ミステリートレインに行きたい話をすると、考えておくと言われたのは数日前。それから零さんの帰る日がなくなり、やっと帰ってきたと思ったらミステリートレインの前日だった。そして、何故かわからないけれど零さんがピリピリしている。

私何かしましたか、とおそるおそる聞いてみたけれど何もしてないよとピリピリしたまま笑顔を貰った。怖かった。怖くてミステリートレインのことが言い出せず、そわそわと零さんから少し離れたソファで様子を伺っていた。

「…なまえ、お風呂に入っておいで」
「へっ!?は、はい」
「これ着替え」

急にそういった零さんは、さっきまでピリピリしていたはずなのに全くそのようなオーラがない。気の所為だったのかなと勘違いしてしまうほど。
言われるがまま着替えを受け取ると、そのまま優しく背中を押され脱衣所に詰め込まれてしまった。一緒に入るか?なんて冗談まで言ってきたので丁重にお断りをした。

機嫌が治ったのなら、お風呂から出たら言い出してみても大丈夫かもしれない。

ゆっくりお風呂に入って着替えようとした時、渡された着替えがヒラヒラのネグリジェなことに気づいて固まった。上にタオルがあったから気づかなかった。でもこれ以外に着る服がない。仕方なくネグリジェを着て髪を乾かす前に外していた指輪をつけようとしたところで、手が止まる。一緒に置いていたはずのパスリングがない。落としたのかな、と思って床や隙間を見たけれど見当たらない。

髪を乾かしながら探してみたけれど、どこにもパスリングが見当たらない。やばい、なくした?急に息が詰まり、リビングに置いたままかもしれないと脱衣所を出ればソファに零さんが座っている。

「お風呂出ました」
「ああ、じゃあ次入ろうかな」
「…あの、零さん。パスリング…見ませんでしたか?」

既に着替えを用意していた零さんは、私の前までくるとにこりと微笑み、私の頬に手をすべらせる。細めた甘い瞳に見下され、どくどくと心臓が動揺していく。

「やっぱり、その服よく似合っているよ。かわいい」
「ふぇ、あの…」

頬に唇が落とされ、間を置かずにおでこにまで唇を落とされた。そのまま流れるように頭を撫でられ、身を屈めた零さんは優しい顔をしていた。

「パスリング、見つけてご覧。そうしたら行かせてあげてもいい」
「…えっ」

最後に口の端に唇を落とすと、零さんは何事もなかったかのように脱衣所へ向かってしまった。その背中に慌てて声をかけるけれど、無慈悲にドアが閉められてしまう。
探してごらん、ということは、だ。パスリングを隠したのは零さんだと言うことだ。いつパスリングを取ったのか、思い当たるのは私がお風呂に入っている間だけ。基本的にお風呂に入る時か顔を洗う時くらいしか指輪は外していない。ここ数日パスリングも同じようにつけたままにしていたから、外した瞬間はそれくらいだった。

でも、お風呂場にいるといっても誰かが入ってきたら気づくのに。なんで気づかなかったんだろう。

こうしている間にも零さんがお風呂から出てきてしまう。零さんは私よりお風呂に入っている時間が短いし、髪を乾かす時間なんてほとんどかからない。慌てて周りを見渡し、棚やクローゼットに走った。どの引き出しにも入っていない。重要な書類は零さんの部屋にあるから、リビングにある棚はほとんどハリボテだ。テレビ台の隙間や後ろを覗いてみたけれど、コードの隙間にもない。
これ、零さんの部屋にあるとか言われたら探しようがないのだけれど。

銃とか危ないものがあるから、零さんが帰ってきている時は入ってはいけないと言われている。あと書類のある棚は開けちゃだめ。機密文書はないけれど、捜査資料だからと言われたことがある。そう、今は零さんが帰ってきているから零さんの部屋に許可なく入れないのだ。

私の部屋にあったりするかな、と探してみたけれど見当たらない。やっぱりリビングかな、と再びテレビ台の後ろを覗いた。

「見つかった?」
「ひゃーっ!」

ぐるりと回された太い腕と温かい体温が背中にぴったりとくっついた。お腹と胸元に回された腕に意識がいってしまい、へたりとバランスを崩して零さんに凭れかかってしまう。
いつの間に後ろに、いつお風呂上がったんだろう。零さん忍者だったりする?耳元でダイレクトに零さんの息遣いが伝わり慌てて暴れるけれど、がっしりと拘束されてしまい動けない。そのまま頬に唇が落とされると、ふわりと体が浮いた。

「れ、零さ、」
「ん?」
「どこに…」

何がどうなったのか、気づけば横抱きをされてしまい、そのまますたすたと歩き始めてしまった。足をばたつかせても、がっしりとした筋肉のおかげでびくともしない。
お風呂上がりの零さんから、同じシャンプーのにおいがして思わず抵抗を止めてしまう。すぐにハッと意識を戻し抵抗を試みたところで、薄暗い部屋の中柔らかいものの上に優しく落とされた。

沈むベッドと一緒に覆いかぶさる零さんの顔を見ることはできなかった。電気のついていない寝室は真っ暗で、瞳孔の調整が間に合わない。闇というのは無条件に恐怖を煽る。固まっていると小さな水音が聞こえた後、急に息ができなくなった。くぐもった声が鼻を抜け、咄嗟に抵抗しようと腕を伸ばすもびくともしない。

「ん、…んんんっ!」

水と一緒に何かが流し込まれる。吐き出そうにも気づけば飲み込んでしまっていて、慌てて暴れるように胸板を押せばすんなりと離れた。肩で息をしながら零さんを見上げる。


「な、何を…飲ませたんですか」
「毒ではないな」


いや毒だったら死んでいるのですが。


どうにか押し倒されてしまっている状況を打破すべく身を起こそうとするけれど、ベッドに手をついて私を見下ろす零さんが邪魔で逃げられない。嫌な予感がするから逃げたい。ひろにい直伝キックで逃げてもいいだろうか。でも後が怖いなぁ。


「あの、指輪…」
「時間切れ」
「そんな……ひ、っ」


するりと取られた手首が零さんの口元まで導かれ、パクリとパスリングを嵌めていた指を食べられた。口内の熱や息を嫌でも感じてしまい、びくりと肩が跳ねる。そしてそのまま、がぶりと歯を立てられた。


「いたっ」
「ココにはめていいのは、俺からの指輪だけだろ?」

がぶがぶと指を噛まれ、手を引いても離れられない。涙の滲んだ瞳で乞うように見上げれば獣の瞳のような零さんに見下される。

「これ、なーんだ」
「あ…!パスリング…」
「ふふ…俺が風呂場に持ち込んだとも知らないで、必死に探してたね。かわいいなぁ」


覆いかぶさる零さんに抱きすくめられ、頬や額、目元に唇が落とされる。このままじゃ零さんのペースだ、と抵抗しようとするけれど眠気がどんどん強くなってきた。ベッドに横になっただけで眠くなるとかどういう体をしているんだろう。いやでも、今日お昼寝をしてしまったからまだ眠くならないはずなのに。


ふと、先程飲まされた何かを思い出す。まさか、睡眠薬?




「…絶対、行かせない」

眠気が酷く、遠くなる意識の中小さく零さんが何かを呟いた。


2018/07/08