘭は目を点にさせた。スマホの画面を見せることはなかったが、いつでも彼女の居場所はわかるのだろう。犯罪ではないのか、と一瞬そんな考えがよぎるも彼女はストーカー被害に遭っていたことを連想させる。いつでも駆けつけられるように、安全の為にというものだろう。無理やり納得した蘭は、どこか感じる不信感を拭えずにいた。




2018/05/29