天井の隙間から差し込む光が少女を照らす。少女は花のような笑みを浮かべ、鳥の歌声のように楽しそうに言葉を紡ぐ。とあるおとぎ話について、笑顔と共に花を咲かせる少女にナマエも穏やかに微笑む。二人が腰掛けている瓦礫が、どこか庭園の豪奢な椅子のように錯覚した。


お姫様を迎えに来る王子様のお話。少女の話す物語の本は手元にないが、どういうところに心が躍るのか、また自分に重ねて話を展開する少女の頬は薔薇色に染まっていた。そして、自分にとっての王子であってほしい人物に視線を送り、少し恥ずかしそうに頬を緩めた。


「ね、ナマエお姉ちゃんの王子様ってリオお兄ちゃんでしょ?」
”へ…!?”


にこにこと無邪気な笑顔で落とされた言葉に、ナマエの表情は一変して頬に熱が集まる。どこを見てそう思ったのかという疑問と早く誤解を解かなくてはと焦る気持ちで言葉が詰まる。手をわたわたとさせているナマエの背後から近づく姿に、少女は「あ!」と声をあげた。


「ふふ、楽しそうだな」
「リオお兄ちゃん!」
「ナマエの体調の様子を見に来たんだが…邪魔をしたかな」
「ううん!」


腰を落とし視線を下げるリオは柔らかく微笑み、少女はさらに花を咲かせるように笑顔を浮かべる。


救出したばかりの頃、少女はこれほど笑わなかった。この高速道路建設跡に隠れ数日が経ち、他の子供達の輪にもあまり入らず膝を抱える少女にナマエは寄り添った。ぽつぽつと話を始めた少女の話に耳を傾け、優しく微笑むナマエにすっかり心を許し、他の子供達の輪にも入れるようになった少女は本当に楽しそうだ。


まだ心の傷は癒えてはいないが、囚われている時ほどの恐怖心はないだろう。


リオは笑顔の戻った少女に、安心するかのように少し肩の力を抜いた。そして、少女は鈴を転がすように心地の良い声色で言葉を続けた。


「私ね、ナマエお姉ちゃんみたいなかわいいお姫様になりたいの。なれるかなぁ」
「ああ、もちろん。…ほら、キミの王子様が迎えに来たよ」


え?と不思議そうに振り向いた少女の瞳に映った人物に息を呑む。そして、少女の頬が薔薇色に染まった。少女が想いを寄せている、先程視線を送っていた少年がこちらに駆けてくる。少し頬が赤いのは走ってきたからなのか、それとも…


「ほら、二人の邪魔になるからあっち行くぞ」
「あ、そっか。…えへへ、またね!ナマエお姉ちゃん、リオお兄ちゃん!」
”あ、えと…またね…!”


邪魔ではないこと、そして姫と王子と例えられたことを否定する間もなく二人は去ってしまった。だが、二人の楽しそうな後ろ姿を見て、前へ伸びた手を降ろす。幸せそうに笑う少女と、恥ずかしそうに視線を彷徨わせながらも繋いだ手はしっかりと握る少年の微笑ましい姿。思わずふわりと口角が緩むナマエの前に、リオは膝をついてナマエの片手を掬いとった。


”?あ、あの”


まるで、王子が姫の手を取るかのような。


ナマエの頬に熱が集まる。リオはフッと笑うと、その瞳にナマエを映す。


「お加減はいかがですか?僕のお姫様」
”!?あ、あの、ボス…!?”
「この後、姫の時間を僕にいただけますか?」


射抜くように真っ直ぐに見つめ、柔らかく微笑むリオの姿にどんどんナマエの頬が赤く染まっていく。オーバーヒートをしてしまいそうなほど頭が真っ白になったナマエは、反射のように「…はい」と答えた。


ナマエにとってはボスの願いに反射で頷いたということになるのだが、それを理解して尚リオは嬉しそうに笑った。そして、その光景を少し遠くから見つめていた少女は頬を染め、感嘆の声をこぼす。


ナマエが羞恥で顔を隠そうとするのと同時に、ぐっと身を起こしたリオは動作と一緒にナマエを抱き上げた。横抱き、俗に言うお姫様抱っこというもので、ナマエは顔を真っ赤にして息を呑んだ。嫌でも視界いっぱいに映るリオは、どこか楽しそうだ。


”あ、あの、ボス、姫なんて、ちが…さっきのは”
「ん?何か間違っていたか?」
”私、お姫様なんて年齢でも、ないですし…その”
「歳は関係ないだろう。それに、僕は間違っていないと思うが」


その言葉の指す主語がわからず、リオの顔を見上げる。リオはなるべく揺らさないようにしながらどこかへ歩き始める。少し間を起き、長いまつげを伏せつつ想いを言葉に乗せた。


「ナマエは僕が守る。…約束をしただろう」
”……ごめんなさい、私…”
「言っただろう。ナマエを迷惑だと思ったことは一度もない。僕はもちろん、メイスとゲーラも」


迷惑ではないと何度言われても、胸に蔓延る靄が晴れることはなかった。もっと戦う力があれば、この特殊能力に”他のバーニッシュの感情を受け取る”というマイナスアビリティがなければ。たらればの事象を並べた所で足手まといなことには変わらない。フォーサイト財団に個人的に目をつけられてしまっている為、約束の解消を望もうにもリオ達は是としないだろう。


この歳で姫と称されるのは恥ずかしいどころの話ではない、とナマエの頬は赤いままだ。リオはその様子を見て少し楽しそうで、珍しくノリノリで少女の設定に則り言葉を紡いだほどだ。


緊迫してばかりで、リオの表情に笑顔が浮かんだのは久しぶりだ。彼が笑っているのなら一先ずいいか、とナマエは言葉をしまった。姫だと称されることだけは、後で弁解すればいい。




「長く話をして疲れただろう。ゲーラとメイスが寝台の用意をしてくれている。少し横になった方がいい」
”…ありがとうございます”
「何か欲しいものはあるか?…と言っても、用意できるものは限られているが…」


ゆったりと、等間隔にリオのブーツの音が耳に響く。擦れたライダージャケットの布の音、小さく金属音を響かせるベルトの音、リオに関わる全ての音が愛おしい。


絶対に安心というわけではないことは、重々承知している。だが、数日前の収容所での時間やビル火災での出来事の果てに今がある。仲間のバーニッシュ達は少しずつ笑顔を取り戻していった。


普段押し殺している、リオへの恋心がタガが外れたかのように溢れ出す。富も名誉も、地位もいらない。ただ平和に、リオと共にいられるだけで幸せだった。これ以上ない幸福感に浸るように、ゆっくりと瞳を閉じる。


この幸せが、一秒でも長く続くように祈った。








▼▲








安寧が崩される時は一瞬だった。


壊された建物に氷漬けにされた仲間たち。フリーズフォースの車を爆破させ、リオは天へ掲げる片手を炎と共に降ろし、バーニッシュアーマーに包まれる。怒りに満ちた彼らの表情に対するヴァルカンや見下すように下卑な笑みを浮かべた。


リオの後ろに控えるナマエも怒りに顔を歪ませる。だが、襲われたことにより仲間たちの莫大な負の感情を受け取ってしまい、ナマエの顔に冷や汗が浮かんでいる。恐怖と絶望の膨大な感情に怒りの感情が加えられ、ガンガンと頭が痛む。


「気をつけろよ、リオ…」


老人がそう言うと、リオの体に何かを取り付けた。何を、と視線をやった瞬間、バキンとリオの体が氷漬けになり、間髪入れずに銃弾が撃ち込まれる。


”ボス!…っ!?”


リオの体が凍り、内側から爆発するかのように大量の氷柱が出る。慌てて駆け寄ろうとしたナマエに、何かが撃たれた。自分の首に、大きな輪があった。それを視認した瞬間、ぎゅるりと縮み姿を変え、首輪のようにナマエの首を拘束する。思考が追いつかないまま首に痛みが走ると、体の芯から凍らされる感覚にナマエの顔色が変わる。首輪のような拘束具に、内側から何かを刺されたようだ。


それでも、と地面に膝をつきながらリオへと手を伸ばす。撃ち込まれた銃弾は特殊なもののようで、リオのバーニッシュアーマーが壊されていた。自分がリオの炎を増やすことができれば、と凍らされる恐怖心を押し殺して手を伸ばす。


そしてその手から、バキリという音と共にいくつもの氷柱が湧き出る。


”っあ、あ゛…”


炎を出そうとすると、内側から凍らされる。酷い痛みがナマエを襲い、耐えきれずに地面に倒れる。どうにか炎を出そうとするが、あまりの痛みと濁流のように押し寄せる仲間たちの感情に意識が朦朧としていく。




仲間のバーニッシュの老人の体にはGPSが仕込まれ、フリーズフォースとグルであった。助ける代わりにとでも言われたのだろうが、あのフリーズフォースが約束を守るわけもなく、老人は用済みだと氷漬けにされる。氷漬けにした老人の上に座ったヴァルカンは、ニタリと笑い苦しむリオを見下ろす。そして、老人でも少しでも燃料になるのだから有効活用をするのだ、と。


「お前は燃料を増やす強化アイテムだからなぁ!トクベツに、仲間が捕まるのをそこで見せてやる」
「ナマエに何を…」
「こいつは燃料の核になるんだよ!」
「貴様…ッ!」


リオに撃ち込まれたのは特殊な弾丸で、連鎖型絶対凍結弾だとヴァルカンは言う。体の内側から氷漬けにし、命を蝕んでいく。それの試作品でもあり、銃弾ではなく首輪型のものがナマエにつけられている拘束具らしい。仲間の炎を増やされては面倒だ、と。


わざと掴まり仲間たちを救出する作戦だったのだろうが、残念だったなぁと下卑な笑みを浮かべるヴァルカンは、リオを殴りつける。直方体に体を氷漬けにされているため、反動で宙へ浮き上がる。一箇所に集めてくれたおかげで回収が楽だと、神経を逆撫でするようにヴァルカンはまたリオを殴りつける。一度は怒りで氷を砕き、ヴァルカンをリオは蹴りつけるものの、効果はない。


”ぼ、す……っあ゛、ぁ…っに、げ…”


必死にリオへと手を伸ばし、助けようとするが芯から氷漬けにされてしまう為激痛が伴い、目の前が霞む。耐えられる痛みでもなく、苦しげにナマエは息を吐いた。どうにか炎を出せれば、と激痛に負けることなく燃やそうとしているのだろう。バキバキッ!と凍りつく勢いは増し、顔以外の箇所がどんどん氷で覆われていく。


あまりの激痛と仲間たちの感情の濁流で目の前が霞んできた時、ゲーラとメイスがバイクに乗ったままヴァルカンを轢き、リオから遠ざけた。すぐに戦闘態勢に戻ったヴァルカンからの攻撃を耐えるように炎の壁を作り出す。


「!ダメだ、逃げろお前達!」
”…っ、う…”


バキバキとナマエの体を氷が蝕んでいく。必死にナマエは手を伸ばし、メイスの体に触れると炎を何倍にそ増幅させた。


ゲーラの炎がリオを包み、メイスが砲台の形を作っていく。これで遠くへ飛ばし、リオを逃がすということだ。リオさえ無事なら、とナマエはほっと肩の力を少し抜いた。


「ボスがいればバーニッシュの炎は消えない!」
「あんたの炎は最強だからなぁ!」


砲台がフェンネル火山へ向けて角度が変わる。ボスが逃げるまではと炎を更に増幅させるナマエに、メイスは視線を向ける。




「ナマエも逃げろ!」
”えっ!?”


ナマエの全身を二人の炎が包む。既にリオの砲台は発射され、リオの二人への声がどんどん遠くなっていく。一瞬でリオと同じく二人の炎が砲台へと変わる。


”待って、二人が逃げ…っ”
「ボスを頼んだぜ!」


ナマエが言い終わる間もなく、砲台の発射装置が引かれる。飛ばされながらも慌てて二人を自分の力で逃がせないかと炎を灯すが、氷の厚みが増えるだけだ。


氷柱が、芯から凍らせる氷が、痛くて仕方ない。加えて豪雨のように、濁流に落とされたかのように大量の負の感情に思考が奪われる。


飛ばされ、どんどんフェンネル火山に近づいていく。二人は既に捕まってしまったのだろう。自分が囮になれば、二人を逃がせたはず。自分が最初に拘束具で捕まらなければ、ボスの炎を増やして仲間を救出できた。あの老人が装置をつける前に、後ろにいた自分が止めていれば。


どうして、私まで逃がしたの。こんな時まで、二人は優しい。








フェンネル火山の火口に落とされた。落ちた衝撃よりも氷の痛みで未だ意識は朦朧としたままだ。巨大な氷がリオを覆っているのを霞む視界が捉えた。
ゲーラとメイスに託されたのだ。自分がリオを守らなくては、と手を伸ばす。氷漬けになった腕がさらに層が増し、ついには全身が氷に覆われてしまった。そして内側からも刺されているかのような酷い痛み、仲間たちの感情。


絶望と恐怖と憎悪、強い感情を煮詰めた濁流に溺れているかのよう。自我を保つことすら困難で、ナマエの意識が遠くなっていく。


ナマエが意識を失う最後まで考えていたのは、リオの安否のみであった。






2019/09/12