「……ん、…?」

まどろみの中ゆったりと意識が浮上する。うっすらと目を開ければナマエの視界には目と鼻の先にリオの顔があり、ひゅ、と息が止まった。慌てて仰け反るが、後ろは壁でごつんと鈍い音と共に頭が痛む。その音にリオも目を覚ましたのか、元から目が覚めていたのか「…ナマエ?」と名を呼んだ。

「頭をぶつけたのか?」
「あ、う、えっと…」

混乱しつつ、泊まっている部屋にはベッドが一つしかないこと、一緒に寝ていることを思い出す。赤くなっていく顔を隠すように肌掛けをたぐりよせ、視線を彷徨わせる。そうしている間に伸びたリオの手が、ナマエの後頭部を優しく撫でた。心配そうにナマエを見下ろすリオと目を合わせることができず、誤魔化すように口を開いた。

「お、おはよう、ございます…」
「…ああ、おはよう」

マシュマロを溶かしたような声色に一層ナマエの頬に熱がこもる。
マッドバーニッシュとして逃走をしている日々は雑魚寝は日常的ではあったが、こうしてリオと二人きりで眠ることはなかった。周りにゲーラやメイス、他のバーニッシュの者がいた。慌てて起き上がろうと身を起こしたナマエをリオは止め、そっとベッドに戻し肌掛けを優しくかけなおした。そしてゆったりと頭を撫で、とろけるような甘い瞳でナマエを見下ろす。

「今日は一日休みなのだから、もう少し横になっていたほうがいい。…紅茶をいれてこよう」
「ありがとうございます…」

大人しくされるがままでいると、満足そうにリオは笑った。ぎし、とベッドの軋む音と共にリオは紅茶を淹れるために簡易キッチンへと向かう。ベッドにあった重みとぬくもりが離れ、どこか寂しいと思う気持ちから目をそらす。



▼△



「どこかに出かけないか」

ナマエの体調が悪くないと判断したのか、リオは朝食を食べながらそう告げた。ナマエは食欲がなく、ゆっくりと紅茶を口に含みつつ、リオの言葉にきょとりとまばたきをした。バーニッシュとして追われることはなく、街で買い物。もちろんでかけたいのは山々だが、いつ体調を崩すかわからない自身のことを考え顔を曇らせる。

「私のことは気にせず、ボスだけで行ってください」
「僕がナマエと行きたいんだ」

ふわり、微笑むリオのナマエは眉を下げた。もちろん行きたくないのなら無理に言わない、家にいたいなら僕も家にいると続けられ慌てて首を振る。行きます、とおそるおそる口にすれば、嬉しそうにリオは目を細めた。


マッドバーニッシュとして活動していた時の服しか持っていない。先に見越していたのかタイミングがよかったのか、昨日アイナからお下がりの服をいくつか貰ったのだ。お下がりといっても使い古された様子はなく、ほとんど新品同様の衣服だった。パーカーにスカート、そして帽子をかぶりいつもの靴。そしてルチアに貰ったポシェットに財布や薬を詰め、準備が終わるとリオも準備が終わったようだった。リオもパーカーを選んだようで、ナマエがかぶったものと同じ帽子をかぶっている。ナマエと目が合うと優しく微笑み、行こうか、と手を差し出した。







生活費や必需品を買う用に、とイグニスにお金を渡されていた為金銭の心配はない。まだ復旧途中の街へ繰り出せば、想像より多くも店が開店しているようだった。皆で助け合う為に、と良心的な店舗が多く、いろんな理由をつけてセールを行っている店ばかりだ。
服はきちんと働き給料をいただいてからということになり、おそろいのマグカップやお皿などの食器を購入する。最初はリオの好みに合わせようとしていたのだが、気づけばナマエの好みのものがカゴに入れられており、会計まで済まされていた。
他に必要なものは既に支給品で手に入っており、足りないものはバーニングレスキューの皆が使わないからと全ての生活必需品が揃う勢いで贈られている。つまり、この機会に欲しい物を買えというイグニスの優しさでもあるのだ。

ふと通りがかった、アンティーク調のおしゃれな雑貨屋でナマエは足を止めた。店頭に出されていたのはシンプルで綺麗なピアス。少し覗き込めば、やはりリオの瞳の色とよく似ていた。

「…少しこの店を見てもいいか?」
「へっ は、はい」

真横から話しかけられ、びくりと肩が跳ねる。何を見ていたのか隠すように目線を逸らすと、リオはふとナマエの視線の先に目を向けた。
ナマエが目を逸らした先にはこの店の求人広告が貼り付けられていた。仕事内容、時給、雇用条件をぼんやりと見つめているといつの間にか時間が経っていたらしい。何かを購入してきたリオに声をかけられ、はっと意識が戻る。するりと手を握られると優しく微笑んだまま、「何か気になるものがあったのか?」と問われ、先程までずっと視線を向けていたものへとリオの視線が動く。それが求人広告だとバレぬよう、ナマエは慌ててリオの手を引き首を振った。


△▼


昼食を外で済まし、ナマエの体調を考え夕方になる前にと帰路へついた。宿舎に戻り、途中通ったゲーラとメイスの部屋は静かででかけているのだろうかと首を傾げる。部屋に戻り、荷物を片付け終えて一息ついた頃、気づけばリオは紅茶の準備を終えていたようだった。私がやるべきなのにと謝れば、自分がナマエにやりたいからと微笑まれる。

思い返せばほとんどの荷物の片付けだけでなく朝の紅茶や朝食、今の休憩もリオが動いている。自分がやるべきなのにボスにやらせてしまっていると顔を青くさせるナマエはリオに促されるまま席についた。

そういえば、とリオの手がどこかに伸びる。その先が自分の鞄であると気づき、鞄が開いていることにはっとした。

「…どうして、求人広告を見ているんだ?」
「そ、れは……」

リオの見ていない隙に取ったはずなのに、と焦りながらもこの場を切り抜けるために慌てて思考をめぐらせる。間違えて取ったと言うには、複数の場所で求人広告を手にしていた為難しい。そもそもリオに嘘をつくのは気が乗らない。

「勝手に見てすまない、だが…」
「私、えっと…」
「…ナマエには無理矢理巻き込む形で働かせてしまっている。やはり仕事が辛いなら変えてもらうか、一緒に別の仕事をしよう」
「……え、」

怒っている様子は欠片もない。むしろ心配だと滲む声色で、ナマエを見つめていた。

「本来ならナマエは働かずに療養すべきだ。不自由はさせるが、僕がナマエを養うから…」
「そ、れはだめです!」

俯いていたナマエは、いつもより大きな声で立ち上がるような勢いで顔を上げた。カタカタと震える指先を抑えるように握りしめる。真っ直ぐこちらを射抜くリオの瞳から逃げるように、また視線を下げた。

「私、もう特殊なバーニッシュではありません。声も出ます。炎の声も、仲間の感情も…もう、聞こえません。だから、もうボスに守ってもらう必要はありません」
「…ナマエ」
「いつまでも、足を引っ張ってごめんなさい。すぐ、仕事、見つけて…出ていくので、」
「ナマエ」

いつの間にか椅子から立ち上がっていたリオが、諭すようにナマエの肩を掴む。気づけば涙を流していたナマエを辛そうに見つめた後、ぎゅうとナマエを強く抱きしめた。痛くはない、けれど強い力で抱きしめられ、ナマエの涙が止まる。

「ナマエだから、守りたいんだ」

言い聞かせるように、想いがナマエに伝わるようにそっと言の葉を紡ぐ。
ゆっくりと名残惜しそうに離れると、ナマエの頬に手を滑らせた。

「ナマエの体質は関係ない。一人の男として、キミを守りたい。」


「好きだ」


息が、止まる。

真っ直ぐナマエを見つめるリオの瞳から、目が離せない。

「まだ状況も落ち着いていない。金銭的にも、立場も不安定だ。だが僕は、この先一生ナマエと一緒にいたい」

プロポーズのような告白に、目尻に溜まった涙が落ちる。
伝えるつもりはなかった、墓場まで持っていくはずだった言葉がこぼれた。

「私も、好きです」

紡がれた言葉に、リオは目を見開く。そして、幸せそうに目をとろけさせると、ぐっとナマエを引き寄せ、唇を落とした。炎の供給ではない、初めての口づけだった。









2020/11/16