ひろにいは、この男の人に助けてもらったらしい。今は変装をしているから声以外の見た目だとかは違うらしい。赤井秀一さん、というらしい。…ん?どこかで聞いたことあるなぁ…まぁいいか。

詳しくは言えないけれど、危ないところを赤井さんに助けてもらったから無事であること、赤井さんはFBIであること、FBIの保護下にいること、そのためいつも安全な立場ではないということをひろにいから説明をしてもらった。

「…ひと目、逢えてよかった」

とろりと蜂蜜を垂らしたかのような慈しむ瞳で見つめられ、またじわりと涙がにじむ。

ああ、ひろにいだ。ひろにいがいる。

ぎゅうと手を握りしめれば、優しく握り返された。ひろにい、と小さく呼べばまた私を甘やかして、ぎゅうと今度は優しく抱きしめてくれた。

「本当は一緒にいたいけど…俺は裏で少し動いたりしていて安全な立場にいない。だから、一緒にいられないんだ」
「えっ…」
「一年に一度くらいなら大丈夫だと思うけど……今日はなまえの顔だけ見れたらと思って来たんだ。まさか、こうして会えるとは思っていなかったな」

そっと離れたひろにいは、私の頭を優しく撫でる。

安全な立場じゃないから、一緒にいられない。ひろにいと、一緒にいられない。…また、ひろにいに会えない毎日が続くの?
考えただけで頭をガツンと殴られたような心地になる。このぬくもりを、においを、大好きな人から離れると考えることすらしたくなかった。だって、ずっと、死んでいるのかもしれないと思っていて。大怪我をして動けないだけならこんなに年月は経っていなくて、ひろにいが生きているなら零さんだって私の生死に固執しなかった。だから、信じたくないけど、死んだのかなって頭の隅で考えていた。

けど、生きてた。

「見ない間にまたかわいくなったなぁ…困ったな、誘拐されないように気をつけ…」
「…やだ」
「ん?」
「やだぁ…」

ぼろぼろぼろ、涙が落ちる。ぎょっとしたひろにいは慌ててポケットからハンカチを取り出そうとしたけれど、その腕にしがみつく。やだ、と子供のように駄々をこねる私に怒ることも困ったようにすることもなく、ひろにいは優しく笑って私の目元を指ですくった。

「やだ、一緒にいたいよぅ…やだぁ……ひっく」
「うん、俺も一緒にいたいよ…」
「やだ…」

ぎゅうとひろにいの胸板に抱きついた。離れたくないとぐすぐす泣き始めた私を優しく頭を撫でるひろにいに、また涙がこぼれる。

「なまえにはゼロがいるだろ?」
「その彼は君の妹を軟禁しているようだがな」
「……はぁ!?聞いてないぞ!!どういうことだライ!!」

慌てて立ち上がりかけたひろにいは私がいるから立ち上がれず、代わりに助手席のヘッドレストを殴るように叩きつけた。赤井さんはそれに驚くことなく、声色も変えずに「とある情報筋から聞いた」と続ける。本当なのかと慌てるひろにいに、抱きつく力を強めた。
ひろにいに逢えた嬉しさで、今までずっと堪えてきた何かが急に壊れたかのように頭がぐちゃぐちゃで、制御ができない。

「もう、どうしたらいいのか、わからなくて」
「なまえ、」
「私、何もできない」

しゃくりあげて言葉をこぼす私はうまくこれ以上言葉を紡げず、ぐりぐりと胸板に頭をすりつける。もうわからない、何も考えたくない。こうしてずっとひろにいに甘えていたい。時間が止まってしまえばいいのに。

涙は落ち着いたけれどぐちゃぐちゃの情緒は治まることはなく、意地でもひろにいから離れたくない、とひろにいの服を掴む手に力がこもる。そんな私を見て、ぽそぽそとひろにいは何かを言っていたけれどうまく聞こえない。そんな私達の助け船を出したのは、赤井さんだった。


「…飲み物を買ってこよう。少し、落ち着いて話をしたほうがいい」













ハンカチとティッシュを渡されて顔を少し整え、自販機で飲み物を買ってきてくれた赤井さんはミルクティーを渡してくれた。ひろにいと赤井さんはコーヒーのようだった。お礼を言いつつ紅茶で喉を潤しながら、ぽつりぽつりと今までのことを話した。

「あいつ…かわいいなまえを監禁しただと…?」

ぼこり、空になったコーヒー缶が凹んだ。怒りを顕にするひろにいと違い、コーヒーを飲む赤井さんは冷静に見える。まぁ、初対面だからというのもあるかな。
話すことで今までを振り返り、自分の感情を口に出すことでいくらか私自身も頭の整理ができた気がする。少しだけ減ったミルクティーのボトルに蓋をして、手のひらを温めるように覆う。感情の処理が済んだのか、先程まで缶を潰して怒っていたとは思えないほど優しくひろにいは私の名前を呼んだ。

「本当に、優しい子に育って…なまえの兄で誇らしいよ」

頭をゆっくりと撫でられ、その言葉に刮目する。私の自慢の兄に、誇らしいと言われて嬉しくないはずがない。ぶわりと燃えるような感情が胸に灯り、少し顔が熱くなった。

「そうだな…普通は怒ったりするところを献身的に想い、きちんと状況を把握している。自分の実力を奢らず理解し、思考することができている。君の妹はとても優秀だな」
「…あ、ありがとうございます」
「そうだろ」

なんだか、あまり人を褒めることがなさそうに見える赤井さんに褒められると少し照れるな。私のことを自分のことのように嬉しそうにひろにいは笑い、また私の頭を撫でた。

「…なぁ、なまえのこと…どうにか無理通せるか?」
「そうだな…彼女が離れたら執着の強いあの男が動揺しないはずがない。だが、キミを見ていると、あの男と共にいるより兄と共にいて療養したほうがいいだろう」

からん、缶が置かれた音が車内に響く。

「何、不安だろうが俺もできる限りキミの代わりにあの男のサポートもしよう。キミは一先ず、自分の療養に集中してくれ」
「えっと…つまり?」
「これからは一緒にいられるよ、なまえ」

ほ、ほんとうに?

キンと周囲から一瞬音が消える。夢みたいなことが立て続けに起こっていく。だって、ひろにいは一緒にいられないと言ったのに。夢じゃないよねと手の甲をつねってみると、痛みを感じた。夢じゃ、ない。本当に?

「家から出る自由もなく、交流も制限され、何もかも監視されていた生活を長く送っていれば精神的に疲弊していてもおかしくない。自覚がないだけで、だいぶ参っているだろう。」

それに、と赤井さんは言葉を続ける。

「家族は大事にしたほうがいい」

その言葉の重みがわからないまま、空間に落ちる。ひろにいは私をじっと見つめ、頭を撫でたままの手を背に滑らせると、ぐっと私を引き寄せた。今度は私の体温を、鼓動を確認するかのように。

ああ、と答えたひろにいは私を抱きしめる力を強める。赤井さんの言葉を噛みしめるように、ひろにいはそっと私の名前を紡いだ。













2020/11/15