この生活にも随分慣れてしまった今日、とある問題が起きた。シュークリームが食べたい。

テレビを見てからシュークリームを食べたくて仕方がない。冷蔵庫を何度確認してもシュークリームはなく、スナック菓子の在庫はあるけれど洋菓子はこの前降谷さんが作っていったクッキーだけ。クッキーじゃなくてシュークリームが食べたい。それも今すぐ。

よし、コンビニに買いに行こう。

部屋着から着替えようとすれば、お気に入りの服しか残っていないことに気づく。もっと洋服があったはずなのにいつの間にか消えている。まだ前の家にあるのだろうか。
とりあえず着替えて鍵を探すと、玄関の所にひとつ置いてあった。鍵を探すのに30分くらいかかったけれど、未だシュークリームへの欲は消えない。

「…んん?」

小さな鞄に財布と鍵を入れたところで、靴がないことに気づいた。どうしよう。慌ててベランダからサンダルを持ってきたけれど足元だけファッションがおかしい。まぁいいや。

久しぶりの外にドクドクと心臓が脈打つ。そっと重い扉を開ける。外に出るのは数週間ぶりだ。新鮮な外の空気が肺いっぱいに広がる。…あ、スマホの充電が少ない。まぁいいか。すぐだし。











コンビニに行くまで迷ってしまった。目的のものを買ったのはいいけれど、スマホの充電が切れてしまって今度は帰り道がわからない。スマホの充電器を取りに戻らなかった自分を恨んだ。
なんとか見覚えのあるマンションに辿り着くと、いかにも高級マンションですといった外観が目に入る。警備員さんにお辞儀をして中に入るも、部屋の番号を忘れたことに気づく。

…どうしよう。エレベーターに乗り込み固まっていると、自動的に扉が閉まってしまう。シュークリームの入った袋がかさかさと揺れる。とりあえず適当に押してみるかと勇気を出したその時、勝手にエレベーターが上がっていく。どうしよう、と慌てていると目的の階についてしまい、心臓が怖いほど音を立てた。

「!なまえ!!」
「あ、降谷さ……ひっ」

怖い顔をした降谷さんは私の顔を見ると、ぐっと力強く私を引き寄せた。手加減のされなかった行動に足がもつれ、降谷さんの胸元に飛び込んでしまう。

「あ、あの」
「戻るぞ」

それだけ言うと、折れそうなくらい手首を掴まれ、ずんずんと廊下を突き進んでいく。荒々しく扉が閉められ、大きな音が部屋に鳴り響く。

「どこに行っていた」
「い、いたっ…」
「どこに行っていたんだ」

降谷さんが怖い。玄関扉に体を押さえつけられ、背中にひんやりと冷たいドアの感触が広がっていく。体が、冷えていく。

「コンビニに…」
「なんで」
「シュークリームを買いに…」
「何故俺に連絡もせず、確認もせず出ていった?」

少しの間出ていただけなのに、何故降谷さんが家に?なんでここまで、怒っているんだろう。冷や汗が背中を流れる。ぞわりと震えた体は、しっかりと降谷さんに押さえつけられていた。

「ごめんなさい…」

蚊の鳴くような声で謝るしかできなかった。しばらく無言の時間が流れる。それが数秒のことだったのか数分のことだったのかはわからない。時の流れが酷く遅く感じた。

しばらくすると降谷さんは深くため息を吐く。その動作に肩を震わせると、降谷さんは私をひょいと抱き上げてしまった。反動でサンダルが落ちるも、降谷さんは構わず部屋の中へ進んでいく。

沈黙がこわい。抱き上げたままソファに座った降谷さんはずっと無言のままだ。蛇ににらまれた蛙、絶体絶命。シュークリームが溶ける。

「俺の前から…いなくならないでくれ…」
「…!」

…降谷さんは警察官だ。相次ぐ事件に追われる日々は精神を削っていくのだろう。そして、ニュースで流れる警官の死亡。死と隣り合わせで平和を守る。…身近な人が、亡くなったのだろうか。

「私は、ここにいますよ」

項垂れる降谷さんの頭に優しく手を置いた。
思えば降谷さんが監禁というこんな奇行に走ったのは、身近な人がなくなったからかもしれない。それなら、降谷さんが安心するまで好きにさせてあげたい。

私がこの家にいることで、降谷さんが安心するのなら。なんで私なのかはわからないけど。

「…すまない、怖かっただろう」
「いえ」
「コンビニに行っていたにしては長かったな?迷ったのか」
「えへ」

少しずつ針が動き出すように、空気が緩やかに暖かくなる。辛そうだけれど、笑みを浮かべた降谷さんはゆっくりと話に耳を傾ける。
久しぶりに外に出たら、日光が眩しかったこと。帰り道にかわいい猫を見たこと。いろんなシュークリームがあって迷ったこと。そういえば、と手首にかかったままのシュークリームは常温になってしまっていた。

「次から、食べたいものがあったら言ってくれ。買ってくるから」
「は〜い」
「それから…行きたいところがあるなら、俺が連れて行くから」

まさか外出許可が出るとは思わなかった。降谷さんのことだから、もう当分外出ができなくなると思っていたのに。思わず目を見開くと、降谷さんは優しい目で私を見つめていた。

「だから、ここにいてくれ」

懇願するような、強制するようなものではなかった。ただ、そういった降谷さんが泣き出しそうだった。だから、私に頷く他の選択肢はなかったのだ。



2018/04/24